日本の未就学児の教育問題、ってあまりに大きくて深刻なのでマスコミで扱って る様子がぜんぜんないんだけど、やっぱり日本の中でもそうなのかな? ・あふれる待機児童 ・非認可保育園の現状 ・家庭内教育児の比率 ・片親家庭の増加 ・祖父母の負担増 ・小学校1年次教育における格差の拡大 ・学習障害などの児童にたいするケア ・子供の社会が殺伐としすぎている …などなど… じぶんの同世代友人、まいみくさんなどにも全然他人事じゃない話題ばかりなん だけど。 保育関係で働いていた人が、自分の子供を保育に出せる環境にない!なんてのは まさにその典型的な例で。 横浜みたいな大都市部でもこんな状況なんだよ。 多くの問題に対して、国や地方自治は、金銭的なケアばかり。 でも非認可とか私立とかの保育料はガンガン上がってる。まるでNOVAやコムスン のビジネスと同じで、民間に頼るから、品質は横並びかそれ以下で、資本金は敷 金礼金、車代、システム料、スタッフの制服代などなど「印象作り代」に消え る。人件費や人材教育コストには反映されない。 幼稚園と保育園は管轄官庁が違う、なんていってる場合じゃないんだよ。 小学校1年での学級崩壊がそのまま大学まで続いてるんだから! 大学入学時に微分積分ができない、というレベルではなく、そもそも「学習する 習慣」が、物心ついたときからまったくない子供が、学年だけは学齢とともに上 がっていく…という社会システムがそもそも問題。 ちなみにフランスは、先生と受け答えができないとか、自分や友達の名前を覚え られない子供は、学齢を満たしていても、小学校に入れません! だって、子供の成長スピードは若ければ若いほど差が大きいし、6歳だから、と 言う理由で6歳並の教育についてこれる保証もない。積み上げが異なる子供を横 並びに教育するとなると、教員側、児童側の負荷も大きいし、それぐらいなら1 年留年しても、しっかり「学習する習慣」を身に着けたほうが、本人のためにな る、それだけのこと。 幼児教育における基本的な方針は「習慣化」。 「学校行きたくない」「食べたくない」なんてのは当たり前、でも習慣なら子供 は「できるようになる」のだ。 ☆ちなみに「嫌いなおかず」でも15回以上、食卓に上がると、受け入れられるよ うになるらしい。 なお、日本の学校システムだと、その学習習慣の遅れを取り戻すチャンスは、 18歳で高校卒業して留年するまで、ない。 私の場合は中学の進路指導で、担任の教員が「出産前なので、安パイで」という 謎の方針を出し「素直に」受けたら全員受かる県立高校を受験。 大学進学者は1桁名、学習指導要領の高校卒業程度のカリキュラムを終わらせら れない(正確には、最後のほうは先生が朗読して終わらせたことにする)。 その進路を修正して、大学に行き、自分が納得するまで勉学するのに、何年も何 年もかかりました。 (途中、3回就職しないと学費を捻出できなかったのも遠回りの原因になりまし たが…) 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」 「遠回りも勉強のうち」 それもそうかもしれませんが、脱落していった人の多くは、勉強が嫌いで脱落し た人も居ますが、文学や芸術的な才能はあるのに、そもそも学習する習慣が身に ついておらず、試験で点数を取る学習をする、というそれだけの集中力がない ばっかりに脱落していったのです。 まあ、本当に好きなら、やれるだろ。 …なんて冷たい言い方もできますが。 「壊れなくてもいい壊れ方」をして、「苦労しなくてもいい苦労」をして、歪ま なくてもいいはずの性格の歪み方をして、 世の中は、どんどん歪んでいったんです。 話を未就学児の教育問題に戻します。 こんな立場で研究者をやってきたわけですが、あえて。 大学の当たるか外れるかわからない、科学技術研究に何億も簡単に出すお金があ るなら。 幼児教育のシステム見直しや、保育方法論の見直し、親や祖父母、近所のコミュ ニティも含めた家庭保育環境の構築や対アスペルガー・学習障害研究、就学前児 童を囲む社会や環境に対する科学的、社会的アプローチをしていかないと、この 国は、本当に手遅れになってしまう。 そんなことを考えながら、うちの両親と雑談していたのだけど、ジルに以前言わ れた「ナルは特別な子供」というセリフが、実は日本ではとても異なった意味に とらえられることを、今日、再び痛感した。 日本では、日本語では、「特別な子供」という言葉は、非常にネガティブな意味 を持った使われ方をする言葉なのだと。 普通でない「異常な子供」という意味もある、しかしそうではないポジティブな 意味で使った場合でも『そんなはずはない、普通なはずだ!』という反応をする。 もちろん自分はナルの親だったので、特別とか特別でないとか、そういう視点で 見たり比べたりといったことは(自分の環境もあって)滅多なことではなかった のだが、自分の親、つまりナルの祖父母はそんなふうにはとらえてはいなかった。 「普通の家庭の子供は普通の子」 儒教?神道?仏教?密教?どんな文化が日本人にそういう血統史観を植えつけた のかはしらないが、少なくとも未就学児に対しては、ある種のカーストがあるのだ。 ジル以外にも、ルカに「この子には音楽の才能があるよ」と言われた時に、自分 が拒絶反応を示してしまったところから、やっぱり自分も「特別な子供」という 言葉が怖いのだろう。 そもそも、すべての子供が「特別な存在」であることは間違いないのに。 この国のこの言語、社会は「特別な存在」を許さないのだ。許せないのだ。 まあでもそれが、ほんのちょっとした、習慣であることを祈りたい。 ウチの親に、時間をかけて、今までナルが歩んできた人生、言葉が不自由である という苦労、それを乗り越えて、現在、彼自身が獲得した「能力」…。 遺伝子とか、才能とか、そういったものはわからないが、5歳児には5歳児の理由 があるのだ。 それらを、戦中戦後教育史観的に「子供は慣れるから」とか「放り込めば大丈 夫!」とかいった、乱暴な「壊し方」をすれば大丈夫だ、というものではない、 ということは、ちょっと判ってもらえたようだ。 …でも危なかった。 この説明時間を用意しなかったら、と思うと。 ナルの精神構造は、ものすごく”fragile”(壊れやすい)だから。 彼は一旦、嫌いになったら、泣いても、殴っても、絶対に言うことは聞かない。 おそらく車に轢かれて死ぬ危険があったって、そこから頑として動かない、とい うぐらいの根性がある。 さらにいうと、その根性は、自分が好きになったもの以外には全く向けられない。 さらに補足すると、生まれて1歳ぐらいから、その性格は曲げられたことがない。 コミュニケーション能力、3ヶ国語を自在に使う能力、数理能力などはポジティ ブな能力として、認めることができる。 でも、その背後に「ナルが生き延びるために必要だったんだ」といった理解をし なければ、伸びるものも伸びないと思う。 子供は学校に行けば、子供社会を学ぶ。 子供は残酷な生き物だけど、手加減を知っている(ことが多いので)、あまり心 配はしていない。 ただし日本の子供は「悪い言葉(gros mots)」の制限を受けていないので、遊び 仲間から「殺す!」とか言われたらそれはそれでものすごいショックだとは思う。 それ以上に祖父母なんて身近な存在のほうが、ウチの環境では当面は急務だ。 今の幼児教育環境に「放り込めば慣れる」なんて思い込みで、接することになら なくて、本当によかった。 あとは団塊世代特有の「消費すれば幸せ」っていう精神構造と、「テレビつけっ ぱなし環境」をどうにかしないといけないな。 日本のお茶の間(…なんて部屋も存在しないけど)は、ほんとに病んでるよ。 テレビやゲーム、玩具や消費物は楽しいけれど、全く責任なんて取ってくれない からね。 そんなものをつけっぱなしにして、大人も子供も脳を破壊されて「自分のために 自分で考えて、判断して、生きる」って能力を失っておいて、競争社会だけは残 すなんて、ほんと残酷。 のびのびと、生き生きと、子供が子供らしく育つためには、まず、お金を出すん じゃなくて、大人が時間をかけて、子供と向き合う時間を作らないといけない。 間違っても、子供だけで勝手に育つなんてことはない、それは生活と習慣によっ て構築されるものだから。 保育・幼児教育といった社会的システムも、時間をかけて柔軟に、習慣として修 正していかなければ、いつまでも戦中戦後のまま。 フランスは真のハイテク国家ではないけれど、幼児教育や家族の問題について は、日本は先進国どころか、発展途上国並、20年は遅れていると感じている。 管理教育、没個性横並び教育やゆとり教育がやってきた過ちを理論的に分析し、 政策や社会、企業や家族が負担として子供を取り囲む環境を良化していかなければ。 いまは戦争もない、貧困に悩む状況も一般的ではない。 我々のような第二次ベビーブームのような没個性・管理教育出身であっても、そ れなりに、サラリーマン家庭は「それなりに」食っていける、そんな状況でやっ と子供を育てている状況で、少しでも差をつけよう差をつけようと、一生懸命に 塾や習い事や受験に必死になってただでさえ少ない家族との時間を削り、そんな 環境で育った一部の「運のいい、壊れなかった子供」が大人になっていく。 どんな教育でもいい、ただ、20年後ぐらいに。 人を愛し、家族を作り、子供を産み、そしてそれを育てることを、楽しみとして 続けていくことができるのだろうか? 格差を差別とせず個性として、自分の人生として受け入れ、社会的弱者がその弱 い立場を乗り越えて自分の人生を謳歌し、特別な個性を持った人間が、その個性 を世の中に生かし、表現するためだけに努力する…そういった「楽しい人生」を 送れるための何か、を学んでいくことができるのだろうか。 どうにかせねば。 科学教育、理科離れ、そういったテーマの根底に関わるかもしれない、この問題。 未就学児の教育問題。 どうにかせねば。