昨日、アラン・ブラフォード さんについて書いたわけなんですが、

今日はあまりにも有名すぎるアラン・ケイさんについての話題。

後藤貴子さんという方のPCWATCHの記事 「後藤貴子の米国ハイテク事情」 -コンピュータは人間を進化させるか- アラン・ケイ氏インタビュー http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

アランケイにとっての「ポップカルチャー」ってずいぶん広いんだな。 でもそうだとすると、現実はポップさが足りないと思う。 もっと爆発的にゲリラ的に、革命的で怠惰な行動をしなければ。

それから「学習」について。 元のインタビューは「learning」とか言っているのだろうか? knowledgeを得ることがlearningというわけではないだろうに。 なんだかアランケイ自身の科学リテラシーに興味がわく。

「Googleで検索できたから知った気になる」という指摘はもっともだけれども、Squeakやアランケイが描いた絵というのは、「ちょっと自分でやれたからやった気になる」というのにも似ている気もする。

イマジネーションをコンピュータの上で簡単にする、プログラミング言語を使わない、という方向は時として学ぶ姿勢を怠惰にし、鳥かごの中でしか学べなくすることにもなる。

もちろん否定しているわけじゃない、同じ課題だけど正反対だ、というだけの話。

カエルの話はなんだかよくわからないけど、ポップカルチャーに目をむけよ、というのはよく理解できる。

文化や風習、無法や奇襲は、カオスなコンピュータの歴史の本質だから。

それにしてもGoogleで「Engelbart」を検索しても日本語版だと怖いことに http://del.icio.us/tag/engelbart が3番目にヒットしてしまう。 おそらく見せたかったのはこれだと思う。 http://sloan.stanford.edu/mousesite/1968Demo.html リアルプレイヤーが必要な時点でやる気半減するが、BGV代わりにかけておくとかっこいい。

補足。

今日になって気がついたんですが、 researchってre-searchですよね。 過去の研究や思い付きを、「再検索」するところから研究は始まるのかも。 「再発明」では困るけど。

補足の補足。 (…SqueakはSmallTalk風味というmixiでの流れがあります…) うーん

プログラミング言語って生き物なので 5年とか10年とかの時間で、どんどん変わって行ってしまうのですよね。 特にそのプログラミング言語のユーザの人口と文化にも依存するし。

たとえばPHPはスクリプト言語だけどオブジェクト指向、ほぼ同じことができる&同じ時期に生きたVBScriptはオブジェクト指向で書こうと思えば書けるけど、とても重い。 当のPHPだって、Python,Rubyのほうがエレガントに見える事もある。動作速度ではperlに負けることも多々あるし。 COBOLは20年たったって手続き型言語(OOCOBOLとかありますけど)。でも、それでいい業務、というのがあるから成立するわけですよね。

Squeakは一種のFlashだ、と思えばかなりハッピーな環境だと思います。

そういう意味ではアランはいつだって自分のプロジェクトを自分色に染めすぎ。それがSqueakの唯一の欠点かもしれない。まあヒッピー文化なのかもしれないけど。

思想・主義主張がある工業デザインというのは受け入れられるけど(買うか買わないかだから…)、思想・主義主張があるプログラミング言語、というのは時に開発者を自己満足の谷に落としてしまうのです。