3年間日本を留守にしていて、携帯電話以外あんまり変わったことなんてないだろう、と思っていたけど、ずいぶんと変わったところがある。しかも意外な分野。 ・「go.jpドメイン」 ・「教育関係」 ・「郵便局」 みんな小泉内閣の構造改革が原因なんだけど。 とにかく、どれも“腰が据わってない”感じがする。 郵便局はいつの間にか株式会社になってた。簡保は10月以降保障も継続もされない、文字どおり簡易な保険になってしまうようだ。いままで1つの契約でも 10年近く加入してきたんだけど、たぶん全部解約すると思う。 郵貯が解体されることと、いままでのカスタマーを裏切ることとは同じではないと思う。既得がいくら失われるといっても、あまりに自暴自棄な感じ。 教育関係は…法人化、というのがよくトピックにあがっていたけれど、一番大きいのは「任期制」だとおもう。 「ポスドク1万人計画」のあおりを食って、「年雇い・実力不明労働者」を生み出した挙句、テニュアトラックがないなんて、はっきり言って地獄。 まともなキャリア、まともな分野なら、海外に逃げたほうが正直なところ、安定度も未来もあるような気がする。 (自分もその状況に突きつけられているので、本当になんともいえない)

いま自分が、働く側でも制定する側でもなく「選別される側」なので、大きいことはいえないけど、一言だけ言わせてもらえば「5年以下」の「任期制」というのは、教育研究に携わる身としては、あまりに『無責任なポスト』ではないか。 もちろんR&Dにはスピードで結果が出なければならない分野もある。同じ分野でも時間がかかるものと、すぐに結果が出るものもあるし、その研究成果の寿命も、往々にしてその産みの苦しみにかかる時間と相関があると思う。一見して「ダメそうな」テーマであっても5年も一生懸命やれば、何か出てくることもあるだろう。応用分野が変われば価値が出てくることもある。いずれにせよ、明日の「食い扶持を気にしながら5年過ごす」のと「いいから5年がんばってみな」と言われて突き放されるのでは、結果が違うと思う。 その人の、その仕事だけをみれば、実力主義で結構、なのかもしれないが、教育研究の仕事、さらに女性の研究者がどうこう、というのであれば、その家族環境も鑑みてほしい。 小学校教育だって6年かかるのに。 つまり、男女にかかわらず、ここに研究者がいれば、小学校に入学させた子供の卒業を見る前に

必ず1回はポストが変わるということだ。 運よく、同じ大学で助教→准教授→教授のパスならいい。 でもポスドク→准教授(数回)→教授なら、かならずその間に就職活動が何回か入るわけで、当然ながら引越しもありえる。 「お受験」なんて冗談でしょう?

あんなのは固定の住所で6年以上住める保証がなければ無意味です。 さらにいうと 「お父さんの仕事=研究者=尊敬できる」 っていう路線はありえないかもしれない。 「お父さんの仕事=研究者=不安定=負け組父さん」 っていう路線が大多数なのかも。 要は、研究者なんて道を選ぶなら結婚もするな、子供も生むな、産んでも子供は大学まで行かせられるかどうか謎。 …っていう現実を突きつけられているわけで。 実際にはいろんなレアケースとか自助努力とか、親の遺産とかで成立するのかもしれないけどね、まあ「安定?普通?」を求めるなら、日本のキャリアは無茶ばかりですよ。 大学教授に「TLOで勝ち組人生目指せ」って話ならともかく。 さらにいうと「go.jpドメイン」。 「日本の政治家が阿呆である」という事実は、フランス暮らしでだいぶ理解できたのだけど、空転現象を巻き起こしている責任は「官」にもあるなあ、とよく感じます。 上からずっと同じことを言っているんですが、とにかく「腰が据わっていない」 という感じがします。 『小学校教育だって6年かかるのに』 革新とか改革とかで積み上げてきた組織とか他人の人生を「右を左に左を右に」しているわりに、舵を切る人だけは終身雇用が確定しているような状況は、なんかへん。 イベントとか、政策とか、魂が本当に入っているのか、不明。 自分の子供を、こんな環境に預けられる、信頼できる、と本当に考えているのか、実に不明。 苦労する職業 しかし報われない職業 さらに給料悪い職業 いわゆる「ワーキングプア」強化のポストが、意外にも官公庁よりの仕事に多い。 もちろん国家公務員試験を新卒で受けた人は別なんだけど。 日本の常識って、どうして 「好きな仕事で飯を食う」   ↓ 「給料安い・社会的地位低い・不安定」 なんだろうねえ。 どうしてフランスみたいに 好きだからやる   ↓ 好きだから続けられる   ↓ 好きだから給料安くても大丈夫   ↓ 続けているから信頼される   ↓ 続けているから退職しても年金暮らしできる …ってループが作れないかねえ。 いつまでも団塊ジュニアが 20−30代でいられるわけじゃないのに。

追記。

問題は変える側の人と、 変えられる側の人は、 おそらく同一の人物ではないってことですね。

経験を重視しているようでいて 実はどうでもいいと思っている節がある

10年ぐらいすると 大学は法人によってずいぶんと差がつくと思います。 受験偏差値とは別の軸で。 また官庁と民間の差も、大きくなるような予感があります。 中間的な法人は、より厳しいほうに顕著になるかも。

予算の問題もある。

でも法人税が高いから、多少ひどくても国は成り立つんだろうけど。

追記2

mixiでもらったコメントから。

「仕事」は辛くてやりたくないことを我慢して無理やりやるもの

それは理解できるんですけど「我慢できる方面」ってありますよね。 多くの人がそこで飯を食うのでしょうけど。 我慢できるし、むしろ好きな人なら絶対続けられるような公共の仕事が「期限付き」となると、これは、その価値ある人材を組織が自ら制約を加えていることになりますよね。

クリエイティブで、新境地を切り開く分野に対して「お上」がとっても厳しいのは日本の特性なんでしょうか?

特有の文化だと思います。 「好きでやってない人には作れない世界」という認識。 フランスの役人は、見た目にも気を使うし、もうちょっとクリエイティブな仕事をしますし。 クリエイションに払う金額は高めですし、良し悪しの判断は、一般人に任せたりせず、自分で責任を取りますね。 要はアートディレクションとして「働いている」ってことですね。

妬みの文化を賞賛の文化に…

そうしたいですね。 お互いがんばりましょう。

補足その3.

なんだか、財団法人でも公示している内容だけじゃなくて、やはり実際深く話し合ってみないとわからない。

優秀な人間にはそれなりの待遇、たとえば契約も5年後にはテニュアになったりするらしい。

よい方に変わっていくなら歓迎なんですが。