サドキング、とか書くとハードゲイとかサド伯爵とかが浮かんでくるけど「査読ing」。 某VR国際会議に投稿された誰かさんの論文を読んでます。 音楽インタラクティブ関係。かなり良くかけていると思う。 使ってるジーニアス英和大辞典が音楽関係の単語に弱くてつらい。 それにしても、インターネット時代の国際会議査読について「査読はこういう風にすべし」という常識は無いもんかな?もちろん会議ごとに査読基準を設定してくれていることは多いのだけど、私はネイティブ英語研究者ではないので、まじめに査読・精読すると、ほとんど同じ論文の日本語版ができてしまうぐらいの労力が必要。 そこから専門分野に関する意見を掘り下げていかねばならないから、余計大変。 さらに言うと、エンタテイメントVR、インタラクティブ関連だと、扱うべき、考慮すべき要素が、文化芸術ぐらいまで入ってしまうので、「国際会議=英語の会議」ではないというのもポイント。 美術や文化、ユーザに対する考え方は国ごと違う。英語を読めば、ラテン系なのかアングロサクソンなのか、アフリカやアジア系なのかぐらいの違いはわかることはあるけれど、問題提起や結論のつけ方などは一様に判断していいときと、不味いときがある。 たとえば共感覚、フォティズムの研究。 平たく言えば、色を扱う研究において「赤は女性・青は男性」なんて前提はあまりにステレオタイプに基づいているといわざるを得ない。もちろんそんな例ではないのだが、この種の論文で必ず出てくる単語「colored」が、フォティズムのそれを思い浮かべるのか、「有色人種」を思い浮かべるのかでも全く得られる印象は違うだろう。 …とか書いていると査読内容がばれるので、このへんで。