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主著者の清水静海という人はあまり情報は無かったが、筑波大大学院の数学教育研究質の関係者みたい。 船越先生という人は神戸大発達科学部。 http://www.rie.h.kobe-u.ac.jp/~f-ken/works.html http://www.rie.h.kobe-u.ac.jp/~f-ken/research.html 73年から数学教育にかかわってきているとの事なので、おそらく私が使ってきた教科書の何冊かには先生の教科書があると思われる。神戸大付属小学校でもこの教科書使っているのかなあ。 たしかに我々の世代の現代数学教育の手法というのはピアジェの「発生的認知論」を見習ったといっても頷けるところがある。 何年生で何、というカリキュラムを作ったのは、おそらくまったく別の人の都合によるものだろうけど、 順序が逆転したりしないのは正しい(足し算→引き算→掛け算の順で覚えていかないと割り算が出来ない、とかね)。 それにしても、 >現在は、脳神経科学(認知は、ニューロンのシナプス連結によってネットワークを作ることである)の知見との関連で「数理認識(数学教育)」の研究を進めています。 …そうなんだ…まあ認知研究の時流としては突飛なことを言っている訳じゃないけど 「あの教科書」を使った子どもをfMRIにかけて解析 …とかしてるわけじゃないよなあ。 脳神経科学をクラシックに、たとえば強化学習とかで例えるとしても、 まずは「学ぶべき情報を学べるような」情報教示、具体的には視覚刺激が与える情報理論とか冗長さについても考察してほしいよなあ。 この教科書も白黒にすれば、まだ使えるかもしれないし。 しかしこれだけ余計な情報が溢れていると、教示情報なしで学習すると残るのは萌えキャラだけだろうなあ。 …とか真面目に考える以前に、やっぱりまともな教育を日本で望むと、 親は塾に連れて行きたくなるだろうし、そうするとこんな教科書で萌えている児童と、 機械学習させられている児童の学力格差ってのはどんどん広がって行くんだろうな。 そもそも「ゆとり教育」とかいっても、それ決めたお役人の子どもたちは、公立の学校行ってなさそうだし。 こんな教科書で育つと、中学とか高校とかで いきなり白黒な「古式ゆかしい教科書」が出てきても 「どうしてマンガが描いてないの?」とか言い出しそうだな。 >教科書は,本としても良い意味で「教科書」であって欲しい. そう、特に数学の教科書は何年でも使えるし。 余計な図解なんて入れるぐらいなら、行間が白くないと。 今までだって現場の先生たちの涙ぐましい努力で、 図解とか板書とか実験とかで理数に興味を持たせてきたわけだけど、 教科書選びなんて、(悲しいことに)現場の先生の意向だけでは決められないから、 へんちくりんなカリキュラムや教科書を採用されてしまったら、 その努力はどんどん大変になっていくんだろうな。 日本でも教科書なんて一時期しか書店では買えないから、 世論にフィードバックされるのは時間がかかるだろうな。 しかも、教科書制作業の人たちも、偉い先生に協力してもらったら、 あとは何を基準にしているというわけでもなく、けっこう横並びに編集・制作してしまっているという現状もあるし(歴史教科書の問題など記憶に新しい)。 …で「こんなんじゃ駄目だ!」という機運が高まった割には、 (歴史と同じで)実は正しい教育方法なんて一朝一夕には構築できないから、 結果としては正反対の方向に行って、もっと萌え度の高い教科書とか、 本格的にキャラクターマーチャンダイジングを使った教科書とかが当たり前のように出てくるのかもしれないな。 そんなのは副読本とか小学館とか学研とかベネッセの学習雑誌ぐらいにしておいてほしいんだけど。 もともと理科とか数学とかの初等教育については 「ここまでやればOK」みたいなものではなく、 センスがなければ自分の頭でひらめくしかなく、 あとは演習と試行を繰り返すしかないという、 非常にストイックかつ、地味な作業の繰り返しで、 さらにいうと「生きるために必要」とかいうのもウソで、 そんなことが万人に求められなくても 生きられるようになるのが産業技術なので、 じゃあ何のために必要なの?と聞かれたら 『20歳過ぎたあたりで、数学的思考が嫌いだ、 とか言ってると豊かな人生を生きられないよ』というだけの話なんだけどな。 研究者やろうがFlashでWebサイト作ろうが、 八百屋やろうが、競馬で暮らそうが、 本当に生きていくために頑張ろうと思ったら 「理数が嫌い」なんて『言ってる場合じゃない』んだがなあ。 あ、だから最近の自堕落な大人たちは パチンコ・パチスロとかで、美麗な液晶画面に出てくる 萌えキャラをボーっと眺めながら日々の稼ぎをドブに棄てているのか… 勝つための確率よりも、見た目の演出の方が嗜好されるんだね。 そういや確率といえば「確率統計」は 我々の頃から選択科目になったんだっけ…。 そういや化学を選択すると物理がとれない、なんて選択もあったなあ。 選んでるんじゃなくて、棄ててるんだよそれは、と当時から腹たったなあ。 学ぶのも学びなおすのも本人の自由なんだけど 「算数=まほう学校」とかしか思い出せない代物になっちゃうと、 リハビリというか社会復帰というか矯正が大変だろうなあ。 現に今、私の中で古文とかは活用しか覚えてないもんな。 日本人として恥ずかしいよ。 漢文とかはその後、中国語を勉強したからまだ身についているとも言えるんだろうけど。 日本史に至っては偏重思想の社会科の先生のおかげで、 機械的に年号覚えるどころか、いかに内職するかしか記憶に無いな。 その後、NHK「そのとき歴史は動いた」とかで、 だいぶリハビリにはなったんだろうけど、 大河にせよこの番組にせよ、演出が効きすぎてて史実が霞むんだよな …松平アナの声じゃないと頭に入っていかないというか。 地理じゃないけど、よっぽど足で歴史散策した方が、身にはつくかもしれない。 何だか萌え教科書から、自分の教育を振り返ることになっちゃったな。 仕事しよっと。