Wikipedia「遊び」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3 現状、かなり混沌としていて、整理されていないのと、中途半端にカイヨワなどが引用されているので「遊びの研究」のベースになるものを書きました。 これは白井暁彦自身がWikipediaに書き下ろしているので、GFDLにも著作権法にも違反にはなりません。 ただし、多くの引用すべき過去の研究を割愛していますので、ぜひ皆さんで加筆してください。 またこれにより「遊びの分類」などは加筆修正、もしくは削除されるべきでしょう。 上記ノートにあるゲーム理論や趣味、それからテレビゲーム類などへの影響についてもだいぶ整理できたと思います。 この項目のより良い成長を願います。 –~~

「遊びの研究」

「人はなぜ遊ぶのか」という哲学的、科学的探究には歴史がある。古くは中世源流思想の哲人[[アリストテレス]]の幸福論において、[[スコレー]]が知的探求をともなう自由な時間、つまり、経済的、時間的な束縛がなく、かつ自給的な(行為そのものが新たな行為を生み出す)活動であると説いている。アリストテレスはここで、スコレーに徳、教育の必要性なども加えているが、「幸福はスコレーのうちにあると思われる」という有名な一説が『ニコマコス倫理学』にあり、人間の幸福が経済や時間に束縛されない時間から生まれることを説いている。これは学問について限定しなければ、遊びの源流思想としても解釈可能であり、遊びと人間の幸福の関係について触れる最古の説であるといえる。

その後の思想家においても、遊びや美といった、一見人間の生活に利益を生まない行為をなぜ行なうのかといった課題に対する考察が残されている。ドイツ古典主義[[フリードリヒ・フォン・シラー フリードリッヒ・シラー]]は著書『人間の美的教育について』において、「人は遊びの中で完全に人である」と述べている。

ホイジンガの説は有名ではあるが、人間を意味する『ホモ・サピエンス』(=知識を有する存在)を『ホモ・ルーデンス』すなわち「遊ぶ存在」としたタイトルの印象、さらに[[ビデオゲーム]]機器の株式会社[[ナムコ]]創業者である[[中村雅哉]]が特に多く引用したためであり、実際には言語学的見地、特にヨーロッパの言語間におけるラテン語「ludos」からの展開に関する研究、たとえば「冗談」や「機械の遊び」が含まれるか否か、といった比較が多く著されている。また中国語においても記載があるが、漢字の遊びに関係する文字は「遊」「遊」「玩」「戯」など欧州言語とは体系から異なっており、日本語についても同様に、ホイジンガの説を単純に継承できるわけではないことを認識しておくべきであろう。ただし現在でも混沌としている「遊びの科学的分類」を試みたホイジンガの功績は大きく、その後の[[ロジェ・カイヨワ]]はホイジンガの分類に対して時代に合わせた表現と著書『遊びと人間』において例をもって再分類した。ここでのアゴン(競争)、アレア(偶然)、ミミクリ(模倣)、イリンクス(めまい)も同様に有名であるが、カイヨワは遊びにおける秩序の度合いの違いによる変化や、遊びを構成する要素についても言及し、「遊び」が成立しない例についても述べている。例えばカイヨワの定義では「生産性があるもの」は遊びにならない。

近代の遊び研究では、心理学、行動分析、児童心理学の分野での実践研究が多い。 ロシアの児童心理学者[[エリコニン]]は著書『遊びの心理学』において、近代の遊び研究の歴史を心理学的見地から整理している。

現代ではコンピュータサイエンスにおいて、人工知能の研究の一部に遊びに関する研究が利用されている例もある。例えば、強化学習は教師なし学習アルゴリズムであるが、一見、利益を生まない行動も、長期的な学習の収束においては意味を持つという意味で、遊びをうまく活用している例といえる。他にも創発システム(GA)でコンピュータによる新しい発想を生み出す場合にも同様の論理化が必要となる。

遊び研究の歴史を紐解くと、「遊びの研究」が「研究者の遊び」になってしまうことも多くあることを発見できる。それは「遊び」がもつ多様性によるものであり、ホイジンガやカイヨワが行なった分類はそれらを思想や文学、遊びそのものの娯楽から生まれる混沌から、より科学に近づけるための一歩であったともいえるため、今後も時代に合わせて研究を続けていく必要があるといえる。これらの説を現代のコンピュータを用いた遊びにおいて、作例を持って再度解説した論文を『[[エンタテイメントシステム]]』として[[白井暁彦]]が2003年に執筆している。

また近年になり、「[[遊びリテーション]]」や脳の活性化を目的としたゲームソフトなど、機能的な目的を持った遊びも生まれている。これらはカイヨワの遊びの定義では生産的な活動であり純粋な「遊び」であるとはいえないが、単純なリハビリテーションと違い、刺激や行為の持続を促す効果があるため、より科学的な方法での検証が行なわれるべきである。