ある友人のBlogへのコメント。 真面目に書いたので再掲。一部編集。 美への探求は終わりがない それ自身が美の存在意義でもある 「art」は「芸術」であり「技」であり、 それ自身に美学や哲学を持ち込む意味はありません。 あくまで言葉の意味ですが。 「結果」とか「役割」ですが、中世にシラーは美への探求について「余剰説」を唱えています。つまり、力が有り余っているのであり、その状況においては「その力の消費こそが目的」である、という解釈です。 日本には最近、エンジニアリングとデザインとアートとテクノロジーを曲解して分け隔てを設けて詭弁化する風潮があると感じます。 その割には理性的に、体系的に紐解いた論がなかなか出てこないし、教育の現場にいる人ほど、難解な方向に向く傾向が強いように感じます。 >美への探求は終わりがない この言葉はParis8ATI(Art and Technology Institute)の先生が言っていた言葉です。 また『我々は(アートやテクノロジーの)境界について述べるべきではない』と言ってました。 同じことを岩井氏ともVR学会の文化フォーラム講演中、質疑応答で交わしたことがあります。 境界に生きる我々が、その境界を逆に明確にし、自らの「art(こつ・技術)」を表現する場を狭めてしまうのは悲しいことです。 新しい次元、尺度を共に打ち出さねばならないと思います。