あけましておめでとうございます

旧年中は秋口から急に体調を崩し、職業人生において、はじめての挫折を味わう年になってしまいました。 幸いにも職場の配慮があり、長期の療養をとらせていただいております。 学生さんや先生方をはじめ、たくさんの方々にご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びします。 容体のほうはおかげさまで安定しており、一旦は全く動かなくなった腕も、毎日のリハビリと運動療法の成果もあって、なんとか絵ぐらいは描けるようになってきました。 挫折したときは原点に返ってみることが大事と思います。 健康を害するような習慣がないか、乱暴な食事や睡眠、薬に頼って無理をしたりしていないか見直し、適切に食べ、家族と話しをして、運動する習慣を身につける…。 そのような当たり前のことをやってみることがまずは大事ですね。 モノづくりの原点に立ち返ってみることも大事でした。 本を読む、写真を撮ってみる、スケッチブックに描いてみる…など、基本的な読み解きや表現を通してわかることというのは多く、それは自分が恥ずかしくなるようなことであったとしても、それ自身を受け止めて学びなおしていく行為であると思います。 子供たちにしっかりと勉強のしかたを教えることも大変な経験になりました。 学者という生き物は、どうしても頭の回転ばかりが速くなってしまいます。 本人はそれでよいのかもしれませんが、稚拙であっても頭の回転が速く行動が早く、ということがすべてにおいて良いことではありません。 年末の紅白歌合戦の企画として、羽生善治永世七冠のインタビューがありました。 http://news.livedoor.com/article/detail/14099838/ 「将棋をどのぐらい分かっているかと言われたら、あまり今もわかっていないという感覚は実感としてある」 その短いことばにはっとさせられました。続けて「初心忘るべからず」について、 「始めたときの気持ちということではなくて、『その時々の初めて』という意味がある。例えば将棋を始めた時の気持ちとかプロを目指した気持ちとか、ターニングポイントみたいなところでの気持ちを忘れない、というのがいいのではないか」と述べていました。 生きながらにして将棋の伝説となった同世代の人物の口から「初心という言葉は、初めて将棋をうつ時のことだけではない」という言葉を聞いたことは、大変衝撃がありました。 たしかに、子供たちと将棋を指していると、思いもつかないような新しい手を指してきたり、大人が根負けするような勝利への執着心を見せたりします。 そして、新しい技を教えると、子供でも大人でも、頭の中に回路が開いていく感覚をおぼえます。 数学の問題に取り組んでいるときなどでも同じような感覚を感じることは、皆さんも経験があるのではないでしょうか。 効率化や人工知能の発展とともに、人々の仕事がより複雑かつ高いハードル、無理難題に対する高いエフォートが求められる時代にあります。 一方では「どうやったらそんな高いハードルを飛べるようになるのだろうか?」、「そもそもそんなハードルを飛ぶ意味なんてないのでは」といった若者たちの感覚も感じます。 知らない人、できない人が、「できるようになる過程」を主観で体験していく過程は大変時間がかかるけれども、重要な体験であるなあ、とかみしめているわけです。 それは、できることだけをやっているよりも、大変意味があることなのかもしれないです。 さて、2018年は戌年。新世代「aibo」のデビューの年でもあります。 イヌは野生のオオカミとDNA的にはほとんど変わらず、1万年以上前にヒトのパートナーとして共に生きる道を選んだ生物です。 人類と最も歴史の深い、相棒とも呼べるでしょう。 新しい aibo もきっと、人類のよき友として、我々のヒトとしての在り方に、おもしろい刺激を与えてくれると思います。 未来の人々からみたら「あたりまえだよ」ということを、どうやったらわかりやすく言語にしていくことができるか、 これからも自分がやれることを少しずつ、増やしていきたい年です。 みなさまの2018年が良い年になりますように。  2018年 元旦  自宅にて   白井暁彦