「いやー、わたくし、最近快眠でして……」 という自慢にも見える書き込みを土田さんのfacebookにしたのがほんの1か月前。 ……いろいろあって眠れない。 前期は講義が忙しすぎるという環境がある。 月曜日 ゲームプログラミング 今年初年度ということもあり、講義準備ストレスがある。日曜日から準備に入るが直前まで頑張っている。 火曜日 応用プログラミングA(C++)そのあとICUにすっ飛んで行き、非常勤「コンピュータゲーム」。終わるのは19時過ぎ。 水曜日 3年生のセミナー、3限は大学院「エンタテイメントシステム」。そのあと次の 木曜日 「身の回りの数学」まで採点と講義の予習が朝までかかる。 金曜日はいちおうリハビリや研究のためなどにあけてあるが、全然ぐっちゃぐちゃである。 それに加えて、心理的ストレスのあるとある問題、企業さんなどの研究室訪問が相次いでいて、ゆっくり学生指導ができていない。 ここまで先生に時間がないと、いわゆる「研究室が荒れる」という状態になるのかもしれないが、今年は性格のいい学生が集まっているので、来ている学生に関しては順調。 順調どころか就職先もかなりいいところに行っているので、全然よいのではないか。 あとは、くだらない、といっては申し訳ないが、プライオリティを上げようがない学会、国際会議などは最小限にしている。 投稿したかったが、昨年度M2が大量卒業してしまったので、今年は投稿しようにも、4年生の就活なり進路なりが片付かないかぎりは投稿しようもないのだ。 南の島とか、ヨーロッパとか、裏日本とかで学会、いや正確には学会以外の写真でTLをにぎわしている先生には、正直「いいね」ボタンを押しながら「いいなあ」といって指をくわえるぐらいしかできない。 と言いながら、じゃあ、自分もユルめの学会でユルめの開催地に行けばいいじゃない、と思うのだけど、やはり1年生の必修講義で代理もきかないとなると、休みようがない。 せっかく大きな予算をもらったのに、これでは使い切れないかもしれないな、実際には大型機器を買うのでそういうものではないのだけど。 ……で、眠れない。 胃が痛い、胸が苦しくなるようなつらい、ストレスもあるのだけれど、そもそも「快眠」というには余りに眠りが浅い。 そして変な夢をよく見る。 あれだ、冒険もの。ファンタジーもの。RPGもの。 ※以前、2009年ごろ、仕事柄、おもちゃ会社のエンジニアと出会ったときに、同じRPG的な夢を見ていることを知って驚いたのだけど、どうやら夢の中で同じゲームにログインしているらしい。街の風景やゲームシステムはそっくりだ。 それはそれとして、今回の夢は全然違う。最近は全然「違うシリーズ」の夢を見る。 そもそも普通の人は「シリーズものの夢」を見たりはしないらしい。夢は単発だったり、思い出すのが難しい、破たんしたストーリーだったりする。私もそういう夢は見るが、ときどき、今回のようなストーリーものをみる。 普段元気な時は積極的に忘れようとしている。忙しいから書き留める暇などないし。 夢というのは書き留めるとあまりよくないことになる。マッドになってしまう。夢の意味について言語化して、考えてしまうからではないかと思う。 しかし今回のようにシリーズになっていると、さすがに書き残しておこうかと思う。ゲームかなんかのプロットにはなるかもしれない。 — ◇ — 世の中には、人間が知らない、さまざまな「ようせい」がいる。 「ようせい」は「妖精」なのかもしれないが、普段は人には見えず、人間にとりついているから「ようかい」や、いわゆる幽霊なのかもしれない。 「ようせい」にはなにか、個々に「目的」があって、人間にとりついているらしい。その理由は明らかではないが、個々に違うから一般的な回答がない。 私が寝ているときに、目を開けると、隣に「ようせい」が寝ていた。 「ようせい」は私が見ていることに気が付くと、びっくりした様子だったが、なにかくちをパクパクして会話をしようとしているようだった。 なんだかよくわからないけど、隣で人のようなものが寝ているのに、あまり違和感はなかった。 そういえば、こんなに忙しくなる前は妻が横で寝ていたものであるし。 「ようせい」は半裸の女性のような姿ではあったけれど、妙に青白くて。性的な欲求の対象とは完全に違う場所にある存在だった。 簡単に言えば「不健康な女性」にみえたのかもしれない。 眠いこともあって、なんだかボーっとしながら、その不思議な傍らの存在に意識の中では語りかけてみる。 ちょっと頭を撫でてみる。 相手は特に抵抗もせず、薄ら笑いをしているような、それでいて無表情に限りなく近い顔で、ただ私のことを見つめている。 調子に乗って、おでこをくっつけてみる。 すると 薄暗い部屋の目の前が、バッっと明るくなり、そして暗くなり…… この「ようせい」の意識の中に入り込んでしまった……ようだ。 ねむい。なんとか目を開く。 なんとなく状況把握ができるまで数十分。 いま、ここは……異国というよりは、異世界……なんというか「別の惑星」の都市の上空にいるようだ。 体が浮いている、そして、建物、たくさんの「ようせい」がみえる。 彼らには私のことは見えないようだ、宙に浮いているのは私しかいないし、まるでこっちの世界では私のほうが「ようせい」のようなのだ。 自由に「ようせい」にとりついてみることができる。感じるだけで知識が手に入るのは大変便利だ。 人類はなぜコンピューターだとかインターネットだとか、文字だとか画像だとかを使っているのだろうか、こんなふうに存在の中で内的に存在する情報を直接感じ取る方法があるのに。 エラーや誤解が全くない情報を、次から次へと飛び回っているうちに、私はこの「ようせい」が、自分の暮らしている世界の人類に対して「重要な干渉」をしていることに気が付いた。 「重要な干渉」とは、どんな重要なことなのか? それは文字で書き表すには情報が足りない。おでこを貸してくれればすぐに伝えられそうなものだが。 しかも個々の「ようせい」がそれぞれに異なる「干渉」をしているので説明が難しい。 ある有名な野球選手のバッティングのインスピレーションだったり、 大統領の演説のイントネーションだったり、 お笑い芸人の「間」のとりかただったり、 知らない人にあいさつされるタイミングで動く頬の筋肉だったり、 宝くじの売り場ではずれではないくじをかならず引かせる嗅覚だったり。 いわゆる「才能」とか「運」とか、そういった重要な「能力」ではあるのだけれど、単体では「まったくどうでもよい能力」。 そういう「能力」だけが遊離して、この世界には離散的に存在している。 個々の「ようせい」はそういった「能力」を人間に与える代わりに、何か個別の「目的」を満たす関係にあるらしい。 ちょうど、蚊が血を吸って、子を育てる代わりに人間が痒くなる、そのような関係に似ている。 人間がその存在に気が付いたとき、つまり「能力」と「目的」の両方を知られると、「ようせい」は追放させられるらしい。 いろいろと漂いつづけて、図書館のような施設を発見した。ここでは、この世界のことが手に取るように体系的に理解できた。個別の「ようせい」にとりつくよりもはるかに効率が良い。 それによると、いまさっき自分が寝ていた時に横にいた「ようせい」の「目的」はわからないが、「能力」はわかった。どうやら『快眠』だそうだ。 つまり、あの「ようせい」が横にいさえすれば、自分は快眠だった、というわけか。 それはともかく、この世界は楽しい。まず肉体や重力という制約がないし、知識も手に入れたい放題である。 知識は言語やネットワーク、コミュニケーションエラーのようなものがない状態で頭に入ってくるのでストレスがない。手に入れたいだけ手に入れることができる。 知らないことだらけであるし、この世界を通して自分の世界を覗き見ることができるのが大変興味深かった。 しかしそろそろ帰りたい。 文字通り、快眠のふとんから飛び起きて、この面白い知識を文字に書き残したい、そう思った。 バッシュッ ……っとまた目の前が真っ白になって、重たい重力と、重たい躰と、薄暗い部屋が戻ってきた。 「ようせい」はもういない。気配すらない。 そして、自分から、何かの能力が失われていることは、直感的に感じた。 おそらく、自分が、失った、それは、『快眠』の能力なのだろか。 つまりもう、私は、昔のようには眠れないのだろうか……。 喪失感と後悔と不安が同時におこり、少し身震いした。 しかし同時に、この「寝覚めの夢のような記憶」が、失われていく感覚もあった。 そうだ、この記憶を書き残しておかねば……! そうおもってiPhoneを手に取った。 その瞬間、iPhoneの目覚ましアラームが鳴った。驚いた。 ……なんだっけ……。 夢のない夢は、もうほとんど思い出すことはできなかった。 自分が、『快眠』にお別れをした代わりに、手に入れたものといえば。 「ようせい」についての記憶、あの「言語化できない記憶」だけが残っている。 そしてこれをきっかけに、ときどき、この世界で人にとりついている「ようせい」を見つけることができるようになった。 それはたいていの場合「能力」であることが多く、見つけやすいものは見つけやすい。 一方、「目的」でとりつかれている場合は、たいてい悪霊っぽい感じになっている。 「能力」にあぐらをかいているやつもいるし、そのせいで「ようせい」が去った後に大変なことになっている奴もいる。 けっこう多く出回っているんだな、と思った。 (おわり)