イポリット・バヤール「溺死した男」1840年 ★ちなみに「ヒポリット・バヤール」と書く人も多いと思いますが,「Hippolyte Bayard」なのでフランス語読みでは「イポリット・バヤール」が正しいと思います. [http://en.wikipedia.org/wiki/File:Hippolyte_Bayard_-Drownedman_1840.jpg](http://en.wikipedia.org/wiki/File:Hippolyte_Bayard-Drownedman_1840.jpg) 某田中さんから「世界初の記念写真は誰?」という疑問をTwitterで頂いたので、ふと思い出したのが、某未来館で展示開発時代、あまりメインの出番がない情報系・映像系の私が、唯一、企画展でやらせてもらえた仕事、「お化け屋敷で科学する2」の「世界初の怨念写真」の解説でした。いちおう写真工学出身ですので…。その頃の資料や原稿はどっかにいってしまったので、以下は回想です。 イポリット・バヤールが発明した方式は後にカロタイプと呼ばれる、ネガポジ法で、みなさんが御存知の通り、デジタルカメラが主流になる以前は、「カメラといえばネガポジ法」という時代がありました(今ではもう過去の話ですけど)。バヤールの他にもタルボットが同様の方式を先に発明していますが、最初に有名になったのはダゲレオタイプのダゲールです。 ややこしいのでWikipediaから拾い集めてきた情報で年表を作ってみました。 カロタイプ(Calotype )は、イギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが発明した写真技法である。ギリシア語のΚαλος(Kalos 、美しい)から命名された。史上初のネガ - ポジ法であり、複製が可能という点でダゲレオタイプに優っていた。カロタイプはネガからポジを作る工程で複製が可能であるが、ダゲレオタイプに比べると画質が劣るという欠点があった。その後、改良が行われて写真湿板、写真乾板が発明され、複製の画質が向上することになる。 [caption id=”” align=”alignright” width=”280”] カロタイプ(タルボット撮影、1842年または43年頃)[/caption] 1835年8月 イギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットがカロタイプ(Calotype)を発明。製法を秘密にしていたために写真発明の名誉をダゲールに取られる形となった。 1839年8月19日 ダゲレオタイプがルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより発明され、フランス学士院で発表された。世界最初の実用的写真技法であり、湿板写真技法が確立するまでの間、最も普及した写真技法。銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本語では銀板写真とも呼ばれる。 1839年 フランスのイポリット・バヤールがカロタイプと同様の写真術を発明していたが、タルボット同様彼の発明が認められることはなかった。 1840年10月18日 バヤールが世界初のセルフポートレートであり、怨念写真であり、メッセージのこもった記念写真であり、(男性の)裸体写真であり、コスプレ写真である「溺死した男」をフランス学士院に送りつける。この時のメッセージとして「この男は…のため溺死した」というメッセージも添えられていた(詳細資料をなくしたのでまたいつか必要なときにフランス語版から訳します)。バヤールはその後、世界初の写真展も開催している。 1841年 タルボットがカロタイプの感度を向上させるなどの改良を施し、特許を取得。露光時間は、晴天の屋外で1分程度。 企画展の都合上、「世界初の怨念写真」とさせていただきましたが、バヤールは恨みはあっても、そこそこに遊び心のある人物だったのではないかと推測します。一方で、フランス学士院は先にダゲレオを支援してしまった手前、競合となるバヤールを応援するわけにも行きません。ちょうどこれは現代の日本における科研費やJSTの研究費のようなもの(国を挙げてという意味ではそれ以上かも)で、ダゲレオの特許をフランス学士院が買い取ったりしています。 そのあたりの流れはかなりドロドロしていて、実際に怨念が隠っているのはダゲレオ陣営かもしれないなとも思います。以下、Wikipediaからの引用。 _始めの契約では完成した写真技法にはニエプス、ダゲール両名の名前を残すことになっていた。共同研究の途上でニエプスは死亡し共同研究のパートナーはその息子イジドール・ニエプスに引き継がれた。その後の契約変更でニエプスの名は残されないこととなった。 ダゲレオタイプを完成させたダゲールは、自分の発明に箔をつけるため物理学者のフランソワ・アラゴなど、当時高名だった科学者・芸術家にダゲレオタイプを見せている。アラゴはこの発明を世界に公開するというアイディアを思いつき、そのために特許をフランス政府が買い取り、ダゲールと、イジドール・ニエプスに年金を支払うように働きかけた。そしてこの提案は実現し、ダゲレオタイプは誰もが使えるものとなった。 1839年8月11日、フランス学士院科学アカデミーの定例会において芸術アカデミーとの共催によりダゲレオタイプに関する公開講演が行われた。講演者はフランソワ・アラゴである。ここでダゲレオタイプのすべてが公開された。 ダゲレオタイプ発表当時、すでにカメラ・オブスクラの画像を固定する技術はいくつか存在した。たとえば現代につながるネガ=ポジ法の創始者であるタルボットは、カロタイプをダゲールの発明以前に完成していたと主張している。しかし、ダゲレオタイプは圧倒的に高精細であり、またフランス政府が特許を買い上げたこともあって瞬く間にヨーロッパ・アメリカに普及した。 タルボットに加えて、ダゲレオ陣営、ニエプス、アラゴの功績はどこに行ってしまったのでしょうね。そして最後には画質が勝ったようです。 「科学アカデミーと芸術アカデミーの共催で」、というところも面白いです。 ちなみにバヤールを含めた初期の写真家の作品は横浜美術館にも収蔵されているようです。 http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2010/collection02_02/pdf/france.pdf