『科学コミュニケーターやってて良かったな』と思う事の一つに、父親との対話が少しは上手になった、という点が挙げられることに今朝気がついた。 科学コミュニケーション、というより単なる親子の対話、なのかもしれないけど。 いまうちの父は、いろんな病を抱えている。 その一つに幻聴とか、鬱とか、精神の病があるのだけれど、話を聞いていると、本人が苦しんでいるその根底にある病巣を、医者が全く理解していない!ということに気がつく。 なんというか、素人目にも過去の経験上のモデルを適用しようとしているだけというか、簡単に言えば型にはまっているだけで、長いカウンセリングも身の上信条を聞いてガス抜きさせているだけにすぎない感じ。 個人的な病の話をこんなところに書いても仕方がないので、かいつまむけど。 思うにこれは、『団塊の世代のPTSD』なのではないかと。 いろんな職業ごとに負ったトラウマがあるのだけど、ブルーカラー、ホワイトカラーそれぞれに『飯を食っていくため仕方がない』という日々の就業活動の中を通して心や体に傷を負っている。 父曰く、『戦争に行った世代』は、彼ら同士、酔ったときには『(戦争で)何人殺した』とか、よく話すという。またちょっとした身のこなしから『死線をさまよってきた人間』を感じることがあるという。人の交わしかたとか、ガサガサッという音への反応とか。そういった部下や同僚に恐怖を感じることもあったとか。 今風の科学の理解ではその戦中経験者の行動はまさにトラウマだし、その父親が感じていた恐怖のようなもの、も間接的トラウマだろう。ありていにいえば『戦後は終わってない』ということなのだが。 話を父のトラウマを形成したであろう原体験に戻すと、それは『接待』なのではないかと思う。詳細は書けたものではない、というか私自身がショックであったが、簡単に言えば、年収の何倍もの接待費を渡され、暴力的な酒の飲み方や、狂った乱チキを日常的にやっていた話を聞く。終業後17時から午前様で家に戻って布団に崩れ落ちるまでの過程にそんなことがあり、また奢られる側ならともかく、奢る側なのであるから翌朝の報告のために、睡眠中も海馬はちくちくと、起きた出来事を長期記憶に刻んでいただろう。 そんな対話から、最近まで父を苦しめていた幻聴はそのあたりが原因なのでは、というところまでたどり着いた。さらに想像の範囲ではあるが、硝煙の臭いのように、ビールの臭いはそんな『戦場』の記憶を呼び覚ますのでは、とも。 まあこういうのはある種、最新の脳科学の常識的トピックだけれども、現場の医療では知識としても、余談としても、活用はされていないのだな、と思うと悲しくもある。 すくなくとも、鬱や幻聴にはそういった『理解』という薬が効くこともある。 脳科学や精神、記憶構造といった、人間というハードウェアを対話や原体験の分析という事例を通して、客観的に理解することで、投薬ではできない薬になることもある。 (その後、生命やDNAの多様性を引用して、ちょっとしたカウンセリングはしてみたのだが詳細は略) なんというか、変な話だが そんな対話をしていると、 慈しみの気持ちすら感じる。 父親を、息子のように、 抱きしめてやりたいとも思うのだ。 (私は子供の頃にそういったフィジカルでタクタイルで温度のあるコミュニケーションを父子でしていないので、残念ながら実行には至らないのだが) ちなみに父の幻聴は治ったらしい。止まったというか。 そのきっかけがまた興味深く、『普段乗らない路線の列車で、麻薬中毒者の小説を読んでいたら』、突然治っていたという。 人間の一生はとても長くて短い。 一生という記憶の時間に対する、情報空間としてはとてつもなく広くて大きい。 のんべんだらりと、ぼーっと生きていければ、その空間の密度を減らすことができるが、誰もがそんなゾウのような生き方ができるわけでもない。 少なくとも『後期医療』と呼ばれる時間のQoLを向上させるためには『楽しまなければならない』はず。 そんな自分を理解して、楽しむためのきっかけに科学的探求が、役に立てれば、と思う。