査読終わった。ちゃんと読みましたよ。 さて、共感覚をVRに使うという話は何も新しいわけではない。 擬似触覚に共感覚を利用した(という説をとる)論文もあるようだし(SIGGRAPH2000)。 でも今回の論文を査読して、関連する研究をサーベイしてみて気になったのはSynestheticなもの、特にphotisms(心像)が即物的に扱われているということ。さらに言うと、研究者が英国と東海岸に集中している。 何のことやらわからない人は、この実験をやってみるといい。 http://www.bbc.co.uk/science/humanbody/mind/surveys/synaesthesia/see/ 共感覚については、1960年代ぐらいから研究されていて、音→色とか色→音とか、他にも味覚や触覚、嗅覚とのつながりが報告されているわけなんですが、これをオカルト的な超能力として扱うのは科学の範疇からちょっと外れてしまう。 幽霊を共感覚で解明するという話はラマチャンドランが有名。 http://www.amazon.co.jp/gp/explorer/4047915017/2/ref=pd_lpo_ase/503-5584436-0791938?
- [![](http://images-jp.amazon.com/images/P/4047913200.09.THUMBZZZ.jpg)](http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047913200?tag=amazonas-22&link_code=sp1&camp=2025&dev-t=D3A0EVSPCPV0FK)
- V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー, V.S. Ramachandran, Sandra Blakeslee, 山下 篤子
- [脳のなかの幽霊](http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047913200?tag=amazonas-22&link_code=sp1&camp=2025&dev-t=D3A0EVSPCPV0FK)
- [![](http://images-jp.amazon.com/images/P/4047915017.09.THUMBZZZ.jpg)](http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047915017?tag=amazonas-22&link_code=sp1&camp=2025&dev-t=D3A0EVSPCPV0FK)
- V・S・ラマチャンドラン, 山下 篤子
- [脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ](http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047915017?tag=amazonas-22&link_code=sp1&camp=2025&dev-t=D3A0EVSPCPV0FK)
共感覚をポジティブな能力としてみることに異論はないのだけど、査読において、定性的な追試ができない現象をそのまま受け入れるわけには行かない。さらに言うと、昨今の共感覚研究は脳の認知モデル解明に近いところが熱い。脳の認知モデルのネットワーク形成と、色や数字が重なってしまうといった現象を脳のモデルから仮説付けた上で、VRシステム(この場合はVJシステム)として構成しました、という話なら受け入れようもあるのだが「私は共感覚者です・共感覚者の世界を体験できるVRを作りました」というアプローチでは、評価のしようが無い(ちなみに査読した論文はそんなにひどいものではありませんでした、むしろビジュアルなシステム部分はよくできていると思います、音響については論文からは読めませんでしたが)。 ちなみに論文中に「circle of fifth」つまりコード進行における五度円に関するくだりがあったのだけど、思うにコード進行自体が記号化(≒色彩化)可能なわけなんですよね。 たとえばこれ↓ http://blue.sakura.ne.jp/~esper/cgi-bin/chord/CircleOfFifth.cgi http://blue.sakura.ne.jp/~esper/cgi-bin/chord/CircleOfFifth.cgi?progression=Fmaj7(%2311)+Am7+Bbmaj7+Bb%2FC コード進行→可視化というプロセスを具現化したCGI。ご丁寧に色までついている。作曲理論上、違和感のあるコード進行は耳で聞こえる前に目で違和感を感じる、という仕組み。音→色の共感覚者(坂本教授とか…)や絶対音感の持ち主は、これが見えているのかも。 この手の自称共感覚者さんに訊いてみたいんですが、和音は何色に見えるんでしょうね?上のような5度円?それとも色が混ざるの?加色混合法?? いずれにせよ「作曲」という職業においてはこの能力は「5555…の中から2」を探す能力よりも便利に違いない。しかし、脳モデル的視点で考えれば、音→色だけでなく、色→音に聞こえてしまう人も、また他の感覚につながって知覚される人もいるし、色覚異常・色弱さんのように特定の色そのものが「なんともいえない色」に知覚される人もいる(この色弱についてはピクセルシェーダーで再現可能であるなあ、とRichard君と語り合ったことがあるな)。 結局のところ何がいいたいかというと、特定の人間しか利用できない能力をアポステリオリにVRシステム化しても、応用の方法が無い。もちろんVJやゲームシステム、体験システムとして多少の興味は集めるだろうけど(おそらく開発者=共感覚者=本人にとってはアプリオリな意味を持つのかもしれない)。肝心なところは共感覚自体がもつアプリオリな意味、いまのところ脳のモデル解明といった仮説に基づく弁証法として、VR作品が使われるなら、高く評価できるのですが…といったところ。 きわめて普通のことしか言ってないので、自分がちょっといやになりますが、査読ってこういうものかもしれない(それ以前に評価方法とか仮説に対する実証とかが甘い論文だったこともあって)。 実際のところは「どうしてこんなもの思いついちゃうんだろうな!頭ちょっとおかしいんじゃないの??」という作品が、「えー、そんな理詰め科学の方法論できっちり書いてくるか??」という感じの論文を書いたりする例を期待している。間違ってもマーケティングと間違えた論文じゃないやつ。でも、そういう奇想天外な具現化(作品)って評価方法もかなり天才的である必要があるんですけどね、なかなかそういうのは無い。