[![S5030713.JPG](http://blog-imgs-42.fc2.com/a/k/i/akihikofr/blog_import_4f56448191474.jpg)](http://blog-imgs-42.fc2.com/a/k/i/akihikofr/blog_import_4f564481a5c45.jpg)

学会というところは時に恐ろしいところでもある。 特に壇上の口頭発表だけではなく、ポスターやパーティといった場所も研究者同士のバトルが繰り広げられることがあるからだ。 『若い芽は若いうちに摘み取れ』…なんていう冗談も時に聞かれることもある。 ちなみに、このエントリーは「野生の王国」についての話ではない。 私自身はポスター発表はともかく懇親会の場でディベートしたりするのは性に合わないところがある。 海外で孤独に研究する身としては、懐かしい面々に会ったり、そのかつての同胞や、同じ分野に興味を持つ研究者や若い学生などが何を考え、どこに向かっているのか?を聞き出し、外から見た日本の特異性やその発見などを確認し、共有するよい場所でもあり、ある種の癒しを求める場でもある。 単に日本語での発話ディスカッションに飢えているという見方もある。 母国語で専門的で深いディスカッションを行い、脳に振動を与えたいのだ。 ちなみに私はディベート自体は大好きなので、叩いてほしい学生などがいるなら、完膚なきまでに叩き上げることはできる、でも日本の学生は、その後再起不能になる学生が多いので最近は控えめにしている。 またフランスでのこの手のディスカッションプロシージャというのは、相手の哲学の穴をつき、建設的に引っくり返すのが基本であり、時に詩的な金言の引用を用いたりもする。 またそのパロディなどを即興で作ってアフォリズムを楽しんだりもする。 基本的なスタイルは「常識に基づく非常識」ではなく、「常識に基づく見解」から始まるところもポイントかもしれない。 ところで最近はこの手の学会でMITの石井先生をよく見かける。 今回、地元ボストンでの開催ということもあるけれど、SIGGRAPH日本人関係のパーティではほぼ必ずといっていいほどお見掛けする。 ACE2004のスペインでもお会いしたのだけれど、その前にオフラインで見かけたのはSIGGRAPH’98だったので、ご本人も最近は日本人との交流を積極的にする気持ちになっているのかもしれない。 なお、ほとんどすべての場合において、単独で参加されており、学生などを引き連れているのは見たことがない。 具体的な話を書く前に断っておきますが、私はMITの石井先生は大尊敬しています。 私が98年に初めてお会いして、MITのパーティに呼んで貰ったときには、やはり自分は理解できていなかったけれども、先生の、その困難な茨の道はその後の自分の10年をもって痛いほど知ることになった。 その上で、今後も「石井先生研究」は続けていかねばならないと考えている。 さて、昨夜のSIGGRAPH東京のパーティでも先生をお見かけし、草原先生や関根さんという若い女子学生にパーティレクチャーをしていらっしゃるところを拝聴。 関根さんはバーチャルリアリティを使ったアートを作りたいということで草原先生を指導教官としているのだけれども、石井先生は基本的にVRはまったく興味がない、というよりも「virtualである時点でrealityがない」という視点。 まあそれはtangibleな作品やVR作品を(人から言われるのではなく)、作ってみればわかることなのだけれども、学部の4年生にはちょっときついかもしれないな、と思う。 ご本人は一生懸命聞いているのだけれども、咀嚼して完全に自分のものにするには非常に時間がかかるだろう。 ちなみにこの点は石井さん本人もハムやチーズを例に挙げて「消化に時間がかかる」と表現されていた。 ちょっと補足しておくけれど、 常識なのかもしれないけれど、リアリティというのは内面の出来事なのだ。 フォトリアリスティックなCGは、朝のコーヒーの香りに勝てないことがある。 たとえばこの「香り」についても石井先生はいろいろと意見や作品をお持ちであるし、具体的過ぎてはいけない、という話もよく理解できる。 しかし例の出し方がまったく違う。 『昔の彼氏のオーデコロンとか…』 というところで「タバコとかですか」などと突っ込みを入れた私が悪かったのかもしれない。 『なにを言ってるんだね君ィ、この国では太っている人間とタバコを吸う人間は人間以下なんだよ』と一蹴。 なるほど。 なるほど。 なるほど。 しかしそうかもしれませんが。 この国の常識はそうかもしれませんが、フランスや日本ではちょっと違いますよ。 喫煙者というのは、喫煙者という時点で人間以下なのかもしれませんが「それでもタバコを吸ってしまう」というのも人間なのです。 一生懸命仕事をして、その後に一息入れる楽しさが原動力で仕事を続けられる人もいるのです。 そんな自堕落な彼氏に愛想をつかして分かれるのも人生ですし、 その後、自分の人生に喫煙者の存在なんて「ただの煙たいストレス」でしかなくなったとしても、 「昔の彼氏のタバコと同じタバコの匂い」なんて、それだけでリアルな記憶をキックするキーマテリアルになるはず。 それは「この国では…」なんて枠組みで括れるものなのでしょうか。 オーデコロンももとはといえば体臭を隠すための香りですよ。 その後『お香とか』という話をされておりましたが…。 まあそんな小さな話を持ってきても仕方がないですね、ただちょっと気になる差異であったので、今日の日記として書きとめておくことにします。 ちなみに今間先生の日記で拝見しましたが、二次会も河口先生らと激しくバトルが繰り広げられていたそうです。 「MITの星飛馬」と表現されておりました。 なるほどです。大リーグボールに当てられてしまったらそれは痛いですね。 養成ギプスは硬くて痛いのですが、私はつけていても笑って冗談が言えるキャラでありたいと思います。 この場を借りて、あらためて、こんな有意義な考察が行える場を用意していただいたSIGGRAPHやSIGGRAPH東京に感謝したいと思います。 それから、今間先生や春口先生のように、場を用意することに意義を見出し資金集めや事務局を継続的に行っている関係者の皆さんに感謝です。 後日談: その後関根さんから聞いたのですが、 石井先生は昨夜のパーティ(この会場のとは別の日)には子供を風呂に入れてからきたそうです。 見直した。 見直した。 見直した。 子供を風呂に入れるときに思いつくタンジブルビットについて考察が走りました。 まあそれはそれでおいておきますが。 作品の表に家族や人生が出てくる人とそうでない人というのがいると思うのですが、 やはりまた人間と作品とコンピュータの関係について楽しくなってきた私ではあります。 ところでアメリカは履歴書には生年月日や年齢を書かないそうです。法律で。 受付嬢ならともかく、学位取得の年月は重要な情報だし、そこから逆算できるような情報を法で定めて隠蔽するなんてねえ。 まあ学者だけのための履歴書ではないんですけれども。 私に言わせると、石井先生は「日本語をしゃべる東海岸のアメリカ人」なのですが、 関根さん(海外経験が長い日本人学生)にいわせると、私は「日本語をしゃべるフランス人」らしいです。 これも学会。