ネット、特にSNS、特にTwitterは企業の広報、自治体の情報発信などには広く使われるようになってきました。 一方で個人のつぶやきメディアであるTwitterはかつて「ゆるく共有」というキーワードでリアルタイム性と拡散性を特徴としたミニブログサービスとして広く市民権を得たといえるでしょう。 しかし、企業や自治体ではなく、「個人」、特に「立場のある社会人」が使用する場合にはどうあるべきなのでしょうか? そもそもTwitterのサービスや仕組み自体がサービスが爆発的に広がった時期から比べると随分と変わってきているし、利用者の層や文化も変わってきていると思います。サービスが広がった2010年ごろTwitterをやっている高校生は少数派でしたが、その後、高校生の発信型メディアはTwitterとLINEになり、その世代も、もう大学を卒業し、社会人になる時期です。 あってるかどうかわからないけど、いけてる大人のTwitterマナー「大人Twitterマナー10か条」としてはどんなものなのか?まとめてみました。無理かもしれないけど。 どうせこういうルールやガイドラインは利用者の理解と文化によって変わっていくものなのであえて「2015年版」とさせていただきます。すぐに2016年になるしね。

(1) 立場や名前を隠すTwitterと、隠さないTwitterは根本的に違う

前者、つまり匿名アカウントの利用者は「SNSに実名さらけ出してアホじゃないの?」と思っているし、後者つまり実名アカウントの利用者は「名前も立場も隠して呟いて、何が楽しいのか?」と思っている。前者は所属組織に迷惑をかけずに毒を吐きたいのであるし、後者は自己発信や知名度を上げることがネイティブであり、その行為にそこそこのの利益があるからやっている。 匿名が匿名をスルーするように、実名は匿名に返事する必要はないと思うし、実名が実名を名指しで批判したら、それこそ「ゴジラVSモスラ」になってしまいます。 双方が同じメディアだけれど、まずはアカウントの中身が誰なのかを把握しましょう。そしてそれぞれが違う立ち位置でTwitterを利用していることを認識すべきではないでしょうか。 なお以下の項目は、基本的に後者、つまり実名アカウントの利用者というスタンスで2015年のTwitter界をとらえてみています。

(2) 引用RTはダサい!旧式!迷惑!

公式RT、そして他者のつぶやきを引用RTできる機能があるのに、140文字の中に “RT@”を入れて呟く人は、ダサいの一言につきないか。もしかして公式スマホアプリも使っていないので気が付いていないのかもしれない(API名を見るとサードパーティアプリが多い)。本人が好きでやっているのかもしれないけれど「RT@」したとしても、その下の句が元の発言を正しく引用しているかどうかの保証はないし、引用の引用をされたときに@だけ引きずられる、さらに言うと「せやな RT@ RT@」と同意だけでアラートを鳴らされる。さらにそこに返信する人も、関係ない、知らない人の@を巻き込んで返信する。140文字たっぷり使えないし!中身ないし!他者への迷惑・危険性を知らない無知で野蛮な利用者がやる行為と呼ばざるを得ないです。とはいえ、あるルールに基づいて使えれば、お互いの迷惑にはならないかもしれません。 方法を最後にまとめてみました。

(3) @ツイートを気軽に飛ばすなかれ

会ったこともない人に馴れ馴れしく「同意w RT@」と飛ばされ「これ誰だっけ?」となる。君の周りのTwitterフォロワーは「せやな」や「同意w」にRTしたり、ファボったりしてくれるのだろうか?それは自己満足。コンピュータリソースと時間の無駄遣いと言えないだろうか。平常時ならともかく、災害時とかは本当に迷惑。同意するなとは言わないが、意味のある同意の仕方を考えよう。またブログメディア等の@は引用元を示すとともに、発行者へのフィードバックという意味もあるが、一方では広告なので、これもつけるかどうかは考えよう。

(4) できる大人はファボる☆

いい話、面白い話があったらRTするのではなく、まずファボりましょう。 発信源のアカウントさんには心の支えになります。時々、心の中での価値を「RT<☆」と考えている人がいるようですが☆自体は大した意味はありません。ちょっとでも感動したら☆でいいと思います。心の垣根的には「RT>☆」で頻度的には「RT<☆」ではないでしょうか。簡単に言えば「RTする価値があるならまずファボる☆」がいいと思います。

(5) @ツイートした後に無主語でdisるなかれ

ときどきいらっしゃるんですよ!「RT@」したあとに無主語でdisりを入れる人。RTしかるのち「死ねばいい」的な。誰が死ねばいいんだよ!!って突っ込みたくなりますが、その対象が自分だったら怖い!ついうっかりファボりそうです! それは冗談としても、自分が「かまってちゃん」であることが分かっているなら、なおさらdisってはいけないと思います。Twitterはその人との討論メディアではありません。知り合いどうしでも危ないです。ほかの人も見ていますよ。 まずはdisる前に自分が飛ばした@ツイートがご本人に迷惑をかけていないか振り返ってみましょう。そしてそのつぶやきのコンテキスト(前後関係)、アカウントの素性(実名/匿名/ボット等)をよく見て、すっごく古い話題、めちゃくちゃ深夜など、さらに自分の@ツイートを「元ツイートをよく読んでいない逆上@ツイート」、「有名人に絡みたいだけ」などの薄っぺらな呟きに見えないかどうか、よく推敲しましょう。本当に有名人に絡みたいなら、140文字でどうこうしようと思わず、ブログのエントリーでも書いて「○○さんにお伝えしたいメッセージをしたためました!URL」でお伝えするのがデキる大人のやることだと思います。

(6) 有名人アカウントはいつでもあなたを殺せる

前述のとおり有名人アカウントから見た「RT@」はまるで交通事故のようです。一方で、フォローワー数万人超えの有名人アカウントから「あほかこいつ RT@(あなたのアカウント)」とされたことはありますか?こんなことされると、その人の取り巻きや賛成派・反対派におもいっきりアラートを鳴らされまくることになります。有名人アカウントも、もちろんそんな攻撃的な引用RTは滅多にしませんが、酔っていたり、悪質な「RT@」を食らったりすると、「同じ方法で返してあげるよ」、「ソーシャルに殺してもらいたいなあ」と、ついうっかりやることもあると思います。有名人アカウントは耐えています、マゾな挑発は見ていてつらいし、世の中のためになりません。 ちなみに社内で噂のきな臭いTwitterユーザが某有名アカウントにpgrされているのを見かけたりしたら、そっとファボって本人を昼飯に誘ってあげるといいと思います。

(6補足) 有名人ならアラートはOFF

フォロワー数千人を超えると、多くの場合は@ツイートのアラートを切っています。どうでもいい肉テロに対してものすごい数の@ツイートが飛んでくるんです。賛成とか反対とか、健康への気遣いとか、カルトとか宣伝とか。だからアラートは切っています。時々、スマホ買い替えたりでついうっかり「アラートON」になってたりすると、アラートで何もできなくなります。そういうときに限って本番中とか、トイレの中とか、葬式でのスピーチの真っ最中とかだったりするので、デキる大人はアラートOFFです。同様に「通知」を更新して、誰かに見られていることを意識するのは軽いSNS依存症ですね。

(7) 相手はタフであると思い込まない

有名人は「その人のことを知っている人が多いだけ」です。それなりにタフではありますが、人間ですから弱いときもあります。特に、有名人Twitterアカウントであったとしても、あったこともない、知らない人から、状況も心境も考えず「不意打ちで嬲られる事に慣れている人」となると有名かどうかとは別の才能が必要です。はるかぜちゃん級のTwitter勇者はそういませんし、タレントがすなわちタフということではないので誤解のなきよう。

(8) 繊細な人ほど返信Tweetは真剣に考える、 が中身がないと困る。

繊細な人に限って、その人に「ああこの中身がない@ツイートに何か有益なリプライを返してあげなければ」と半日ぐらい悩んだりします。鬱な@ツイートに鬱が移されることも多々あるのです。そんな悩みの中で対象の明記なく「くそが」とかdisられたりすると、本当に悩みます。「安心してください、愛してますよ」とか書かれても同様なんですが。 @しないならしないで、実名で書いているんだから、実名でdisってもらったほうがよっぽどすっきりするんじゃないかと思います。一番困るのが「中身なく批判されるパターン」ですね。だいたい元のツイートとか引用元を読んでないだろこいつ。

(9) バイラルメディアやコピペボットを脊髄反射でRTするなかれ

おもしろツイート、確かにあると思う。でもそれは「ファボる」ではだめなのか。他人に教えてあげたいと思う気持ちはわかるが、本当にそれは本人の意図した使われ方をしているのだろうか。せめてアカウントの素性を確認したりする段階は踏めないだろうか?世の中には50favstar以上の楽しいつぶやきを集める人物、さらにその文字列を再掲するだけで人気アカウントになり、広告や危険なリンクを踏ませるアカウントがある。バイラルメディアと呼ばれるサイトは「え、Twitterにあげられている画像って、誰でも使っていいんですよね?」という感覚で勝手に引用、保存、加工、再掲載をしていたりする。彼らの行為はやられてみるとわかるが、ただのパクリであるし、それに加担することは、あなた自身の品位を疑われるかもしれない。まあ疑われたって脊髄反射なんだからいいんだろうけど。 できる大人はコピペボットを通報します。コピペ、悪用アカウントを見つけたらフォロー解除、ブロック、通報などの措置を行う。ほんの2-3クリックでできることです。

(10) 組織に帰属する良識ある社会人は そもそも社会に何か発信しない

きわめて日本人社会的かもしれませんが、ソーシャルってそういうものだし。煙たがられたりきな臭さがられたりウザがられたら、社会人として一段下に格下げされる。 基本的に新卒学生やサラリーマン一年生などは組織に帰属する立場であるから社会に向かって毒吐きすると自分に返ってきてしまいます。「えーそんなことないよ」という人は、自分のTwitterを社内回覧で回されてみると反省できますよ! そうはいっても実社会・ネットともに社会に発信することが習慣になっている中高生も多いですし、そのようなスキルを買われて仕事に就く人も多いので、難しいところです。チームを率いる立場、広報される立場、社長さんなど社会的な立場が上がっていくにつれ、社会での立ち位置は盤石になり(時には勘違い)、Twitterの使い方は変わっていくべきだと思いますし、ファンサービスの在り方も変わっていくべきと思います。例えばブロックやリムーブ(フォローを外すこと)、そして立場の異なる人をついうっかり不快にしてしまった場合など、ツイ消し(投稿の削除)は、やらねばならないときはやらねばなりません。できる大人は「ツイ消しして謝罪」しましょう。逆に、黙して削除、アカウント削除して逃避、黙して裏アカウントなどの”陽の当たらない方法”で成長しても、自身の多重人格に悩むだけですから、丁寧に一つのアカウントを育てていくことが大事と思います。

<じゃあお前はどうなんだと振り返るのが大人>

ちなみに私はしがない大学教員で情報メディアの研究として、日々ソーシャルメディアには目を光らせています。人騒がせな実験もします。また毎週土曜日は新聞をゆっくり読むので政治ツイートが多めになります。しかし最近、ニュースソースである大メディアが偏向しすぎですよね。こんな新聞に4千円以上払ってるってすごいなーと思います。スマホの維持費より高い。 ところでフランス時代は新聞はすべて右左や政治主張がはっきりしていましたし、研究所の昼飯などでも平気で政治の話が出ます。右か左か立ち位置がはっきりしている必要があり、日本人にはとてもストレス。ただ議論は相手をただ批判したり論破するのではなくて、相手の考え方を理解する重要な時間でした。土曜日のマルシェが終わったカフェなどでビールを1時間に1センチぐらいのスピードで飲みながら、政治だの宗教だの恋愛だの右だの左だの終わりのない議論を近所の友人とやりあうのがフランスの土曜日の過ごし方でした。 そんなわけで自分の場合は、土曜日は比較的考えたい曜日ですが、ほかの曜日はそうでもなく、仕事や生活、学生さんたちから尊敬されるべき大人としてのTweetを心がけています。たぶん。 よく「白井先生はいつ寝ているんですか?」と聞かれますが「ボットです」と返すことにしています。本当のところはよくわかりません。ネットに置かれた人格がいくら軽い雰囲気だったとしても、それによって中身の人が軽い人物であると勝手に見做すのは危ないことだと思います、その逆も真なりです。

最後にテクニック的なものをまとめてみました。

「おもしろい」=☆れ!RTするな! 「これはオリジナルのまま拡散すべき、アカウント確認済、拡散に責任もてる」=RT 「(議論するつもりはないが)一言いわせて!」=引用RT 「不快です」=立場を明確にして引用RT。立場書かないのはスルーされる可能性。 「大いに議論したい」=ブログエントリーを書き引用URL 「元のツイートを読んでください」→disらずリムる 「あほかこいつは/カルト/晒すとかわいそう/不快」→disらずリムる 「リムられた」→反省する 「レイバン」→通報(ブロックはしない、リムーブはあり) ・政治的に主張が逆→フォローするな ・(1時間に10回以上)ねちこいRT→ブロック ・ツイ消し→素早くよく考える、スクショとる、消すなら謝る ・実名か匿名か? → 実名は匿名に返事する義務はない、吊るす必要もない まあいろいろ言いたいことはあると思いますが、とりあえずまとめてみたので何か言いたいことあれば、このブログを引用して議論おねがいいたします。 よいソーシャルを作るのは、まずあなたから!

追記2020-08-13

2015年ごろのTwitterってこんな感じだったんですよね…記録のために保存しておきますが…。 2020年の現在は実名アカウントでTwitterやる人はものすごくリスクあると思います。 大学の先生とかホントむずかしい。

ちなみに現在の私は「しがない大学教員」ではなくなってしまいました。 しがないかどうか、大学教員かどうか、は別として、平和で安穏とした日々を送りたい社会人はよく考えたほうがいいと思います。 社会的な名前がある人ほどよく考えたほうがいいと思います。

世の中は新しいマナーとか変な正義とか作る人であふれています。