■幼女殺人 宮崎勤に死刑を執行 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=520276&media_id=2 ちなみに漢字違う。「宮崎」じゃなくて「宮粼」だ。 この事件が起きたのは、ちょうど高校2年生の時だったと思う。 <自主規制> 全然関係ない他人ではあったけど、なんだか自分の心の中が空っぽになって 鳥取砂漠あたりに一人旅に出たのを覚えている。 貧乏旅行だったので、青春18きっぷとかでの鈍行の旅。 でも余計、時間があるのでぼーっと殺された子供のこととか、 殺人鬼になった人間の心理とか、マスコミのステレオタイプとか考えて、 ほろほろ涙が出たりしていた。 なんというか、少年の心には、あまりに衝撃だった。 そんな事件を、まるでミステリー小説とか、猟奇をネタにするかのような 報道も、ほんとうにつらかった。 夏は暑いし、テレビをつけたら高校野球か、猟奇しか選択肢がないのだから。 昔からキャンプが好きで、 中学2年ぐらいから秋川渓谷には行っていた。 そのあたりの雰囲気も好きだった。 でも、彼が住んでいたのはその近所で。 子供たちを焼いた灰が流れたであろう秋川には行きたくないと思った。 いまはそれほどではないけれど、 当時は猟奇が猟奇を呼ぶような感覚があったのを覚えている。 <自主規制> 信じたくはないが、酒鬼薔薇聖斗を王と崇めて、 事件の舞台になった中学の校門にキャベツとトマトをおいてくる連中もいる。 <自主規制> これをHPの上だけのネタだと言い切るならそれも仕方ないのかもしれないが、 それも表現の自由かもしれないが、 私はこんなものを読んでいたら、とっても心が痛い。 そんな気持ちも想像つかない人々もいる、ということだ。 この事件の犯人逮捕直後にTVカメラに向かってピースしていた少年たちは いま何やっているんだろう? そんなことができる心境を作り上げたのは、 まさに連日まくし立てていたワイドショーだったのではないか。 まあつまんないこといろいろ書いたけど、 死刑では「何も終わってない」ってことだ。 終わったのは加害者の一生と 彼を生かして苦痛を与える税金の投入が終わったというだけ。 犯罪者を作った社会、 少年をテレビを使って モンスターに育て上げていく社会は 何も変わっていない。 少なくとも「宮崎」と「宮粼」を間違えているようでは、 マスコミも社会もこの20年で、何も学んでいないと思う。