クールな講義をしたい。 別に「冷たい講義」をしたいというのではない、その逆。 ・これはいけてる ・そうかそうだったのか ・これは役に立つな ・すげー!いいヒントになった! ・先生、自分は間違ってなかったんですね! といった感想が得られるような講義。 まいみくのさことくんが日記に書いてくれた先日のJAISTでの講義の感想。 (残念なことに、彼はゼミがあって聴講できなかった) — ゼミで見逃した白井さん(akiさん)の講演をビデオで見る。 「ゲームをどう科学するか」という内容はとても面白く、生で見られなかったことを 後悔。 遊びとは、次の6要素である。 ・隔離された活動 ・非生産的(パチンコは駄目、RMTなMMPも駄目) ・虚構の活動(バーチャルリアリティと、バーチャルリアリティエンターテイメント の差) ・規則がある(まったくランダムは遊びにならない) ・未確定の活動(ストーリー鑑賞はエンターテイメントだが遊びではない) ・自由な活動(自分の意志でやめることができる) つーまとめがとてもきれいで強力で、興奮した。 今まで漠然と感じていたことがいろいろときれいに整理されたかんじ。 「子供の遊びにおいて道具は必要なのか?」 という宮田先生の質問に 「道具は虚構のスイッチである。たとえばまじかるスプラッシュの棒はそのためのも のだ」 と答えていらしたのも、膝ぽん。 なんか広ーいところから整理できた。 — Blogでこういうフィードバックを得るのもなんか時代なんですけど、「エンタテイメ ントシステム」の論文で書いていた内容が、ある程度年月が経っても煤けず、若い学 生に影響を与えられることにちょっとした手ごたえを感じる。 それとともに「さすが博士論文」、という当然のクオリティでもあるのだけれどもそ れはさておき。 あたらしくマイミクに加わったすみんくすさん@ATIのBlogも面白い。 http://blog22.fc2.com/dometmimi 「面白い」といえば単純なんだけど、メディアアート教育界が抱えている状況は日本 もフランスも似たようなもんではないかと思う(秋葉原があるとか無いとかは別とし て)。 アートにおけるテクノロジーには落とし穴がある。 それから、アートが本来持つ、反発、自由、表現などの本質において、表現者が自ら 気がつかなければならないことは多すぎる。 ちなみにそれは、学部学生ではなく修士学生に「問題発見能力」を求められるのに似 ている。 ちなみに博士はその「問題発見能力」を3倍してさらに、「学術分野開拓能力」ぐら いが求められる、と言っても過言ではなかったりする。 だから修士の学生に向かって、先生が超ネガティブな発言をするのは当然。というか 芸大なら普通だと思う。 特に、博士の学位を持っているかどうかによらず、ある学術分野・芸術分野を構築し よう、と思っていない先生であれば、自己の領域においてのみ、可否を述べるのは当 然と言えば当然だろうな。 そういえば学部の写真部時代はかなり毒々しい言葉を同僚や先輩からぶつけられたも のだった。 でもそれは、表現者としては基本的に必要な試練だったな、と今にして思い起こせる (あまりに毒が強いので当時のノートは読む気が起きないが)。 …さて明日から講義だ。 コンピュータビジョンの基礎とVirtoolsでの利用、というあたりにとどめておこうと 思う。もちろんGPUVision、HLSLを使ったピクセルシェーダー作成、超高速カラート ラッキング、色空間変換、でもコンパイル不要…というあたりも面白いことは面白い のだが、今年はオープン戦略で行ってみようと思う。 はしからはしまで高橋君と私で書いたGPUVisionと違って、OpenCVは自分のフィロソ フィもテクノロジーもまったく入っていないのだが、英語のドキュメントやオープン ソースで書かれたソースコードも読めないような学生が、何か組み合わせで作品を 作ったとしても、DIY/Bricolageでしかない。 もちろんそれでも新しい作品は生まれることもあるし、会心の一作でなくても世間に 評価されてしまうこともあるだろう。 まあでも、私としては ・これはいけてる ・そうかそうだったのか ・これは役に立つな ・すげー!いいヒントになった! ・先生、自分は間違ってなかったんですね! といった感想が得られるような講義をするのが大事だと思う。 今日は日曜の夜だというのに徹夜になりそうだな…。