幼児向け(6歳未満児)のコンピュータゲームへの接し方に関するガイドラインを、社会学者の見地ではなく、エンタテイメントコンピューティングの専門家の知見で(実験結果なども含めて)考えていたのだけれど、ちょうど某・ゲーム雑誌編集者のマイミクさんが似たようなことを話題にしていたので、そのコメントを再編してみました。 — うちはですね、まだ3歳なのですが、限られた条件がそろった時しかゲームに触らせません。 大人も子供が寝てる時しかゲームをしません。 DSも危ないので、電池を充電しないでおきます。 とりあえずここまでで、かなり「取り上げて泣かれる」という状況を回避できます。 で、限られた条件ですが、 ・大人と一緒に遊ぶ、一人で遊ばせない ・大人が判断してクオリティの高いもの以外触らせない ・長時間連続して遊ばない(テレビと同じ時間枠で制限) ・寝る前に遊ばない(興奮して寝なくなる) 現代家庭のお父さんからは「そんなに制限あったら、どうやって他の時間をすごしたらいいのか」といわれそうですが、そこは父親道の見せ所です。 最近は子供とおもちゃを作ったり、筋トレにつき合わせたり、母親の手伝いを教えたりしています。 岩井俊雄の「いわいさんちへようこそ!」はおもちゃ作りのネタには困らない本です。というかゲーム作ってる岩井さん自身が子供にゲームを触らせてないんだから、説得力あるよなあ、というか。 日本では子供の一人遊び向け娯楽、言い方変えれば、テレビやゲームに子守をさせるのが一般的になりつつありますので、非常に手間がかかって難しいことであるとおもいますが、うちの嫁さんは「今しか学べないことがある」と非常に協力的です。 また私の調査だと4~5歳で、すでに素質のある子供はゲームに毒されてしまいますが、きっかけはゲームの本質ではなく、ポケモンや話題に乗り遅れる、という社会性のものが動因になっているようですので、それに家族が負けるというのは、ゲームの是非以前の不安を感じます。 まあがんばって。 — 具体的な時間というのは個人差もありますが、仮に食事に40分以下しか座ってられない子供であれば、本来、最大でもその程度しかゲームに集中できないはずです。特に幼児はまだ精神が未発達で、自分の欲求を整理して理解ていないので、仮に(食事→満腹→元気になる)というメカニズムが理解できていたとしても、他の事象に興味が行ってしまいます(それが普通の幼児の行動です)。 仮にゲームの与える刺激が(見ているだけでも同様)、40分以上続くとどうなるかというと、頭のある部分が発火を続け、別の部分、たとえば視覚情報処理の一部などは完全に疲れてしまいます(脳科学者ではないので詳細は語りませんが、焦点調節機構と動物体認識に疲れを感じるのは経験ありますよね?)。 しかも危ないのは、運動制御(体を物理的に動かす能力)は全く使っていませんので、肉体的な疲労感もないですし、眠くもなりません。 この手のことに興味があるお父さんのBlogなどを見ていると同意できるのは、長時間のゲームが終わった直後の幼児は、目つきがあやしく、ぼんやりとして、言動があやしくなります。しかも体はよく動くので、暴力的な感じすらします。大人でも、大作映画などを見た後は、しばし映画の世界のことばかり考えたり行動したりすることが経験としてあると思いますが、似たような錯乱状態にあるのではと推測できます。 社会科学者や実践教育学者が言うような、個々人の「善悪の基準」などに口を出すつもりはありませんが(もちろん殺戮や暴力は子供向きとは思えませんが)、ポイントは「娯楽の刺激」とその与え方で、大人にとってはマイルドなインタラクティブ刺激でも、子供にとっては十分興奮しうる刺激だったりします(ボタンを押すと、物が動いたり、音が鳴るだけで興奮できる)。 現状、業界基準では確かに暴力などがなく、操作が複雑でなければ「3+」(3歳以上OK)が取得できるのですが、よりマイルドに、かつ体験時間を正確に把握して体験させないと、いずれ刺激過多で、将来のゲーム業界を苦しめる結果になると、とりあえず予言しておきます。 また、別の視点で、たとえば、大きなスクリーンやデバイスなどをつかって、多人数で遊ぶようなインタラクティブシステムの場合は、誰かが疲れて/飽きて(注・英語,仏語では”飽きる”と”疲れる”は同じ語)しまった場合、ゲームのバランスが崩れ、均衡状態(将棋用語における千日手)が崩れ、ゲームプレイ自体が中断される可能性があります。これは多人数ゲームプレイのひとつの利点でもあります。ネットワークゲームでも同様の現象はありますが、サーバーが落ちでもしない限り、他のユーザはゲームをやめたりしないでしょう。 話を戻して、疲れた/飽きた時のポイントは「別のゲームコンテンツにむやみに切り替えないこと」です。アクション、思考、トレーニング型のゲームなどはそれぞれ脳の使う場所が異なりますので、一見、疲れずにプレイしているようで、思考のレベルはかなり低いロジックに落ち込んでいることが観察できます(8歳で実験)。幼児の場合は「ROMを交換することで違うゲームができる」という機能に気がつかせないことがポイントです。 基本は、大人の目が届かないところや放置された状態で、つまり子供だけでゲームに触れさせないということでしょう。 イメージとしては、子供にとってのゲームは、はさみや小刀と同じような魅力と危険性をもっているというところでしょう。一度それらの使い方を覚えてしまった子供に対して、親がむやみに禁止するのは難しいことです。しかし小刀であれば簡単にわかるはずの、そのメカニズムも危険性も現代の子供は理解できないというところに注目するべきだと思います。 私自身は低年齢の幼児向けのエンタテイメントという市場には「小さな可能性」があるとおもいます、ただしそれは、幼児向けの新しいコンピュータ玩具をつくるという方向性ではなく、親や家族がより、クオリティの高い時間を共有できるためのきっかけ作り、なのではないかと考えています。 私のBlogを読んでいる人にはそういう感覚は理解できると思います。子供がいる人も、いない人も、また新しいコンピュータエンタテイメントにかかわる人もそうでない人も、今後よりいっそう、この可能性について言葉を共有することができればと思います。