続きです、これでいったん、ひと区切りとします。 まとめとして、日本の若者を囲む環境との比較に触れておきます。 フランスの教育は戦うことを禁止しています。 日本のような受験戦争を反面教師として、できるだけ「みんなが・みんなでがんばる」という姿勢をとります。 これは日本の教育を受けた私としては、けっこう、いや本当に難しいことばかりですが、 日本人の心が忘れていた「足りない何か」がたくさん見つかります。 しかし学校が「戦うこと」を教えていない(禁止している)のに、 娯楽刺激として「殺すこと・壊すこと」を受け入れ続ければ、若者の心はすさみます。 親たちが働くことに精一杯で、子供たちがどんなゲームや映像で楽しんでいるか興味を持たないこと、 そして学び、努力することで自分の人生がどんなにすばらしいものになるかを教えてあげられないということで、 若者たちがどんなに凶暴になり、社会システムを無意味に憎んでいくか… 「荒れた中学高校時代」をすごしてきた私にはよくわかります。 「ゲームで凶暴性が増す」といった社会学・脳科学の研究をする人が見受けられますが、 単純に戦闘に重きを置いたゲームを長時間やることで「戦いに対する知識と能力」が向上します。 フライトシムゲームと軍事訓練、FPSと戦闘行動訓練、なんら変わりません。 ネットワークゲームで一般民間人がどのようにさまようかを知っている百戦錬磨のゲーマーにとって、勝手知ったる自分の街で火炎瓶を片手に警察と鬼ごっこをするのは、ゲームでしかないのかもしれません。 自分の若いころを思い起こせば、 50円玉1つで何時間でも遊ぶため、動体視力や戦略知能、集中力は非常に高かったのを覚えています。 また実際の肉体を使った戦闘(喧嘩ですね)も強かったです。 自分のアドレナリンをどう生かせば相手より早く動けるか、立ち上がれないようになるまで叩き潰せるか、完全に心得ていました。 知らなかったのは「それを制御する方法」と「破壊した相手、社会に信頼を得る方法」です。 しかし、あのころの学校・生徒たちはとにかく「暴れる口実」を求めていました。 思想なんて何でもいいんです、英雄は殴った先生の数、泣かせた女子の数です。 革命というのは現在の「腐った社会」が転覆することで、その方法なんて知らないんです(学んでないから)。 フランスの地方都市で高等教育に関わる日本人としては、 幸いながら直接の被害としては今のところ何も受けていないわけですが、 最近夜中、研究室から帰るときなど、酒によって暴れたり飲酒運転をしたりしている若者に対して過剰に防衛しようとしている自分を感じます。 また当の若者も男女問わず「あれぐらい派手にやってるんだから、これぐらい大丈夫だろう」というような雰囲気も感じないこともないです。 (まあ普段から夜中集団で歩いてる高校生などは奔放に暴れてたりするわけですが) フランスの「自由平等博愛」を守るための「克己」を期待します。 (ひとまずおわり)