いろいろな理由があって、映画のほうのスターウォーズ・エピソード3は見そびれてしまっているのと、いろいろなBlog等を読んでいるとどうも、いかにして「アナキンがダースベイダーマスクを被ったか」というところばかりに注目しているので、肝心のアナキンの苦悩や暗黒面に落ちる過程などがぜんぜん読み取れなかった。

というよりむしろ映画は映像を中心に楽しんだほうがいいわけであって、純粋に筋書きやドラマ、心理描写、SFとしての細かな設定を味わいたいならノベライズ本を読むべきであろう。

そんなわけでSIGGRAPH期間中に磯野君に日本で買ってきてもらったノベライズ本をもらう。結構な厚さがあったが、飛行機の乗り降りは愚鈍な時間が過ぎていくし、そこにPCでメールなどという、電源とIPと頭痛の種をあわせもつ時間に消費するのはばかげている。読書は飛行機にこそ向いている時間のつぶし方だ。

さて、すべての筋書きを一気に読んで、スターウォーズのシリーズの筋書きと壮大な世界に浸ってまず言えることは、これはSFヒロイズムの姿を借りた、壮大な悪と闇と影の抒情詩なのである、という感想である。

エピソード1のときから、パルパティーンの誠実実直そうな政治家の躍進の影に不安を覚えない観客はいなかっただろうし、エピソード2においても、そのクローンの教育と謎の発注者については全く明かされないままだった。 それらの暗雲、複線は、剣術戦におけるライトセーバーの輝き、ど派手な宇宙戦、ヨーダや脇役ドロイドたちの味わいあるせりふにかき消されていった。ノベライズ作中でもこれらはデュークの視点ではジェダイたちの茶番であり曲芸であり、ピエロである、といたるところに表現されている。 (もちろんこんな表現は映画劇中では難しいだろうが)

テレビシリーズである「クローン大戦」も運良くクライマックスだけ見ることができたが、漫画化されたパルパティーンも常に「影の悪役」ではなく「理性ある指導者」として描かれていたので、私自身は本当にだまされていた。いやむしろ、別人なのではないだろうか?と思いたいぐらい。例えば、クローン大戦からエピソード3までのほんの数時間の間に、シスがパルパティーンに洗脳を施したとか、暗黒卿がパルパティーンの皮を被ったとか、いくらでも「茶番」の筋書きは用意できる。

それでもなお、この壮大なシナリオが、パルパティーン自身が暗黒卿であることを「匂わせる」のではなく「明らかに」するのは、いくつかの効果があると思う。

(1)ヨーダを象徴とする1000年続いたジェダイオーダーが、その保守的な思想によって、1000年の間ジェダイとフォースの研究を続けてきたシスによって敗れる、という筋書きを印象付ける。

(2)政治家、腐敗した民主主義そのものが、闇の道であることを印象付けられる。

(3)パルパティーン自身がどうやって生き延びてきたのか、いかにしてシスに転んだのか、が謎として残ってよい。

(4)ジェダイが反逆者として転覆された結果が、エピソード4におけるベン・ケノービ、ヨーダの位置づけにきっちりつながる。

ただし、プロットとして残る疑問はたくさんあって、たとえばパルパティーンがグリーヴァス将軍に襲われるエピソードであるとか、アナキンがパルパティーンを救出して不時着させるエピソードであるとかは、本当に茶番にしかならない。

スターウォーズのほとんどの部分はジェダイの曲芸と茶番、基本的には悪の道、として考えると、アナキン青年がダースベイダーにいたる道とは何だったのだろうか。

パドメへの愛である、と言えば簡単であるが、作中ではそれはハリウッド式の長いキスでしか語られない。実際には生まれいずる新しい生命への不安であり、パドメの死への恐怖であり、普通に苦悩するわれわれサラリーマンといった人間となんら変わらない悩みなのかもしれない。

「裏切りはシスの道」であるが、実社会もそんなもんである。

早とちりをしたのはジェダイ評議会やヨーダであって、本質的な彼の人生はシスのほうが見抜いていた(まさかエピソード1の最初から見抜いていたかどうかは謎だが…)。結果的にアナキンは2代かかってルークとともに、暗黒卿を倒したし、それは「フォースに安定をもたらした」と言っても良いのかもしれない。

しかし、暗黒卿を倒すことがフォースに安定をもたらした、といえるのだろうか?実際には揺らぐアナキンの人生が、潔癖で保守的なジェダイによって、欺瞞を生み、シスにそそのかされ、師に半殺しにされ、望んでもいないのにベイダーマスクをつけられてしまう。 ノベライズの中では、アナキンとパドメの最後の会話の中においてアナキンが「自分がいつかパルパティーンを倒す」と明言しているシーンがある。 彼はいつだってしっかりした人間だったのだ。単に周囲が彼の力を利用しようと振り回したに他ならない。

シスの壮大な復讐において、アナキンのシスへの傾倒というのは、単に社会的にジェダイを抹殺するだけでなく、ライトセーバーで内部から虐殺するというだけのひとコマであるに過ぎなかったのかもしれない。 しかしその剣技も、もともとはといえばジェダイが教えたものだ。

ちなみに、エピソード4-6でのルークがオビワンやヨーダに短い時間であるが鍛えられ、ジェダイに目覚めていく過程は、実はアナキン少年のそれとは全く違うようである。ノベライズ本においては、1000年のシスによるジェダイ研究の過程に敗北したヨーダは、オビワンの師であるクワイ=ガン・ジンと瞑想の中で対話し、新たな道を見出している。自由な心を許し、新しいジェダイのあり方を基本とする修行方法をエピソード4までに見出していたのかもしれない。

結局のところ、修行方法であるとか、シスとかジェダイだとかいった形而上の問題は、ここでは述べるべきではないと思う。 むしろ、映像的要素に全く目をやらずに、アナキンの葛藤やパルパティーンの人生、そして全作を通してすべてを記録しているR2-D2のロボットの心に興味を向けることが、この映画の世界に浸るちょっとしたコツなのではないかと思う。

(映像の話はまたの機会にでも…)