アラン・ケイ(Alan Kay)が誰だか知らないという人は、パソコン触らんでよろしい!と言い切るのもなんなので、とりあえずWikiPediaとか、彼の書籍とかを読むといいと思う。 本当に「ダイナブック構想」(東芝のアレじゃないよ)を知りたい人はもっといい書籍があるんだが、絶版になっているようだ。図書館で探すべし。 で。「体育すわり」と「アランケイ」という絶妙に違和感のあるショット。 http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20084587,00.htm HPがAppleのフェローでもあるAlanをここまで持ち上げるのは何なんだろう?新しいMacがPowerPCで動くから? そういうつまんない話はともかくとしても、ボランティア休暇なるものを会社のイメージアップに消費するHP社員も何だか可哀想だなあ。 ま、子供と接するのは癒しになるけどね。 なぜSqueakを教えなければならないんだろう? Alanは彼の初期の研究から、11歳ぐらいの子供を対象に提案手法を実験してきているわけであるが、比較実験としてBASICや彼の対極をなすようなCUIのプログラミング環境についての考察をしていない。 私は11歳のときにBASICを使って自分でプログラムを書いてゲームを作っていたが、SmalltalkやGUIやオブジェクトで目覚めた子供がその後、継続的に学習を続けたかどうかは興味がある。 それはUIの出来が良いとか悪いとかではなくて「本人にとって難しいピアノが弾けるようになったかどうか」なのではないかと、最近では思う。動因が簡単であればあるほど、継続しない。 Alan氏の研究には11歳の女子児童でもプログラムを書けた、という例があるが、その子はもしかしたらBASICでも書けたんじゃないか、とか。 もちろん「コンピュータを自由に」というところまでは高く評価したい。私もその恩恵にあずかっているし。 しかしUIが「ストレス無く自由に」というのは事務機やハンディのある人々にとって「ストレス無く自由に」なのであって、元から吸収力・適応力がある11歳の子供には、必須ではないのではないだろうか?その辺の比較データがほしい。というか自分でとれという話もある。 また最近ヒューマンインタフェースの古典的研究について、懐疑的なのは、日本やアメリカばかりが研究フィールドとして有名であり、その2カ国が同じであれば「世界の子供は同じ」と錯覚している有名研究が多いことである。 間違っても、コンピュータが村役場にしかないアフリカの未開の地で試したというデータはありそうでないし、いままでTVゲームに触れさせた事がないフランスの子供で試したというデータもあまり出会わない。 フランスというお国柄、「アフリカ用Linuxディストリビューション」なんてものにも出会う。Windows環境でそろえるよりも、386機にアフリカ語環境を入れたほうが、全然正しい路線なのである。もちろんWindows機もあるらしいが、役場に1台、サーバとして稼動するのがせいぜいである。 そもそもOSにしろ、UIにしろ、製品としてそこにあるから、有り様で使っているのであって、不満があるやつは、改造だとか自由だとか言う前に、コンピュータが使えない、そういうように出来ているのだ。 いかにSqueakがすごくても、Windowsが当たり前でも、電源ボタンとリセットボタンを間違えているようでは使えないのだ。 Macは電源ONボタンぐらいはソフトでどうにかなるが、これぐらいでやっと『わくわくできる』といえるのではないだろうか。人間とコンピュータのインタフェースを考える上で「最高に重要なボタン」すら自らデザインできないぐらい、GUIというのは形而上の世界の出来事なのだ。 というわけで、Alan氏に何の恨みがあるわけでもない、むしろ尊敬する人物の一人であるが、日本の小学校にPC寄付しているお金があるのなら、もっとGNPが低い国で活動すべきだと思う。そのほうが、費用対効果も大きいし、そもそもそれが「本当に役に立つものなのかどうか」なんて、最初から意味のない質問なのであるから。 (UserなくしてUser Interfaceがありますか?)