海外在住研究者というのは強いように見えて実は 「非常に打たれ弱い存在」であることを前もって書いておかねばなるまい。 私のように家族がいっしょにいる研究者なら、 仕事を通してもらった毒や、大きすぎる文化のギャップについて 日本語で洗いざらい吐いて落ち着くこともできようが、 単身で悶々とこれらの問題に悩み続けるのは本当に大変だ。 もちろんこれは企業の駐在員にも似たようなことがあって、 在外しているのに一日中Asahi.comと日本語のメールしか 読んでないような駐在員や研究員は居ないこともない。 そんな状況において、 毒々しいメール文字での孤独なコミュニケーションに加えて ニュースサイトから飛び込んでくる 日本の「くだらないニュース」、「記者の私見」、 「毒だらけの掲示板」、「他意のない悪いジョーク」などは はっきり言って、毒にはなっても薬にはならないだろう。 この手の毒はネットによって本人の意図しない注入がなされることが 多いわけだが、日本国内においては、ブログとメールとネットゲームでしか 社会と接点を持たない引きこもり青年でもない限り、 適当に昼食後のネタとして笑い飛ばされるのが関の山であろう。 決して、そのことについて何日も考えたり、 誰にも相談できずに悶々とすごしたりはしない。 特に、誰かがオフラインで笑い飛ばせばそれですむような問題ほど、 悶々と考え込んでしまう。 そんな日々に「読まないでおこうっと」とタイトルだけで判断したのが 昨今のポス毒、いや「ポスドク問題」であろう。 でも連休でワインをしっかり飲んで、 精神状態が落ち着いている今であれば、Blogのネタにもできようぞ。 まずは最初のネタはこれだった。 Yahoo!ニュース(読売新聞)より。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000306-yom-soci 現在はこのURLは削除されてしまっている。 2chで派手にスレが立っていたようなので、引用。 —————————————– ★博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難 ・博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に  1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。  2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。  年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の  就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入  状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと  見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。  政府はこれまで、国内の研究者層を厚くするため、大学院の定員拡大などポスドク  量産を推進してきた。しかし、研究職はさほど増えておらず、その弊害が出た形だ。  多くは研究職志望で進路が少なく、企業も「視野が狭い」などと採用に消極的で、  不安定な身分が問題化している場合が多い。  ◆ポストドクター=博士号(ドクター)を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学  などに籍を置いて研究を続ける若手研究者。公募型の研究費を得たり任期付きで  給与をもらったりして生活している例が多い。 —————————————– 個人的には「ふうーん」って感じ。でもなんだか作為的な記事だなあ、と最初は思った。 たぶん、文科省の資料発表をゆがんでうけとめた記者がいるのか、 発表時の資料にそんな含みでも書いた役人がいたのか。 別の役所では内閣府の国民生活白書ではこんな発表もある。ちょっと古いが。 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h15/honbun/html/15212c30.html へ 出戻り社会人博士で生活苦を(家族の協力で)乗り越えて、 博士取得した自分としては、こんな無責任な記事を書かないでほしいと思った。まずは。 「視野が狭い」というのは某メーカーに勤めていたときからよく言われていたことで常識だと思うけど 「専門分野の変人」ばかり採用している企業もどうかと思う。とまず言いたい。 アメリカのCG業界で活躍している友人から雑談交じりに聞いた話だが、 「アメリカの博士は最低でもソフトウェアエンジニアとして食える技量を持っている」らしい。 日本の博士はどうか。食えるのかあんたは、と。 ちなみに私はこの言葉をきいて、真面目に2年ぐらいかけてリハビリした。 論文書くのと同じぐらいプログラミングも勉強したし、 古典的なC言語だけじゃなくて、C++やPHPみたいなSEとして最低限食えるレベルの現代言語、 他にもMELとかMayaのSDLやCgにHLSLなんかも実装できるところまでやってみた。 環境もWindowsだけじゃなくてLinuxとか組み込みとかも毛嫌いせず。 ちなみにアメリカのCG業界では、映像制作企業から研究室に「発注」がいく。 「これこれこういう映像を作りたい、こういう技術課題を解決したい」 「これを解決してくれたら研究費出すよ」という感じ。 先生自身がソフトウェアプロジェクトマネージャである。 そのソフトウェアや技術の内容を理解していなければ論文書くどころか うまく修士の学生を導いて、納品することすらできない。 信頼と品質を維持するためにはいざとなったら自分でコードを書かねばなるまい。 まあそうやって「いい話」になるのは稀有な例だということも分かっている。 でもSIGGRAPHで私たちは毎年「稀有な例」に驚嘆している。 多くの一般人は「出来上がった映像」しか見てないわけだが、 闘わなければならない相手は「その過程」なのである。 ちなみに私の研究分野に関しては、 フランスは日本より企業との距離が近い分、少し闘いやすい。 アメリカ式のやり方がすべてにおいて通用するとも思わないし。土地広すぎるし。 —————————————– さて話を「毒」について戻そう。 「創作童話:博士(はかせ)が100人いるむら」 http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html?msg=deleteyou URLはあえて余計なものを足してある。 せめてログをみて「ドキッ」としてもらいたいので。 ちょっと前に流行ったTV番組「世界が100人の村だったら」というやつである。 ちなみに本当に博士が100人いる村があったら、それはもう村ではないだろう。 (某宗教団体の危険な施設とかなら話は別かもしれないが) 見た目は童話?のようなつくりをしているが、誕生した博士100人の 行く末を無責任なフォントと口調で語っている。 特にポスドク以降がひどい。 http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/postdoc.html このひとたちはぜんとたなんです じょしゅのひとたちはあおたがりされていますが、ぽすどくさんたちは かりのこしのはいざんしゃしゅうだんとよばれていますー 何が「刈り残しの敗残者集団」と呼ばれているんだよ!! こんなの家族が見たら凹むじゃん! 少なくとも私はポスドクという職に誇りを持って生きているんだが、 知らないうちに日本語の定義が変わっていると困るので Googleに「敗残者集団 ポスドク」と聞いてみた。 こいつか!役所の書類なのにひどい言葉をつかいおって↓ http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-te1022-2.pdf ■科学技術基本計画における重要課題に関する提言 人材育成の項より 「他方、競争制度としてのポスドク制度は、ポスドクの中からどの程度の 割合の者が選抜され、選抜にもれた者がどのような道に進むかが明確にさ れなければ、制度の運用が危うい。リスクの大きい選抜制度は避けて通る ことになり、研究者を志向する絶対数の減少に繋がりかねない。このこと は「若者の理科離れ」として現実のものになりつつある。また、優秀なも のは大学院博士課程在学中から定職に就かせている「青田刈り」の現状が ある限り、ポスドクは当初から競争の敗残者の集団の可能性もあり、「刈 り残し」集団としての位置付けが成されてしまっている。ポスドク制度を 充実したものにするためには、採用制度全般と整合させる必要がある。 任期付任用は、もはやポスドクと大差がなくなっている。任期付任用は 試験任用としての意味付けがなされなくてはポスドクと全く異ならない ことになり、現実にはポスドクと類似の方向で運用されている。」 って、ちょっとはまともなこと言ってるじゃん。 でも本質がないよな、人材育成が言いたいなら「青田刈り」だけ言えばよくて 敗残者は言いすぎだよ。 確かにポスドクさんは社会適応性が低い人が居るかもしれない可能性は 高いかもしれないけど、自分の直属の先生の言うことだけは聞く助手さんと どっこいかもしれないし、場合によっては論文とかちゃんと書いて、 学会とかでもある程度他から認められているからこそ得られるポストでもあるわけだし。 私みたいに日本には既に活躍できる場所なんてないのを ちゃんと理解していて自分から海外のポストを探して研究進める人も居るわけで。 これを日本に残してきた家族が見たら、マジで欝になるよ。 で、腹立つのがこのオチなんだよ! http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/sayonara.html?msg=delete_you 100人中8人が「進路不明」と言え!誰も死んだとはかぎらんだろうが。 しかも『街で博士(野良)を見つけてもいじめないでください』とある。 てゆーかお前がいじめてるんじゃん! 単に不明と言うだけで死んだと分かっているわけじゃないだろうに。 研究が嫌いになったとか、海外に逃げたとか、進路調査に書くのが嫌いだったとか。 (そういえば私もある帳票には書いたが、ある帳票には書かなかったな…進路) こういうのは無視するに限る。できればリンクもしたくない! と思ってたんだが、やはり日本にもまともに考えるヒトはいたらしく(そりゃそうだ)、 今日になって、けっこうな数の調査や意見を見つけることが出来た。 ■「博士が100人いるむら」のオチはマジなのか?  http://d.hatena.ne.jp/rna/20050505  こんなこと調べてる暇があったら研究すれ ■たまにっきロングアイランド編(海外在住のヒトの視点)  http://d.hatena.ne.jp/hiico/ ■インターネットで読み解く  http://dandoweb.com/backno/20010927.htm  この人のコラムは昔から読んでいたが、まあ正面切った話。 そんなわけでまとめです。 ・この手の悪い冗談の創作はやめてほしい ・私は今回のアンジェ旅行で密かに「この毒」を癒してました。 ・ロワールの赤ワインとチーズ、Simon先生との親密トークはすべてを忘れさせてくれました。 で、この長いBlogを締めくくる提言として、 ・文科省のお役人様はいままで「正しい」と感じられるような政策を打ち出したことがありますか?  科学技術うんたらとか、大学院とかポスドクとか、東大出が考えそうな  「一銭もお金を生まない・世の中に役に立たない研究」が生き延びられそうな仕組みを考えるより、  初等中等教育、それ以前の教育環境をどうにか改善して、子供が産みやすく、育てやすい国を  作るほうがまず先だと思う。  中途半端なエリート崩れみたいなのが、中途半端に生きられる世の中ばかり助長してどうする!  もちろんその一端で生きている自分ではあるんだが、フランスの給料も安いぞー! ・博士に進学したいとちょっとでも思っているヒト、選んでしまったヒトへ  選ぶ前なら躊躇せよ。一人でも生きていけるだけの実力があるなら、止めないが。  研究活動を通して、自分で食いぶちを見つけられるところまで(≒事業化とか)いかないと  日本では研究者は大学の先生になるぐらいしか生きる道はない。  大学の先生になりたいならともかく、なりたくないなら、もっともっと苦労しないといけない。  大学の先生も、これからポストは減るし、いまでもかなりいい加減な先生が教授顔していらっしゃるので、  今後、大きなツケをはらうことになることは間違いない。  そのときに、信じられる実力は君にあるか?  単に「学生だから」と甘えてないか?  親に借りた進学・生活費を返す勇気はあるか? ・読んで自殺しそうになってしまったヒトへ  ちなみに博士とる前の修士とか博士の学生のほうが自殺志願者多いと思う。  だいたい某大にいたとき、ひどいときは50%ぐらいの学生は、軽い鬱とか自虐っぽい感じになってたような。  実際引きこもりになっちゃうのも多く見積もって2割ぐらい。精神的に死んでる。  そう、赤ワイン呑んで、サッカーして、忘れちゃえ!というのがフランス学生式ではある。  が、そう呑んでもいられない理詰めのあなたにいい話。  「この環境はそうやって生き残った連中が作った」と思いましょう。  そのウソ大学、そのウソ課程、そのウソ教授、ウソ研究室、ウソ助手…らは、  そのウソ研究環境で生き残った遺伝子なのである。  その人たちの言うことに耳を貸すのは、せいぜい5割以下にしておいたほうがいい。  もちろん「研究のスタイル」ぐらいは学んでもいい。でも魂は学ぶな。  「日本の研究室」というのはそういう環境なのである。  死ぬぐらいだったら、抜ける方法はいくらでもあるから相談してくれい。