CEDEC2014 Day1
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物語の力 冲方 丁(作家) 基調講演
[http://cofun.shirai.la/d.php?d=2014-09-02&c=9#p950](http://cofun.shirai.la/d.php?d=2014-09-02&c=9#p950)
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聴講メモ
冲方 丁 (うぶかた・とう)
[http://towubukata.blogspot.jp/](http://towubukata.blogspot.jp/)
※途中から参加 中継室にて聴講
「テーブル・トーク・ロール・プレイング・ゲーム」とは
これはすべての言葉が詰まりこんでいる
「色即是空空即是色」である.
テーブルを囲みトークをし,ロールを観客に向けてアクトするのではなくプレイするゲーム.
「偶然と必然」について
2万年前の洞窟壁画から神話,王権的なフランス文学,寓話・民話(主人公は一般人),これは一般の人でも物語が作れることを示した.王権は大衆をつかまなければ滅ぶ.日本では「源氏物語」など貴族しか出てこないが,宮廷による統治があった,文化が優れていれば武力を制することができる.16世紀のイタリアなどは100年の戦乱,ミケランジェロ,ダビンチ,ノストラダムスなど,これらは「柔らかい城壁」として王者が民衆をもてなす,これを人は「エンターテイメント」と呼んでいた.
その後,ドイツの吟遊詩人(ミンネシンガー)が個人と個人の恋愛を謳った.これは反権力的な物語.
ヨーロッパでは十字軍によって皆殺しになってしまったため,多くのものが残っていない.
中国では「三国志」,権力が大衆として作ったのではない,権力者を悪者にしたりして楽しむ.
日本では,琵琶法師「諸行無常」宗教観を謳っているように見えて,すでに滅んでいる,王権的文句が言えないものを対象にしている.
大衆エンタメの祖先,売れればよい.
「水戸黄門漫遊記」などは江戸時代としては取り締まっていいのかどうかもよくわからない.
「現代の物語」はいかなるものか?
民衆を楽しませる.
300年前と変わっていないが,物語が広告化した,貨幣経済が発達し,
拡散力があるもの,より広がりやすいものが好まれる.
たとえば,「おもちゃを売るために物語を作る」,「前作を上回る感動」,「シリーズ最高傑作」など.
これはこの千年でも珍しい状態.今断定できるわけではないけれど.
王権から抹殺されることもない,宗教的なタブーに,引っかかることもあるけれども,独自の宗教観を訴えてもよい,ロールプレイに立ち返り自分のために物語を紡いでもよい,
今現代において,偶然性,物語化が必要となる偶然性,
必然性,物語作りを擁しているものは
ゲームしか存在しない.
ゲームこそが
力を正しく発揮し,
ゲームがこの世界を作った,と
のちの世でいわれてほしい.
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## 【白井の感想】
物語とはなんであるのか?
を数千年単位での物語史観で一気解説.
ちょうどいま「応用物理」に書いていた「ひとはなぜ遊ぶか?(仮)」にリンクするものがあって興味深かった!
やはりストーリーテラーのお話は面白い.
本人は時間がもうちょっと必要だったと残念そう.
しかしスライドなしでトークだけ,すごい迫力.
まさにメタストーリーテラー.
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【会場質問】
Q: 広告としての物語とは?免罪符とか
A: 免罪符,モノを売るためのエクスキューズを作った.旧約聖書が出ました,新約聖書が出ました新新約聖書,超新約聖書が出ました,といったものではないのが王権的物語と広告的物語の根本的な違い.
皆さん意外にまじめな質問をされますね.
Q: 25年前,ダンジョンアンドドラゴンズの翻訳にかかわったことがあるのですが,ゲームキャラクターやシステムが物語を量産する,というどういったジャンルが生まれえるか.ゲームソフトから物語が出ていくか.
A: 物語の大量生産における特徴という質問でよろしいか.登場人物の数により複雑さが異なる.たくさんの可能性を含ませようとする.そのせいで中心点のない物語が大量生産される物語の必須項目になる.たとえば「ドラえもん」はどんな物語であるか説明しづらい.ドラえもんの道具をほしがる子供たちの日常の物語,というように中心がずれていく.ここで「ドラえもんがのびたを救う物語」とするとシリーズが作れなくなる.
真面目な質問が多いですね,ほかの講演だと「奥様とどこで知り合ったのですか」とかが多いのですが.
A: 小説家でデビューしたのですが,お金がないのでゲーム業界で働いていました,以上!いやー給料もらえますからね.でも小説書く時間がなくなるほど働かされたので.以上です!
Q: プレイヤーがプレイヤブルで(略)ビジョンがあるか?
A: プレイヤブルな状態は囲碁将棋をうっている状態.これはサイコロを振っているのと同じ.試合が終わった後,棋譜がどういう意味を持つか永遠のサンドイッチです.もしかしたら今後あるのかもしれないが,すべて偶然の出来事で起きているにもかかわらず,ストーリーとして意味を同時に成していく,これはプレイヤーの頭の中では可能であるが,うっかり死んじゃうかもしれないのですが,それも合わせて物語化しなければならない,この融合ではなく,それぞれの意味づけ,マップを複雑にしていくとか,プレイヤー同士でとか,偶然性を確保するというのはサイコロを振っているのと同じ.こういった意味づけを,主人公がプレイヤーである限り,二人称ストーリー,あなたはえらい,あなたは悪い,といった二人称ストーリーテリングはゲームでしか発達していない,こちら(作家)としても,がんばってほしいな,本当に融合するかもしれない.いまのところ必然と偶然はサンドイッチにせざるを得ない.
Q: 個人の物語,個人の経験,先生の作品でシェルという人物は自分の記憶を消すことができる.人間の処理能力の限界がやってきたとき,500年後の人類はそれほど変わっていないのでは?
A: 人間の情報処理能力はわからない.外部記憶装置を持つことで忘れっぽくなるのかどうかもわからない.500年後もまあ変わらないでしょう.5感が変わらない限り変わらない.紫外線を見れるようになるとかにならないかぎり.だからこそ同じ感覚で物語を話すことができる.だからかわらないだろう.
ほんとに皆さん真面目な質問!
Q: 小説とゲームシナリオにかかわったことのある冲方さんに質問.違いはあるか?
A: 基本的には活字媒体なので基本は同じ.画面構成において制限があり,断片的な言葉を伝えていく,演劇的なせりふ回しになっていく.巻き戻せないので何の話だか分からなくなるので繰り返したり強調したりを短いスパンで出していく.小説とシナリオの違いは……何もかも違う,としか言いようがない.最大の間隔は時間間隔,一文字の集中力がすごく短いのがゲームや映画の字幕.小説は違う.本当に知りたいなら両方書いてください.
Q: (つづけて)ゲームシナリオ,最近ではマルチエンディングのために分岐がある.複数人シナリオの共有を行うで
A: アニメーションではシリーズ構成などあるが,物語を作る上で絶対やっていけないのは,みんなが平らであること.矛盾が発生しないために誰かがトップでなければならない.
いやー,だれが分岐決めたんでしょうね,ほんとうに.
おんなじシナリオで何度も書かなければならないですよ.
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ところで会場質問からナラティブの話が出てこなかったのが不安になるで.