育児というものは 「自分だけがつらい思いをしている」 と思ったら負けだと思う。 どんなに辛くても、楽しまねば。 というわけで過去振り返りBlog。 先週末にナルが高熱を出した。 最後に高熱出したのは2歳の終わりに真冬の日本に帰って中耳炎を併発したときだから、実に1年半は高熱知らずだったらしい。 ことのはじまりは木曜~金曜日。 サマースクールに通いはじめ 父子ふたりでいろいろ準備していたのだった。 初日はなんとか乗り越えたので(この件もいろいろあったが次回にでも書く)、 金曜日は来週からの通学の準備をふたりでして、 夕方にGillに録画してもらった科学番組「C’est pas sorcier」のTGV特集などみて 楽しく過ごしていたら、突然勢いよく、吐いた。 さらに「おなかが痛い」といいだした。 熱もちょっとだがある。が既に夜20時。 もう病院は救急しかない。 とりあえず様子をみることに。 といってもルカの深夜授乳があって、 早番なら22時から3時、 遅番なら3時から朝まで、 という感じなので「いまさら」感はあるのだが、ふたりとも疲労コンパイだ(←W-ZERO3のIMEに”困憊”がなかった…常用じゃないのか)。 この日、私は遅番であさ6時まで次男・ルカと格闘。 一時間ほど寝て、土曜の朝。そのまま病院。 バカンス中のホームドクターの代打(ヤブ)に 「風邪と便秘」と診断され5種類も薬をもらう。 本人は比較的元気。 私の仕事場にある鉄道模型クラブの会合に参加すると言って聞かない。 ちょうど近所のお爺さんに誘われていたのだった(これも今度書くかも)。 さらに来週から私の仕事場においてある壊れた自転車を治してこれで通うと言って聞かない。 しかしまあこんなフラフラな状態で雨が降ったりやんだりではだ寒い街を歩いたら、絶対よくない。 なので「おとうがとってくるからまっていて」と言い残して寝かせる。 速攻で仕事場に走り、鉄道模型クラブのジイさまたちに挨拶し、職場に一年近く寝かせてしまった半壊MTB(フランス語ではVTT)をゲット。 家に帰るとナルは寝ていたので修理開始。 後輪の車軸、軸受けが折れている。 ろくな工具もないので買った店までバスでひとっ走りして車輪とギアごと買ってくる。 (本当は安く済ませたかったがシマノの高級品しか選択肢がなかった…ちっ 帰りのバスを待っていると息子が起きたと言う電話。 待ってろよ息子。 とおちゃんは自転車治してやるからな! (自転車の修理は割愛) でその後ナルはおかゆをちょっと食べて、寝た。 が、深夜になって本格的に熱を出し始めた。 最大40度ちょい。さすがに飛び起きた。 結局、ふたりがかりで各一名。 わたしは長男を担当。 とにかく熱が下がらない。 解熱剤は寝る前に飲ませているが、そろそろ切れる。 氷枕に濡れタオルなど併用して気化熱で冷却。 幸い意識はあるので、横で付きっきり。 「さむい」と「あつい」をかわるがわる言う。 体温計と脈拍をみながら 「さむい」といったときは布団、 「あつい」といって汗をかいているときは濡れタオルで背中をふく。 意識のあるときはひと口でもいいから飲水させて…。 この繰り返し。たかだか百回ぐらい。 2歳児だったらこうはいかない。 様子をみているがほかに目立った症状はない。 「おなかが痛い」と熱いときに言っているが、完全に便秘(二日出てない)ので心配ないだろう。 下痢だったらフランスではガストロ(Gastro)と診断されるところだろうな。 もっと怖い病気もたくさんあるが。 鼻水が胃に回ってるのかもしれない、自分の胃も焼けるように熱いし。 そのうち解熱剤が使える時間になる(6時間ごとしか使えない)ので服用。 うまく寝付いてくれたのは朝の5時。ねむい。 その後、日曜日は部屋の中で一緒に自転車を治して、 月曜日は無事、サマースクールでプールにまで入ってきたから、まあ子供ってすごい回復力。 (もちろん様子みながらですけど) 当の私ですが、眠い。 昼に夜に働いていて、壊れそう。 まあつらいのは私だけじゃなくて 息子とか嫁とかももっと大変なので せいぜい楽しんでやるのが 父親的スタンスだと思う。まる。