JAPAのMLに書いた投稿の再編。

それにしてもこの「大学1年生」さんですが、 駐在さんを親に持つ 帰国子女さんだったんですね、 ここ10年ぐらいの生々しい海外での現状を感じます。

「たまごっち禁止令」というのは 日本でもNHKスペシャルなどで報道されたことがありますから けっこう有名ですよね、 フランスでも教会が「たまごっちのお葬式」などをやったりしたという 話が(都市伝説として?)残ってます。

でもこの前、日本に帰ったら、日本人の小学生女子は ほぼ100%の布教率で首からたまごっちを下げていたので、 キャラクターマーチャンダイジング教に日本人である私のほうが、 若干違和感を感じつつ…という感じでした。

かくいう私の息子(3歳)も、この年末年始に2ヶ月ほど 日本で暮していたら、見事に電車オタクになっていました。 特に新幹線に異常に興味を持っていて、数字も数えられないのに、 「500系!」とか「こまち!」とか言っております。怖いです。 あまりに怖いのでフランスに帰ってきてから 「青い電車・train bleu」とか「白い電車・train blanc」とかに言い換えてますが… 一度身に着けた知識は抜けませんね。恐ろしい。

そんな電車が大好きな息子はどういうわけか、 女の子にやたらともてています。 3歳にして、年上のガールフレンド4人からラブレターをもらい、 フィアンセが2人もいるという有様です。 まあ罪のない子供たちのamourですからほっておきますが、 私には何故、息子がこんなにもてるのか、いまいちよくわかりません。

今日のオリンピック中継でも、フランス人男性アナウンサーには、 日本人女性選手ははげしくもてていました。 手足がすらりと長くて、色白で、照れのある笑いが、もしかしたら 琴線をつかんでいるのかも、とおもいますが…どうでしょう。

あんなに小さい島国で、単一人民国家で、人口が多くて、裕福であるというのも 大きな理由かもしれません。 日本人しか喋らない「日本語」もかなり、謎めいた妄想をふくらます鍵になっています。

フランスから日本への留学生、 最近では日本からフランスへの留学生やその指導などしていると、 日本という国の特異性が、じわじわと理解できるようになってきました。 また、日本を離れた欧州で子供を育てることに、 ちょっとした安堵を感じたりもします。

私の研究寄りの話でも、日本では大はやりのメディアアートや サイバーアート、エンタテイメントVRやガジェット、ユビキタスなど 単純に輸出して受けるarts(作品/コンテンツ/システム)と、 全く理解されないばかりかアレルギー反応まで出るようなartsまであります。

最近の私の講演では、 「日本のエンジニアリングのクレイジー性について」というあたりが 一番学生の興味を引くようです。 日本のマンガにインスパイアされて、へんちくりんなものを作り、 周囲に理解されずに微妙な位置にいる学生などもけっこういたりします。 また「日本では何でも自動化されている」と本気で信じていたりします。 『そんなのはトイレだけだよ、むしろアナログに愛を感じる人も多い』 …と説明したりもします。

また、これだけ技術力と経済力がある国なのに、 「どうして新しいチャレンジをしないのか」という質問もよく受けます。 『それはもう既に一番だからだよ』と答えるようにしています。 これは電機メーカーに勤めていたときの経験によるものですが、 「新しい挑戦」というのは二番か三番の者がやる行為みたいです。

時々「この日本のデジタルコンテンツを輸出したい」とか、 「この作品は欧州で受けるだろうか」とかいった質問ももらうことがあります。 ユーロで統合はされていますが、欧州全般をざっくり語れるほど、 簡単なことはさほど多くないと思います。

ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギー、 フランス、イタリア、スペイン…といった各々の国で、少しづつ事情が違います。 例えば法律ひとつとっても、ドイツには車の制限速度はないですし、 (この国では、車のレースゲームが持つ意味が若干違う) オーストリアの青年にはいまだに徴兵制度があります (この国ではFPSが持つ意味は、軍事訓練とあまりかわらない) ちなみにアルスの地元に住む友人はウチの息子に負けないぐらいの車オタクで、 どんな車も1秒以下で車種を見切ります。 しかし彼の「嫌いな車」はベンツであり、「最高の車」はヒュンダイだったりします。 はっきりいって普通の日本人の逆ですね。 こういう国で売れる車ゲームを作ろうと思ったら、 「同じシステムでも、コンテンツを少しだけ作り直す必要がある」 ということが必要です。

これは多くのartsに対していえることで、 特に西欧、フランスなど「殺さない・戦わない」を極度に否定する教育体制を引いている国では 日本の「ゲームコンテンツの直輸入」はかなり判断が難しいと思います。 簡単に言えば、『売れる=成功』ではないということです。 市民理解が得られないものは、長期的には売れないですし、 大手の量販店は、まず扱ってくれないでしょう。 (町の小さなゲームショップ、日本マンガ店などでは売るでしょうが)

逆に、日本のゲームクリエイタが本気になって「殺さない・戦わない」をテーマに作品を作り続ければ、 第二第三の「世界の宮崎」を生み出すこともできる予感がありますが、 現在のほとんどのゲームプロダクトの刺激要素が、 「戦闘」「競争」「購入(マーチャンダイジング)」によって成立しているので、 親の目の届かないところで、町のゲームショップで中古を買ったり、違法なダウンロードをして、 薄暗い部屋で目の下にクマを作って日本製ゲームを遊び続ける子供と、 そういったものを完全否定している家庭の子供では遊びや文化に なんだかとっても距離があり「本当によいもの・おもしろいもの」を共有しづらい環境にあるようにも感じます。 例えば新世紀株式会社の身体性玩具はかなり「よいもの・おもしろいもの」に入りますし、 「ゲームシステムはそのままに、ゲームデザインだけ変えれば」 大きな市場があるのになあ、と感じますが、日本の玩具会社はこういうものに限って 欧州市場に売り込んだりしないのが謎でもあります。 いちいち買っては、研究室の学生相手に試しているのですが、 パーティゲームが大好きなので、市場性は大きいですね。 (カラオケが世界的に普及しているのもひとつの証拠でしょう)

ところでナムコがはじめてファミコンソフトを出したときのCFのキャッチコピーに 『重いカルチャーを、オモチャーという』 というコピーがありましたが、玩具やゲームは、子供の将来への影響を考えると やはり「重いカルチャー」かもしれないなあ、とつくづく感じます。

今日は金メダルのおかげで酔ってしまい、 こんな腑抜けた比較文化論しか語れませんが、 こういう話に興味を持ってくれる出版社でもあれば、 まとめて書いてみようか、というぐらいのネタはあつまりつつあります。

以上、「大学1年生」さんにささげる雑言でした。