フランス人を案内していて気がついたのは
「日本の国民食」ってなんだろうなあ?ということ。
確かに米は国民食なんですが、
だからといって茶碗飯、握り飯、オニギリってわけじゃないでしょう?
カレーライス?ラーメン?ハンバーグ?スパゲッティ?ってちがうよね??
寿司?天麩羅?納豆?豆腐?
あとは牛丼、うな丼、カツどんとかはいい線ついてるかもしれないけど。
こんなこと書いてるのも、
先日の「マルちゃんが記事」というBlogに反響があったからなんですが、
[http://ameblo.jp/akihiko/entry-10005406337.html](http://ameblo.jp/akihiko/entry-10005406337.html#tbox)
そもそも食文化の多様化とともに、異国性がどんどん増してきて、
さらにそれが自国で独特の進化を遂げて…というものなんだろうしなあ。
という意味では日本のラーメンが侵食していることが問題というよりも、
「全く調理しない料理」が国民食になるということのほうが問題なんだろうなあ。
日本が飢えを満たすだけのサプリメントを安く作って売って、それに食を頼っているという状態と言っても変わりないもんな。
そういう視点では「マルちゃんする」という動詞の別の意味としては『ほとんど何もしない別物が取って代わる』という意味も考えられるも知れない。
用例としては、
■「総理大臣が靖国神社問題をマルちゃんする」
■「その問題はマルちゃんしたはずだ」
→(動詞)本質的な問題を煮詰めずに、インスタントなもので摩り替えること
「総理大臣としてではなく一国民として」というと、
総理大臣≠国民という論理式が成り立つのではという基本的論理のすり替えをして
そもそも何でそこでその時期にそういうことするのよ、という議論をかわしている。
■「本当は次郎としたいところだけど、マルちゃんとしとこう」
→(品質)本来であれば新しい新基軸ともなりうる同系革新を打ち立てるべきだが、
3分で考えたようなアイディアで乗り切ろう
「マルちゃんと」と「と」活用するのがこの用例の特徴である。
『ちゃんとしておこう』といいながらも、ぜんぜんちゃんとしていない。
3分は標準マルちゃん思考時間。2:30は若干堅いアイディア。
※「次郎」とは国道一号線近辺等に展開する超個性派のラーメン店系列であり、
初めて食べたときは「”何事か”と思うぐらい不味い」のにその後癖になってしまうという、
次郎のラーメンは「ラーメン」ではなく「次郎」であるというぐらいの革新ラーメン。
■「今日こそは打ち上げだと思ったけどマルちゃんだもんな」
■「マルちゃんしようったってそうはいかないぞ」
■「ごめん、マルちゃんで終わらせるしかないね」
→(時間)本来終わるべき期日を過ぎいるのにケジメどころか終わりも見えてこないような仕事に対して、
予期せずあきらめにも似た終わらせ方をする場合に使う。
逆に、3分で片付けようにも片付かない…でも片付ける場合、
特に選択肢が無いのでそれしか選びようが無い場合に使う。
ちなみにほとんど何もしないに等しいが心理的にはあきらめたわけではないさわやかさがある。
■「マルちゃんもけっこう美味しいよ」
「マルちゃんでも十分だよ」
「マルちゃんぐらいで我慢しとけよ」
→(程度)ほとんど何もしない安易かつ即決の判断に対してプラスの思考をする時に使う
実際には何もしないが満腹中枢は満たされているため、諦めであるが敗北感は無い。
A:「そうそう、就活のエントリーシートどうした?」
B:「あ・あれね~、マルちゃんとしたよ」(3分でいい加減に片付けたよ)
A:「マジで?それやばくね?マルちゃんしすぎ」(軽く片付けすぎ)
B:「いやあの会社、マルちゃんだし」(社歴が浅いし)
A:「そうなん?まあそれもマルちゃんかもねえ」(十分かもね)
B:「いや~さっさとマルちゃんしたいところだねえ、就活。」(さっさと片付けたい)
A:「そんなマルちゃんしているから、終わらないんだよ」(あっさり片付けすぎ)
B:「そんなマルちゃんな」(そんな殺生な)
またマルちゃんBlogを書いてしまった。。。