先日紹介した萌え系教科書 ですが、実際に6学年分購入してくれた人からトラックバックを頂きました。

http://blog.ofg.jp/?eid=233156

「ドルフィンのまほう学校」で埋まっていたわけではなかったそうです。

イラストレーターの窪田シンジさん、と鈴木留未南さんも、

[http://www.spoon.co.jp/csf02/gallery/k/174.html](http://www.spoon.co.jp/csf02/gallery/k/174.html)

http://www.suzumeclub.com/

単体で見れば普通にがんばっているイラストレーターなんだと思います。

まあイラストの画風とかキャラクターデザインはともかくとして、フルカラー教科書で、情報量を下げてつづけている現状が問題なのかなと思います。

「自分で考える力」というのは、誰かに助けてもらったりして身につけるものではないですからねえ。

それはそうと、物議をかもした元ネタの教諭のページは消えてしまいました。

サイトの掲示板の呟きを見ていると、本人もいろいろ悩むことがあったようですね。

http://www.as-bbs.com/usr/fre-01/mkgif/mkgif.cgi?sensi

でもいたって真面目な方のようであり、あまり後先考えずに何かやってしまうところがある様子。

いろいろ考えていると、日本の教育環境ってなんでこうなんだろう?と。

IT教育などについては外部の非常勤の採用なども増えていて、もっと”危ない先生”や、回転の速い技術などを教えているということも耳に入ってくるけれど、なんだか根本的な問題が解決できてないような気がする。

現代っ子は(日仏に限らず)テレビをはじめとする情報メディアに溺れていて、物事を判断する能力、つまり情報リテラシー能力が追いついてないんではないかな、と思います。本当は親や社会が、その現状には目を光らせて、緩やかにコントロールして行かねばならないはずなんだけど、日本ではどこかそれが責任不在になってる。少子化社会なんだから「社会負担」としても軽いはずなんだけどな。

文部科学省の予算は教育予算じゃなくて研究予算のほうに強く振り分けられるし、教育予算といってもIT設備などはお金がかかるし。たとえば本質的な文盲率(文字が読めない、ではなく本が読めない、理解できない、自分の感想がもてない率)というのは実はものすごく高いんじゃないかな、とか。

いい先生、いい教科書、自己の成長が感じられるようないい教育環境…そういったものが、当たり前に受けられるのが正しい「豊かな国」なんじゃないかと思うけど。

「教育の社会負担」というものについて、もうちょっと真面目に考えてもいいんじゃないかな、とおもう。

お金もそうだし、人材もそうだし、社会の中での認知や協力といったものも含めて。

ちなみに私は学校から依頼があったら、行きますよ。

講演だろうが、SEだろうが、息子の送り迎えだろうが。