関係筋によると、IVRC2005の書類応募が過去最大数をマークしたらしい。
いや実際、審査フェーズも大変です。
世界最高の作品を選ぶコンテストの第一フェーズというのはそれなりに苦労があります。
(コンセプトが練りきれていなかったり、執筆がなれていなかったり…)
それはそうと、知る人ぞ知るshi3zさんが今回参戦するらしい!
私はこの人のDirectXの本でFantastic Phantom SlipperのSIGGRAPH版を作りきったようなもので、ある種、うれしいようで複雑な気分。
そんなわけでトラックバックも兼ねて「社会人IVRC」について書き綴ってみようとおもいます。
まず基本ですが、IVRCは社会人混成だろうと学生100%だろうと、審査は容赦なしです。
実際の作品や戦況を見ると、研究室や企業のバックアップがあったりなかったりで、リソース的に恵まれていたりとかいうことはありますが、やはり組織運営力などの重要なファクターであったりします。
大人が混ざることで、それらがうまく働くこともあると思います。2002の優勝チームは確かに玩具メーカーの社員兼学生である桝井さんが混ざっていたわけですが、それが決定的な勝因になったのか?といえばそれは違うと思います。あの勝利は、チーム全体のハーモニティクスがあってのことだとおもいます(表彰式を見ていたみんなは覚えているはず、あの清々しい涙を)。
逆を言えば、お金と優秀なエンジニアが居ればIVRCに勝てるのか?
それはNoだと思います、ファイナルまでは残るかもしれませんが、仮に優勝したとしても意味がない。
IVRCは誰も見たことがない革新的な作品を手作りで作らなければ意味がないのです。
しいて言えば、企業力で勝てるなら、IVRCに参加するのではなく市場で勝負すべきです。
(IVRCを宣伝の場に使いたいというのであればまた話は別ですが)
ちょっと話を回り道しましょう。
IVRC2002の準備段階で、SCEIクタラギ社長に講演依頼に伺ったときでした。
にらまれただけで石になりそうな鋭い眼光の社長に
「…で、VRはこの10年間、何をやってきたんだい?」と一言。
もちろんクタラギさんは10年前のSIGGRAPH E-Techもしっかり見ていた上での発言です。
チンドン屋のデモばかり10年間つくり続けてきた、と言われてもおかしくない風潮も痛いほど分かります。
対して、ソニーグループの社運と利益を両肩に背負う財力、
『やれ!』とひとたび決めたら、そこに国立大学修士卒が1万人屍を積み上げてもおかしくない人財力、
クタラギさんの10年というのはそういうものだと思うし、今後とも高く評価されるべきだと思います。
しかしアカデミックを中心としたVR研究者は遊んでいたのか?といえばNoでしょう。
たしかにMITをはじめとする「Demo or Die」の流れは、この業界の研究スタイルを変えました。
それは論文以上に動き、分からせる「デモ至上主義」ともいえるものです。
出来上がったもの、勝ち上がったものだけを見れば、それはチンドン屋の墓石にしか見えないかもしれない(SIGGRAPH E-Techの歴史についてはまた機会をみて書きたいと思います…)。
しかしIVRCは2001年の改革から「新しい教育システム」としてVRコンテストを刷新したのです。
「自らつくり、体験し、運営すること」という従来から存在する『手作り』というテーマを前面に押し出しつつ、目標を「世界」に設定することで、VRに興味を持つ若者を「単なる消費者」とするのではなく、将来のインタラクティブ技術を背負って立つ、作り手の側に立つという体験教育の場を提供し、最高の作品には世界のステージに立つチャンスを与える…という役割に変化しました。
コンテストは厳しいものです。残念ながら勝ち残る作品は1つしかありません。つまり、すべてのステージで敗者が発生するのです。これは勝つ・負けるの視点で見れば非常に悲しいことですが、私は司会を通して、惜敗した彼らに悔しさや悲しさを直面させるよりも、できるだけ、動くものを世間に見せ、評価される楽しみや、すばらしい作品・ライバルたちと共に闘えた楽しみをかみしめられるように表現してきたつもりです。
今年はどんな作品が集まってきているのでしょうか!
そしてフランス代表チームも決して侮れない存在です。
先日、あるチームを見学してきましたが、フランスでも珍しい工芸融合コースの学生でした。
プログラミングもツールもデッサンも普通以上にこなす学生の集団に、研究室の装備が味方しています。
どんな作品、そして出会いがあるのでしょうか?
いまから楽しみでなりません。
(私はどのような形で参加するのでしょうか、それも大きな謎ですが…)