ポンピドゥセンターからシテ島をかすめて、マレ地区まで歩いてみる。
この辺のストリートは、なんだかrueごとにテーマがあるなあ。
そしてそこかしこにジャポニズムが見られて面白い。
紙や便箋ばかり扱っている通りとかでも和紙ばっかり扱ってるところもあるし、
ウィンドウ装飾に障子を使っているところもあった。
フランスに来て思うのは、みんな、ジャポニズムをいろんな形で解釈している。
だいたい近現代のモードで見ると、パリは20年ごとにジャポニズムを繰り返しているように思う。
昭和以前、80年代のジャポニズム、2000年のジャポニズム、ちょっとずつ違うんだけど。
「純和風」なのは着物屋かなあ、ああでもこれもリフォーム着物だしなあ。
店の構えだけ見ると、本当に鎌倉あたりで撮った写真とか言っても通じそうだ。
リフォーム着物は日本でもちょっとしたブームだと思う。
本当に安いし、着こなしをするためにはセカンドハンド市場は重要だ。
でもフランス人が本当に着物素地の味わいが分かっているかは、ちょっと疑問。
もちろん先端をやっている人は、目ざとく見ていると思うが、一般人には分からないだろうな。
(私も化繊かどうか、ぐらいしかわかんないけど)
嫁さんがイズラエルという日本では絶対行かなさそうな名前のスパイスショップを探しているので、得意の鼻を効かせて探し当てる。
ちょうどテレビのロケを同じ通りでしていて見落とすところだったよ。
イズラエルは真面目に見ると散財しそうな店だったので、そのへんは嫁さんに任せて息子と語らいつつ待つ。
「切り売り手作り石鹸」とか、日本のストレスを買い気で晴らすOLの皆様が、好んで買いまくりそうなイケてるお店を、ふらふらと歩いていたらマレ地区に到着。
しかし日本人が並んでいる店は、どうも高くて行く気がしないなあ。金持ちなんだなあ。
途中、カフェで飲んだくれているフランス人がわあわあ言っているので見てみると、新品のソファを2階の窓から運び込んでいるところだった。棒とか脚立とかで押し込もうとしていて、どう考えても無理な運び方な上に、したの店なんか開店休業の迷惑ぐあいであったが、唯一カフェの客には「スペクタクール!」な感じに見えているようだ。このソファ、落としたら大変だよなあ。と数秒見ていたら、受け取り手の運送屋が怪力で引き上げて、まさに「voila!」な瞬間に出会えた(動画はその最後の数秒)。録画できてないけどみんなの拍手と、カフェの店員の安堵が印象的であった。
http://akihiko.shirai.as/modules/xoopsgallery/cache/albums/album12/DSCF1846.avi
朝からの移動と街歩きで、精神はともかく肉体が限界になりそうなところに、児童公園発見。
ただの遊具と砂場と柵がある公園であり、地元民にしてみれば日々の生活の場なのだが、まさに都会(子供の)のオアシス。息子は運よく砂場着のようなカバーオールなのでそのまま全開お遊びタイムに突入。
いやー完全になじんでるな。Lavalだとアジア人少ないからなかなかこういう絵にならないんだけど。
その後、有料トイレを始めて「利用料以上の使い方」をして、オテルデュビル(Hotl
de Ville)駅からガルデュレスト(Gare de l’Est)まで移動→帰宅。で初日ミッション終了。
さらに自分は「食料調達」というミッションに走る。
来たときはあんまり気がつかなかったが、我々が住むフォーブルサンドニ通り(rue
du Faubourg St.Denis)はエスニックな雰囲気あふれる外国人通りであった。インド・パキスタン・中国といった国籍のレストラン、食材店、ビデオソフト店が並ぶ。特にインド料理が多い。直感で選んだカレー店はパキスタン人の経営であったが、5Euroでお好みカレー弁当(旨いバスマティ米つき)、10euroでタンドール料理+ドライカレーがついてくるなかなかの良心店だった。ただしすんごく待ったが。そして味は「とってもうまい!」という感想。あまりに旨くて日本人の習慣?である「食事写真」を撮れなかったぐらいである。
初日の日記はここまで。
パリの印象を一言で言うなら「英語が通じてしまう街」であろう。
かなりの店員が英語をしゃべるし、日本人とみるとこっちがフランス語で話しても英語で返してくる。
英語がしゃべれるけど使わないパリと、英語を話せないのでフランス語を使うLavalでは大違いだ。