白井研究室の育て方

うちの学生が研究で評価されたそうです

このたび,白井研究室で指導している神奈川工科大学 情報学部 情報メディア学科4年生の鈴木久貴君が,世界最大のコンピュータグラフィックス&インタラクティブ技術の国際会議であるACM SIGGRAPH 2014において,ACM Student Research CompetitionのSemi-Finalistに選出されました.

これはSIGGRAPH 2014 Postersに投稿された学生発表のなかで学部生部門,院生部門それぞれにおける世界トップ3に選出されたということで大変な名誉であります.結果などはこちら.

SIGGRAPHのPostersという場所について

ACM SIGGRAPHのPostersには特に日本の大学から多くの発表が投稿されます.
ACM(Association for Computing Machinery, アメリカ合衆国をベースとする計算機科学分野の国際学会。1947年設立。IEEEとともに、この分野で最も影響力の強い学会。SIGGRAPHやSIGMODなど数多くの国際会議を開催している。また、チューリング賞、ゲーデル賞を授与する組織としても知られる; wikipedia)の採択規定では全カテゴリにおいて採択率33%を上回る必要があります.この時点でいわゆるふつうの国際会議のPaperより難度は高くなるときもあります.
鈴木君が今回投稿した件は,最も遅い締め切りの「Late Breaking」というカテゴリなので,採択率は25%程度と聞いております.某大学の事務は「Postersはポスターなんだから,口頭発表じゃないでしょ?」ということも言われたりするようです,それはまあしょうがないのですけど,ACM SIGGRAPHの難易度や参加者規模(数万人)対してその評価はあんまりです.
一説には,Postersよりも数段難度の高いTechnical Paperに投稿したほうがよい,という意見もあります.私もこれは完全に同意です.多くのCG系の研究室に所属する学生にとって,「SIGGRAPHに発表者として参加できる」ということは,大変な名誉であり,ドリームです.しかし1ページのアブストラクトしか載らないのに,年に一度のこのチャンスに,大変なアイディアを絞り出したり,一方では,Postersに通すために似たようなサブジェクトを細切れにしているような例など見かけると,本当に本末転倒だと思います.
ちなみに私は,某SIGGRAPH ASIAで似たような研究をしているカナダ系中国人の研究者に,「はあ?君のアイディアがどんなにすばらしかろうが,1ページ2ページのショートペーパーがあるぐらいでデカい面するな,こっちはIXXX(伏字)のフルペーパー通っているんだぞ!」と凄まれたことがあります.これはくやしい.ちなみに偶然の一致と思いたいけど,彼の研究室の学生は私のYouTubeビデオは見ているし,おそらくショートペーパーも見ている,しかし引用はされていない.「引用に値しないショートペーパーだから」という理論だそうです.これもくやしい.
日本の研究者のみなさん,研究者のタマゴのみなさん,まずは8ページから10ページの長文を書きましょう!
志は高く!話はそれからだ!
そうでなければ,Posterに出した論文はパクられる運命にあります.
そもそもSIGGRAPHのPostersの投稿規定にもそれに近い話は書かれているし.
とにかくPostersに出すなら,覚悟はしましょう.
ちなみにACM Student Research Competitionについて,産総研の加藤淳さんが「ACM Student Research Competition参加のすすめ」というブログエントリーを書かれています.こちらも別の視点のご意見ということで紹介させていただきます.

白井研究室の人の育て方について少々紹介

いい機会なので,白井研究室の人の育て方について,ちょっとまとめてみたいと思います.
白井研究室の人の育て方の基本方針は以下の通りです.
(1) その人にはその人にあったハードルを
(2) 30%ルール,いろんなことをやってみよう
(3) 「心の力」を最大限に信じる
…という考え方です.まあどれも当たり前なんですけど.

我々は未来に進んでいくしかない,残念ながら.

まず「(1) その人にはその人にあったハードルを」という考え方です.これは基本原則.
飛べないなら高いハードルは設定しません.
しかし白井先生は自分自身に高いハードルを設定しています.
これは”忍者式”とでもいいましょうか.低木を飛び越えているうちに,壁も越えられるようになる…ってあれです.

すごいスピードで成長するなら,どんどんと高いハードルがやってきます.

でもそうでないなら,低いハードルを設定し,低いところから増分も少なく増えていきます.
ただし増えていくことは変わりません.我々は未来に進んでいくしかないので.
そう、未来に進んでいくしかないんです!
記憶や知識や技能を持ったまま,過去に戻れるなら戻りたい!
…でもそんなことはできない,我々の時計にはラッチ機構がついていて,後戻りもCtrl+Zもできないんです.
だから飛べるようになったら,次からはもっと高く飛べるようになるしかないんです.残念だけど.
だから,うちの研究室では「チート厳禁」です.
世の中には,いろんなチートがありますが,あらゆる意味で「チートする」ということは,「本当は飛べないハードルを飛んだことにする」ということと定義できます.
チートするぐらいなら,物事を簡単にする努力をしたほうがいいです.
よく混同されやすい「やさしさ」ですが,特に周囲の「優しさ」は,落下時のクッションなど,「飛べないハードルを飛んでみたが失敗した人」に対して必要なのであって,飛ぶためのルールはルールとして,どの分野においても後戻りのできないものです.
マンションで育つ子供に「ベランダから落ちたら痛いからね!」と言って聞かせるのと,
1メートルの高さから飛び降りてみさせるのと,どちらが安全に貢献できるでしょうか?
こんなたとえもあります.
[Slashdot]スウェーデンの父親、ビデオゲームをプレイしたがる子供たちに本物の戦争を見せるため、中東へ連れていく
本当に”世界最悪の父親”ってのは,子供をパチンコ屋の駐車場で殺すような親のことであって,こういうのは”いい父親”だと思います.
「あれやっちゃだめ,これやっちゃだめ」,「危ないから規制しよう」というブレーキが,本当の意味で子供たちを「弱く」していることもあります.

白井研究室はいろんな事をやらせてみる

次に「(2) 30%ルール,いろんなことをやってみよう」について.
たとえば鈴木君はパキスタン人と日本人のハーフです.小学校から高校ぐらいまで,パキスタンで教育を受けています.その分,いろんなことを知っていたり知らなかったりします.
それこそが,彼の強みです.
学力とか,勉学とか,受験難易度とか世の中にはいろいろな尺度がありますが,本当の意味で「学ぶ人」は,自分で学ぶ人,すなわち初めてのことをゼロから色々と試し,自分で獲得する人です.
鈴木君にかかわらず,白井研究室は「30%ルール」という指導方針をとっています.
メインは卒業のために必要な学位にかかわる研究です.
サブは就活や,研究になるかどうかわからないエマージングな活動や企業連携などのプロジェクトです.
3つ目の30%は「趣味プロ」と呼ばれる外部活動です.ゲームでも部活動でも映画鑑賞でも,趣味的な活動をどれぐらい極めている極めているか?メインやサブに比較してどれぐらい時間をかけているか,が重要です.
最後の10%が,Blogなどの発信活動です.チーム内の共有ドキュメント,wiki,日記でも構いません.知の共有にどれだけ貢献したか?する意識があるか?です.
「30%ルール」については,過去に「はたらくじん」というサイトで特集していただいたことがありますのでこちらもご参照.
一つのことを長い時間かけてやることも重要ですし,その合間の精神の変化,成長,隙間時間の使い方をいかに他者に任せず自分のものとするか?という方法論の獲得でもあります.
工学だけでもなく,芸術活動だけでもなく,ビジネスも,ボランティアも一通り経験させます.
先生っぽいこともやらせてみますし,言語も英語だけでなく,フランス語,中国語も簡体字・繁体字など,かかわる言語すべてにチャレンジします.
向いているか向いてないか,なんてことは本人が知っているはずもないですから,やってみなければわかりません.
この「いろいろやらせてみる」は次の「心の力」に関係してきます.

白井研究室は”心の力”を最大限に信じる

さいごに「(3) 『心の力』を最大限に信じる」ということ.
心の力以外信用しない,というと「なんか信用されていない」,みたいに聞こえるかもしれませんが,「やるやる詐欺」をさせないということです.
まず「いろいろやらせてみる」をやったうえで,
「学生なんだから,やりたくないことはやるな」とハッキリといいいます.
「好きなことだけやれ」と言っているように聞こえますが,実際にはそんなに甘いものではないと思います.
今の世の中で人間がやらなければならない物事は複雑です,一つのことを達成するためにいろいろなスキルが必要.
もしやりたくない事があるなら,
・やりたくなるように努力する
・好きになるまでやってみる
・嫌いだからさっさと終わらせる努力をする
・それをやらなくてもいい世界に行けるように努力する
これらのいずれかしかありませんよ,ということです.
大人にとってはあたりまえのことですが,その覚悟がない人が,大学生にはたくさんいます.
今の学生のほとんどは,便利で恵まれた平和な子供時代を過ごしています.
大学受験も,もちろん試験で入ってくる学生もいますが,そうでない方法で入ってくる学生もたくさんいます.そのような学生に対して区別も差別もありません.当たり前ですが.
企業の人が聞いたら驚くかもしれませんが,
学生からの努力,根性,強制に対する反発は大きいです.
大人が抑圧して,首に縄をかけて,指導できるようならば,もっと勉強もできるのかもしれないけど,まずは自分の能力を測ること測られることに対して慣れていません.
平和ですね.
やりたいことに対して,脱出したい世の中に対して,いかに垂直揚力を維持できるか?
維持できないなら,いかに短い時間で必要な出力を出せるか?
そういった偏屈なエネルギー源しか,いまの世の中は頼りにできるものはありません.
もちろん,先生の言うことをきちんと聞いて,咀嚼して,理解して,自分で進められるのであれば,何の苦労もないのですけど,そういう人はどうやって育つのか?ということは受験教育などで明らかになっており,「心のスイッチON!」などと呼ばれていますが,どこでその「心の力そのもの」が生まれるのか?については明らかになっていません.まるで「天然もののウナギ」です.
私の研究室の学生には,迫害されたり,不登校であったり,マイノリティであったり……といった学生が多く集まるように感じています.「暖かい海ではないところ」で育った学生が集まる風土があるのでしょうか.いずれにせよ,「挫折をしているけれども明るい学生」が多いです.

じゃあ白井は何を指導しているのか?

研究室での私の立ち位置は,「指輪物語におけるガンダルフ」でありたいと思います.
賢人であり,博識であり,魔法使いであり,タフガイであり,本気を出せば不可能を可能にするような強い力を持っています.
いつも旅に出ていて普通の人には滅多に会えない存在,でもガンダルフにはなれません.理想です.
同じ旅人ならスナフキンぐらいまで,軽やかに,皮肉を言っていたいところですが,そこまで軽やかな存在感ではないです.
実際の学生から見れば,私は「眠った時に出てくる小人さん」,つまりブラウニーぐらいの立ち位置でしょうか.
しかもけっこう隠れるのに失敗しています.
学生が何日も徹夜して書いた,こ汚い論文を一晩もかからずに清書してしまう,そんなことも起きますが,期待されては動きません.
いやなことはやらない,嫌々言いながらやることは速攻でやる.そういう難しいバランス感覚です.

そもそもこの分野の先生はどれぐらいプログラミングすべきなのか?

ところで,今回のSIGGRAPHでのDCAJパーティにて,Paul DebevecとNelson Maxにお会いしました.
PaulはSIGGRAPHのVice Presidentであり,Scritter初代を生んだ,長野君の現在の師です.映画「MATRIX」の超有名シーン,バレット撮影のもとになる技術を大学院1年生で発表した同世代の研究者.
Nelson Maxはつくば万博(1985年)・富士通パビリオンで「UNIVERSE」を作ったドーム3D映像のパイオニアです.この人がいなければ私は未来を見ていないバカガキで,CGにも転んでいないと思います.
そしてNelsonは最近,Pixarに勤めているそうです!すげえ,いま60歳超えてますよね….
そこでPaulがNelsonに「プログラムコード,自分で書いてるの?」って聞いてました.
Nelsonは「もちろん」って答えてました.Paulは「すごいね!僕は最近そんなでもない」と.
私の知る限り,Paulは昔から自分で書いてました,ドキュメントも.HDRShopの翻訳をNHK-ESにいたころにやっていましたが,「その人独特のコードの匂い」というものはあるものです.
まあでもPaulも時間があれば自分で書くだろうな,単に謙遜しているだけかも.
西海岸のCG研究者が偉いな,映画業界から信頼されているな,と思う点はこのへん.
CG研究者として生きている人がそのまま,その産業のコード戦士として戦えるレベルにあること.
だからこそ大きな金額を払うに値する価値がある仕事をするし,その責任は研究者自身が負う.
プログラミングしているうちは頭ボケないらしいので,自分も見習いたいです.

背中を見せて闘うことは大事だが,それだけでは学生は育たない

さて,話を学生の教育に戻します.
背中を見せることは大事ですが,最前線に立っても学生は育ちません.
ある程度,本人のハードルの高さを意識しつつ,100+1%の努力を常に期待しつつ,
本気出した時のクオリティが高く,芸術的で美しくあること,このあたりが大事だと思います.
また学生に示すべきマルチタレント性のその先,つまり難しさも示しています.
白井もつタレントはいくつかありますが,その多様性,エンジニアリングと作家性とジャーナリズム,発信能力などなど,これらは指導して身につくものではなく,「あくまで習慣」であり「生きざま」であり,才能そのものです.
職人としては単一技能であることが重要ですが,ことメディアの分野においては多様性・多才であり,かつそれらを自己管理できることは重要な能力の一つですから,それは背中で示さなければならないことです.
つまり,書き物も,プログラミングも,私は私でやりますし,学生は学生で並列でやります.
どっちが優れているかは,本気勝負です.
もし私が実装できて,学生が実装できないなら,それはしかたがない,学んでいただくしかない.
もし学生が実装できて,わたしがそれを理解できない,追従できないなら,私の学生は共有し,説明できる必要があります.
そう教育していますし,「30%ルールの残り10%」はそのために担保されているようなものです.
もし私が共著者として検証できないのであれば,共著者として不適切ですし,いずれチートを生むでしょう.

よいゲームマスターであること

さいごに,”学生には秘密”のもう一つのロールを書いておくと,
「先生はゲームマスターである」ということです.
「白井研究室」というロールプレイングゲームにはあるときはガンダルフ,ある時はブラウニーとして参加しています.
しかしながら,どんなダンジョンに遠征するか,どんなボスが現れるか?どんな苦難の上にどんな宝を手に入れるか?
といったゲームデザイン,レベルデザイン,バランス調整は緻密に行われています.
“ゲームオーバー”になって死んでもらっても困るからです.
本当の意味でのゲームオーバーは,卒業したときに迎えてもらいます.
卒業して数年したら,
「あのゲームは楽しかったです,先生」と振り返って酒でも酌み交わせればと思います.
まだそんな学生が現れていないのが残念ですけど.
SIGGRAPH 2014 バンクーバーより帰国の機中にて 白井暁彦