小保方さん、今後の科学報道の在り方さえも変えた研究者。

※3月10日にあまりにもセンセーショナルすぎる流れになってしまったので文末に加筆しました.


STAP細胞のNatureでの発表がセンセーショナルに世間を駆け巡った。

朝日新聞他、この研究者が女性である事や、少々変わった研究者である事に力点をおきすぎた報道をしており、一方で、こちらのように『その報道はおかしい』と正面切って批判する人もいる。

■「デート」「ファッション好き」革命的研究者の紹介に見る根深い新聞のおっさん思考
http://www.huffingtonpost.jp/hiroyuki-fujishiro/post_6779_b_4692746.html

私は商業媒体としてのWebやBlogでこの手の議論をするつもりは無い、当事者とは『研究者』という括り以外、何の接点も無い。むしろ細々と個人的にこの時代に起きた事、思った事をまとめて自分なりの視点で発信しているに他ならない(私に売文屋としての依頼をしたければ別の話題でお願いします)。

STAP細胞の発見は素晴らしいものである。

Twitter上でもいち早く褒めちぎらせていただいた。

『ノーベル賞間違いなし!』なんて賛辞は安っぽくて当てはめる気にもなれないが、それに値するインパクトの大きい研究である事は間違いない。

まずは本旨に入る前に、この『科学的インパクト』について考えてみると、一般的には2つのインパクトが重要であろう。以下、研究者にとっては「当たり前」のことではあるけれど、科学を伝える科学コミュニケーターとして、個人的なメモ以外に、世間に向けて筆を執る意味はここにあるのでしばし駄文を並べる。

まず一つ目が“研究分野の中でのインパクト”、これは成し遂げた事の大きさ、であるが、世間一般が想像するような「本人がものすごく頑張った」という評価軸でもなく、「ライバル研究者よりも先にやった」といったオリンピックのアスリートに見られるような競争でもない。たしかに競争的な意味合いはあるが、多く「競争しなければならないような科学」は科学の本質とは別の軸にいるように思う。企業の製品・サービス開発競争ならどんなライバルよりも早く市場にものを届けることも重要だけれども、科学の競争の場合には、その背景には大型の予算なり国の税金なりが投入されている例が多い。加速器の研究などは限られた予算の中で精度を上げることが重要であるし、そもそも目的の素粒子を発見できない検知器では見込みも低い。

のんびりしては、いられない。けれども、科学は本当に早さを求めているわけではない。

では、なぜ急ぐのか。

それは予算に限りがあり、
研究者には研究をする時間が限られているからである。

大学院生がなぜ、
毎日のように研究室に来なければならないのか?
それは卒業までの時間が限られているからである。

女性研究者がなぜ急がなければならないのか?
それは一般的には(男性研究者と違って)
結婚やら出産やら物理的に研究できない期間が存在するからである。

こういう書き方をするといきなり「セクハラだ」と言う人もいる。
我々人類のジェンダーとして、ハードウェアなりソフトウェアの仕様として仕方ないのだから、「物理的に研究できない」と表現するしかない。

しかし「社会的にどうにかなる」こともある。

私自身の例ではあるが、フランス時代に2人目の子供が生まれた。

あたりまえのように男性にも育休が与えられる。
育休をとっている間も、研究者であるから、365日24時間研究者である。
乳児育児しながら、在宅で論文書こうと思った。
思ったが……無理だった。両手も使えないし、脳も持っていかれるのだ。

私は「なぜ子供を産む前にこの論文書き終わっておかなかったのだ!」とか、
「なぜ両手が使えなくてもPC操作できるインタフェースを開発しておかなかったのだ!」とか、
過去の自分を恨んでみるが、後の祭りだった。

さらに加えて言えば、破水・緊急出産で”ちょっとした未熟児”で生まれてきた息子は、NICUにも入れてもらえず、早速に高熱を出し、育休ぐらいでは足りない状況。入退院を繰り返しつつも授乳に関しては、生まれながらの飢餓感からか、どうにも腹が減るようで、30分に1度の哺乳を希望する問題児であった。

この赤ん坊、ハードウェアはまあかわいらしく、OSは自分そっくりな少年に育ったので、これもまあよい。

さて話を戻すと「急がずに研究できる」という人物は存在し得るのであろうか。

学生はすでに述べた通り、卒業までの時間がない。
さらには最も研究できるであろうポスドクが、いちばん就職活動のことばかり考えていなければならないポストである。

皮肉なことに、
テニュアトラックで定年までクビになることがない大学教授以外は「研究はいつでも出来るものではない」。
ということになる。

もちろん大学教授だって、優秀な学生が在学中に一定の成果にたどり着きたい、だからこそ学生を急がせるのだろう。
「キミ以外の代わり」になるような学生は存在し得ないから、仕方ないのだ。

さて話を本筋に戻そう。

“研究分野の中でのインパクト”とは何なのか。

簡単にいえば、「他の研究者への影響」であろう。わかりやすい例では「将来にわたって引用され続ける重要な論文」であり、これはImpact Factorのように有名な科学雑誌に掲載されることでカウントされる(今回の「Natureに掲載」というニュースはまさにこの権威視点でニュースになったというわけだ)。また最近否定されつつもわかりやすい指標としてはh-indexなどの論文被引用件数という指標ではかる事ができる。一方で、「その測定器なくしては発見し得ない」など「将来の科学者への貢献」も無視できない。いってしまえば、本当のインパクトのある研究とは、「未来」なのであって、現在のライバル研究者との競争といった過去〜現在の研究者へのインパクトなどというものは無力化されるほどの意味がある必要がある。研究分野そのものを再定義するような研究だ。

もう一つのインパクトは“社会への影響”であろう。

『社会へのインパクト』とは、その効果、幅広さ、そして人類そのものの歴史への貢献とでも表現できるだろうか。科学以外の産業への影響も大きい。例えばノーベル自身はダイナマイトの発明で財を成したのであるが、大量虐殺の兵器を発明した人物として死後の偉業を扱われたくないためにノーベル賞を遺書に書き残した。研究がどんなに専門家にとって素晴らしくても、使い手やその技術の影響が一般市民であれば、社会へのインパクトのほうが重要である。さらに平和や人間の幸福を考えれば、その受賞者を技術のみに制限する理由もないだろう。

しかしこの「社会への影響」とは、間違っても「面白い人物でインパクトがある」ということではない。

世間一般から見た日本のノーベル賞受賞級の科学者は「面白い人物でインパクトがある」と勘違いされている節がある。白川先生や田中先生など、日本の優秀な科学者はセレンディピティの能力が高い。普通の事を普通の事として見落とさない、多様性と一定の競争原理のもとで生き延びた「セレンディピティの国」から来た研究者なのである。しかしこれも日本の研究者としては「当たり前のこと」なのである。

言ってしまえば「デートのときにも研究の事を考えています」なんて、
研究者においては「当たり前の事」でしかない。

こっち方面の研究者にとってみれば「デート!それこそ研究のネタの宝庫」なのであるから。

一般的な研究者としては、むしろ「24時間365日研究者なのにデートしてる時間あるのすごいです」とか、「実験用マウスかっ捌くときにも割烹着なんですよね?」とか、「何で研究室には女性スタッフしかいないんですか?」とか「その壁紙はどこの研究費で…」とか色々突っ込みたいことは多い。それはむしろ、研究者としてのキャリアやマネジメントについての話であり、今回Natureに採択された論文に書かれた科学とは全くと言っていいほど関係がないし、研究者によるそういうBlogエントリーも見かけるので私が特に変わっている視点というわけではないのだろう。マスコミがそう扱いたくなる”何か”があったのかもしれない。

小保方さんは、報道されている情報や経歴を見る限り、どう見ても生物系でもウェットの研究者なので、黄色やピンクの壁紙やスナフキンのカッティングシートにすると研究成果が上がる、試験体の生育が良くなる、集中力が上がる、優秀な人材が集まる、ということも直感的・経験的に発見されているのかもしれない。

もしそうなのであれば、他の研究グループのリーダーや研究予算管理者も考え方をあらためたほうがいいかもしれない。それすらも信念と自腹でやっているというのであれば、本当に涙ぐましい努力と信念なんだなあ、と思う(壁紙は研究費、スナフキンは自費というところだろうか?)。

逆にマネジメントとして、理研の上司が「いいからいいから、壁紙なんて大して値段かわんないでしょ、好きな色にしなよ」って言ってくれているのであれば、マスコミはそこをちゃんと扱うべきだと思う。

もし本当にそうなのだとすれば、小保方さんやその指導者の(A)そういう論文も読みたい。どうだろう?それでこそマスコミや世間の興味が「本人にとってどうでもいい、研究の邪魔」にしかなってないことがわかるのではないか。

Q: 下線部(A)そういう論文とはどのような論文だろうか?具体的な学会名をあげて述べなさい(回答不要)

今回のような、やれリケジョだのデートだの買い物だのペットの亀だのスッポンだの、といった報道の仕方は、マスコミ側に科学の中身の理解が足りない証拠でしかない。ご本人も予想外の反応に普段の天然っぷりがそのまま出てしまっただけなのかもしれない(「普通ですよ」と言い張るのが逆に不安になる)。理研の報道担当者も、ちょっとボタンの掛け違いをしているのではないだろうか。女性研究者をこのように扱う事が、はたして男女共同平等なり男女共同参画社会なりに一致する扱い方なのだろうか?ちなみに男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のことである。予算や教員募集に書かれているような「女性研究者に優遇します」というシステムの事ではないし、「女性であることを売りにする」ということでもないはずなのである。文化的に、社会的に均等に利益と責任を享受できているのか、どうか、男性研究者も女性研究者も、それを扱う人々も、まじめに考えなおさなければならない。

そもそも、研究者が研究内容以外で有名になる事に何の利益もない。

予算が増える?応援してもらえる?そんな外野は研究の邪魔になる事この上ない。

仮にそうだとしても、プライベートなささやかな幸せ、たとえば結婚とか出産とかだって、研究者が研究以外で、踏みにじられる事はあっても、嬉しいことが起きる可能性はまず、ない

そんな筆を執っていたら、ついにご本人からメッセージが発せられた。以下引用。

http://www.cdb.riken.jp/crp/news2014.1.31_2.html

Jan. 31, 2014
報道関係者の皆様へのお願い
STAP細胞研究はやっとスタートラインに立てたところであり、世界に発表をしたこの瞬間から世界との競争も始まりました。今こそ更なる発展を目指し研究に集中すべき時であると感じております。

しかし、研究発表に関する記者会見以降、研究成果に関係のない報道が一人歩きしてしまい、研究活動に支障が出ている状況です。また、小保方本人やその親族のプライバシーに関わる取材が過熱し、お世話になってきた知人・友人をはじめ、近隣にお住いの方々にまでご迷惑が及び大変心苦しい毎日を送っております。真実でない報道もあり、その対応に翻弄され、研究を遂行することが困難な状況になってしまいました。報道関係の方々におかれましては、どうか今がSTAP細胞研究の今後の発展にとって非常に大事な時期であることをご理解いただけますよう、心よりお願い申し上げます。

STAP細胞研究の発展に向けた研究活動を長い目で見守っていただけますようよろしくお願いいたします。

2014年1月31日
小保方 晴子

立派である。その通りである。過熱報道が飛び火しないうちにさっさと公式ブログに掲載するあたりが素晴らしい。ここを所属機関の広報などに任せても良いことは全くない。

研究者としての幸せというものは、単に「国民の期待に応えること」ではないのかもしれない。残念ながら。

(研究所の広報としては、国の税金に対して成果を見せる、というミッションがあるにしても、今回のような方向性は誰にとっても利益がない)

国の研究所で思う存分、研究が出来ること、これが一番幸せなのだ。

(だからお願いだから、所属機関の広報は、研究者を客寄せパンダや珍獣扱いして中途半端な方法で表に出さないで欲しい、研究の邪魔にしかならない)

Natureに採択されること。

これは自然科学に関わる研究者にとっては、夢であり頂点であり通過点だろう。

家族や大事な人、研究室のスタッフとケーキを買ってお祝いするぐらいの目出たい出来事だ。

というか、多くの研究者がその程度のお祝いだ。下手すると、奥さんにも理解してもらえないのだから。

今回のように、件数も内容も素晴らしい、ノーベル賞も取れる可能性が高い、しかしそのような研究を生み出した天然物の天才科学者をマスコミを集めて大騒ぎするような事態のほうが異常だ。この国の科学リテラシーは高いのか低いのか本当にわからない。科学技術は進んでいるが、人間性は大変野蛮で幼稚な国民性なのではないだろうか。

ちなみに私のようにちょっぴり有名になってテレビや新聞、書店などで顔が出ているだけで、講義だろうがゼミだろうが昼間っから電話は鳴りっぱなしだし、
公共交通機関やコンビニや自治会や運動会の席順並んだり、お神輿担いでいる時にも名前も知らない近所の人に「見ましたよ~」とか言われる。
さらにいうと、電車の中でお年寄りに席を譲ったりした時に「あれっどこかでお見かけしたことがある…」とか言われるとドキッする。
私は機転も利くし演技もできるしTPOもわきまえているほうなので、うまくかわしたりファンサービスしたりもできるけれど、私の家族にそれが出来るかというと不安になる。
しまいには「白井先生はいつも居ない、本当に研究しているのか」とか産学連携や経理担当者などに言われたりするとガッカリする。

もう一言だけ加えておくと、この手の経理担当者は「この学生さんのバイト代なのですが、土曜や日曜日、深夜などは働いていらっしゃったのでしょうか?先生はそれを管理できるのでしょうか?」などと喧嘩腰でご連絡いただいたりする。もちろんご本人が疑念を抱いているというより、監査担当者がそのようなカレンダーや定時で物事を考えているから、我々土日だろうが深夜早朝だろうが、実験や展示で埃まみれ泥まみれ汗まみれになっている学生や教員、研究者のことなど想像もつかないのだろう。バイト代がもらえる学生さんはいいじゃないか、私なんて固定給だから時給に直すと本当に泣けてくるよ。

けんきゅうしゃ、いちねん365にち 24じかん じきゅうじそく

このような句を詠んでじっと手を見てもしかたないが、
時々電卓を叩くと私の時給は1000円を切っている可能性がある。
怖いからそんな計算はしないのだが。奥さんや子供には知られたくない事実である。
労働基準監督署とかにも知られるとマズいのかもしれないので、タイムカードが押せない。

誰かもっと給料の良い職に付けてください、もしくは仕事量を減らしてください。笑えない。

さて、そんな私の小市民的な注目とは別に、科学に関わるものとしては、マスコミや関連研究分野の研究者は今回の記者会見の中で語られた

「あなたは、過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄(ぐろう)しているというふうに、返事をいただきました」という体験にこそ注目をすべきなのだと思う。
なぜこのような大発見、大チャレンジが今の今まで注目を浴びてこなかったのか。
それは先端の科学を扱う専門家集団の中にも保守派がいて、センセーショナルなマイノリティに対して攻撃的になる、ということでもあるのだ。

以下個人的な回想であるが、私も、ゲーム産業から東工大の博士に戻った最初の論文投稿で、とある学会のとある査読者から、山のような重箱の隅コメントの一部に、「この論文の著者はまともな教育を受けていない」と評されたことがあったことを覚えている。


こんな話、「今となってはどうでもいいこと」と扱っても良いかもしれない。

でも、今回の小保方さんの報道を見て、いろいろなことがフラッシュバックしてしまった。

論文を書いたことがある人であればわかるかもしれないが、世の中にはさまざまな「論文」があるが、なかでも、トランザクションとかジャーナルと呼ばれる学会の査読は、見ず知らずの査読者(関連分野・近しい分野の研究者)が学会から依頼され、名前を隠して忙しい合間を縫って、著者の書いた論文を読み、評価をし、改善点や各学会の基準に即した科学的立証性などを指摘していく。著者はそれに対して修正を行い、再査読となる。

この著者と査読者の関係に、まず信頼関係構築ではなく「遠慮なく攻撃的な事を書く学会」がある。

むしろこの行為こそが科学や工学であると主張される学会の文化もある。

いわゆる「学会に復讐してやる!!」という”聖なる復讐心”が芽生える瞬間である。
この「復讐してやる!!」がセレンディピティであったり、世界征服であったり、単に「復讐ではなく復習」につながったりしている。ざっくりと世の中の科学というものの半分ぐらいはこれで成り立っているのかもしれない。

しかし、査読者の瑣末な指摘は理解できても、なぜそんな攻撃的な手法を取らねばならないのかは結局わからないことが多い。

まず、純真な著者視点では、査読者個々のパーソナリティなり、指導方針なり、インターフェースなりが問題であり「学会」という集合体を評価するわけにはならないべきであるが、
「そもそもこんな野蛮な査読者をあてがった学会が憎い」と短絡的に考える著者もいる。

また査読者から著者へのジェラシーのようなものが見え隠れすることもある。
査読者の指摘項目を全て満たしても、全く面白い論文にはならない例もある。なる例もある。
まるで自分の研究室の大学院生のような扱いで条件付きの「条件」に追加実験をしれっと書いてくる例もある。

こんな査読者の知的探求心につきあっている場合じゃない!そう考えることもあるだろう、しかし、

そもそも本質的に査読者は著者を超えることはない。と考えてみてはいかがだろうか。

先人の言うことを聞いて欲しいから査読者は強い口調で向かってくる……それぐらいで考えておけば良いのではないだろうか。

ちなみにその「野蛮な査読者」の査読ぶりのおかげで若い研究者の卵がゆがんで育つ事もある。
例えばこちら:

『ニコニコメガネ』開発者が学生に説く、マイノリティが世界を変えるための戦略【連載:匠たちの視点-白井暁彦】

http://engineer.typemag.jp/article/takumi-shirai

研究者という生き物は「マイノリティ」なのである。そうでなければ研究は成立しない。メジャーでも常識的である必要もない。大衆迎合主義である必要などない。

もちろん信頼感や人間性はあった方がいいし、税金使っている研究ならアウトリーチ活動も大事だろう。

ほとんどの研究者は、世間的な注目のために働いているのではない。

論文の信頼性を高めるたびに日々、実験を行い、尊い犠牲のもとに成り立っている。

だからこそ、論文を書くスピードは早くて確実である必要がある。

のんびりしているうちに、真実は風化してしまうのだ。

常識的でないことをやるからには、常識的でないスピードで、常識を上回っていく必要がある。

STAP細胞、小保方さんをはじめとする研究グループは、今後、大変な戦いの中に身を置くことになるのだろう。
それは「ライバル研究者」などという「仮想の敵」ではない。自らが生み出した『社会そのものへの影響』との戦いが大きい。

まずはiPSやES細胞といった先陣の研究者たち。STAP細胞が否定されてきた100年の歴史を背景に様々なデータを突きつけていくことだろう。それはもしかすると日本国内や過去の恩師や同僚、同じ学会といった距離感で繰り広げられる可能性すらある。世間マスコミはそれを「専門家の学芸会」として扱ってはいけない。本当に大切なことを見落としてきたのは、他でもない専門家なのだから。理研やJST方面の賢い方は、ぜひとも解決方法を探っていただきたい。次に、倫理問題。iPSとES細胞の大きな差は他人の胚を使うかどうか、という点だった。iPSとSTAPの違いはそれまでの「生命の尊厳」に関わる受精や発生から、「ただのリンパ球からクローンが作れるかもしれない」というところまで一気に飛躍する可能性がある。私はこの種の倫理の専門家ではないので、あえて「たぶんいい加減なこと」を言っているのだが、その「倫理の専門家」のメインフィールドすら消滅するインパクトがある。その専門家たちがSTAPにどんなイチャモンをつけてくるのか、興味を超えて戦々恐々である。さらにiPS方面の投資によって大量に生まれたポスト、研究者や研究補助員たち。私も私も、とSTAP小保方グループに集まってくるのだろうか。私だったらそんな研究者にはこのようなガッツの要る研究は任せられないと思う。まずは家族全員引き連れて、海外の研究室に身を置きたくなると思う。スタッフに女性ばかりいるのも、割烹着を着ているのも、そういった「信用ならん連中」が多いからなのかもしれないと邪推する。ちなみに私は「白衣必要ないのに真っ白な白衣を着ている科学者」を全く信用していない。私も白衣を着るが、写真の暗室のために着る。そしてそれは現像液と定着液で真っ黒に汚れる。同様にウェットの研究者は血にまみれる。必要だからそれを着る必要があるのであり、スタイルではなく、決意や覚悟に値する。山のような失敗、屍なのか肉塊なのかわからない血みどろのマウスを見つめながら、スナフキンに向かってため息をつく服は、彼女に取ってそれは白衣ではなく、割烹着なのだろう。

最後に、私がもし、理研のプレスリリースに呼ばれた科学部の記者だったとしたら、やはり、おっさんくさい「女性研究者」という性格をうまくつかった記事にしてしまったかもしれないことを白状しておく。
それは、記者自身が(この研究のインパクトをわかっていたとしても)、人間性を描写したくなってしまったからであり、それぐらい回りくどい話をしないかぎり、この「100年の細胞生物学の愚弄」を表現できなかったのではないかと感じるからである。

小保方さんの研究成果は、今後の科学報道の在り方にすら、影響を与えたのだ。
理研の広報担当は「わかりやすく発信すればそれで良い」という路線以外に、新しい科学報道の方向性を開発すべきなのだろう。
そして国の研究支援機関も、従来の助成金事業ではない方法で、法整備や情報管理など本質的に研究を推進する方法を考えるべきだろう。

大学受験シーズンのまっただ中、バイオ系を受験する女子学生たちに心の中でエールを送りつつ、小保方さんのように世間のおっさんたちのステレオタイプには負けない、頑固でスピードが早く、華のある、そういったマイノリティが世界を変えるような研究者がこれからも沢山出てきてほしいと思う。

多くの理系女子はなぜ、生物を選択するのか。その先にどんな人生があるのか。
そんな素朴な疑問の出口すら、小保方さんの研究は光を投げかけている。
自然科学の研究に没頭する人々が、社会と自分を幸せにする方法は、何であるか。

そして日本の世の中が、このようなマイノリティの価値を認めて、多様性と競争の中に、絶滅危惧種の珍獣の扱い方を早く見つけてほしいと切に願いつつ、久々の5000文字超えのblogエントリーの筆を置く。

【推敲しました】2014/2/2 14:52

【再推敲しました】2014/2/2 17:44

【とある先生からご指摘を受けて大幅改訂】2014/2/4 4:12

【さらにお見苦しいところをエンタテイメント性を向上】 2014/2/6 18:22

追記。

このように、「社会的インパクト」がある作文を書くと、色々な方からいろいろなご指摘を頂く。これ自身がこの問題の一角を表しているのかもしれないし、私は叩かれようが炎上しようが、もっともっと良くなるように努力するしかない。けれど、もう10000字を超えたので、この話については、次の書籍にでも書いた方がいいのかもしれないと思う。出版したいまともな出版社がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

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2014/3/10加筆

「報道の在り方を変えた」という意味ではこのBlogの主旨は変わっていない.

世間は必要以上に小保方さんを攻撃する必要はないと思う.
チートをした研究者,倫理的に道を踏み外した研究者という存在はその時点で職を失い,将来を失い,社会的信頼も失う.つまり十分な戒めをこの時点で受けるのだから.罪を憎んでも人を憎んではいけない.
あまり責めすぎて自殺されても困る.生きて,生き恥をさらす事で,科学に対して再度挑戦する機会を与えるしかない.

研究者としてではない,町の科学者の一角として生きれば良いのである.
塾の先生でも,何でもいい.
研究者としては,難しいだろうな,理研で首が飛ぶ人は一人では済まないだろう.ユニットリーダーに推した人,小保方さんの下にいた研究者,スタッフ,広報の人など.
もちろん,そのようなカテゴリの人物に「誤りがないとは言えない」ということは皆さん想像できる事だろう.
生きる事を許されていないわけではない.

ウソをウソで塗り固めて生きる事ほど辛い事はないだろう.そちらの方が自殺に値する.

先端科学におけるセンセーショナルな話題,つまりNatureに論文が載る,ノーベル賞をもらう,といった話題はまさにそれだけの高みである事を市民,マスコミ,研究者は再認識すべき.

名前を変えて研究者として生き延びるという方法もあるが,それもいいかもしれない.
しかしそれは小保方さんが研究していたイモリの再生そのものではないか.皮肉にもならない.