期末試験監督中

今日明日は期末試験です。
午前中2時間、午後4時間×2日。
バーチャルリアリティに関するものすごい量の試験が出ています。

ちなみにフランスの映画で「ザ・カンニング IQ=0」というバカロレアをテーマにしたコメディがありましたが(原題は「Les Sous-Doues」=才能なし)、フランス語でカンニングとは「tricherie」といいます。
まあ、計算問題とか、論述問題がほとんどなので、カンニングペーパー(note pour tricher aux examens, pompe, antiseche)などが役に立つわけではないですね。
というわけで座って紙を配ったり、タイムキーパーをしたりしながら、ネットワークの整備やサーバー管理などしてたりします。
というか寒いしこの木の椅子は尻が痛い…。
サラも調子悪いし、早く帰りたいなあ…。

「滑り台の順番」は守る必要があるのかどうか-社会性の獲得過程における父親の役割に関する考察と補足

ご大層なタイトルがついてますが、元ネタはこちら(mixi内) です。

以下、自分の投稿とまとめの一部引用です。

私自身はフランスに住んでいて、そこで日本人の息子を育てているわけなのですが、フランスの教育にはここ十数年「戦わない・争わない・比較しない」という習慣が身についているようで、幼稚園に試験もありませんし、かけっこや競争のようなものもありません。
先を争って滑り台をすべるとか、整列しないほうが悪い、というのはかなり土地に依存した状況なのではないかと感じます。
先日、息子と日本に帰った際、都会のデパートの玩具店にある滑り台であそばせてみましたが、日本の子供の遊ぶペースは明らかにフランスの子供よりも高速です。急ぎすぎな気がします。
あまりに周囲が急ぎすぎるので、階段を上る過程を楽しんだり、という状況ではなくなってしまいます。
冷静に見ると、一つの滑り台に対する子供の数が違いすぎるようにも思います。安全に快適に遊ぶためには、1つの滑り台に対して、大きさと年齢にもよりますがせいぜい、2-3組の子供が適正なのではないかと思います。
さて規則についてですが、フランスの教育環境にも規則はたくさんあります。親がわたされる連絡ノートには、それこそ日本の幼稚園よりも細かい規則がたくさん書かれています。またそれを必ずしも厳密に守らない親もたくさんいます。
たとえば、幼稚園の前の道路は「そもそも車両進入禁止なので事故があっても保険は適用されない」という記述があります。
しかし、便宜上、多くの親御さんが学校の前まで車で乗り付けてきます。朝の忙しい時期で、その後会社に行く人も多いわけですから、かなりあわてていて危険です。うちは車がないので歩いて通わせているわけですが、息子は友達の姿など見えると駆け出しますので、ちょっと緊張感があります。
だからといって守らない親を指差して「あいつは悪いやつだ」と教えてもしょうがないです。
クラスに入ればそれは息子の友達の親ですし、運転者からすれば、自己責任においてルールを犯しているので、逆に安全性については気を使っているという主張です。またそもそも細かい規則をキリキリ守るというストレスを指摘されます。似たようなことは「歩行者が信号を守るか」ということにも挙げられます。歩行者が赤信号でも普通に道路を横断する国では、車は「あの歩行者は渡るかもしれない」とおもって運転するわけです。
まあ、こういうことはお国柄とか、その土地の環境によってずいぶん違うものだということを言いたいのです。
余談ですが、日本の男の子は仮面ライダーやウルトラマンのおかげか、時に勧善懲悪の倫理観が過ぎるように感じます。だからといって悪いことをする人が減るわけでもないのがふしぎなところですが。
一生同じ土地、さらに同じような人々に囲まれて生きるのであれば、特に問題はないと思いますが、厳密なルールの尊守を前提とする社会と、そうではない社会を行き来するような家庭は日本国内でもよくあるとおもいます(例えば休暇のときは地方の実家を訪問するとか)。
社会性を身につけていく過程で、逆に「順番を守れない」など、異文化の風習を目の当たりにして「私と違う」「私の親と違う」といって、ひとりストレスをかみ締めている子供を見かけると、ちょっとかわいそうになることがあります。
真面目で素直な子供が小学校の2年生ぐらいから突然、「友達と仲良く遊ぶ」という簡単なルールだけで、親が知らないうちに、グイグイと悪いことの魅力に引き込まれていく様なども見かけることがあります。
ルールを守ることは大切ですし、家庭内でしか出来ない教育も多々あります。
しかし、「自分の与えられた常識が、すべての常識ではない」ということも、知っていなければ、効率よく快適に遊ぶことは出来ても、本当に一緒に遊ぶ友達のことを理解したことにはならないでしょう。
ちなみにこれは大人の社会でも全く同じことがいえるでしょう。社会性を身につけるとは、必ずしも、共同で軍隊のような規律正しい行動が行なえること、だけではないはずです。パパ・ママ・わたし、以外のコミュニケーションの関係が、さまざまな人やクラスに繋がっていく理解でもあるので、「滑り台で遊ぶ子供は全部自分と同じ」と思いこむのも、それに裏切られながら社会の多様性を学ぶのも、また学習の過程なのではないかと思います。
まあ特殊な例かもしれませんが、付記させていただきました。

実際にどのような学習をしていくのか、楽しみであり不安でもありますが、

こうやってまとめて書いておくことは大事でしょうねえ。

学生脅してみた

困った学生は幾つかいるんだが、そのなかでも調子ばかり良くて働かない留学生(留学生=フランス国外からの学生)がいる。
フランス人のとある馬鹿学生は本当に頭がおかしいっぽいので、無視することにしたんだが、こういうのに付き合っていると時間と機材ばかり持っていかれて、結果が返ってこない、という困った状態になることがある。
しかも彼らの教育としてやっているなら別に何もこまりゃしないのだが、こっちはSIGGRAPHという戦いの場で世界中の研究者の上を行くような投稿をこの環境から叩きださないといけないので、腐った学生を戦力に数えることでのリスクというのは計り知れない。
ま、学生としても別に研究者の荒波に揉まれた上で「博士に行きたい」とかのたまっている訳ではない(というかそれを知っていたら、普通の人間なら博士に行きたいなど言わない)だろうから、事の重大さがわかってなくて当然である。
というわけで、押しても引いてもだめな学生を「脅してみる」というのは、愛ある行為なのではないかと思う。
以下、彼へのメールの日本語訳。

××くん、
貸した機材だけど明日は忘れず返してね。
そう、休みの間の進捗について見ることは出来るかな?
あと、知ってる?
フランス人の先生って、あんまり沢山言わないけど、学生が勤勉でないとある日突然全てをカットするんだよ。
もう、そういう学生見てきてて。
(私は彼のこと沢山助けたんだけど、先生が奨学金止めてしまって、彼は国に帰らないといけなくなったんだ…)
気をつけてね、じゃまた明日。

ウソではない(詳しくは過去のBlogを参照)。
ま、これだけ具体的に言っても彼の就学態度(ちなみに授業もよく遅れてくる)が向上しなかったら、本当に切る。
無論、私が彼らの奨学金を止めたりは出来ないんだが、私が彼を見放すと、必然的に彼は「何もやることがない人」になり、論文どころか研究も出来ないし(そもそも研究の基礎からどうにか学ばないといけないレベル)、さらにいうと教授から私に指導権を譲られているという時点で、彼らは「後がない」と言うことである。
(フランスの先生は自分の手に負えないor性に合わない学生を他人に任せる風習があるようだ)
まあ「外人差別だ!」と叫ぶなら叫んだらいいと思う。
私も含めて、この国に着たばかりの留学生というのはそうやって首の皮一枚で誰かに息の根を握られているという状態がしばらく続くのだ。
もちろん残ってがんばれる学生は、他にもアビリティやコネクションがあるから生きていける、というわけだけど。
がんばれ学生。
お願いだからちゃんと働いてくれ。

幼小一貫教育

「幼稚園から義務教育、延長幅1~2年…政府・与党方針」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060101it02.htm?from=top
「幼少」ではなくて、幼稚園と小学校の義務教育化が議論されている。
「小一問題」ってはじめてきいたけど、調べてみたらけっこう沢山ヒットする。
いわゆる学習障害とか学級崩壊と関連のあるテーマなのかもしれん。
調べてみると単なる学校の教授能力や環境不適応による学習障害だけではなくて、親と子供を取り囲む環境の違いも小一問題と呼ぶらしい。
働くお母さんにとっては、幼稚園と小学校の負荷差は大きく、子供に学習や意識付けにそのしわ寄せが来ている、ということか。
まあ、フランスはもとから2−3歳の年少から無料で学校にいけるし、義務教育化も5歳から、という「ゆとり教育」な分だけ、時間をかける国なのですが、日本の場合はどうなんだろうなあ、幼稚園を義務教育化するのはここ数年の教育政策のなかではまともな視点なのかもしれないけど、いざ施行に移すと、ゆがんでしまうのはなぜなんだろう。
という意味ではやはり、幼児初等教育の中身そのものにもメスを入れていかないといけないようにもおもう。ちなみにフランスでは読み書きやお返事よりも、団体行動が上手に出来ることのほうが重点を置かれているように感じる(詳細は全て先生が握っているので親は立ち入れない)。
3歳は体を動かしたり、道具を使ったり、団体で行動できるだけで楽しい、4歳になると社会的な行動ができるようになる。友達が買ってもらったゲームソフトがうらやましくて、ゲームを始めるのもこの頃。あとはごっこ遊びなど、仮定のルールに基づく遊びも。5歳になると今度は年少の子供を連れたり、教えたりといったことが出来るようになる。しかし、また小学生になると、突然年少に逆戻りしてしまう、という話はよく聞く。
結局のところ、慣れ親しんだ環境と、今までとは格段に違ったタスクを与えられるから、勝手が違ってしまうんだろうな、と安易に推測。
幼稚園の義務教育化で小学校お受験とか、幼稚園受験(3歳児から!?)が過度にならないといいんだが。
まあ最近この手の「お受験教育」について、考え方が変わってきたんだが、やりたい親はやったらいいんだよな、と思う。幼少期に過度なトレーニングを施すことはそれなりのリスクがあるし、長い目で見た思考の柔軟性や、親子の関係に問題を残すことは真っ当な親であれば判るはず。だからといって、学級崩壊が激しい公立校で勉強ができないだろうと考えるのが普通の親なのかもしれないけど、皆がそうやって公立校を蔑んでいったら、良くなるものも良くならないよな。親同士だって。
むしろ関係者は「義務教育改革の一環」と考えて、「私立よりも高クオリティな初等教育」を目指してもらいたいものだと思う。だって少子化だし。公立幼稚園がクオリティをあげられない理由で「お金以外のもの」があるのだろうか?まあ小学校がつぶげるような過疎地域ではまた別の問題もあるかもしれないが。

「GLUTによるOpenGL入門」

TeXタグの調べ物をしていたら、なぜか偶然、紹介すべき本を見つけたので紹介します。

「GLUTによるOpenGL入門」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777511340/

和歌山大学の床井先生による講義サイト”GLUTによる「手抜き」OpenGL入門”の書籍化。GLUTは歴史も深く、OpenGLをつかったリアルタイム3DCGアプリケーション開発の基本となるライブラリなのですが、さすがに大学3年生の演習のために書かれただけあって、プログラミングの「初心者でも失敗しないで成功体験が得られる」という良いチュートリアルになっています。

こちらが本家のサイトです。

GLUTによる「手抜き」OpenGL入門
http://www.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/opengl/libglut.html
ちなみに全然「手抜き」じゃありません。

講義と学生に対する「愛」を感じます。

がんばれ床井先生。

幻に終わるWAO大学院大学

ワオ・コーポレーション、WAO大学院大学の設立中止
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20091826,00.htm?ref=rss

わお!もTACにつづき、映像系ついに不成就出現。
どこかの先生が強く反対したというよりも、そもそも認可条件にあってないってことなんですかねえ。

専門学校名大学院大学については前回ちゃんと書いたのでこれ以上のコメントはないです。
http://ameblo.jp/akihiko/entry-10006199836.html

大学院修士取得後、行きたくなるような学校だったらいいのになあ、とか。

教育は楽しい

さっきのエントリーで毒吐いたばかりでなんだけど、
修士課程の教育は楽しい。
毎週水曜日はグループ制作の日である。
まあ誰かが監督してるわけじゃないんだけど、朝もはよから20人超の学生があつまって、あれやこれやと企画を練ったりプロトタイプを作ったりしている。
特に責務があるわけじゃないのだが、学生の雰囲気は嫌いではないし、せっかくプロがここにいるので水曜日だけは教室のすみで仕事をすることにしている。
今日の午前は3名の学生がやってきた。
フランス語の企画書を読んで指導してみたり、
コンピュータビジョンの相談を受けたり、
博士進学予定学生の「研究のはじめかた」など。
特に企画書は読むのに時間がかかるから大変。
もちろん自分のフランス語の勉強にはなるんだがそれを味わっている暇はないので、バリバリと読んで、日本や英国のゲーム業界、それからSIGGRAPH、IVRCなどで培った「企画書の書き方」を指導していく。
日本のゲーム会社就職のための企画書の書き方、というのは高競争率なだけに、その企画書のフォーマット(お作法、スタイル)は洗練されている。しかも内定とった学生というのはなかなか外にノウハウを出さないのでそういう本も出てこない(まあ自分もそうだけど…)。
しかしこの手の本は書いたら売れそうだなあ…英語版も出したら…誰か共著しませんか、というぐらい。
ちなみに自分の研究所のコースだけならともかく、最近はどういうわけか近隣の大学から声がかかる。
今週末はESIEAで「日仏エンジニアリング比較論」をVRを通して語ることに。まあこれは私じゃないと無理かも。
さ来週末はナントのデザイン学校で講演をすることになった。
http://www.lecolededesign.com/
調べてみるとナントは実は日帰り圏だった。さすがにサッカー見て帰るような電車はないけど。
メディアテクノロジーを使った新デザインというのは、実はデコレーション好きのフランス人にしてみれば、未知なる新大陸なのかもしれない。
私自身、自分の知識と経験が生かせる期待で胸いっぱい。

大学改革

Yahooニュースより
■<東京大>学業優秀なら行きたい学部へ 来年度から
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051116-00000025-mai-soci
成績がよければ基礎教養やってなくても医学博士になれる、という話ではない、人生の可能性を生かすための方策として正しく運用されれば良いのだが。
逆に「東大の法学部じゃないとできない!」というような進路についてどうなっていくんだろうという疑問もあるが、それはそれで生き残っていくんだろうな、東大だから。
■TACが設置申請取り下げ 会計の専門職大学院
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051005-00000255-kyodo-soci
前から気になってたんだが、専門学校を母体にした大学院大学って、本質を取り違えてるような気がする。
・講師陣がそもそも魅力に欠けている
 修士、博士の教育を受けたことがない講師陣でどうやって修士博士を教育するのか、小一時間問い詰めたい。
 それを補う経験があるというのは良いが、そういう先生が大多数でどうやって論文指導するのか。成功経験だけで何でも解決するのが専門教育なのか。
・文科省への申請書類のお作法が駄目
 本当に国に認可してもらおうと思ったら、この手のお作法は内実ともにしっかりしてなければ駄目なのに「やっぱり」といわれてしまうクオリティだったりする。
・カリキュラムが詰め込み型
 専門学校じゃないんだから短期間に単位詰め込むなよ、という現実がわかってない人が設計したカリキュラム。研究はおまけ程度、試験に受かる、偉い人の話が聞ける、あとは課題がどっちゃり、というschool=スコレー(暇)ではなく、ある種の監獄的強制労働。
・資格重視、就職重視、過程無視
 簡単に言うと自動車教習所と同じコンセプト。サボって留年しても儲かるのは学校。法科大学院とかはそれでもいいのかもしれないけど、昨今の陪審員制度など見ていても、大量に資格だけ持ってる人材生み出していくと、世の中の仕組みや考え方が変わった時に、大量の迷える子羊を生み出すというのがわかってない、というか第二次ベビーブームの多くがその犠牲者でもあるんだが。
大学関係者とか大学経営関係者とか入学プロモーション関係者とか認可関係者で、意見の食い違いが多いのもこの問題の特徴のようにも思う。
つまり、その必然性とか必要性とかが問われる以前に、先生方の椅子増やしとか経営上の皮算用、時流に乗っただけという例が多く見られる。
そういった開学の理念であるとか、社会的意義であるとかそういったものがちゃんと高い教育に基づいて提案されているのであれば「××大学院」というような専門学校名が冠にくるような大学名はつけないはずだろうし。
まあ「それがわからない人がそういう学校に行くんだろう」という考え方もあると思うんだが、そういう大学はいっそ認可されないほうが世のため人のためというものだ。
もう一言だけ付け加えさせていただくと、
何で専門職大学院に行きたがるんだろう?
大学で学び損ねた?
職務上必要になった?
もっと給料がほしい?
履歴書を飾りたい?
てゆか暇と金と学問が同居するなんて虫のいい話だ。
そんなんで取れる学位なら、学問に対する侮辱だ。
先人の学位が汚れるのでやめてほしいと思う。
そんなんだったら
専門学校で一生懸命学んで、
仕事を一生懸命やって経験をつんで、
それを認定してあげるだけの機関があれば良いと思う。
同じ職を10年勤め上げるとか、そこで得た経験や知識を再認識・評価するとか、そういったものを軽んじる社会になると、働く意欲がどんどん低下すると思われます。
上記、法科・会計・IT・映像すべてに当てはまる話だと思うんですが。

マイコン学習キット「蒼い玩具」F2MC16LX

今回の秋葉原は2つ目的があってそのうちのひとつが、
「フランスでマイコン学習に使えそうなPC開発環境ないかな」
というものだったんです。
たぶんPICかH8あたりの秋月電子のキットを買えばいいかなとか、
でもそれじゃあ日本語しかないしな、キットの動作精度も必要だし。
というわけで千石電商で発掘したんですが、
われながら、いい買い物でした。
CT161
コンパイラ、デバッガといった開発環境に加えて、
LEDやサーミスタ、セラミック発信子などもあるのと、
よく見ると各社のロゴが基盤に印刷されていて、
Win-Winな感じの各社コラボレーションな教育用プラットフォームになってます。
これで2,289円です。2万円の間違いかと思いました。
電子ブロック復刻版に1万2千円出すよりこっちのほうが役に立つような気がします。
電源もUSBバスパワーからとるので、アダプタ等は必要ありません。
 
何で名前が「jouet bleu」とフランス語なのか謎ですが、
帰国してから使ってみようと思います。
 

2年7ヶ月にして思うこと

mixiに「お父さんの子育て」というコミュがあって、他人の相談に乗っていたら、いろいろ思うことがあるのでたまにはまとめてみようと思います。

ちなみに今回は「1歳半の子供が寝ない」というご相談。

子供の持って生まれた性格にもよると思いますので、ころっと寝る、おとなしい子供と比べれば「うちの子変なんじゃないか」と思うこともあるかもしれませんが、少なくともうちの息子は「頑として寝ない子」ですね。昼寝もめったにしません。

そんなわけですのであまりえらそうなことは言えませんが、同じような悩みを持っているお父さん方も多いとは思うので、振り返って、何が良かったのか、悪かったのかをまとめてみようと思います…

・変な習慣をつけさせるのをやめる
 1歳半って、妊婦時代から数えたって生まれてから1000日ぐらいしか生きてませんし、外界の体験もせいぜい500日ぐらい、記憶があるのって100日ぐらい(長期記憶は3歳前後から)なので、変な要求も10日もつづければ習慣化してしまいます。逆を言えば、変な習慣も3歳まえなら、日々の努力で解決できます。

・強い光
 フランスでは子供にテレビやパソコン、ゲームなど「強い光」を寝る前に見せることを常識として禁じているようです。車も振動や風景が流れていくのが気持ち良いとかあると思いますが、ベビーシートに載せて対向車や街灯を見続けているのは、なんだか逆効果のような気もします(寝ながら荷台に乗ってみると良いです、大人なら酔います)。
 鍵を取って欲しいという行動は、別に「車に乗りたい」と言っている訳ではないかも知れません、鍵が触りたい!とか、一緒に何かして欲しい、とか。

・テレビに子守をまかせきらない
 よくこの手の話題に出る「シュタイナー教育」は、現代日本の子育て環境とは一致してない部分もあるので、一概に認められるものではないと思います。結局のところ、テレビに子守をさせるのは「目を離すと子供がどこかにいってしまう」という状態が「テレビに釘付けになっている」というだけのことで、これは別にテレビをつけなければ、他の遊びをするはずですし、親忙しい→テレビ見れるという変な習慣を自分から増強しているだけではないでしょうか。朝や夕方のNHK教育は、時間帯に分かれて、あえて親の忙しい時間にコアタイムを設けています。うまく番組を選んで「見放し」にならないよう、区切りよく終わらせてあげることが大事だと思います。ビデオやDVDなどの場合は無限再生にならないように注意するとか。
区切りも良いので、食事中は頑としてTVをOFFにする、というのはいい習慣だと思います。別にその時間にテレビをみなくったって情報は手に入るし(ビデオもあるし)、ただでさえ、食事で難しいときもあるので、TVのせいで食べ物に集中してない(食事中に写真を撮って見ると全員テレビを見ているのが判ります)というのは、食事を楽しむという人間として普通にできる行動がTV視聴のせいでできなくなっているという悲しい現状だと思いますし。
ちなみに食後のテレビも、実は親の皿洗いを背中で見ているだけでも良かったりするようにも思います。

・コミュニケーションのInとOutを考える
 アメリカのメディア教育の研究では、1歳半からインタラクティビティをもつといわれています。つまり、テレビに関しては、自分の好きな番組のリモコンボタンを押せるようになるらしいです。テレビばかりを悪者にするわけにはいきません、たとえばゲームなども音とコントローラと映像に強い興味を示します。時々母親がネットゲームに以上にハマっている…という例を聞きますが、親でも抜けられないループを子供が目の前で見ているかと思うと、けっこうぞっとします。それはそれとして、仮にベビーシッターがいたとして、2時間保育をしてもらったとして、親が帰ってきて1時間だけ接して、それで1日過ぎていったら、10日後には、親よりベビーシッターのほうが親しい大人になってしまうかもしれません。実際にはそう簡単ではないですが、やはり一緒に遊んでくれる時間が長い人のほうが、言語理解やコミュニケーションの質は高いと思います。テレビの映像をボーっと見ている間にできなかった、コミュニケーションのOut、例えば自分から親に向かって話しかけるとか、やってほしいことを言うとか、そういった時間を大切にしてあげたほうがいいと思います。

・体を使って疲れさせる
 ついつい親は手加減してしまうのですが、体を思いっきりつかって疲れて寝る、という行為は、明日の成長のためには重要だと思います。親は外で走り回ることばかり考えてしまいますが、そんなに外は安全ではありませんし、昔に比べて兄弟や近所の友達がたくさんいるわけではありません。母親は家事を中心にくたくたですから、ぜひとも父親ならではの部屋遊びプログラムを2・3覚えておくといいと思います。
また思いっきり泣くとか、大人にとっては面倒極まりないことも、子供にとってはいい運動になってることもあります。安全さえ確保できれば、安心毛布やぬいぐるみを抱かせて、部屋を暗くしてそっとしておく…というのもひとつの解だと思います(自分でひとりでいろいろ考えて、おとなしくなったりもします)。

・母親の理解を得る
 1歳半って奥さん的には妊娠出産からストレスの頂点にいる可能性があります。(投稿にあったような奥さんとのやり取りを見て察するに)奥さん的にも毎日120%がんばっているので、現在の状況を見直したり「楽をしたい」とは考えられない状況なのでは?たとえば、結局寝かしつけるのに4時間かかるのであれば、二人がかりでやるよりも、お父さんが「一人で寝かしつけてみる」と言って、奥さんを散歩や娯楽、入浴に行かせて見るというのはどうでしょう?うちも嫁さんが頑として、子育てを譲らなかった時期があります。

 補足ですが、フランスでは子供は必ずひとり1体のDouDouと呼ばれる「安心ぬいぐるみ」を持っているようなのですが、うちの子は流れ上「安心毛布」になってしまいました。でもこれを抱きしめていれば、一人でも眠れるようです。

さらに補足ですが、ウチはDVDのマスタチェックで同じ映像を繰り返し100回ぐらいみたりします。1回65分ですけど。

 息子にはできるだけ突き合せないようにしているんですが、本人が望んで近づいてきたり、飽きたら去ったりするので、まあ直接直近の影響についてはなんともいえないかも。長期的に、これを親の作品を刷り込んだ「英才教育」と見るか、「悪影響」と見るかはほとんど他人視点かも知れない。