「自己肯定感が低い環境」で中高育った大学生を毎日のように見ていますが、その呪縛を解き放つコストはとても高いです/子どもに「自分はダメ」と思わせる親の言葉 うっかり「誤った声かけ」をしていませんか? | 子育て – 東洋経済オンライン https://t.co/fNXwpX9sAo
— Akihiko SHIRAI, Ph.D (@o_ob) November 20, 2016
東洋経済の元記事
子どもに「自分はダメ」と思わせる親の言葉 うっかり「誤った声かけ」をしていませんか? | 子育て(永谷研一) – 東洋経済オンライン
子どもに「自分はダメ」と思わせる親の言葉 | 子育て
http://toyokeizai.net/articles/-/144783
「自己肯定感が低い環境」で中高育った大学生を毎日のように見ていますが、その呪縛を解き放つコストはとても高いです。
自己肯定感とは何なのか?
そもそも自己肯定感とは何なのか、よくまとまったブログがありましたので紹介します。
大人になっても低い「自己肯定感」を飛躍的に高める7つの方法 | Dreamer
自己肯定感は文字通り捉えれば「自分の行動を肯定されている感覚」、その逆は「自己否定」ということですが、大事なポイントは自分自信の努力ではなく、他人がそれを感じさせられるか?という点が重要です。
自己肯定感は幼少期の環境で形成され、その後の人生に大きく影響します。
「テストで90点とった子供」は『頑張ったね!』と言われたい。しかし親は「なぜ10点足りない」と言ってしまいます。テストの難度も考えずに。
でも上のブログにあるような「飛躍的に高める」ようなレシピがあっても、そもそも自己肯定感が低い人は「なんでそもそも自己肯定感を高める必要があるの?」と見向きもしない事も多いです。
テストの例でも「僕は気にしない」という感覚を持ちます。自己否定されないために自己肯定感に対する感覚も捨ててしまいます。
ネット社会でもそうです。
FacebookやTwitter、ブログなどを一生懸命書く人もいれば、「そんな事は羞恥心がない人間がやる事だ」と白い目を向けつつ、匿名掲示板でヘイトを書き散らかす、そんな人もいます。
幼少期の環境、親の発言、そして「普通でいる(=面倒ごとを起こさない)」ことを強要される中学高校の環境を経て、今の大学生の多くは、自己肯定感そのものから縁遠い生活をしています。
一方で「自己肯定感」は、就職や就業後の「幸福」に大きく影響します。
便利だけど複雑になる社会で子供が自分を肯定するのは難しい
便利だけど複雑になる社会では子供が自分を肯定するのは難しいです。
例えば私はゲーム開発を大学生に教える仕事をしていますが、今の大学生が子供の頃に遊んでいたゲームを、今の大学生が自分の力で作る事もそこそこ難しいです。さらに最先端のゲームを開発するような学生となると、不可能かもしれないですね(ちゃんと教育する方法はあります)。
同じくお年寄りでもそうです。
携帯電話ならともかく、いまのオレオレ詐欺やネット社会まで含めたIT方面は複雑すぎます。便利かもしれないけど、自分で操作できるレベルではない無力感があります。
さらに現代の日本人の寡黙な美徳や日本語には自己肯定感を引き出す「コトバ」が少なすぎるようにも思います。
よかったね、素晴らしいね、頑張ったね、惜しかったね、次は満点かもしれないね…といったコトバが「なんで90点なの?」よりも前に出てくると良いですね。
自己肯定感を「社会への貢献度」と再定義する
ここで、自己肯定感を「社会への貢献度」と再定義してみてください。
社会への貢献、とは大きく考える必要はありません。
ブログも「誰かに役に立てばいい」と思って書けば良いのです。誰かを攻撃する必要はありません。
子供たち部下や同僚たちの心の力を引き出す「良い言葉」をどんどん開発して、みんなに教えてあげるべきです。
小さなことでも積み上げて、達成感を味わう。
ゴミ拾いでも、技術ブログでも「いいね!」ボタンでも良いのです。ただし義務感があっては重い。見返りを求めずに、社会に親切な事をしてみましょう。
それ以外でしたら、毎日、家を出る前に自分の顔を鏡で見て、笑顔を作ってみる。その姿勢だけでも脳は前向きになります。
自分が達成感を味わっているんだ!と言うことを他者が気軽に「いいね!」と言ってくれる環境を作る、これが大事です。
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