「任天堂Switch、みんな気付いてない10の未来」を読みやすくするハック

日経テクノロジーオンラインに寄稿したNintendo Switch発売記念カウントダウン記事「任天堂Switch、私はここに期待する」が本日公開されました。

「任天堂Switch、みんな気付いてない10の未来」

白井 暁彦=神奈川工科大学 准教授

全11ページあるうえに、毎ページのようにログイン要求されるので、著者ですら読みづらいと思いました。以下インデックスしておきます。

 

1.Switchは「テレビゲームの歴史にトドメを刺す」
2.グラフィックス性能の向上で見えなくなる「何か」が明らかに
グラフィックス性能を上げたら売れるとは限らない
3.テレビの奪い合い戦争が終焉する
遊びを遊びとして保つためには「やめる自由」が大事
4.「何かゲームがしたい人」は結局なにも買わない
ゲームを買うのはソーシャルな理由
5.でもスプラファンは「スプラ2」さえ出れば満足
任天堂ハードで「○○専用機」は珍しくない
6.玩具の歴史であってゲーム機の歴史ではない
7.「1-2 Switch」こそが最注目タイトル
8.「VRエンタメ」の未来に「触覚VRエンタメ」あり
一番手が抜けない場所がユーザー任せ
9.「Joy-Con」がひらく日本がアップルを超える未来
“Switch”という名前の本当の意味
10.やはりSwitchは「テレビゲームの歴史にトドメを刺す」

最初は「10のヒミツ」として書き出したら10どころか20ぐらいあったので、だいぶ圧縮しております。全部で11,000字ぐらいあります。

基本はエンタテイメントシステム、プラットフォーム設計の歴史と変遷の話なのですが、任天堂の中の人さま、一部憶測で書いてゴメンナサイ!
今度機会があったら試遊会に呼んでください、もっとちゃんと書きますから!

でも「テレビゲームの歴史にトドメを刺す」は本気と思いました。

ご感想は日経テクノロジーオンラインのほうにお寄せ下さいませ。

はじめての学会発表、何を練習すべきか?

初めての学会発表、さて何の準備をすべきだろうか?

ここまでの流れはこんな感じだったとする。

  1. 研究室の指導教員の先生が「この学会出してみない?」と誘う(Call For Papers)
  2. 締め切りに向かって論文を書く。この辺で最初の修羅場を味わう
  3. (査読の有無によっても異なるが)めでたく採択される
    ×→採択通知を共著者や先生に報告転送しそびれて叱られる
  4. 学会大会からの提出物を求められる
    例えば、最終原稿、ビデオ、著作権移譲フォームなど
    ×→その手の提出物を締め切り直前まで寝かせて先生に叱られる
  5. 学会参加登録、参加費の支払いを行う
  6. 大学に出張の伺いや、学生発表補助の申請を行う
  7. 旅行の準備
    宿の手配、新幹線や飛行機の手配、会場までのアクセスなども調査
  8. デモ発表がある場合はデモの完成や物流工程
    そもそも研究室の外で展示できるようなサイズではなかったり…どうやって安全に運び、構築・工作し、伝え、分解し、持って帰るか、いくらかかるかなど、ロジスティック(物流)を検討する。
  9. 発表練習1(ゲネプロ)
    パワポのストラテジーを先生と相談し、通し練習を行う。この段階での完成は7割程度。
  10. 当日のポスターや配布物などの印刷、名刺の印刷なども。
    「そもそも何人ぐらいくるのだろう?この学会。」という質問が出て当然。
  11. 「旅のしおり」の作成
    宿や乗る列車、現地の地図、タイムテーブルなどを含めた印刷物。最低限でもPDF。実家などに緊急連絡先・宿泊先などを連絡するのが面倒な時にも役にたつ。
  12. 当日のシミュレーション
  13. 発表練習(リハーサル)
    教室などを使って実際の環境に近い状況で時間などを精度良く測って行う。

…で、これで、完璧?否。

実際には、ここまでの準備では「伝えるだけのプレゼンテーション」しか準備できていない。

では何をやればいいか?書き出してみる。

1. 質疑応答の練習

2. 予習・聞き方の練習

3. 質問の仕方の練習

4. 懇親会などの準備

5. 見学、その他の見どころを調査

以下、順を追って解説する。

1. 質疑応答の練習

時間内に喋れば良いタイプのプレゼンテーションと違って、学会発表は学術バトルの場。実際のゴングは発表が終わった瞬間に鳴るものと心得るべき。なに?質問が出ないならそれでいい?…何を言っているのか。君のプレゼンテーションが未熟だから質問が出ないのだということを認識すべきだ。なに?自分の発表が素晴らしいから質問されない?…そういう考え方もあるだろう、しかし、もしかしたら裏番組のセッションにいい聴講者を持って行かれているのかもしれない。そう考えれば、書いた論文のタイトルが魅力的でないから、そのセッションに追いやられているのだ。反省すべきところはたくさんある。

そもそも、君は発表中に、「聴講者の目」を何回見たか?

あそこの先生は寝ているよ、あの学生はあくびをしていた。

君の発表が面白くない、ということを全力でアピールしているではないか。見ていないのは君だ。

質疑応答の時間、最後のゴングが鳴るまで、しっかりと殴り合いができることが理想。聴き手の興味を引き出し、知的好奇心を呼び起こし、質問を引き出してこそ、真の学会発表。

 

2. 予習・聞き方の練習

メモを取れ。そもそも聴講するセッションの予習ぐらいしよう。感覚で参加したり、一瞬でそのセッションが何を話す場なのか、座長が何者なのかを見極められるような経験者でなければ、事前に見たいセッションの1つや2つぐらい当たっておこう。

そして、聞くからには全面的にメモを取れ。研究室に持ち帰って、20分の発表を20分以上かけて、発表者以上にわかりやすい発表として研究室に持ち帰れ。

なに?難しすぎてわからない?…それはだな…発表者が悪い!

発表者が自分のことしか考えていない発表をしているにすぎない。そういうときは莫迦のふりをして質問すればいいのだ。

「すみません、門外漢なもので、頓珍漢な質問だったらごめんなさい〇〇は××の事なのでしょうか?」

この聞き方でいい。一説では”えらい大御所”がわざとそんな素人のふりをするなんていうスタイルもあるそうだが、あえて漢字で書くとわかるように「もんがいかん」も「とんちんかん」も「漢(おとこ)」の攻撃方法だ。門外から頓珍な攻撃を繰り出して、本質を突く!突く!突く!

一つ前の項目でも言った通り、発表者はろくに質問が出ない事で「フッ…俺様の発表が完璧すぎたのだな…」と勘違いしてしまうことがある。逆の立場に立ったら、なんと痛いことよ。突いてあげて。

 

3. 質問の仕方の練習

ところで良い質問とはなんだろうか?「突け」とは言ったが「相手を攻撃して叩き潰す」なんてことは、よっぽどたちが悪い発表か、頼まれでもしない限りやらないでよい(学内やゼミ内は別だ、全力でやれ)。論破もあまりやるべきではない、発表者は君ではないからだ。

一番大事なのは「建設的なディスカッション」というスタイルを守りつつ、「基礎力がしっかりしたボディブロー」を相手の腹筋に叩き込むことだ。相手が普段どれぐらい、どのようなトレーニングを積んでいるのかは、そのボディブローで見抜くことができる。ジャブやカウンターは不要。ストレート、もしくはショートアッパーがいい。間違えても大振りでジャイアントアッパーを打ち込んで空振りしてはいけない。限られた時間で「オッ、なんだこいつ!やるな!」と思わせれば勝負あり。長引かせる必要はない、休憩時間に名刺を交換しにいけば良い。

少なくとも、顔は割れる。良く言えば顔が売れる。

君と発表者の間にいい電気が流れる。

そして、大御所や、勘のいい先生はその場を見ている。

今度は君が発表する番だ。いい質問をもらったら、カウンターで返してやれ。

ちなみに君が発表者だったら以下の質疑応答カードは用意しておけ。

「ご質問ありがとうございます」

このカードは『感謝受け』というカード。呼吸を整え、迂闊なカウンターをもらうこと防ぐ。

「ただいまいただいた質問ですが、〇〇という理解でよろしいでしょうか?」

このカードは別名『再定義』というカードだ。当然、答えは用意されている。

「ありがとうございます、なかなかいい質問だと思います」

感謝も肯定もしている『健全防衛』。実際には図星であり、どう考えても負けている可能性があるのだが、感謝も肯定もしていることで、ボディブローを食らった後の内臓の揺れや嘔吐を防ぐことができる。

「そうですね、YesかNoかで答えるとすれば、Yesです」

このカードは『ディスクリート』というカードで、オフェンス時には「YesかNoかで言えば、どちらでしょうか?」という使い方もできる。しかし、

「そうですね、YesかNoかで答えるとすれば、YesでもNoでもあります」

という返し方もある。『アンチ・ディスクリート』というカード。というか、世の中の研究のほとんどが「YesでもNoでもある」からこそ研究したりデータをとったりしている。しかし「YesでもNoでもあります」という流れになると、当然発表者が延長して何か詳細な情報を伝えるチャンスを持つので、この流れになれば、持ち時間を使い切る流れだ。

 

他にも「〇〇はご存知でしょうか?」といった、いやらしく知識を問うトラップを仕掛けるような質問もあるのだが、今回はこの辺にしておく。

 

たくさん集まれば、印刷して袋詰めしてスターターパックとして販売したいぐらいだ。

 

4. 懇親会などの準備

懇親会は、フードバトルではない。名刺を配れ、挨拶をしろ、研究室の連中とつるむな。普通の先生なら学生とは距離を置いて、どこぞの先生と楽しそうに交流しているはずだから、そこにどんどん割って入るか、そばに「もの言いたげ」に立てば良い。紹介してもらってなんぼだし、先生だって自分の門下生を紹介してなんぼの場なのだ。

なお、もらった名刺は24時間以内に挨拶をしろ。Ccに先生のメールアドレスを入れておけば喜ばれる。メールの作文?そんなものは先生に見てもらえ、というか、それこそ事前に作文用意しておけばいい事ではないか。研究室のHPの紹介や、動画のURL、これまでの論文など、発表前後で何が変わるのか。

メールボックスに名前が入って入れば、検索できる。タイトルには工夫を。

そして早めの挨拶は、長めの会議の時には、次の共同研究や、就職先などの可能性を大きく広げる。

「あいさつが1日遅かったおかげで失ったチャンス」なんて、失った側はわからないのだぞ!!

 

5. 見学、その他の見どころを調査

学会発表はミッションである。入国審査で「観光かビジネスか」と聞かれたらビジネスと答えて良い(入国審査のこの質問、正確には「誰がお金を出しているか?」らしいが)。観光ではないから、学会開催中に抜け出して遊びにいったりは許されない。学会にも出資者にも留守を預かる他の学生にもトリプル裏切りになってしまう。学会が終わった夜の部は良い。できるだけ他の研究室の飲み会に巻き込まれて、いろんな文化を吸収しよう。飲みの席だけで大きな仕事をやってのける研究者だっているのだ。

観光とは別に「エスカーション」はどんどん行くべきだ。近隣の大学や研究所のオープンラボは予約制だったりするから、事前に調査して確実に行くべき。お金を払って見れる観光と比較にはならないものが見れるはずだ。また、学会によっては本当に観光旅行のようなエスカーションが付いてくることもあるが、これもおすすめである。有名な先生や大御所の奥様に会えることもある。よその大学の大先生が普段どのような行動やセンサーを持っているのか?良く観察すると良い。なお、この手の観光旅行エスカーションの記念写真はSNSには上げないほうがいいらしい。人によっては後ろめたいと考える人もいる。それがなんの予算で来ているか?学生のように個人的な出資であり、しばしの自主的休暇ならば問題はないだろうが、お堅い予算や重要な学務を抜け出して学会参加をし、若き学生たちの「引率」として、エスカーションに渋々参加している先生方の”笑顔”を、本人のコントロールが効かない場所に上げ晒すのはよっぽど勇気がないとできないことかもしれない。まあ一言挨拶はあったほうがいい。

 

さて、初めての学会発表、何の準備をすべきだろうか?

ここまでの流れは教えた。

ぜひ皆さんのエクスペリエンスを教えて欲しい。

Good luck!!

 

追記:学生にアカデミック社交会デビューさせるための先生のためのマニュアル (2016/11/28)

某阪大学の前田先生から

「せっかく学会に連れて行ったのに自分の発表時間以外姿を現さない学生」はどうしよう、

というご質問を頂いたので、懇親会などのアカデミック社交界に学生さんたちをうまくデビューさせる方法について追記しておきます。

つまりは「知らないひととの友達の作り方」なのですが、
私の師匠の久米先生は
「学会中は、俺、旧交を温めに行くから学生の面倒は見ないよ」
と言い切ってましたでのだいぶ割り切っていました。

もちろん3日あれば1日ぐらいはチームディナーはありますが、毎晩ではない、という感じです。
自分もそうするようにしています。
学会は先生自身が視野を広げ、大学人事や世間の動向を共有するべき場でもあります。

「私立大学も大変だと思っていたけど、国立大学も別の次元で大変だなあ…」
なんて感想が抱けないと、先生も過労で死にます。
そのような交流の時間を確保するためにも是非、発表練習は研究室で終わらせてきてほしい!

さて、もうひとりの私の師匠、草原先生は、いわゆる社交を丁寧にする人で、
「ほら白井くん、この人は〜〜で活躍しているXXさん」
という感じで、なんだか知らないけど有名そうな人によく紹介してくれました。そして、
「こちらは白井くん、工学部と芸術学部の間でちょっと変わったものづくりしている学生さんです」
という感じで知らない人とくっつけるのが上手な人でした。
(過去形にしてすみません、お二人とも大事な師匠です)

上記の短いセンテンスにあるように、一息で話せるぐらいの内容で、本人の自己承認欲求自立心をくすぐってあげるのが良いのかなと思います。

懇親会で先生は、学生の自己承認欲求と自立心、あとは近い世代の仲間とうまく
紹介(introduction+produce+inquiry)“して引き合わせてあげることでしょうね。
最近だと、Facebookでからませるぐらいのことは必要では。
ライバルという敵対関係ではなく、「仲良くすべき同胞」としてのインスタンスを獲得させる大事なお仕事ですね。

 

SIGGRAPHってなんですか?(4)「見て信じられる体験と、見て体験しても信じられない技術」

本原稿はMoguraVRでの連載記事「白井博士のVRおもしろ相談室」の再掲です。

SIGGRAPHってなんですか?(4)「見て信じられる体験と、見て体験しても信じられない技術」 ~白井博士のVRおもしろ相談室 9回~

複数回にわたり、アメリカ・アナハイムで開催されたコンピュータグラフィックスとインタラクティブ技術の国際会議 ACM SIGGRAPH 2016 の情報をお送りしています。

前回、発展途上の先端技術を扱うセッション「エマージングテクノロジーズ」(Emerging Technologies;以下E-Tech)の展示を(1)巨大ロボット, (2)触覚, (3)AR/MR, (4)視覚工学, (5)知覚心理, (6)物理変換の6分類にして、前半を紹介しました。今回はその後半を紹介します。

 

(4)視覚工学

SIGGRAPHはCGとインタラクティブ技術の国際会議ではあるけれど、そのグラフィックスを表示する技術への挑戦もあり、常に新しいディスプレイに提案を見ることができます。ディスプレイ、特に視覚工学分野へのチャレンジとしては日本の「FOVE」による視線追従型HMD、そしてスタンフォード大学「Computational Focus-Tunable Near-Eye Display」は、視度補正をメカ制御で行うHMDを提案していました。

NVIDIAによる中心窩レンダリング

その中でもNVIDIAはSMI社の超高速視線追従型HMDと連携し、中心窩(ちゅうしんか; fovea centralis)の高解像度性を利用したレンダリング技術「Perceptually Based Foveated Virtual Reality」を展示し高く評価されました。

中心窩は周辺視野と異なり、高解像度です。このデモでは、注視点追跡機能を統合したレンダリング手法を開発し、Oculus DK2をベースとしたSMI社によるプロトタイプのHMDに実装し、周辺視野のみに低品質のグラフィックスを表示することで、見た目の劣化なく、計算コストの大幅な削減を実現しています。コントローラのトリガーを使い、自分の視線追従を固定することでその効果を確認できるのですが、解像度だけでなく、コントラストにおいても周辺視野では知覚上の色差を感じることが難しいことを体験できました。通常の数倍のレンダリングコストの節約、さらにポストエフェクトの処理などの応用を考えても、自己視点のVRならではの手法として今後の幅広い活用が期待できそうです。

 

(5)知覚心理

知覚心理学は人間の知覚のあり方を研究する一分野です。すでにE-Techでの視覚や触覚については紹介してきましたが、あえて「VRを用いたイリュージョン」として、不思議な感覚を味わえる2つの展示を紹介します。

FlyVIZ: パノラマ画像のまま歩く

フランス西部の大学連携研究所 ESIEA – INSA – Inriaによる「Enjoy 360° vision with the FlyVIZ」はGoPano+iPhone4S+Oculus DK1による、360度パノラマ映像のまま歩行可能にする超広視野視覚装置です。

ちゃんと歩けるのが面白い。ハイスペックPCを一切使っていないにもかかわらず、ディレイ少なく処理できる装置構成にも注目です。

Unlimited Corridor – VRで無限回廊を実現

東京大学 廣瀬研究室の「Unlimited Corridor: Redirected Walking Techniques Using Visuo-Haptic Interaction」はすでにMoguraVRでも紹介されていますが、巨大な8の字状の回廊をHMD装着で直線的に歩行したと知覚させることで、無限の歩行空間を実現する知覚心理応用技術です。

過去の研究において、VRによるリダイレクト歩行(redirected walking; RDW, 歩行の物理的な置き換え)、具体的には直線的に対して矛盾を検出させずに円弧で歩かせる場合には、少なくとも22メートルの半径を有する円弧にリダイレクトさせることが必要という研究がありましたが、この技術はマルチモダリティ、つまり「壁を触る」という視覚以外の知覚によって、より狭い空間で実現しています。ユーザがまっすぐ無限大の通路を歩き、また自由に分岐することができる動的歪み量変更可能なアルゴリズムを開発しており、複数のユーザーが同時に無限回廊を歩くことができます。

魔法のような歩行誘導

筑波大学 落合研究室の「Graphical Manipulation of Human’s Walking Direction with Visual Illusion(視覚的錯覚を用いた歩行方向の映像誘導)」は、HMD装着の歩行者を無意識に制御可能にする新しい手法です。「右へ曲がれ」のような意識下の指示情報を提示せず、設計者が意図した方向に体験者を歩かせることができます。

ビデオシースルーHMD越しに「A」「B」2つの目標が表示されており、体験者は「Bに向かうように指示される」のですが、結果的には「Aに必ずたどりつく」体験ができます。システムはカメラ映像に対し画像処理を行っており、ユーザの視界に対して視覚的な補正を与えています。仕掛けは簡単ですが、まるで魔法で操られているようです。

(6)物理変換

最後に「物理的な変換」もしくは「物理的に変換」を「物理変換」としてまとめてみました。前回紹介した巨大ロボット「Big Robot Mk.1A」も、物理的な変換に混ぜられるかもしれませんね。

断面画像を空中像で表現

東京大学 篠田・牧野研究室の「X-SectionScope: Cross-Section Projection in Light-Field Clone Image」は、空中に断面画像を重畳するリアルタイム3Dディスプレイを提案しました。空中像ディスプレイにより、X線画像のような物体の内部映像を、見ることができます。

一見、単純なデモではありますが、実は撮像系が興味深く、ライトフィールドクローン(LFC)の画像を再現するために、2つのマイクロミラーアレイプレート(MMAPs)を使用しています。空中像ディスプレイはアスカネット社のエアリアルイメージを使用しているようです。

光線空間ディスプレイを照明に使う

ソニーコンピュータサイエンス研究所による「AnyLight: An Integral Illumination Device」は、光線の方向を制御する3D表示技術である裸眼立体ディスプレイを、動的照明に応用したものといえます。

プロジェクターを使ってライトフィールドディスプレイを構成しています。フライアイレンズ、つまり昆虫の複眼のような形状のレンズは光硬化樹脂で作っているそうです。余計な光を通さないように、マスクをしています。動画では色を持った面光源のライトの方向と影の方向が変化していることがわかります。

LightAir: Droneを三脚にする

ロシアのスコルコボ工科大学の「LightAir: a Novel System for Tangible Communication With Quadcopters Using Foot Gestures and Projected Images」は、プロジェクターと画像認識のためのカメラをクワッドコプターに搭載したインタラクション技術を発表しました。

音と風圧は問題かもしれませんが、サッカー場などでは使えるかもしれない。

ディープラーニングで椅子が自在に動く

元東京大学 石川研究室、現・韓国KAISTに在籍するAlvaro Cassinelliらによる「Ratchair: Furniture That Learns to Move Itself With Vibration」はバイブレーターのみで椅子を自在に動かします。ディープラーニングで任意の方向に進むように学習させた結果と、スマートフォンを使って本当に前後左右に動きます(時間はかかりますが)。

浄瑠璃を一人で演じる

筑波大学 落合研究室は学部生を中心とした展示で「Yadori: Mask-Type User Interface for Manipulation of Puppets」も展示しており、人形浄瑠璃をKinectとHMDと一体化した口形状センシングと統合して実現し、パペットの視点から見た映像と、リアルタイムの演技を融合するデモも展示していました。

ちゃんと自分の視点が見えるのはすごいと思いましたが、カエルのパペットが喋っている時の視点ってものすごく揺れるので、酔うわけではないのですが、慣れは必要ですね。ゆるキャラ着ぐるみの操作には使えそう。

実物体回転による物性表現

東京大学 石川・渡辺研究室は例年、高速コンピュータビジョンに関わる研究を発表していましたが、今年は2件の全く毛色の違う、興味深い発表を行っていました。

ZoeMatrope: A System for Physical Material Design」は、自由な表面材質を作り出せるディスプレイです。あらかじめ複数の素材となる表面材質の異なる球体を高速ターンテーブルに準備し、高速プロジェクタDynaFlash (石川研究室による1,000fps・3ms遅延で8bit階調の映像を投影する高速プロジェクタ)の制御で任意の色や表面材質(輝き、粗さ、拡散反射)を表現します。事前に物質を選ぶためのアルゴリズムと、GUIによる任意変更が研究のポイントと思います。

もう一つのデモ、「Phyxel: Realistic Display Using Physical Objects With High-speed Spatially Pixelated Lighting」もターンテーブルを使用していますが、こちらは、毛糸や木材などより具体的な材料を用意し、高速プロジェクタによって任意の文字や形状などを表示できる、より表現力の高いデモ。双方ともシンプルなアイディアですが、大変強力な結果であり、応用の可能性も高そう。

以上でほぼすべてのE-Tech作品を紹介し終わりました!

優秀デモ作品への表彰

今年のE-Techでは新たな試みとして、公式のAward表彰を行いました。まず「Best E-Tech Award」として、スタンフォード大の顔すげ替え技術「Demo of Face2Face」を選定しました。ACM SIGGRAPHと提携関係にあるフランス・Laval Virtualは「Laval Virtual Award」としてロシアの「LightAir」とNVIDIAの「Perceptually Based Foveated Virtual Reality」を選出しました来年3月22〜26日に開催されるLaval Virtual ReVolution 2017「TransHumanism++」にて招聘展示の予定です。日本からはデジタルコンテンツ協会から「Digital Contents EXPO Award」が韓国KAIST「Ratchair」に送られました。表彰式の様子はPeriscopeで録画しておきましたのでご参照ください。

今年のE-Techにはなぜ日本人の展示が多いのか?

SIGGRAPH 2016は E-Tech チェアが日本のVR系研究者・稲見昌彦先生(東大)だったこともあり、協賛企業にNTT、NTTコミュニケーションズ、ドワンゴ、スマートニュースの日本企業が参加しており、日本からの投稿も多かったようです。採択された24件のうち、日本からの出展が3/4を占めていました。ただし、この種の国際審査ではよくあるコンフリクト回避(関係機関や利害関係がある場合は審査に関わらず退席する)を「真面目に行なった結果、こうなってしまった」(稲見先生談)ということで、国の属性が入っているわけではなく、世界から見た「日本の研究者の層の厚さと実力」と考えて良いと思います。

実際には日本からの投稿も大変多く、採択されるのは至難の技。イベントや共同研究などで日本の研究に触れやすい距離にいる日本のVR開発者は”恵まれている”と言えるかもしれませんね。

まとめ

見て信じられる体験と、見て体験しても信じられない技術

 

エマージングテクノロジーズ、つまり「発展途上の技術」というセッション名からもわかるように、まだ野とも山ともつかない技術です。見て信じられる技術もありますが、見ても体験しても信じられないような技術もあります。これらを直接見て、触れて、体験できるという価値は大変大きいです。しかも研究者に直接会うこともできます。

魔法のような体験や触覚のような知覚心理系の技術は、YouTube等の動画で見るよりも実際に見て触ってみるしかありません。会ってみることで、さらに使える技術なのか、ラボ内限定技術なのかがわかります。

日本国内では9月中旬に開催される日本VR学会大会と10月に開催されるデジタルコンテンツエキスポが最も良い機会ですが、それらの展示を生み出している研究者たちの年間スケジュールの中で最も大事な国際会議の一つが、SIGGRAPHです。一つの目標であり、世界への架け橋でもあります。

今回のSIGGRAPHでは、科学技術よりの技術デモをE-Tech、もう一つはコンテンツよりの作品や技術展示を集める VR Village がありました。この2つは従来はそれぞれ別の審査方式を採っており、別の投稿として提案する必要がありましたが、今回のSIGGRAPHでは「General Submission」としていったん一つの投稿として論文アブストラクト、ビデオ、展示フロアプランなどを提出した上で、さらに審査員側で「E-Tech向きか?VR Village向きか?」が検討されたようです。今回のVR Villageは従来のデモ展示に加え、HMDコンテンツ中心の StoryLab と プレゼンテーションの3部門が用意されていました。

次回はこれらのコンテンツに近い展示について、紹介したいと思います。

SIGGRAPH2016

白井博士(しらいはかせ)

1996年 東京工芸大学工学部写真工学科卒、1998年 東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士課程修了。キヤノングループが開発した産業用ゲームエンジン「RenderWare」の日本事務所立ち上げを経て、2001年 東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士後期課程に復学。2003年博士 (工学)の学位を取得。2003~2004年に財団法人NHKエンジニアリングサービス・次世代コンテント研究室、2004年末にフランスに渡り、国立工芸大学(ENSAM/ParisTech)客員研究員。VRによる地域振興、国際VR作品公募展Laval Virtual ReVolutionを2006年より主催。2007年より帰国し、日本科学未来館科学コミュニケーターを経て、現在、神奈川県の大学でVRエンタテイメントシステムの開発者を育成しながらVR作家として活動。

<著書等>
「白井博士の未来のゲームデザイン -エンターテインメントシステムの科学」(単著)、「WiiRemoteプログラミング」(共著),日本科学未来館企画展 GameOn公式図録「ゲームってなんでおもしろい?」(インタビュー),「ゲームクリエイターが知るべき97のこと 2」(執筆協力)など。
blog: http://aki.shirai.as/ Twitter: @o_ob

NHK「週刊ニュース深読み – 熱狂?過熱?ゲーム新時代がやってくる」(2016/7/23)に意見を寄せよう #nhk_fukayomi

東大の馬場先生と中谷さんが出演、とのことでご紹介いただいたのだけど。

2016年07月23日のテーマ
NHK週刊ニュース深読み「熱狂?過熱? ゲーム新時代がやってくる」

http://www.nhk.or.jp/fukayomi/

アメリカで爆発的な人気を集めているゲーム「ポケモンGO」が、今月日本で発売予定です。 ゲームはいまや、教育や介護、町おこしの分野でも活用されるなど、娯楽の範囲を超えて、社会に影響を及ぼし始めています。 さらに海外には、数十億円の賞金を稼ぐプロのゲーマーも。 子どもたちの憧れの職業にまでなっているんです。 ゲームなんて…と思っていると乗り遅れるかも!? 新しいゲーム時代、社会はどう変わるのかを考えます。

●アメリカではスマホ用のゲーム「ポケモンGO」が大きな社会現象となっています。
あなたはこのブームをどう思いますか?
●ゲームは子どもに悪影響を与えると思いますか?
●プロのゲーマーが出現して、子どもの憧れの職業に。どう思いますか?

このほか、ご意見や疑問を自由にお寄せください!

なるほどではご意見・・・と思ってフォームを開いてみると

ご意見募集中!
ゲームは子どもに悪影響を与えると思いますか?
投稿をお待ちしています!

なんだよいきなり「ゲームは悪影響」ポジションかよ!!

これは多分炎上狙いの釣り、と思いながら真面目に書きました。

[相模Ingress部 さん]

ゲームも実際のスポーツも、子供たちの世界では、地続きの現実です。
ゲームで頑張れないなら、どんな世界で頑張れるのでしょう?
『悪影響』と言われますが、「普通に生きる」「安全に生きる」ことを親が期待する家庭もあるのかもしれませんが、子供達にとって何が悪影響で、何が良い影響かなんて、今すぐに判断できないですよね?

そしてポケモンGOはちょっと危険なゲームかもしれませんが「ゲームに熱狂するあまりおかしな行動をする」という感覚を客観的に観測できるのは良い機会ではないでしょうか。

それにそもそもスマホを子供に持たせっぱなしにしないなら、危険はありませんよ。

家族で一緒に町中の石仏や神社をめぐりましょう!
これがきっかけで、博物館にいったりすることができて良い経験になりますよ。

ゲームに子守させて「悪影響」と呼ぶのも、ゲームでの挑戦を良い経験に変えるのも親の自覚と勉強次第では。

とりあえずみんなも言いたいこと書くといいと思うよ!

関連

とりあえずこの記事の後半と

『Pokémon GO』に学ぶ商標問題と、VRを面白くするために「もっと大事なこと」。


これがオススメです

博物とポケモンを親子で回るツアーなら企画したい

“世界から見た日本のVR”/日本VR学会 学会誌20周年 特集「世界のVR」寄稿より

1996年設立、会員数1000人を超える学術系NPO法人日本バーチャルリアリティ学会の会員向けに発行されている日本VR学会学会誌・20周年特集号「特集:世界のVR」において、「世界から見た日本のVR/日本VRの歴史・未来と世界の動向」という原稿の執筆を依頼されました。

一生懸命書いたのと、次の10年後(2026年!!?)に確認したい内容なので、個人Blog版として再掲許可(本誌の発行は2016/6/30)をいただきました。ご許諾いただいた矢野先生、清川先生、VR学会事務局さま、ありがとうございます!

さて、VR学会の会員だけが読める学会誌。学会誌だけでなく論文誌も価値があります。是非皆さんも、VR学会の会員になって下さいね(入会案内)!

年に一度、毎年9月開催の第21回大会(20周年記念大会)も期待です。今年は筑波大学での開催です。ちなみに白井は設立総会から参加していますが、筑波大学ってことは、例の巨大ロボットも見れるって事ですよね、これは泊まってでも行くべきでしょう。

さて、以下、「世界から見た日本のVR」Blog版本文です。

1.はじめに

このたび,日本VR学会20周年記念の特集において「世界から見た日本のVR」について執筆依頼をいただき,大変な光栄と認識しております.研究者が研究活動の一環として,世界の関連研究についての動向を調査したり,検証したりといった自己の研究の立ち位置を明確にする作業としての調査はよく行っていると思います.また学会誌やニュースレターでは,国際会議報告など「外から中へ」の情報も多くありますが,「海外の人々が日本のVRをどう見ているか?」といった調査はなかなか行われていないのが現状ではないでしょうか.これはもちろん日本に限らず,他国においても同様で,本特集のような機会がなければ,世界の中でどのような研究分野や研究者の特性を持っているか?どのような研究文化があるか?といった俯瞰視点でまとめる機会は多くありません.また多くの場合,執筆する研究者の主観から,いくつかの代表的な研究を紹介し,それを表現するという手法をとらざるを得ません.言い換えれば「代表的な研究とは何か」を抽出する時点で,ステレオタイプのようなフィルタや,強い研究グループの存在を無視して描写することは難しく,例えば各国における研究教育支援などの国家戦略や資金環境も大きく影響するでしょう.一方で,国際的な共同研究プロジェクトがあったとして,それをベースに個々の研究者グループのロールがすなわちその国の代表であると考えるのも難しいと思います.研究には多様性があり,多様性は研究の本質でもあります.日本のVRやその研究者が,どのように理解され,どのようなプレイヤーとしてのロールが期待されているのか?またそれを演じていくべきなのかどうか?を明らかにして整理することは,まさにVRにおける自己のリアリティの認識と実質の差異を調べ,モデル化し,レンダリングしていくような行為に似ていますが,一方では主観で評価していくしかない部分もあることをお許しください.

さて筆者個人の経験と主観では,この20年余,英国のゲームエンジン開発企業,日本の国立大学での博士復学,フランスでのVRエンタテイメントシステムの研究者,日本科学未来館での科学コミュニケーター,教育者,学生コンテスト実行委員会(国際化担当), フランスLaval Virtual [1]での公募デモ部門ReVolutionチェアといった様々な地域,様々な世界,様々な学生や企業,展示を通した人々の出会いなどを含めたVRに関わってきた仕事柄,本稿では研究分野だけに限らず,教育機関,ベンチャービジネス,ゲーム開発者,アーティスト,自動車等の産業,販売会社や製作会社,ジャーナリストや投資家,経営者,一般の方々など様々な人々に問いかけ続けてきた「世界から見た日本のVR」についてまとめてみました.

2.「VRの輪廻」と轍(わだち)の違い

From 3D to VR and further to Telexistence
図1:舘による「3DとVRの進化 (From 3D to VR and further to Telexistence)」予測年表

日本VR学会初代会長・舘先生によるICAT2013における予測[2]では,「3DとVRの進化」(Evolution of 3D and VR)として図1のような年表が世界のVR研究者にむけて発表されています(日本語での発表は2012年のVR学会の特別講演).年表から読み取れるように3DとVRは20〜30年のサイクルで輪廻しているようです.もちろん世界中のVRに長く関わる研究者開発者の多くはこのような歴史的な繰り返しに気付いているようです,日進月歩,秒進分歩でYouTubeやニュースサイト等で紹介される「新しいVR」に研究者は「車輪の再発明だ」,「こんなVRは20年前にやり尽くしている」と苦言を呈したくなる気持ちもわからないではありません.しかもその車輪のスピードはどんどん速くなっているようにも感じられます.これらの声は世界中のVR研究者・開発者から聞こえてきます.驚いたことに,そのような専門家だけでなく,一般の人からも聞こえてきます.興味深いのは,その車輪が作った轍(わだち)の捉え方が人々の専門性や立ち位置,地域によって異なる点です.また,どうやらこの車輪は一輪車では無さそうです.本稿ではその車輪と轍について4つの要素で整理して掘り下げてみます.

3.コンテンツの車輪

最初の車輪の名前は「コンテンツ」です.「エンタテイメントVRの車輪」と言い換えてもよいかもしれません.近年,携帯電話技術の転用を背景とするトラッキング統合型HMDの低価格化に加え,UnityをはじめとするゲームエンジンのVR利用の一般化が進むことで,VRそのものへの注目が集まっています.例えば日本科学未来館企画展においては「GameOn~ゲームってなんでおもしろい?」[3] が開催されて人気を博しています(図2).往年のゲーム機器の歴史と科学的視点が体験可能な状態で展開されていますが,そのポスターにおけるビジュアルと,最終ゾーンにおいて,PlayStation VR(以下PSVR)が体験可能な状態で展示され,幅広い人々に感動や気づきを与えています.この光景は,エンタテイメントVRと科学館,アカデミックと産業におけるVRの両側を行き来しつつ,何とか研究を継続してきた筆者としては「20年余にしてやっと歴史がつながった」,「世間がついてきたか」という気持ちになります.Game Onを訪問するとわかりますが,そもそもビデオゲーム黎明期におけるゲームシステムにおいて,ハードウェアとコンテンツは不可分で,それらが一体となって「新しい体験」を提供していました.家庭用コンシューマゲーム機,いわゆるテレビゲームがゲームをソフトコンテンツ化に成功したという歴史が明確にあります.そしていま,ゲームのさらなる体験,リアリティ,没入感への需要がゲーム市場をVRにつなげていると表現してもよいでしょう.

図2:日本科学未来館「Game On」(HPより)

「VRはエンタテイメントのためだけにあるのではありません!」とエンタテイメントVRを専門にしてきた筆者が主張するのもおかしな話ですが,この「VRの第2波」はエンタテイメントVRが起爆剤になっています.このような歴史的環境下で,数多くの老舗ゲームスタジオや,ソニーや任天堂といったゲームプラットフォーム2強を擁する日本のVRへの期待は大きく存在します.

お台場ダイバーシティ東京に2016年4月15日よりオープンしたバンダイナムコエンターテインメント社 によるVRエンターテインメント研究施設(という名の体験遊戯施設)「VR ZONE Project i Can」はその代表とも言ってよい存在で,5種類のHMD使用エンタテイメントVRコンテンツと1種類のHMD不使用ドライブシミュレータが体験できます.

図3:「アーガイルシフト」体験前の様子
図3:「アーガイルシフト」体験前の様子

期間限定・予約限定という”大変控えめなビジネスモデル”ではありますが,日本のVRコンテンツに対するステレオタイプを受け止めるには相応しい実験を数多く行っており,本当の意味での「研究施設」かもしれません.ロボットシューティング「アーガイルシフト」(図3)はVRシネマチックアトラクションと銘打っており,シューティングゲームとしてのフォトリアリスティック表現,自らが弾丸となる視点など,既存のガンダム等のコンテンツで培った経験に縛られることなく,新しくクオリティの高い表現を探求する一方,既存IPを生かすべく,キャラクターをアニメ調3Dセルシェーダーで表現するなど実験的な取り組みを行っています.

図4:「スキーロデオ」の筐体は過去作「アルペンレーサー」とエアベンチの融合で構成されている
図4:「スキーロデオ」の筐体は過去作「アルペンレーサー」とエアベンチの融合で構成されている

またお金をかけた機器だけでなく,スキー体験システム「スキーロデオ」(図4)は過去のアーケード用ゲーム「アルペンレーサー」のリノベーションで構成されています.高所恐怖SHOW」は高所恐怖症VRや実物体接触におけるリアリティをつかった実験で,クレッセント社が開発し,過去のIVR展でベース開発を行っていた製品デモの見事な産業応用事例です.ホラー作品「脱出病棟Ω」は小スペース複数名同時体験VRコンテンツで,懐中電灯というリアルタイムグラフィックスならではの技術を使いこなしているだけでなく,アーケード用通信対戦ゲームテクニックが応用されており,周囲の悲鳴や体験の順番に非常に細かい配慮が設計されています.また施設全体を通して使用できるHMD皮脂汚れ防止マスクや,混線しやすいHTC Viveライトボックスの配置など,アミューズメント施設ならではのノウハウが蓄積されており,世界的にも注目すべき施設といえます.

4.産学連携の車輪

コンテンツの車輪に続く2つ目の大きな車輪として「産学連携の車輪」が挙げられます.既に示した通り,VRの体験は単一のハードウェアによって語られるべきではなく,また究極のコンテンツが存在するわけでもありません.もし仮に「VRコンテンツ」が,固定のエンタテイメントVRプラットフォームにおける「ソフトコンテンツ」を意味するのであれば,そのプラットフォームの可能性と価格帯が確定した時点で,研究開発要素は限定的になってしまうかもしれません.

一方で「日本のVR」には,実際には数多くのVR研究室出身のエンタテイメント業界才能を世に送り出しているのをご存知でしょうか.先述のVRZONEしかり,PSVRしかり,VRコンテンツしかりで,長年ゲーム業界に関わるクリエイターこそが,実はVR研究室卒という背景も「日本のVR」の地盤と呼んでもよいのかもしれません.このような視点では「セガラリー」や「スペースチャンネル5」,「Rez」を生み出した水口哲也氏は,近年PSVR向けに「Rez Infinite」を開発しており,慶應KMDとの共同研究で共感覚スーツ「Synesthesia Suit」を発表しています.水口氏は過去にマイクロソフトKinectを使った新作「Child of eden」を世界に向けて発信しておりますが,大学の研究室と共同で,触覚を積極的に使った「HMDのその先」をうまく提示した「日本のVR」の好例ではないでしょうか.

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=5Sk5ThgnI2k[/youtube]

このような産業用VRエンタテイメントにおける産学連携は大変難しい要素があります.実はPSVRの開発の母体は日本にあるわけではなく,また,プロプライエタリな開発のパートナーとして,日本の大学が必ずしも向いているわけではありません.

しかし日本のVRもアカデミックにおいては世界の引けを取りません.1990年代後半には国家プロジェクトである重点領域研究(現在の文部科学省科研費「新学術研究領域」に相当する科学研究費補助金による大型研究プロジェクト)「人工現実感」が,日本VR学会の立ち上げにつながり,多くの才能が学術VR界で花開きました.特に大画面,没入,遠隔,触覚,インタラクション技術分野において,世界最大のCG・インタラクティブ技術の国際会議ACM SIGGRAPH の技術デモ部門において「日本のお家芸」と寡占状態になった時期もあり,現在もその勢力は衰えていません.過去に日本のVR研究者が受けてきた研究投資や知見,国際的な展示開発を通して育った学生たちという背景を考えると,日本のVRにおける産学連携はもっと行われてもよいはずで,それはもしかすると,20年という歳月を超えて,いま収穫期を迎えているのかもしれません.今後より多くの成果が世界に向けて発信されることを期待します.

5.人材育成の車輪

3つ目の車輪として,産学連携とは別に「人材育成の車輪」を海外からの視点で振り返ってみます.まず反省点として,「日本の就職環境とそれを支えるインターンシップ環境の少なさ」を挙げておきます.日本の新卒採用市場や慣習は,複雑多様でリスク管理可能な技術者を必要とするVRやベンチャーには向いていないのではないでしょうか? また海外からの人材についても同様で「経験者で日本語が話せる」ならともかく,「専門性を深めたい,チャレンジ精神がある若者」を試用する慣習や社会システムはほとんど整備されていません.

対する例として,私が長年関わってきたフランス中西部ロワール地方のLaval市は,中世の雰囲気漂う静かな地方都市で,日本人家族は自分を除いて全く存在しない知名度ですが,Laval
VirtualというVRをテーマにしたフェスティバルを毎年,20年以上にわたり開催しており,VRの世界では最も有名な都市になりつつあります.国際会議ACM VRIC,見本市,表彰式,学生コンテスト,公募展などが含まれるこのイベントは,最先端のVRに慣れ親しんだ市民には社会周知が行き届き(会場に来る地元の子供たちは物心ついた時からVRを知っている),特に国際デモ公募展ReVolutionは異文化である「日本のVR」の研究者にとっても非常に良いテストの場となっています.またフェスティバル以外にもLavalにはVRを中心とした都市計画があり,10年間で1000人規模の雇用を創出しています. VRに関わる産業や才能がParisだけでなく,ヨーロッパ中,世界中から集まってきています.

Laval市は,「VRの黒歴史」[6,7]でも大きく紹介された,日本の岐阜県における第三セクターによるVR研究開発をモデルとして失敗含めてよく学んでおり,中小企業のイノベーションによる活性化を中心に実績を積み,航空宇宙軍事を含む多くの産業分野においても成果を上げています.もちろん冬の時代もありましたが,エンタテイメントだけでなく,公共事業としてモンサンミッシェルをはじめとする世界遺産や古城修復や観光資源化,都市設計にVRプロジェクトによる可視化や体験化が雇用を支え,成果を上げています.

この環境において,産学連携と学生のインターンシップは大変重要な可能性を持ちます.フランスの学位制度はヨーロッパの国際基準になっていますが,職業系修士の大学院生は全員,国内外を問わず,関連企業もしくは大学研究室での長期インターンシップを卒業要件とされています.ここで学生たちは,企業での個々の案件における問題発見・問題解決を通して,研究者である先生方の機材や最先端の科学的アプローチ,方法論を産業の現場に組み込んでいきます.(そもそも「職業系修士」と「研究系修士」が分かれており,双方に互換性がないという点で学生の自覚が異なりますが)「失敗を恐れず小さなところからでもやってみよう」という教育的視点はVR産業の地盤沈下防止策として大変重要です.

企業から見ると,過去のVR機器への投資は一過性のものになりがちで,成果を上げるのは難しかったのですが,インターンシップを活用することで,正規雇用の職員がメンターとしてサポートし,期間限定の人件費のみで,外部に発表可能な成果が上がる,しかも育てた学生はほぼ確実に自分の企業に円満就職するキャリアパスを提供できるという利点があります.日本のお試し感覚のインターンシップとも違いますし,ハッカソンのような「やってみた(だけ)」の技術屋集めとも違います.やはり「高等教育でVRを学ぶ」となると,プロジェクトマネジメントや実際に存在するユーザー(このユーザーは単体に限らない)へのデプロイ,ユーザや関わる人々のハピネスに繋がるような設計や問題発見と解決手法,評価手法,効果測定を実際の産業で体験することが大変重要でしょう.これは日本大学の実験室や企業の開発室だけでは中々培えるものではありませんし,インターンシップはそれを補完する社会的仕組みとして機能しています.

このような人材育成事業をより進めた教育開発機関をグローバルで推進展開しているVR関連企業が EON Reality社(以下EON社)です.もともとVR機器開発・システムインテグレータだったEON社は,近年VR機器の販売に留まらず,IDCと呼ばれる高等教育インターンシップセンターを世界22ヶ国で展開しています.自社のエンジンと各社のVRデバイスを組み合わせたコンテンツ開発のトレーニングを受けた学生(社会人の出戻り学生も多い)が,世界各地のEON社のプロジェクトマネージャーのプロと共に,ローカル案件を解決し,そのソリューションを世界レベルで再展開していきます.技術やコンテンツだけでなく,アントレプレナー(起業家育成)にも熱心です.おそらくEON社としての収益は,過去はVR機器SIerでしたが現在は,創業者育成事業が中心になっているものと推測しますが,「VRで何かやってみたい!」という若者こそがVRの成長を支える原動力であり,その実現こそが機器や産業向けコンテンツを販売する起爆剤になるのでしょう.最近ではケーブルレスHMDを用いたスポーツチーム強化のための「EON Sports VR」社なども立ち上げています.この会社の若い社長はフットボール選手出身だそうで,最新の事例では野球もVR化しています.EON社はこのような「教科書では不可能な,ありとあらゆる経験をVR化する事業」を開発しています.開発事例やビジネスモデルを聞いてみると,工場の操業現場や眼科医といった専門職育成の現場において,対象となるエンドユーザーはすでにゲーム世代以降で「教科書を開いても寝てしまう.教科書だけで学べる若者などいないし,効率よく理解を測る実習体験無くては使い物にならない」というコンセプトで,インターンシップセンター「Interactive Digital Centres (IDC)」[8]を世界中に展開しています.EON Reality社チェアマンのDan Lejerskar氏は,「この20年において起きた出来事のうち,最初の18年に対して,ここ最近の2年はなんだ!忙しすぎる,早く人を育てないと人材が足りない!」といい,日本のVRに期待することを聞くと「内需の大きさ」と言い切っています.特に2020年のオリンピックを前に,企業パビリオン等のVRシステムやコンテンツを統合的にプロデュースできる人材分野において,深刻になってくると予想します.

さて,日本のVRに話を戻しましょう.フランスのインターンシップ制度やEON社のようなグローバルな人材育成における挑戦は日本のVRにはないのでしょうか?もちろんあります!世界最長の歴史をもつ人口現実感の国際会議「ICAT」の一部として始まった「国際学生対抗VRコンテスト(IVRC)」[9] は23年以上継続し,現在も多くの才能を研究者,メーカー,ゲームプラットフォーム,ミドルウェア,makersなどに人材を輩出しています.

図5:国際学生VRコンテストIVRC2015
図5:国際学生VRコンテストIVRC2015

IVRCはもともと「21世紀的教育システム」として国際的に設計されており,フランス Laval Virtual との提携も2004年から行っています.お互いの優秀作品を日仏で招聘し,毎年春のLaval Virtual(フランス),秋に日本科学未来館で開催されているデジタルコンテンツエキスポにおいて,一般向けに無償展示しています.この活動は「IVRC日仏交流の歩み」というYouTubeビデオ[10]にまとめられておりますが,この10余年で日仏をVRで往復した学生は100人を超えます.
この体験をきっかけに,日本で活躍するフランス人VR技術者も数多く輩出していますが,一方で,日本から直接フランスのVR界で活躍する若者はそれほど多くありません.しかしこの架け橋は学生の引率で参加する双方の国の先生方によって確実に強くなっており,数多くの大学間提携の実現や,インターンシップの強化につながっているようです.IVRC2015のユース部門に参加した立教池袋中学高校の高校1年生がLaval Virtual
2016の学生コンテストに参加するという挑戦も起きています.IVRCの提携先もフランスだけでなく,過去には米国カーネギーメロン大学ETC(Entertainment Technology Center),IVRC2015からは中東Omanからの参加も達成しています.

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=kIGCI1N-OVk[/youtube]

このような若い学生たちの無垢な挑戦も,「日本のVR」の一端を支えていることは間違いありません.一方で,このような「夢の国・日本」を夢見て日本へのインターンシップを希望する才能も多く存在します.彼らは,日本の社会システムがトラディショナルであることを知っていますが,このがっかりするほどの厳格さは海外でも有名です.それ以上に「日本のVR」が魅力であることを我々日本人は再認識する必要があると思います.そして,日本の若い学生に,英語や日本語といった言葉の壁に負けずに,どんどん世界に発信するべく,IVRCやLaval Virtual の国際デモ公募展ReVolutionで腕試しをしてほしいと思います.

6.日本は世界のテストマーケット

ここまで「日本のVR」の輪廻とその轍を振り返るべく,コンテンツ,産学連携,人材育成という3つの車輪で掘り下げてみました.最後に4つ目の車輪として「日本は世界のテストマーケット」という要素を挙げておきます.この要素は筆者自身では気が付いていなかった要素で,本稿をまとめるにあたりFacebook group「VR Research」というグループ [11] において,「海外から見た日本のVR」についてのご意見募集を行い,フランスのSimon Richir先生より寄せられたものです.

「日本が世界のテストマーケット」というキーワードは,携帯電話市場においてよく言われていた「日本では知られていないが海外では有名な話」だと思います.日本国内では,多様性に向かっていた携帯電話市場を「ガラパゴス」と揶揄していましたが,デファクトスタンダードを確立する国際戦争のなかで,欧州市場や一般の人々は「日本はとかく米国しか見ていない」,「先進的すぎるものは日本で試される」,「充分に試された後で,韓国と台湾メーカーが適正な価格で欧州に投入する」といった見解が広がっていました.

VRにおいても同じようなことがあるね,世界的なモノづくりの場において日本に期待しているのはUX(ユーザエクスペリエンス)である,と指摘されました.日本人からすると特に「文化や言語的な壁」を大きく感じてしまうのですが,実は文化や言語的な壁という障壁はYouTubeビデオのようなネットワーク動画によって緩和されています.Laval VirtualやSIGGRAPH,SXSWで日本人のデモが人気な背景はまさに,この「日本人はUX先進国」としての期待が背景にあるようです.
なお補足しておきますが,「日本のゲーム・アニメ文化が直接ウケている」という話ではありません.2次元キャラに興味があるかどうかではなく,「空想上のキャラクターとインタラクションするということの意味」や「SF以上の体験」を具現化させるあたりに衝撃があるようです.もちろん,日本は多様なマンガ,アニメ,SF,ゲームなどのクリエイションの源であり,それを味わっている日本人を対象に,驚くべきイノベーションを起こさなければ注目もされない,という過酷な環境であることは否定しようもありません.

6.結論:「Big in Japan」は継続調査による

以上のとおり,4つの車輪で「日本のVR」と今後の方向性を占ってみました.日本に来たことがある海外VR関係者は他にも,お台場と秋葉原の力,産業との乖離,触覚VRの応用や,最近の話題として「超人スポーツ」のような取り組みも挙げていますが,「これは継続調査すべき話題だね,学生の調査課題に最適」という意見が印象的でした.このフラットなグローバル世界において,超人スポーツに限らず似た着眼,取り組みは日本だけでなく各国でも同時多発的に起きています.このような環境において,「日本は世界のテスティングマーケットである」という視点は大変重要で,科学技術の研究だけにとどまらず,動画の発信やワークショップ,実演を通して,この日本の研究成果を社会に訴えかけていく活動・努力はより多く期待されています.

なおアメリカの音楽業界や文芸業界では「Big In Japan」という言葉が話題になっているそうです,つまり「日本でしか有名でない」が,その後全米・全世界で有名になった事例がそこそこ多いとか.VRやUXの研究もそのような環境である可能性は大いにありえます.しかしBig in Japanを証明するには,この「世界から見た日本のVR」を継続調査しなければ,証明しようもありません.30周年でのレポートを期待したいと思います.

(2016/4/25寄稿, 2016/6/30出版)

参考文献
[1]Laval Virtual, http://www.laval-virtual.org/
[2]Susumu Tachi: From 3D to VR and further to Telexistence, Proceedings of the 23rd International Conference on Artificial Reality and Telexistence (ICAT), Tokyo, Japan, pp.1-10 (2013.12)
[3]GameOn~ゲームってなんでおもしろい?, http://www.fujitv.co.jp/events/gameon/
[4]VR ZONE Project i Can, https://project-ican.com/
[5]Rez Infinite(関連記事,動画), http://japanese.engadget.com/2015/12/07/rez-ps-vr-rez-infinite-3d-60fps-120fps/
[6]VRブーム再び、歴史は繰り返すか?「VR黒歴史」から展望するこれからのVR,
http://www.huffingtonpost.jp/katsue-nagakura/virtual-reality_b_8128690.html
[7]日本のVRの黒歴史【2015版】, http://togetter.com/li/872144
[8]EON Reality IDC, http://www.eonreality.com/interactive-digital-centers/
[9]国際学生対抗VRコンテスト(IVRC),  http://ivrc.net/
[10]IVRC日仏交流の歩み, https://www.youtube.com/watch?v=kIGCI1N-OVk
[11]VR Research (Facebook Group), https://www.facebook.com/groups/vr.res/

【略歴】白井 暁彦 (SHIRAI Akihiko, Ph.D)

1996年 キヤノン(株)入社,キヤノングループの英国ゲームエンジン開発企業Criterionを経て,2001年 東京工業大学総合理工学研究科博士後期課程に復学,2004年に『床面提示型触覚エンタテイメントシステムの提案と開発』で博士(工学)取得.(財)NHK‐ES,フランスLavalでのVRによる地域振興,日本科学未来館科学コミュニケーターを経て,2010年より神奈川工科大学情報学部情報メディア学科准教授.専門はVRエンタテイメントシステム,メディアアートの工学教育.フランスで18年開催されている世界最大のVRフェスティバル「Laval Virtual」の国際デモ部門ReVolutionのチェアマン.24年続く国際学生対抗VRコンテスト「IVRC」の実行委員・審査員.著書に『WiiRemoteプログラミング』,『白井博士の未来のゲームデザイン ―エンターテインメントシステムの科学―』など.

「ポケモンGO」が拓く、歩きと愉しみの関係。

PokemonGo大型アップデート記念!

本稿は、株式会社オリンピックが発行する株主向け小冊子「KoSaTen(交差点)2016年冬号(Vol.47)」の巻末エッセイ「時代を読む」に寄稿した 「ポケモンGO」が拓く、歩きと愉しみの関係。 の再掲です(原稿の執筆は2016年10月5日)。

ギネスブック同時5記録達成の「お化けゲーム」

2016年7月22日、待ちに待ったスマホゲーム「ポケモンGO」が日本でも公開されました。配信初月でもっとも多くの国でダウンロードされ、ダウンロードチャート1位を総なめし、売上チャート1位も総なめし、配信初月でもっとも収益を上げ、もっとも早く売上高1億ドル(約100億円)に到達したモバイルゲームとしてギネスブックに同時に5つの記録を達成した、文字通り「お化けゲーム」です。この記事をお読みのみなさんも、きっとインストールして、プレイしてみたことと思います。
実はこのゲームの開発会社は「イングレス」というゲームを三年以上前に開発していました。イングレスは世界中にあふれる謎の力を追い求めて、スマホを持ってエージェント(スパイ)として、囲碁のように世界を二分した陣取り合戦を行うゲームです。このゲームの中で不思議な力が湧き出す泉を「ポータル」と呼び、プレイヤー自身が写真を撮って申請することができました。ポータルは、寺院仏閣や教会、郵便局や地元の珍しい銅像など、人が集まる場所やアート性のあるものなどが選んで採用されました。ポケモンGOに存在するポケストップやジムはそのデータがそのまま使われているのです。

ひとは歩いているだけで、おもしろい

しかし、ポケモンGOはなぜここまで広まったのでしょうか。「ポケモントレーナーになれる」という点、ポケモンの可愛らしい映像も魅力的ですが、それだけではここまで爆発的にはヒットしません。それは「歩く」ということに注目した新しい体験だからです。現代社会において、歩きたい人・歩ける人はたくさんいます。きっかけや目的が欲しいのです。イングレスに共感した層はSFファンの四十代男性が多かったのですが、ポケモンGOは現在三十代の初代ポケモン世代に加えて、もっと上の世代にも響いているようです。ポケモンで育ったお孫さんやお子さんを持つ熟年〜初老といった世代が熱心にプレイしています。本人は、そこまでポケモンに興味はなかったけれど「歩くという誰でもできること」で貢献できるなら、早朝の散歩や犬の散歩のついでに、共通の話題ができていいかな?という感じで入り込んでいるようです。筆者の研究ではこれを「複合ペルソナ」と呼んでいます。

まだまだ進化するゲーム

世界中でいろいろな社会現象を巻き起こしているポケモンGOですが、国や地域でずいぶんと温度差は異なるようです。日本は熱狂的なプレイヤーが目立ちますが「日本人が特殊」という話ではなく、車を使わずに生活できる、密集度が高い都市に公園や寺院のような広場を多く持つという点がポイントのようです。
そしてこのポケモンGO、まだゲーム自体は当初設計の三分の一ぐらいしか実現されていません。まだまだ多くのプレイヤーを巻き込んで、人々を新しい世界に連れて行ってくれる可能性があります。それはゲームの中だけの出来事ではありません。世界を観察しながら気楽に歩いて、ポケモンたちと記念撮影を楽しんでみてください。いままで「見えない世界の出来事」だった存在が、より身近になっていくはずですよ。

白井 暁彦(しらい あきひこ)神奈川工科大学 情報学部 情報メディア学科 准教授
VRエンタテイメントシステムの研究者。東京工業大学 知能システム科学専攻卒、博士(工学)。事務機メーカー、ゲーム業界、放送業界、フランスでのテーマパーク開発、日本科学未来館科学コミュニケーターを経て現職。位置情報ゲームの活用や多重化映像システムなど幅広く研究。著書「白井博士の未来のゲームデザイン -エンターテインメントシステムの科学」他。

現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読んだら、実は大変なことが書いてあった。

時間を創り出す

初のメキシコ遠征以来、ソンブレロを頭に装備していたら、自分の中のラテンの血に火がついたのか、いろいろ考えて書いたり描いたりする時間に費やすことにしている。
秋の夜長というのはクリエイティブに過すのに適している。
論文を書いたり、ブログが炎上したり、鉛筆画を描いたり、奥さんとデートとしたりもしている。
もちろん仕事もしておる。今日はこのブログを沼津から書いている。

「忙しい」とは心を亡くすと書く。「師走」はその文字のとおり、先生が走ると書く。
忙しいのは当たり前であり、12月に先生が「時間が無い・時間が無い」と言って挨拶や酒ばかり飲むのも「当たり前」のことである。

本当のクリエイティブとは「時間を創り出す」こと、と教えている。創造者とはそうあるべきだ。
費やす時間が無くなれば、どんなスキルを持っていても、ただの「忙しい人」だ。
時間を創り出せ、そうすれば創れる。

落合陽一氏に書籍「魔法の世紀」の書評を頼まれた

そんなメキシコ遠征直前のある日、Facebookメッセンジャーでこんなメッセージが届いた。

白井先生
<略>
11/27(金)に初めての単著である『魔法の世紀』という本を刊行することになりました。
「映像の世紀」から「魔法の世紀」へというテーマで、今この世界で起こりつつある変化の本質を、テクノロジーとアートから語った1冊です。帯文は、富野由悠季監督、堀江貴文さん、チームラボ猪子寿之さんに寄せていただき、また、装幀は鈴木成一さんにお引き受けいただくことができました。
<略>
この手の固い本(コンピュータ史やデジタルカルチャーなど)が売れることはあまりないのですが,一気にSNS上に本の情報を溢れさせることで、コンピュータ文化やHCIに世間を巻き込んでいきたく考えております!
<略>
落合陽一

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4905325056
魔法の世紀

落合陽一と白井暁彦

この場を借りて、落合氏と私の関係を話しておく。私はいつも”落合君”とお呼びしているが、今は筑波大学の先生であるから”落合先生”とお呼びするべきで、しかも落合くんを”先生”と呼ぶと個人的には侮蔑や嘲笑に値する感じがなぜかするので表記上”落合氏”とする。

2014年9月18日(木)は氏の誕生日だったらしい。日本VR学会大会@名古屋大学にて。このときはたしか、落合氏が米国のマイクロソフトリサーチのインターンシップから帰ってきた日で、名古屋にたどり着いたけど日本円をまるっきり持っていないので、会場のレストランでご飯をご馳走してあげた記憶がある。

初めて落合氏にちゃんと会ったのも、確かそこから4年前の2010年 9月16日(木)あたり。金沢工業大学・日本VR学会 第15回大会だったと記憶している。私が日本科学未来館での非研究者としてのポストから、学壇に戻って初めての日本VR学会で、多重化隠蔽技術に関する初めての学術発表行い、エキサイティングなディスカッションを東北大学の北村先生と交わした。発表も終わった会場で、共著者である東工大・長野光希らと研究に関する反省会を行った後だっただろうか。懇親会に向かおうかという閑散とした会場に、落合陽一はいた。

大学3年生が学会にソロ参加している時点でも面白いな、と思ったのだけれども(長野君も当時3年生だった)、IPA未踏ユースプロジェクトで採択された「電気が見える」デバイスとソフトウェアの開発について、目の前でいろいろ見せてくれた。

「電気が見えるデバイス」は、何が面白いかと言われると、一言で説明するのが難しい。要素がいっぱい詰まっているな、と感じた。直感的に分かりやすいものを作っているけれども、そもそもどうして電気を見えるようにしたいのか?というモチベーションに興味が行った。予算獲得の説明にあるような「理科離れ」とか、単にかっこよく見せたいとか、そういう他のプロジェクトや作り手とは違う、「野生」のようなものがこの人物には感じられた。落合氏の白黒をベースにした独特の風貌のせいだけではないが、一要素ではある。

Horiemon.comより

私も野生の生き物なので、野生の勘を感じつつも、アホみたいに「お父様が国際ジャーナリストの落合信彦なんだってさ~」という紹介で、これまた懇親会場で近くに居た現代美術館の森山朋絵さんに紹介し、スーパードライを飲みながら盛り上がったことを記憶している。

お父様が国際ジャーナリストなのに、名前がプラスとマイナスで陽一とは、なんとカオスなのだろうか。
本人は「電気を見えるようにしたい」といっているし、
こんな白黒ファッションをしつけている、お母様は陰陽術士に違いない。

その後の私と落合陽一氏は「ジョナサン・ノマドワーク仲間」とでも表現できようか。
私が深夜・日中のジョナサンで「白井博士の未来のゲームデザイン」の執筆や、論文やコーディングをしている頃、ちょうど彼も似たようなことをしているから非同期遭遇率が多いのである。ジョナサンはドリンクバーもあるし、シートが柔らかく、机も広いので、執筆向きなのである。
朝の3~4時ごろのTwitter上で出くわすことが多い。

https://twitter.com/o_ob/status/394382735139028992/

もちろん最近は私は徹夜をしないようにしているし、テレビやメディアでの露出が多くなるとジョナサンで仕事していると一般の人に声を掛けられてしまったりするので、悩ましい。

メディアアーティストとしての落合陽一

私は工学者としての側面からメディアアートを教えることが多い。
メディアアートは「ニューメディアアート」として語られたり、{媒体,コンピュータ,ガジェット,ネットワーク}アート、「科学と芸術の融合」と語られたりする歴史があるが、エンタテイメントシステムを研究する私は、ここ数年「メディアアートは人と人との関係性を創るアート」として説明してきた。

そういえば、私自身も東京工芸大学の学生の頃、アーティストを名乗っていた時代もあった。
しかし、写真であったり、イラストレーションであったり、マンガであったり、コンピュータグラフィックスであったり、映像であったり、ゲームであったり、バーチャルリアリティであったり、論文であったり、ジャーナリストであったり、そして工学者であったり、研究者であったりと、単なる「アーティスト」と自称するのは作品さえあれば問題は無いのかもしれないが、表現する「arts」が多すぎて、受け手の考える「アート」の枠では収まらない。なんとなくファインアートの人々に失礼な気もするし。

落合陽一は、たしかにガジェットを作ってはいるけれども、筑波大学にはいるけれども、明和電機岩田洋夫先生、クワクボリョウタ氏に代表されるようなツクバ系デバイスアーティストとは何かが違う。

私はエンタテイメントをまじめに研究する側なので、明和電機のようなエンタテイメントは大好きだ。しかし、落合陽一は自己表現のためにアートをやっているのは間違いないが、他の自己目的性のアーティスト、つまり「表現したいからやっている」という自己目的性ではなく、何か別の目的があることを感じる。

何が違うのかは、このブログアーティクルの中で、書評とともに、分析していきたい。

落合氏は「現代の魔法使い」、私は「錬金術師」。

落合氏は自分のことを「メディアアーティスト」とは名乗らず「現代の魔法使い」という通り名でセルフプロデュースしている。メディアもそのいでたちと響きをうまく受け止めているようだ。

自分が2010年から研究している多重化隠蔽映像技術も、多くの人が体験したときに「魔法だ!」という反応を示す。

電気的な道具を使わずに、偏光だけで、かつ何の改造も施していないディスプレイが多重化する。見ている映像がフィルタを通してみた場所だけが異なる体験に、人々は「魔法」を感じる。多くの人々は技術的な説明を聞きたがる。私も科学コミュニケーターの端くれなので、説明はするが、アルゴリズムの細かい話をしても納得する人など居ない。そもそもそんな質問をするのは電機メーカーのエンジニアか、研究者ぐらいで、酷いときにはさんざん説明した後に「わかった!これで別の特許が出せそうだ!」なんて失礼なことを言い出す人も居る。優れた技術デモというものは、そうやって多くの人に別のアイディアを与えてしまう事をよく経験する。私は錬金術師なので、普通の金属をレアメタルに変えるような技術の創出方法には興味があるけれど、私自身のアイディアにインスパイヤされて出た特許など興味は無い。ただ、人々の頭の上に浮く「!」については、錬金術の材料として興味があるので展示などはできるだけ前に立っていろんな人に「!」の理由を聞き出したい。人によって、「納得した!」というラインは様々異なる。「技術が知りたいのではなく、納得したい」という人がほとんどであるので、時間が無いときは「魔法です」というと、「ああ!なるほどね!」と納得してしまう人も本当に居る(もちろん技術という魔法として解説するが)。

さて落合氏の話に戻る。落合陽一の名前を知らない人でも、この動画は見たことがあるかもしれない。

これは私がチェアを担当しているフランスのLaval Virtual ReVolutionで展示された、音響浮遊+LEAP Motionによるデモで、これを体験するLavalの子供たちはまさに、魔法使いの体験だった。

Lavalでのこの写真を見ていると、落合陽一が「魔法使い」として具象化している。

実は「現代の魔法使い」との通り名は、ホリエモンこと堀江貴文氏が名づけたとのこと(落合氏の記録による)。ちょうどこの頃、私も堀江氏にインタビューされ、このイベント「ホリエモン春のVR/AR祭り@ロフトプラスワン」(2014/3/31)にも呼ばれて一緒に講演していたので、私は落合氏が「現代の魔法使い」として登場する過程を「ハコスコ」登場とともに、目の当たりに見届けていることになる。

落合氏が「現代の魔法使い」なら、私は「偏光の魔術師」とか「現代の錬金術師」でありたいと思う。私はお金に興味があるわけではないが、こなれた物質であるコンシューマーデバイスであるWiiRemoteなりKinectなり3Dディスプレイといった、当たり前のマテリアを金(キン,Au)に変えるような技術を研究するのが大好きだ。世の中は、「カネに変えたい人」は多いかもしれないが。

現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読む

魔法使いにしても錬金術師にしても、世間からは「ウサンクサイ」と思われるのが常である。私は魔術師でも奇術師でもなく、錬金術師なので、どうやったら普通の金属が価値のあるレアメタルになるのかを理解しているし、説明しろといわれれば納得のいく説明方法を用意できなくもない。落合陽一は「魔法使い」であるから、魔法を使う。魔法を作る方法もおそらく知っている。魔法使いの中には、魔法を使っているが作る技術がない者、魔女のように世間からの迫害を避け、隠遁生活を送る者も多く居るが、氏はそうではなく、自分で作るだけでなく、どんどんと衆目に向かっているようにも見える。

そんな落合氏が書いた「魔法の世紀」。
さて読み解いていこう。

「魔法の世紀」表紙と帯から

「魔法の世紀」落合陽一

表紙はLaval Virtual 2013でも展示された「コロイダルディスプレイ」。帯の解説もしておく。

情報技術がディスプレイの内側ではなくこの現実を変える時代、
「映像の20世紀」は終わりを告げる。そのとき社会と芸術は変化するのか。
その最先端を担う研究者にして、メディアアーティスト――
28歳の<現代の魔法使い>が世界を揺るがす――。

富野由悠季:
現代の魔法使いの杖が古典に内在するアートを掘り起こし、新しい世界への道筋と在り様を語る。若さ故の語り落としもあるのだが、その心意気は憎くも愛したい。落合陽一はニュータイプだろう。

堀江貴文:
コンピューターは僕にとって魔法の箱だった。そして魔法はまだとけないことをこの本で知った。落合陽一の魔法があれば、僕はあと50年は戦える

チームラボ猪子寿之:
未来を生きるすべての人々へ

富野氏の「落合陽一はニュータイプ」という言葉はインパクトがあるし、富野ファンにとって、あまりに汎用的な1行なため、単なる富野節というか、軽く聞こえてしまうかもしれない。しかし、本書を読んでみると富野氏のメッセージの前半のほうがはるかに意味がある。富野氏はなぜ落合氏の「心意気を憎くも愛したい」のか。

堀江氏は私と同世代なので、「コンピュータは魔法の箱」という視点は共感できる。そして「コンピュータの魔法がとけるんじゃないか」という疑念を抱いている。たとえば2015年現在のiPhoneや、今年登場したAppleWatchの存在は、まるでワクワクしない。「魔法がとける」という言葉は「解ける」つまり、種明かしをされてしまう、という意味もあるが、本書を読むと、これは「溶ける」と脳内変換するのが良いと思う(詳しくは本書内の八谷和彦氏の発言を参照)。「あと50年は戦える」という表現は1世紀の半分を意味するが、これは堀江氏の「我が闘争」を読まねば真意は分からないかもしれない。気になるのは「落合陽一の魔法があれば」の11文字で、これは帯を使った公式の投資オファーなのか、落合陽一氏が本書で語る「魔法」についての話なのか、未来の読者のために、解説はしないでおく。

猪子氏はひとこと。「未来を生きるすべての人々へ」。明らかに多読な堀江さんに比べ、猪子さんは本なんて読んでなさそうなキャラクターではあるけれど、この13文字で、かなりのことを語っている。帯は本当に文字数制限が多い。猪子氏はこういうとき、軽く天井のほうを見ながら目を閉じて、彼のスーパーコンピューターにアクセスして、突然ひとことで、こういうことを言う人物。私も、この13文字には同意する(結論で理由を述べる)。

帯と装丁で、ちょっとだけ残念なのは、この書籍がいったい何なのか?
いわゆる 普通の人 には全くわからないことだ。
本を開けば縦書きだし、一般の書店流通を通していないらしいし。

Amazonで買うのが一番手っ取り早いが、装丁が美しいので手に取りたい魔術書ならではの魅力がある。おそらくこの書籍を店頭に平積みしている書店があるとすると、おそらくその書店は魔術書を好んで扱う書店に違いないからTwiterで落合氏に報告すると好まれるだろう。

「魔法の世紀」目次から

私自身の書評は本エントリーの最後のほうにまとめた。約束どおり、Amazonにもポストした。ここから書評が始まるかと思うと、読み手としてはクッソ長いブログですまないが、読みすすめてほしい。

以下、目次より抜粋する。ちなみに1章ごと1冊の本といえるぐらい、内容が濃く、テンポが速く、テイストが違う。

  • まえがき
  • 第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー
    魔術化する世界
    コンピュータを〝メディア化”したアラン・ケイ
    早すぎた魔法使いと世界を変えた4人の弟子
    ユビキタスコンピューティングへの回帰
  • 第2章 心を動かす計算機
    なぜ僕は「文脈のアート」を作るのをやめたのか
    メディアアートの歴史を考える
    アートがテクノロジーと融合する
    コンテンポラリーアートの背景にある「映像の世紀」
    「原理のゲーム」としての芸術
    コラム メディアアートとしてのキャメロン作品
  • 第3章 イシュードリブンの時代
    プラットフォーム共有圧への抵抗
    新しいことをするために
    なぜイシュードリブンの時代なのか
    コラム 人工知能は我々の世界認識を変えるか
  • 第4章 新しい表層/深層
    デザインの重要性
    デザイナーの誕生─バウハウスの産声
    表層と深層を繋ぐもの
    表層と深層の再接続がもたらすもの
  • 第5章 コンピューテーショナル・フィールド
    メディアの歴史
    「魔法の世紀」における「動」の記述
    コンピューテーショナル・フィールド
    コラム 計算機にアップデートされる美的感覚
  • 第6章 デジタルネイチャー
    「人間中心主義」を超えたメディア
    コード化する自然:デジタルネイチャー
    場によって記述されるモノ
    エーテルから生成されるモノ
    魔法の世紀へ
  • 落合陽一 メディアアート作品紹介 2009〜2015
    あとがき
    画像出典一覧/ 引用文献一覧

“まえがき” を解説

まえがき「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ p.12より引用する。

「映像の世紀」のまっただ中の1973 年に、SF 作家アーサー・C・クラークは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という有名な言葉を残しました。
魔法とテクノロジーについて考えたときに皆さんが最初に思い浮かべるのは、この言葉ではないでしょうか。
研究者やエンジニアたちは、世の中に文字通りの「魔法」なんて存在しない、最初からあり得ないものと思い込んでいます。だからこそ、彼らはこの表現に巧妙さを見いだすのでしょう。しかし、僕はこの言葉を、単なるレトリック以上の可能性として捉えています。つまり、ありえないほどの超技術は、文字通りの「魔法」になりうるのではないか、と。
僕は「再魔術化」の果てにあるのは、まさにクラークが遺したこの言葉が実現した世界だろうと考えています。

余りにも有名なアーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」は実は3本法則あるうちの3法則目「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」で、私が好きなのは第1法則「高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている」だったりする。それはともかく、この時点で「魔法」とか「再魔術化」などの言葉が出てくるので、この本の読者であろう研究者はエンジニアたちは面食らうことに違いない。

この書籍を読んで、落合氏の技術やその発想のエッセンスを盗み取ろうと考えた人々は、まずここで降参する必要がある。頭を中学二年生ぐらい設定する必要がある。この本を読むときの心構えとして、私はあえて「この本はSF」として設定することをお勧めする。

なお、アート系の読者のなかでも特に哲学よりではなく能天気な読者は、何も考えずに2章から読み始めたほうがいいかもしれない。

「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」 を解説

この章は、読む人にとっては面白い。
一方で、読む人にとっては、全く面白くない。
その評価は「世代」と「勉強への興味」によって分かれるかもしれない。

面白いであろう世代は1990年生まれ以降のデジタルネイティブ世代。
面白くないであろう世代は1960年代生まれのマイコンとともに育った世代だ。
私は1973年生まれなので半々の世代。

本章を面白くする、もうひとつの軸が「読み手の勉強への興味」、知的探究心だろう。
本章は完全に歴史書だ。ドラマはほんの少ししか含まれていない。
「歴史が好きだ」という人や「歴史を学ぶのが好きだ」という人で、それを知らない人にはワクワクする話だろうが、その歴史をリアルタイムで生きてきた人々、特に紹介される人物のライバルだった世代には面白くない歴史でしかない。富野氏の「語り落とし」はこんなところも見える。

本章は、おそらく「魔法の世紀」を明確にするため、20世紀を「映像の世紀」と定義するため、歴史書として配慮して書かれたものと思われる。
しかし構成上のつくりから面白いところも感じられる。

確実なことは、落合氏がアラン・ケイに特別な敬意を持っていること、だ。
「サザランドの4弟子」であるのに、別次元で扱っている事から読み取れる。

私もアラン・ケイには大きく揺り動かされたので、共感する。

ちなみに1章だけで、1冊のコンピュータ・インタラクションの教科書といえるぐらい、情報量が多く、かつテンポが速い。
落合氏が、学生時代にノートに書いていたことをそのまま再構成したのではないかと思うような知識量と、歴史の再構成がなされている。
クラスの優秀な人物のノートをテスト前にコピーさせていただくような表現で申し訳ないが、
これをそのまま教科書として使いたい。
メディアアートやコンピュータの歴史を教える教員にだけ(こっそり)教えておく。

「第2章 心を動かす計算機」を解説

第2章も歴史が続く。しかしこの章は第1章と比べると、ドラマチックだ。

おそらく第1章は工学系の読者に配慮したもので、歴史上の事実を圧倒的な情報量とその整理をもって圧倒し、最後に「Pixie Dust」に至るまでの道筋を必然とするために必要だったものと考える。

しかしアートを批評するものは主張、能天気なクリエイタは主観と技法で物事を判断する。第2章はそれらすべてをドラマチックに巻き込んでいく。

余談ではあるが、まず嬉しくも複雑なのは、落合氏は、まぎれも無く「メディアアートで育った世代」であるということ。幼少期の写真や体験などはテレビ番組などで特集されているので知ってはいた。たしか電話を破壊している。私の場合は、時計を破壊(主観では「分解して再度組み立てに失敗」している)、母の大事な高級腕時計をより美しくするために食洗機にかけて破壊したこともある(私は母が生きているうちにオメガを弁償せねばならない)。「電話」というデバイスは、私は分解対象にはしなかった。黒電話はたしかに魅力的ではあったけれど、通話は有料なので、子供が自由に触ってはいいものではなくリカちゃん電話や110番といった禁断の遊びに近かった。私はそういう少年時代であったが、落合氏は少年時代にMIT石井裕先生の「タンジブルビット」の展示に出会っている。石井裕は電話会社NTTの研究員だった。メディアアートの美術館である初台icc(インター・コミュニケーション・センター)もNTTの資本で創設された。「Demo or die」のMITメディアラボ、数ある石井裕の作品・技術デモの中でも、「ミュージックボトル」という「タンジブル・メディア」の中でも比較的難解な原理的メディアアートがきっかけになっていることを知れて興味深い。

筑波大学に滑り止めで受かった落合氏は、すでに紹介した日本を代表するメディアアーティスト、クワクボリョウタや八谷和彦といった人々に直接影響を受ける。

個々の出会いのドラマについては本書を楽しみに読んでほしい。
以下は、iPhoneとの出会い。

僕も当時、さっそくiPhone を手に取ったのですが、その便利な機能を使ううちに、はたと考えこんでしまいました。こんな凄いデバイスが普及していったら、人間はコンピュータの下位の存在になってしまうのではないかという疑問が生まれたのです。

なるほど。落合氏でもそう感じることもあるのか。
問題はその後で、きわめて中二的な思想世界が展開される。

コンピュータの総体が、ひとつの意思や特殊なエントロピーのような性質を持っているのではないかと考え始めたのはこの頃です。
人間とコンピュータのどちらが主体なのかを。
生物学の知識がある人は、ミトコンドリアは元来独立した生物だったのに、自身を効率よく複製するために真核生物と共生を始めたという説を知っていると思います。
同様に、人間も自分たちをより確実に生存させるべくコンピュータを使っているうちに、気がつけばコンピュータにとってのミトコンドリアになっていくのではないか
─ふと、そう思ったのです。なかなかにクレイジーな考えかもしれないですが
……。

わかるわあ。
私の青少年のころは逆で、コンピュータがミトコンドリアになって人類に組み込まれる可能性を感じたものです。まだ実現していないけどバイオコンピュータとか。

当時の僕は人間がコンピュータのミトコンドリアになる未来を、世の人々に受け入れさせるべく人間の自己認識を問うような作品を作っていました。この考えは現在では少し変わっている面もあるのですが、その後の研究にまで繋がる大きなテーマになっています。

氏の「文脈のアート」作品の中でも最もインパクトがある作品は「ほたるの価値観」だろうか。

 

氏が「ほたるの価値観」に至るまでに昆虫を殺しまくって以降、「視野闘争のための万華鏡」や「サイクロンディスプレイ」を作っていた頃、この転換が訪れる。

その後、僕は本格的にメディアアートの作品に接近していきます。当時、特に興味を持っていたのが、人の認識の解像度の問題について錯視を用いて迫った作品です。

この問題を考えるキッカケになったのは、またしてもApple 社です。その頃に発表された超高精細のRetinaディスプレイが、人間の網膜では区別がつかないレベルの解像度だと話題になっていました。ところが、ちょうどその時期に、僕は『貴婦人と一角獣』という世界最大級のタペストゥリーを見る機会がありました。その巨大な絵の前に立っているときにふと、これは全て刺繍で作られているのだから、縦糸と横糸をピクセルと解釈すれば、Retinaよりずっと解像度が高い世界最高のピクセル表現と言えるのではないかと考えていました。

そう。
「Retinaは網膜って意味だぜ」「だから網膜の分解能より高いんだぜ」って言ってる連中を、「はあ?何いってんの?」と一蹴してしまうのがただの工学者や理学者の発想と行動だが。

人間の目の分解能と空間の本質的な解像度の対応は正確に言えばディスプレイのピクセルの細かさで判断するのは難しい(例えば星の光は解像度というよりは光子が眼球に飛ぶこむことによる対応関係で考えた方がわかりやすい)のですが、そんな風に解像度という言葉を拡張
していくと、現実世界はある意味では無限に解像度が高いディスプレイであるとも考えられます。そして、この無限に解像度が高い錯覚の信号からイメージを生成できれば、それは現実と変わりがないのではないかと考えたのです、そういった現実性の再定義みたいなものを作品として作っていくことも面白いなと思っていました。

最近私はこれを「Real Virtuality」と呼んでいます。

氏は、続けて文脈のアートからの転換を書いている。

最近の僕はいわゆる文脈的な作品をほとんど作っていません。代わりにメディア装置の研究ばかりしています。
これは大学の研究者とアート活動を往復する中で、あることに気づいたのが理由です。どうやらメディア装置の制作による「表現」という試みと、メディア装置の「研究」はよく似た特徴を持っている─そんなふうに思うようになったのです。
この僕の結論はあまり理解されないかもしれません。なぜ新しいメディア装置の研究がメディアアートの表現になるのか─怒る人もいそうです。

「デバイスアート」が何であるのか?を世間に伝えるために、日本科学未来館で1日3,000人ぐらい来るお客さんに、科学を伝えていた私(科学コミュニケーター)からすると、怒るというより、このような青年が登場してくれたことに安堵を覚えざるを得ない。世の中はいまだに「科学と芸術は相容れない」なんてことを当たり前のように考えている一般の人や、企画者にあふれているのだから。

続く「原理のゲーム」としての現代芸術の解釈、歴史も大変役に立つ。

 

ちょうど昨日、2015年の11月27日に発売されたばかりの書籍なので、書籍の全てを分解してしまうのは誰にとっても嬉しくない。続く章も解説していきたいが、それは読むものの自由を奪う行為になるので、今日はこのへんでやめておく。いつか追記するかもしれない。

2章の中で、ひとつだけ、紹介しておきたい図がある。「うなずきん」だ。

unazukin

落合氏はこの「うなずきん」を相手に涙している。

書評:落合陽一は「現代の魔法使い」ではない、魔法使いを名乗る「未来人」である。

この本を読んでいて、私の中での「ある仮説」が確証付けられていった。
落合陽一は「現代の魔法使い」ではない。
魔法使いを名乗る「未来人」である

理由がいくつかあるが、端的に紹介しておく。

歴史について詳しい上に、整理されすぎている。この本はSFでありFuturology(未来学)の本だ。私も「白井博士の未来のゲームデザイン」で未来学を書いたので、Futurologistの端くれなのかもしれないが、人類が現代まで築き上げてきた知識と経験を、現代の子供が28年間の間に効率よく学んだとしても、ここまで整理をして凝縮して伝えるのは難しい。一方で「魔法の世紀」を生きている未来人が、何らかの事故で「映像の世紀」に産み落とされてしまい、未来人の観点から過去の歴史を整理していると考えれば腑に落ちるし、「魔法の世紀」からみた歴史上の重要でない事項を語り落としたとしてもあってしかるべきだ。父・落合信彦氏も「2039年の真実」を書き、Wikipediaによるとブラックマンデーの直前にはドナルド・トランプに「売り」の指示を出して大統領候補の大富豪トランプの損害を大幅に救ったことがあるそうだから、実は家族そろって未来人一家なのかもしれない。

超時空要塞マクロスに乗って宇宙を地球に向かって漂流している未来人にとって、メディアアートは原理と文脈のゲームでしかない。
フェムト秒の時間で世界を観測している未来人にとって、物質は「窓」でしかない。

未来人であることは、さすがに秘密にしておいたほうがいいので、
魔法使いを名乗って、それで世間をカモフラージュしているのだろう。

「命を削って書きました」

落合氏が未来人であるかどうかの正体はともかくとして、彼は現代に生きている。ご自身がつぶやいておられるように、この書籍は「命を削って」書いている。私も落合氏も同じであると思うが、博士論文も命を削って書いているし、テレビ番組だって命を削って出演している。Twitterにおけるつぶやきだって、そうだ。ただの大学生だった落合君は、博士になり、いまや日本を代表する魔術師になっているが、彼の削命行為は衰えるどころか、ますます輝きを増している。

なぜリスクをとり 命を削るのか

氏は、最近、筑波大学の助教に着任された。大学1年生から研究室に出入りする学生を巻き込み、こんな活動をされている。

<落合陽一×SEKAI NO OWARI>ライブ会場に「魔法」をかける〜Zepp DiverCityを大改造!

安全なところで、時間もかけずに、リスクもとらずに先生面していることだってできるのに、あえてホコリまみれになり、高所に登り、作業をする。しかもこの作業には私の知るところでは大学1年生の教え子たちも参加している。このようなリスクをとり命を削る本当の目的とは何か。それは「育ってほしい」からではないだろうか。いや、正確には育った後に「次の世紀に進んでほしい」に他ならない。馬鹿のふりをする、誰もやらないことをやる、面倒なことに時間をかける。それらはすべて「自分がやりたいからやる」のではあるけれど、そのような馬鹿を単身でやること事態に相対的な価値などない。社会に対して発信する意味があるのは、それを背中で示す必要があるからではないだろうか。

私は落合氏の考える世の中観は当初(書籍を読むより、ずっと前)、非常に荒っぽくナマイキな感じがしたけれども、それは19世紀末の人間が20世紀の人間を見たら、誰でもそう感じるだろう。未来から来た未来人なのだけど、何かの理由で未来と現代を行き来することはできないから、苦悩している。未来にはどんな病気も治す薬などもあるかもしれないが、現代では入手できないから意外な苦労もするだろう。前世代の古代酒をうかつに口にして壊れることもあるだろう。そうやって思わぬところで死線をさまよい何かを悟った後に、「命を削って研究をすることの意味や覚悟」をよく理解していて、私は共感している。それは本書の中では「モチベーション」として表現されている。「コンピュータになくて人間にあるもの」、それは「やる気」であると。

過去には「根性」と呼ばれていた時代もあったが、未来人であってもそれは変わらないようだ。
人工知能がいくら進化しようとも、研究者にとって、研究はライフ(Life: 人生、生活、一生、活力…)であり、「モチベーション」だけが人間の存在価値なのだ。

落合氏はどこに向かうのか

人工知能に関するコラムで、氏は興味深い「最高の未来」を語っている。

p62

「コラム 人工知能は我々の世界認識を変えるか」(p.123):
人工知能の話をすると、こういう方向に話が進みが ちですが(ちなみに、僕は本当に人工知能が全てをやっ てくれる世界が来たら、仏国でワインでも作りながら 暮らすつもりです。人間らしいことだけをして暮らせ ばいいだけの、最高の未来だと思います)

後半のアカデミアとの関わり方は未来人が言うのだから仕方ない。
最近は温暖化の影響でワイン産地もだいぶ北上していて、近い将来にはロワール川北側のLavalでもワインが作れる時代が来るかもしれない。

「魔法の世紀」の普通の人たちの暮らしは、フランスの田舎にある。

おわりに

私の長々とした人物紹介と書評を読んでくれてありがとう。

このすばらしい書籍を現代にプレゼントしてくれた落合陽一氏にまずは拍手と喝采を浴びせなければならない。

御礼のかわりに、Amazonには以下のようなショートレビューを書こうと思う。

「十分に発達した魔法使いは、未来人と見分けがつかない」

本書は工学書であり、美術書であり、メディアと現代美術の歴史書であり、サイエンスフィクションである。

落合陽一は「現代の魔法使い」ではない、魔法使いを名乗る「未来人」である。

2015年、歴史の大車輪において、
「映像の世紀」である20世紀の様々な輪廻が起きている。

「魔法の世紀」に生きている落合氏にとって、
iPhoneは人間の存在価値の喪失と悟りを与えるきっかけとなる装置であり、
バーチャルリアリティやメディアアートは必然であり、
それは世の中に溶け、Kickstarterでの資金集めも、
その輪廻の一部でしかない。
この輪廻を脱し「魔法の世紀」に進むためには、
我々はこの本を年内に読み、未来から過去に向けて、
前世紀の重力圏を脱しなければならない。

このような「魔術書」はなかなかお目にかかることはできない。

 

魔法の世紀

改題:バーチャルリアリティはバブルなのか?僕らのVRがもっと 面白くなる には?

今日は風邪を引いているのか、全身がだるい。

メキシコから帰ってきた時差ぼけもそろそろ抜けているはずなのに、全身がだるくて寒気がする。それでも講義もするし学生指導もするし、成績つけたり、コード(Kinect, Swift, JavaScript…)書いたり、原稿も書いたりしている。頭痛薬が効いているうちに、書きたいこと、書かねばならないことを書いておこうと思う。

[まえがき] このBlogエントリーはもともと「VB:バーチャル(リアリティ)バブルの空虚さに嫌気が差したので為になる駄文を書いてやる!」というタイトルで執筆された駄文である。議論に値しない「VRバブル」に関する駄文である。特に現在盛り上がりのある「VRコンテンツ」を楽しければいいとか、みんなの話題になればいい、という人々は読む必要が無い駄文である。初稿は、VRエンタテイメントシステムの研究を20年余、冬の時代も続けてきたゲーム業界出身のいち研究者による「原稿料の支払いになると返事が無くなるVR系Webメディアの担当者への私的なメッセージとその本質的な意味」を、本人にとって罵詈雑言ではなく、かつ本人以外の人々に理解可能な手法で再構成したものであり、それ以上の意味を持たない。かのような駄文であるにもかかわらず、この駄文にあえて興味を持ち、数多くの人々がリツイートを繰り返すので、その都度推敲を入れている動的な駄文である。当初、この駄文に興味を持つ人物として想定していたペルソナを挙げるとすれば、(1)現在のVRコミュニティの盛り上がりに対して、何か言語化しづらいモヤモヤを抱いている人物、(2)生業を棄て、人生を賭してVRコンテンツの製作にどっぷりと両足をつかる決断をしようにも、どこか不安な気持ちになる人物、もしくは(3)VRにこれから資本を投下して、何か一発当てたいというようなことを考えている投資家のような人物で、このVRのブームの中、どこに地雷が埋まっているかを示したつもりだった。しかしながら、熱と頭痛薬のおかげもあっていまいち焦点が定まっていないこの駄文は、この「地雷」を見事にヒットしてしまいそこそこに炎上してしまったものと思う。筆者がゲーム開発の時代(2000年)に感じていたモヤモヤが実際に具現化するまで、約3年の年月を要したように、現在は理解されないことが多いであろうことを明記しておくが、一方で、私自身にモヤモヤした怒りや興味を持っていただけた人、もしくは私自身の考え方に興味を持っていただけたのであれば「白井博士の未来のゲームデザイン」という書籍をおすすめする。2013年11月に刊行したときも、ある程度予言めいたことを書いたのだけれども、その後、そこそこに予言どおりの未来が来ている。なお「自分が好きなものだけ作ればいい」と思っているホビイストとしてのVR作家は、私は止めるつもりも汚すつもりもないし、多分気分が悪くなるから以下の駄文は読まないことをオススメする。私もホビイストの自由を尊重したいし、君らも私の自由は尊重してほしい。

 

ライターさんの立場はめちゃ弱い。

数週間前、忙しい合間を縫って書いた某ブログメディアの編集長からの返事が来ない。

2本頼まれたうちの1本を仕上げたら、もう1本の話も、原稿料の請求書の話もぱたりとこない。
(※その後、請求書をお送りしたら返事は来ました)

せっかく動画まで用意したのに。

(どんな記事になるはずだったのかは動画を見てお察しください)

もともとTwitter上で頼まれたようなお話ではあったのだけど、別にお金がほしいとか、紙の依頼状がなければ動きませんよとか、ちょうちん記事は書きませんよとか、”普通の大学の先生”のようなえらい話をしたいわけじゃあない。自分はこう見えてもTwitterやブログといった下品で野蛮で無制御なネットメディアだけでなく、書籍、応用物理や映像情報メディア学会、日本VR学会のような固めの学会誌、某学習教材の楽しい学び関係の原稿、有名なところではCQ出版社「インタフェース」やいまはなき「週刊アスキー」、「ファミ通」のようなゲーム雑誌も手伝うこともある。名前が出るものも出ないものもある。さまざまなメディアで書くのは文体も読者も異なるのでなかなか大変であるが、筆の肥やしとして書くこと、撮ること、編集すると、発信すること…は高校の新聞部ぐらいからずっと続けていること。

私自身は「ファミ通」は創刊号ぐらいから読んでいたので、おもしろい日本語や出版メディアの面白さは「ファミ通」を源流にしているものが多い。一方で、大人になってからゲーム系メディアのお仕事をさせていただく機会、もしくはそこに関わるライターさんや編集さんと接する機会があるといつも感じることは「ライターさんの立場はめちゃ弱い」という残念な点。企画からレイアウトからガチ攻略まで、夜を徹して面白いゲームをさらに面白くするゲーム系ライターさんなのに、くっだらない政治家のありもしない話でつまらない持論を並べ立てる新聞記者よりも給料が安く、立場が弱い。とても残念な現実であるが、しかしこれはそのゲームメディア自身が作り上げてしまった歴史でもあるので仕方ない。

「週刊VR通信」なるメディアは成立するだろうか?

VRが最近流行だけれども、「週刊VR通信」なるメディアは成立するだろうか?

かつての家庭用ゲーム機市場のように、プレイする側、作る側が大いに盛り上がっている時代であれば、可能かもしれない。今はまだ、開発者と開発者と開発者とファンが盛り上がっているだけで、雑誌メディア(電子書籍やBlogサイトも含む)を立ち上げるようなボリュームまでは達していない。しかしスマホアプリやソーシャルカードゲームの隆盛期においては、中高生やパチンコ雑誌の近辺を、きっちりとつないでいたメディアは存在した。私やうちの学生はそういうところでお仕事をさせていただいたりして、実際のコンテンツの外側で、何がどれぐらい売れて、市場性を持っていて、儲かるのか、儲からないのか、といった商品性の匂いを嗅がせていただいたりしていた。しかしながら、やはりライター業は成立しない。とにもかくにも給料が安すぎる。だいたい見開き1本で5,000円~10,000円程度のギャラである。手伝いだから仕方ない、と割り切るのも良いけれど、まっとうな仕事として、ほかの副業などもせず、これで税金と家賃と社会保障を払おうと思ったら、だいたい月に20~30本はこなさなければならない。1本のゲームで1本程度しか書けない、1日に1件以下の記事しか書けない人間には、無理。継続不可能。

しかもそれは、ライターさんだけの気合や根性やスキルだけでは成立しない。
後ろ工程にはDTPさんもいる。デスクにボツを出されることも、メーカーさんの都合で没になることも多々ある。事故だらけだ。

ゲームに活字メディアが必要な理由。

ゲーム系メディアは広告なのだ。面白い商品をそのまま伝えるならゲームを買えばいい。面白いゲームをもっと面白く伝えなければならない。でもウソはつけない。想像もあぶない。最近は無料体験版だってある。「無料のゲームを試してもらうための工夫」に資本を投下しないと、その先のインカムで回収できない。

ゲーム系メディアは錬金術師だ。ゲームの中での体験は、とても個人的な体験だから、「最高の体験」をしているかどうかはゲームプレイヤー自身はわからない。
もちろん作り手は「最高です!」って言う。
プレイヤーも「最高なのかもしれないな」と感じている。でも言語化できるひとはあまりいない。フォーマット正しく言語化して、恥ずかしげも無く発信できるなら、その人は、すぐにライター候補になれる。書く人、書きたい人が沢山いるというのも単価が下がる原因ではある。

各ライターさんは、本当は味がある。
言いたいことを言わせたほうが面白いけれど、時には炎上する。
ひとにはそれぞれ「面白さのモデル」が異なるから。
表現のメソッドも、理解するモデルも異なるから、慎重さと丁寧さで、メーカーの一時情報を作業的にこなす人か、もともと別の分野でカリスマのような要素を持っている人、以外はなかなか成功しない。

本当は一人ひとりの「伝える人」がもっと丁寧に仕事をしてほしい。
「作る人」が一生懸命なのを「伝える人」がいないと、「楽しむ人」が増えない。
「伝える人」がそっぽを向き始めると、あっというまにしぼんでしまう。

学術の世界の 書き手 はどうなんだろ?

一般的には知られていないかもしれないが、学会の依頼原稿や業界紙であれば社判つきの依頼状、締め切りや執筆・校正の方法などが書かれている。それでいて内容の信憑性はレビューにかけられるし、原稿料なんて良くて図書カードかQUOカードだ。つまりお金が目的で書いているのではない。名誉?そういうのもあるかもしれないが、一般の人が知らないマニアックな学会でたくさん原稿を書いたとしても名誉というより「暇なんだろ」としか思われない(そんな暇があるなら論文書くべきだから)。

私の場合、どちらかといえば学会からの依頼原稿の場合は「そのコミュニティの醸成」のために書いているのだと割り切っている。学会のような先端の研究を進めている人々の集まりにおいても、その情報をどのように扱うべきか?切り口を用意する必要があるときがある。また先端の人々が集まる学会だからこそ、その切り口を丁寧に作文化していくことで後進の役に立つことがある。長年続いている「SIGGRAPH見聞記」シリーズのように共著者である中嶋先生のスタイルに沿いながら、時には例年通り、時には鋭く切り込みを入れなければならない。芸術科学会 学会誌「DiVA」の編集を預かったときは大変ではあったけど、「学会誌にマンガ」を活用することで、新しい読者や興味、新しい切り口を提案できたと考えている。同時に電子書籍へのアプローチも進めた。編集だって研究なのだ。

VRの話に戻す。「VRの冬の時代」に。

ところで自分の印刷メディアとの付き合いとはもう少し短いが、バーチャルリアリティ+エンタテイメントシステムの歴史に1995年から20年余り関わっている。

VRはいまでこそ、人気があり勢いがあるが、この20年のうち18年は「冬の時代」だった。この学術コミュニティは派手好きではあるけれど、「謙虚で良い人」が多いので、VRは知っていても、日本VR学会の20年の貢献は余り知られていないと思う。ここで日本の研究者の貢献をちゃんと発信しておきたい。日本VR学会は1995年の設立総会以来、会員数1,000人を超える世界最大級のVR学術コミュニティのひとつである。ちなみに日本とフランスにしかVR学会は存在しない。英語圏先進国では1990年代、クルマ会社などを中心にVRへの大きな投資が行われた「VRバブル」と呼ばれた時期があった。「やれTやGが何十億のVR環境を整備したぞ」というニュースは飛び交っても、VRにおける経験や失敗を学術コミュニティで共有するという発想は、実は2000年代に入るまでは顕在化しなかった。そもそもVRを研究として看做していなかった国もある中、IEEE VRやACM SIGGRAPHなどの国際学会がその代理をつとめてしまったという経緯もある。

私自身、VR学会の年次大会は、会社員で「籠の鳥」だった時代を除けば、設立以来ほぼ毎年参加している。世界でも最先端のVRの技術デモを見ることができることがあるからだ。そういえば当時大学3年生だった落合陽一氏と初めて出会ったのもVR学会だった。そんな落合氏も「魔法の世紀」なる書籍を刊行するほど大成された。ネットやテレビだけでなく、書籍というメディアに活字と紙を通して発信していくことは大変重要だと思う。

VRの歴史と黒歴史について知っていてほしい

以下のスライドは、3DとVRの歴史上の大車輪について示している。世界のVRのパイオニアである舘先生からいただいたものであり、大変よく表現されている。実際にはこの年表の上に、VRや3Dだけでなく、人工知能やサイバネティクス、マイコンからパソコン、ムーアの法則にゲームの歴史も巻き込んで描くことはできるはずであるが、あくまで23年続く学生VRコンテスト「IVRC」関連のプロモーションで使わせていただいているスライドなので、そこは考慮いただきたい。

3D moves in 30-year cycles, VR moves 10 years after 3D crazes.
Slide from IVRC BoF, originally given Prof. Tachi.

日本の「VR黒歴史」については2015年9月に開催された日本VR学会大会の特別企画が大変に良くまとまっている。幸いなことに、ハフポストとTogetterによるまとめが存在するので参考にされたい。

■ VRブーム再び、歴史は繰り返すか?「VR黒歴史」から展望するこれからのVR(長倉克枝)
http://www.huffingtonpost.jp/katsue-nagakura/virtual-reality_b_8128690.html

■ 日本のVRの黒歴史【2015版】(Togetterまとめ)
http://togetter.com/li/872144

「3Dブームの後にVRあり」

3Dのブーム、流行、熱狂はだいたい30年サイクルできている。このサイクルが如何にして冷めていくかについては本気で語ればきりがない。メガネの衛生や視力低下、子供の使用における制限、家族同時に観ていられない(これは2x3Dが解決するが)。

そもそもステレオ立体ディスプレイ(S3D)の「奥行き」と「飛び出し」に驚いてくれる人は一過性のユーザーでしかない。たとえば映像研究家でありライターの大口孝之先生はこのあたりの歴史を大変よく収集されており、このS3Dの大輪廻を指摘している。舘先生の興味深い指摘は「3DブームのあとにVRあり」という現象の発見である。おそらく映像に3Dが求められ(背景としてはアナグリフ、偏光、シャッター、デジタルシネマといった技術基盤の成長はあるにせよ)、その不完全さに不満を感じるユーザやコンテンツホルダーがさらなる「体験」として、VRを求めていく傾向にあるのではないだろうか。聴衆の飽くなき欲望が、システムの機能や品質とコンテンツの質と供給を上回る上に、単価や価値自身は下がっていく。

 

VRは主観的な体験である。コピーできない。

映画メディアはマスのための冒険を体験させてくれるメディアである。今日のシネコンに配備されているHD~4K程度の大スクリーンで映画を見る意味は「みんなで観る。ちょっといい環境で、集中して観る」以外には見出すことが難しい。一方でVRはゲームに似て、「主観的な体験」である。今話題のVRは映像が中心の体験であるが、徐々にインタラクティビティやナラティブ、触覚や同期性・非同期性が、新しい魅力や体験を生み出すための重要な研究要素になっていくだろう。

そのようなエマージングな環境において、「VRコンテンツ」の定義は難しく、それこそ研究者がきっちりと定義するべきであるが、私の定義では「エンタテイメントシステム」を「人の娯楽に作用するためにデザインされたコンピュータシステム」とするのであれば、「VRシステムによって体験できるソフトをコンテンツと呼ぶ」という定義ができる。もうひとつ、エンタテイメントシステムの6要素である「虚構の活動」の部分を拡張しているコンテンツがVRコンテンツなのではないかという考え方がある。「虚構の活動」とは、それが「虚構であることがわかること」である。虚構であることがわからなければ、遊びが崩壊してしまう、という考え方である。

もちろん「崩壊なんかしねーよpgr」という主観的な主張は認めるが、現代の遊びの「自己崩壊」について、この図は理解できるだろうか。

  • いつでもやめられる自由 ⇒ SNSや携帯のおかげでいつでもできるが、やめられない
  • 日常と隔離された活動  ⇒ いつでもできるがいつでも遊んでいる(ようで…実は作業)
  • 現実世界に富を生まない非生産的な活動 ⇒ RMTで換金(したとたんに作業に…)
  • 現実とは区別がつく「虚構の活動」 ⇒ パチンコを「銀行」と呼ぶ人々
  • 遊びの世界を支配する「規則のある活動」  ⇒ チート。MOD。
  • 選択の自由がある「先が読めない」「未確定の活動」 ⇒ 攻略本によるボリューム稼ぎ

これらは「ゲーム」のようではあるが、「遊び」を「作業」に変質させる。
遊びの要素に作業のような没頭する要素はあるかもしれないが、それが生産的な活動や現実的な活動、ただのかさましなどに摩り替えられることで、プレイヤーたちはあっという間に覚め、飽き、他のエンタテイメント体験に移動していく。

「VR」は「仮想」ではない。大事なので もう一度言う。

VRのVirtualは「仮想」ではない。Virtualはもともと「実質の/本質の」という意味である。なぜ「仮想」などという訳になってしまったのかは、IBMのVirtual Memoryを「仮想メモリ」と訳したことに起因するという。Virtual Reality研究が「本質」の研究であることはこのような「そもそも論」にも関係がある。ちなみに英国では「presence(実在感)」の研究だったりする。

「VRコンテンツ」、言葉の意味的には「リアリスティックなコンテンツ」であると解釈できるのだが、コンテンツ自身がナラティブなり意味なりメッセージなりを持っている以上、Virtualを「実質の」と訳すことは物によっては大変難しいし、「現実的な/写実的な」とするのであれば「realistic」でありvirtualである必要はない。そもそも「映像メディアである必要がある」と限定したとしても、(限定する気はないが)HMDのようなヘッドセット縛りの原始VRに限定したとしても、「リアルタイムグラフィックスであること」は外せない要素であるといえる。これは1990年代のVRにおいて確定付けられていた。1960年代のサザランドの「究極のディスプレイ」では、リアルタイムグラフィックスの生成までは完全に固定できていないので、アナログ光学系による実写パノラマ生成など、もしかしたら別の可能性も残っているかもしれない。そんなことを考えるぐらい、このVRと3Dの輪廻転生物語には奥深い要素がある。過去に現れたVR作品を「車輪の発明」と揶揄する人も時々いるが、それは余り面白い話ではなく、私はこのような大きな車輪を回転させる慣性モーメントそのものが興味深い。人はVRを体験したいのである。それはVRが主観的な体験であり、コピーできないことに起因する。

システムとコンテンツの関係をはっきりさせておきたい

私はエンタテイメントシステムを研究しているが、それは「システムという器があってこその、コンテンツがある」というモデルを前提としているからである。例えば、

  • 「ファミコン」というエンタテイメントシステムに対してROMカセットで供給されるコンテンツ
  • 「ドリームキャスト」というエンタテイメントシステムに対して、GD-ROMによるゲームコンテンツ
  • 映画館のエンタテイメントシステム「シアターシステム」に対して映画コンテンツ
  • 「ニコニコ動画」というシステムに対して「ユーザ動画」というコンテンツ
  • Oculus+Unityというシステム「VRプラットフォーム」に対して「VRコンテンツ」がある

という例で説明できるだろうか。コンテンツがプラットフォームやシステムを越えることは(感覚上は可能かもしれないが)設計上不可能である。新しいコンテンツによる感動はコンテンツによって消費されてしまう可能性があるが、システムを新しく作り出すことによって生まれる感覚は、確実に新しい感覚になりえる。だからVRエンタテイメントシステムを開発している。

VRの研究は人間の研究である。

VRの研究は人間の研究である。人間がいかにしてリアリティを感じるのか?この世界を現実として感じているのかを教えてくれる。それが「VRを作る人々」が探究している本質ではないだろうか。

もちろん「たのしければいいよ」という人もいて良いと思う。
そういう人たちは自分が楽しいことについての深い探求が不要な幸せな消費者で、3Dブームのときも熱狂していたのかもしれない。私はそのような人々が不快になるようなことを伝えたいとも思っていない。自分の学生であれば、伝えなければならないこともあるが、あえて明確に立ち居地を示すとすれば、

「それは自由なもの」

であるということである。アートや遊びの本質は「自由であること」であるのだから。

なお、誤解の無いように補足しておくが…

精神的にも思想的にも経済的にも時間的にも自由な人間が、自由な思想を自由な具象としてこの世に産み落とすのは自由である。しかしながら、それを他者にぶつける自由はその正当性をもちえていないかもしれない。本エントリーに対して「ポジショントークだ」とか「象牙の塔だ」とか「糞だ」とか個人的に思うことは全く自由ではあるけれど、私に向かってそれを言うこと(@ツイート等で投げやりに飛ばすこと)は、VRの自由なモノづくりのコミュニティの破壊にほかならない、「天に向かってつばを吐く」ということで、自分に返ってきてしまう。私はそんなに偉くはない。一生懸命なにか作りたいと思って寄稿したら、土足で踏み荒らされたりして傷心したりする。私はそこそこに打たれ弱いが、そこそこに俊敏性があり、ガッツはあるほうなので、生きてはいけるが、愛情や情熱を込めて作ったり書いたり表現したものが、無碍に否定されたり、その約束された対価を忘却されたりすると、悲しい。時と場合によっては「作り出したもの自身に不備があったのではないか」と自己攻撃を始めてしまう。あってはならないことだとは思うが、もしもこのような処遇にあう在野のクリエイタたちVRの面白さを伝えるライターたちがいたとしたら、不憫で不憫でならない。

なお、学術研究の世界はそこまで「自由」ではない。
「ちょっとやってみた」で話題になるところまではいいだろう。
特許はとったか?論文も書かねばならない、書いたら書いたで査読者にフルボッコにされる。
必要性や先進性、新規性、再現性、実験の信頼性、後進のための貢献に参考文献など、
マゾでタフでなければはっきり言ってやってられない。
何故論文を書くのか?それは別の機会に譲る。

VRの成功とは何か?

「18年の冬の時期を一気に忘れたくなるような、2年間」。

このようなセリフを老舗のVR関係企業からよく聞く。それは日本の商社のような企業だけではなく、世界のVR関係の企業からも聞く。長年、VRを生業としてきた商社やSIerの方々と、その顧客でありコラボレーターであった大学等の研究者。この両者が「冬の時代のVRのコア」であることを忘れてはいけない。「儲からなくても、やりたい人がやる」という意味では、VRの先進者はすなわちVRの研究者である必要があることはこれまでの歴史で明らかになっている。それは物を売る側でも同じである。「VRを使って研究をする」、たとえば教育訓練系の研究の一部を除けば、ほとんどのVR学会の研究は、アーティストも含め、すべて「VRを研究する」というスタンスがある。たしかに工学系によりすぎな思想ではある。個人的にはもっと科学や芸術に寄ってほしいが、「VRの成功」にはいつも「商業的な成功」というバーチャルなゴールがチラついている。

そもそもVRは米国のベンチャービジネスが作った言葉である。さらに本質的な意味を考えると「バーチャルリアリティを売っている」といえる企業はほとんど存在しない。多くが「VRのための機器」を売っている。しかも、小規模な成功はあれど、この業界で「成功した機器」というものは存在しなかった。OculusRiftは成功したハードウェアであるが、まだ開発者キットの段階であり、製品として成功した製品はまだ存在しない。Facebookに20億ドルで買収されたというビジネス上の成功はあるが、Facebookでパノラマ映像の再生がサポートされた、というぐらいの実装を「成功」と呼ぶべきだろうか?我々ディープなFacebookユーザであっても未だOculus対応のFacebookブラウザがあるわけではないし、そもそもパノラマ映像だけであればQuickTimeVR(QTVR)が何十年も前から実装しているし、動画パノラマだってWebプレイヤーでも十分に実装可能な時代である。そういう意味では「Theta」シリーズは「成功したVRカメラ」と呼ぶべきかもしれないが、そもそもみんな、「VRにおける成功」というものが定義されていないことに気づくべきだ。

「VRで成功」とは何なのか?
まずはいろんな人がいろんなことを考えて、いろんな成功をする自由が残されている。

かつてのゲームメディアのように、VRコンテンツを毎週おもしろおかしく紹介するメディアがあってしかるべきだと思う。そして、そのライターさんは、VRの理想と現実、原理と革新、技術と文化、萌えと産業をちゃんと理解して、金になるかならないかを気にしないで飛びまわれるようなポジションを用意してあげるべきだと思う。ゲームメディアの黒歴史を繰り返さないでほしい。

偽のVRを極めたい人々が多すぎる

ここで、ライターがついうっかり書いてしまいそうな「映像のリアリティ」についての言及をしておきたいが、議論が拡散するので、これも別の機会に割愛する。

昔からきちんとしたVRシステムやVRコンテンツを作っている人は、前述のように「VRは仮想ではない」と分かっているので、虚偽現実を作ることに対して抵抗がある。原理的VR開発者から見ると「偽のVRクリエイタ」を見分けるフラグがありそうなので以下列挙してみた。

  1. バーチャルは仮想
  2. HMD = VR だと思っている
  3. 面白そうだからやってみた
  4. ゲームとVRの違いがわからない、説明できない
  5. ARとVRの違いを説明できない
  6. ARの貢献者が日本人であることを知らない
  7. 作ったものを海外の人々に向け、説明できない
  8. VRにおける科学を知らない、知ろうともしない
  9. テレイグジスタンスを知らない
  10. 触覚のリアリティを知らない

多くの人が作りたいと思うのはいいことだと思う。それはOculusやUnityのおかげであることは間違いない。しかし、それはホビーとしてなら理解する。IVRC作品としても理解する。経済産業省が支援してゼロ円で一般に体験できるショーケースイベントとしても理解する。しかしそれは、VRの本質を見誤っているかも知れない。本質を見誤ったビューアーコンテンツを作りたいのであれば、それは乱立するエロビデオコンテンツと同じ方向性に向かう。

  1. その体験の本質を理解していない利用者が寄ってくる
  2. 幅広く一般的なプラットフォームである必要がない
  3. それが「とても好きな人」で「理解が弱い人」しか繰り返し消費しない
  4. とても好きな人の嗜好は偏っている
  5. 偏った嗜好を繰り返し満足させるのはコストがかかる
  6. 偏った人たちだけが集まっているので特に気にならない
  7. 社会性を失う
  8. 犠牲を払って「その世界でのいい物」を作ろうとする
  9. 作り手が疲弊して、継続できない

もちろん、「善意の作り手」ではなく一部の「資本を投下したい側」だけは、ある程度の市場形成がされさえすれば、延々と搾取できる。「善意の作り手」は、疲弊し続けてもその生活を支えるだけのサラリーが払えれば、続けてもらえるかもしれない。

今のVRはそういうバブルの予兆が見え隠れしている怪しさがある。
VRの本質はすばらしいものだけど、そのプロパティだけで風船を膨らませて、資本を投下して、そこそこに稼いだら引き上げようと思っている。

それは10年前も20年前もいた。仲良くもしてきたし、裏切りのパターンもよく覚えている。

まあでも、あやしくてもいいと思う。それはエマージングであるということの風貌だから。

お金をかけたVRは必ず失敗する

そんなわけで、20年の歴史において、失敗する人々をたくさん見てきた。

VRの仕事をする上で、一番大事なことは「お金をかけたVRは必ず失敗する」という仕組み。このロジックには3つの理由がある。

(1)機材にお金をかけると、その時点で失敗が確定する。すでに述べたとおり、VR機器はVR研究の具象・権化なので、ものすごい勢いで進化する。「10年で回収できるはずの設備投資」が、たったの2-3年で陳腐化して、誰も触らなくなる。これが多くの根本的な問題。

もうひとつは体験者の問題。(2)体験者はVR体験とともに育つ。この話は「白井博士の未来のゲームデザイン」の「動的ペルソナ」で解説している。人は時代とともに、コンテンツとともに成長することを忘れてはいけない。

https://twitter.com/o_ob/status/391951791039856640/photo/1

(3)土地代やコンテンツボリュームで、すぐに回収できなくなる。たとえばセガ・ジョイポリスや日本科学未来館からCAVEスタイルのVRが無くなったのは何故だろうか?それは「その土地で興行し続けるにはコストが高すぎるシステム」だったからだ。コンテンツを更新し、展示の魅力を上げ、オペレーションにかかるコストを改善できれば可能性はあったかもしれない。しかし、コンテンツを頻繁に更新しようにもシステムが新しすぎたのも問題ではあった。システムを改善しようにも技術的に煩雑すぎた。セガはアーケード基盤のカスタムチップを並列にして2名同時CAVEを構築していたし、未来館の「みんなのCAVE」は円偏光メガネで体験者側に柵を作り、スクリーンを損傷せずに5-6人は同時に体験できる良心的な設計であったけれども、PC-GWSベースのレンダリングクラスタは台数構成分だけ故障停止率が高く、またコンテンツを更新するための数百万が捻出できなかった(導入時の価格ベースで業務的に見積もるから、そういうことにならざるを得ない)。

※余談だがジョイポリスは『デートコースとしてのVR施設』を「It’s a love story」なるキャッチコピーで完全に具現化しており、あらゆる体験に「二人同時プレイ」が実装されている。今のHMDコンテンツの多くにこういう発想はみられない。セガの技術は世界一だったのだ。だからこそ、継続するのが難しかった。

きょうび流行のVRはOculusとUnityのおかげで、本当にホビーレベルの投資でHMDコンテンツが作れてしまう。それが原動力になっていることは間違いない。つまり従来のVRの最大の問題であった(1)機材にお金を掛けると失敗する、というリスクを大きく回避している。

昔話であるけれど、OculusDK1にはOpenGL等でアプリ開発する環境もちゃんと用意されていた。このようなゲームエンジン抜きで勝負したい人は少数派であるけれど、数年前までIVRCでもDirectXやXNA、OpenGLは多数派であった。開発のどこに力点を置くのか?ということにおいて「見た目の残念さ」を多少は解消できるゲームエンジンの選択は、大変なモチベーション維持になる。しかし、数年前の学生のほうがコーディング能力は高かったようにも思う。

フランスに学ぶことも多い。

ちなみに、同じお金をかけるなら、機材やボリュームよりも人を育てるのにお金をかけたほうがいい。これは2000年代のフランスのVRが成功している。2000年代のフランスは1990年代のVRから乗り遅れて、シリコングラフィックスのGWSやデータグローブなどを買うお金が無かったが、その代わりに、Virtoolsという今のUnityよりも先に産業用VRエンジンを開発し、ゲームグラフィックス出身のアーティストが多く産業用・インタラクティブVRの世界に育ったという経緯がある。

上の条件をよく理解して、それでも自分たちのサイズ、自分たちのプライズでビジネスを継続しているすばらしい会社としては、ソリッドレイ研究所が挙げられる。彼らもまた研究者である。

ちなみに、ソリッドレイ研究所だってこの20年で進化を続けている。社長の神部氏自身が自分自身が極度のオタクであり、それを隠し通すよりは、前向きに発信していったほうがいい、という展開は、氏や社の努力と同時に、社会の変化によるものが大きい。システムとコンテンツの両輪、加えてコミュニティが重要であることを、企業自身が気がついた稀有な例である。

VRはバブルなのか?世界はどうなってるの?

「VRにバブルなんて起きてない」という意見は認める。
まだまだ加熱するだろう。作りたい人もやりたいひとも、投資したい人も出てきた。
世界の高校生・大学生と接していると「VRやりたい、ARやりたい」という学生が沢山いることからも、これを教える産業もこれからは伸びるだろう。EON Realityなんて、世界中23カ国でIDCというアントレプレナー施設を作っている。産業用VRコンテンツを受注・製作するだけでなく、EON SPORTS VRのようなアメフト、野球といったフィールドスポーツストラテジ向けの会社を数ヶ月で立ち上げている。

EONマンチェスターで育った学生は、フットボールやスポーツの経験者だ。彼らのような体も動き、野心もある学生たちが、ビジネスとマネジメントとVRを学んでいる。

LavalにあるEON Franceも、世界で唯一、インタラクティブドームシアターを設置し、世界中の科学館向けのドームシアターコンテンツを開発している。もちろん多人数同時インタラクティブを成立させるためのデバイスなども開発している(詳細はまだ書けない)。

英語、フランス語圏だけではない。メキシコ、中南米といった比較的資金体力が無いラテン系、スペイン語圏、BRICsの学生たちやスタートアップカンパニーも同じような装備を入手することができることに変わりは無い。

世界のVRは戦国時代にある。

日本のVRが目指すべき成功は何だろう?

まずは志を高く。

志が低いのはよくない。
世界はもっとまともなVRのプロダクトを望んでいる。
志が低いのは良くない。
本質を置いてきぼりにして
コミュニティからそっぽを向かれていることに
気がつかないのはそもそもの失敗の始まりである。

前世代VRの世界の真の成功者とは、フランスのような例であろう。お金をかけるなら、人にかける。人を育てる。コミュニティや人材市場を醸成させる。戦術の違いである。

今のVRに重要なのは、VRの面白さ、重要性、可能性を伝えるメディアがしっかりすることだ。
ビジネスをしっかりする。品質やブランドを高める。ライターにちゃんと報酬を払う。
電子出版の時代において、紙に印刷したり綺麗なレイアウトを出すことはすでに本質ではなくなっている。その「メディアに掲載される」というブランドが重要だ。日本経済新聞のように。

そして、ホビイストだけでなく、ちゃんと「産業用VRでおもしろいもの」を評価していく必要がある。日本のVRが家電やゲーム市場と同じく完全に世界から遊離するのは(今に始まったことではないが)、まだまだ金の国であることは間違いない。メディアが海外に向けて「その凄さ・価値」を発信する気持ちさえあればまだまだ間に合う。少なくとも学術論文を国際会議の世界で戦っている研究者たちは、それを最低でも英語で戦わせている。この20年間負けなしで※。
※SIGGRAPH E-Tech採択国比

日本の過去のVR研究投資こそが強み

冒頭で紹介した日本のVRの研究者たちが投じてきた研究費は、数千万、数億では足りない。現在ではゼロが一つも二つも少ない投資で世界のVRを驚愕させるアウトプットを出すことも難しくは無い研究開発がいくつもある。VR学会やIVRCなどのエキサイティングな学術コミュニティを卒業し、現在はゲーム開発企業、特にプラットフォーム各社に潜在している。この研究投資の多くは日本の国民の税金の成れの果てであり、そこに学ばない/人材を活用できないのは残念極まりない愚としか言いようが無い。また目利きの良い企業は、かつてのVR研究の英雄たちにしっかりとコンタクトをとっている。特許の期限、ノウハウ、実験、失敗、展開方法…10年以上の研究投資や知見を回収するときが、いま来ている。

VRや3Dが輪廻転生を繰り返すその理由

VRや3Dが輪廻転生を繰り返すその理由は、
「自分が面白いと思うものを作りたい」とか
「それで話題になればいい」とかいった人々の
一過性の祭りによる集団意識によるものが大きいのではないだろうか。
エンタテイメントシステムとしての面白さ、課金やライフサイクルまでの設計まできちんと行い、世界に向けて発信していってほしいと思う。

それは、残念だけれども、UnityやOculusといった、コンシューマゲーム機といった、プラットフォームに依存しているうちは見えてこないのかもしれない。
すべての人が見える必要は無い。かつてのゲームエンジンのように。

ゼロをイチにする人もいれば、
イチを十にする人もいれば、
十を百に、百を千にするひともいていい。

みんながそっちを向けばよい。

私自身が主題としている研究テーマ、
人々が「何故それを面白いと思うのか?」という研究は、最先端過ぎるのかもしれない。
これは万人向けの研究テーマではないだろう。
私だってそんなことを考えながらいつもゲームをしていたら、楽しめない。
しかし「面白さとは何か?」はこれからの研究なのだ。
誰が何をどう面白いと思ってつくろうとも、私はその面白さを研究し続けることができる。

コンテンツを作りたい人、いっしょにやりましょう。
すっごいシステムを作らせていただきたいと思います。

【あとがき】

解熱剤のテンションにまかせて書いた初稿をほぼ8割、推敲に推敲を重ねて、少しは読める文章になったと思う。Twitterなどで大変熱くなってしまっているのを申し訳なく思いつつ、忙しさに負けず、なんとか筆を執っている。炎上させて何かしたいわけではなかったが、学者として、重要なタイミングで重要なディスカッションをするための投石をしたのではないかと観測している。Twitterでのタイムラインを見ていると、各プレイヤーのポジションがはっきりしたし、VR研究者や先人たちに対する「食わず嫌い」のような感覚も見えてきた。先人に対するリスペクトの配慮が足りない面は、長年、個人制作・プロプライエタリな製作を続けているクリエイタからすれば爆門学問以上にストレスがあるモヤモヤを生んでおり、私自身も考え整理して次に進むいい機会になった。
カラアゲもVRも大好きです!俺だって時間と自由があったら盛り上がりたいわ!!!

いやほんとに。みなさまのご応募お待ちしております。

テーマは「Real Virtuality」です。

http://www.laval-virtual.org/en/prices-competitions/revolution/introduction-revolution.html

 

書籍企画書公開「ゲームが世界を動かす!『INGRESS』」(仮題)

2015年2月ごろ、とあるコンビニで買える系のムックなどを出されている出版社向けに企画した内容です。
要は企画が流れてしまった、ということです。残念。
まだ市場としては熱い部分もあると思いますので、これは!と思う気概のある出版社さんがいらっしゃいましたら、ご相談ください。
書籍の企画書に興味があるという人もいらっしゃるでしょう。まあこれという書式があるわけではないそうです。
なお、この企画書をパクったり、一部を真似て似たような本を出すことは可能と思いますが、そういうことをしてもコアなIngressファンには嫌われて、この本は売れないんじゃないかなと思います。

むしろ、一緒にこの本書きたい!表紙も描きたい!インタビューされたい!という人を探したい思いです。
それを支えて出版してくださる方を探しています。
(まあ電子書籍でも出すかもしれない、それでは意味がないのですけど)


■書籍企画案
「ゲームが世界を動かす!『INGRESS』」(仮題)
Ingress, a game which moves the real world.

世界1000万人以上が熱狂し、社会現象になりつつあるARゲーム「INGRESS」
INGRESSが社会をどうかえていくか?何が起きているか?に迫る日本初の書籍
【著者】白井暁彦(エンタテイメントシステム研究者・神奈川工科大学 情報学部 情報メディア学科 准教授)
【取材対象者】(非公開)
【判型】A5判 並製   【価格】1500円 【構成】全160ページ、ソフトカバー、前半16ページフルカラー
【発売時期】2015年7月 【初版部数】6000部
【企画概要】
世界で1000万人以上がプレイするGoogleが開発したARゲーム『INGRESS』。
そのINGRESSをテーマに、ゲーム性、経済、地域、アート、社会、マンガ、社員、家族…そしてあなた自身。それぞれの人々が、社会が、世界が変わるゲーム、このゲームは「なぜ面白いのか?」「今後の動きが見逃せないのか?」をエンタテイメントシステムの研究者がわかりやすく分析する。
【著者プロフィール】
エンタテイメントシステム研究者。画像工学、メーカー、国際的なゲーム開発などを経験し、東京工業大学総合理工学研究科 知能システム科学専攻にて子ども向け触覚エンタテイメントシステムの研究で博士(工学)を取得(2003)。NHK-ESにて次世代コンテンツのためのバーチャルセットの研究、2004年末よりフランスLaval市にてVirtual Realityによる地域振興に参加、2008年より帰国し日本科学未来館にて科学コミュニケーター、2010年より神奈川工科大学情報学部情報メディア学科において、ゲームクリエイターや科学館・博物館での展示物開発、メディアアーティスト育成のための教育研究に従事。代表的な研究に多重化隠蔽映像「Scritter」「ExPixel」など。工学的なものづくりや展示物、作品プロデュースだけでなく、エンタテイメントとその技術が将来にわたって意味のある存在であるためには何が重要か、という原理的な整理や歴史、哲学、理論化などの研究も行なっている。著書「WiiRemoteプログラミング」、「白井博士の未来のゲームデザイン―エンターテインメントシステムの科学―」。レベル10緑。首都圏ランキング最高10位ぐらい。メディアアートとしてIngressを教え、学生や相模原市立博物館とともに「相模Ingress部」を結成し、初心者向けイベントなどを開催している。

■参考
・【先生がガチ】研究室の学生と博物館職員がIngress部を立ち上げるまで(Ingress速報・2014年12月26日) http://ingress.blog.jp/archives/19432501.html
・なぜ相模Ingress部は研究で、相模原市立博物館の活動なのか(相模Ingress部・2014年12月22日)http://ingress.sagamiharacitymuseum.jp/2014/12/22/about-research-of-ingress/
・部員手帳(一般向け情報、用語集など) http://ingress.sagamiharacitymuseum.jp/2015/02/11/ingressbookletv22/

【読者ターゲット】
コアなファンに加えて、すでにINGRESSをインストールしたが面白さが分からない層、これからINGRESSを活用したい地方自治体や企業のPR担当者、マーケティング担当者など。交通タイムス社のクルマ雑誌の読者かつ家族サービスでドライブするネタに餓えている男性、ダイエットに効く、というが独りで始めるのが怖い女性(既婚含む)、中高生など。
コアなファンは「リアル課金」と称して、INGRESSに関連するグッズを購入することに関しての垣根は低い。コアなファンの実数としては2014年12月開催のDARSANA TOKYOの参加者5000人、2015年3月京都開催のSHONINが3000人以上と見られている。エイ出版社「flick! Digital」(2015年1月号)特集はまとまっているが、紙の本はまだない。

【構成案】(分割・統合可)
1. INGRESSってなんだ?
基本的なルール、何が面白いのか?(伊集院光さんのトークなど)、何が新しいのか?
2. INGRESS、経済を動かす
企業担当者に訊く、INGRESSとのコラボ効果とその裏。
3. INGRESSが地域を動かす
地域経済への刺激、各自治体の取り組み、相模原は東京の中央!?、博物館とのコラボレーション、実際の経済への影響
4. INGRESS、アートを動かす
世界中で展開されるポータルアート、グッズ類、文化庁メディア芸術祭エンタテイメント部門大賞受賞の理由
5. INGRESS、マンガを動かす
商業誌、同人作家などクリエイターに聞くIngressライフ
6. INGRESS、社員を動かす
各社で広がる「INGRESS部」、使うSNSが変わる、うつ病・ダイエットに効く、出社時間・通勤経路が変わる
7. INGRESS、家族を動かす
ダイエットに効く、家族サービスに効く、INGRESSをテーマにしたドライブ(安全なプレイの仕方)など
8. INGRESS、あなたを動かす
INGRESSをはやらせよう(公式FirstSaturdayイベントの開催方法)、ランキング入りを狙おう、今から始めるINGRESSなど。情報メディアとゲームを使ったゲーミフィケーションの可能性など。
【コラム案】
・上級者インタビュー ・公式グッズ紹介 ・ユーザー制作グッズ紹介   ・珍ポータル紹介
・動かないINGRESSなど珍プレイスタイル紹介  ・トラブル集(不審者対策、HOでのトラブル)
・何がゲームオーバーなのか? ・マンガ紹介 ・INGRESS割 ・昼休みINGRESS食べ歩き
・INGRESS情報サイト ・コミュニティの探し方

【取材予算、執筆料】
執筆料は、10%印税を基本にご検討ください。インタビューお一方につき取材費を3〜5万円+交通費等の取材費(海外の場合は別途検討します)。テープ起こしなどでご協力いただける方を紹介いただけると原稿が早く上がってよいと思います。

☆企画書執筆(2015/2月)時点の条件です。ワークフローと出版社と共著者と契約書さえ大丈夫なら大幅なディスカウントもあり得ます。

【注意事項】
INGRESSおよびロゴはGoogleの登録商標です。書籍タイトルとして許可が出なかった場合は「スマホゲームが世界を動かす」といった感じになると思います。
https://support.google.com/ingress/answer/2924461?hl=en

【記事サンプル】
▪️代替現実ゲーム「Ingress」で魅力的なまちづくり ―プレーヤーも、観光客も、地域住民も喜ぶためには Part1 ゲームが観光客を連れてくる!?
https://www.kankou-seisaku.jp/ksk/jsp/kankous/st?n=87&d=1
(公開以後アクセスランキング1位でしたが、5/19現在、有料会員のみの記事になってしまったようです)

このブログのエントリーが人気になるようでしたら他にも原稿公開していこうかなと思います。
共著も歓迎です。