@o_ob @2015-11-30


  • @o_ob @2015-11-29 t.co/994Vx3UosB 00:12:51
  • ホントにカラーだ!
    しかも引用・出典のハイパーリンクが便利。
    t.co/8yeBwlWEJi t.co/7XuWbR7CX9 06:34:27
  • @ochyai Kindle版「魔法の世紀」のフランス語表記にアクサンつき文字が落ちている不具合発見。正しくは「prêt à porter」。 "プレタポルテ(prt porter、高級既製服)" t.co/qrB7kgwDDP 08:49:38
  • RT @koikekazuo: とうとう…、やっと…。(小池一夫) t.co/6KidhxZvm4 09:53:40
  • RT @kyodo_official: 日米など20カ国が30日、太陽光などクリーンエネルギーの技術開発への投資額を5年間で倍増する米主導の計画を立ち上げることが分かった。パリ郊外でオバマ米大統領らが発表する。 #番外 @kyodo_official 09:54:46
  • R.I.P. Mr Shigeru Mizuki. Thanks for collaborating on Manga Generator Tottori ver.
    t.co/AdGK2qyfsP水木しげる氏 死去
    t.co/UEODyfk4dS 12:57:48
  • 住まいも面白いけど夫婦のあり方も興味深い/【オーナーインタビュー】「リゾート暮らしは、引退まで待つ必要なし」藤井さんご夫妻の場合 前編 t.co/2i9zZp2nqZ 13:03:30
  • Uberの時代にSEGA「Crazy Taxi™」新作の「City Rush」をやると新鮮な発見多い。通行人が逃げるAIと車線変更の非物理とか。ところでなんでこれAppleStore審査通るんだろう?しかもスタッフのオススメで。 t.co/UYuvveKK3M 13:11:19
  • 水木しげる先生RIPなんだけど、
    #寝てる自慢 するわ。
    日曜日に通算15時間寝た! t.co/lrd4VoB5nd 13:18:48
  • RT @stamefusa: 白井先生の書評を読んで落合さんの魔法の世紀を買いに来た。 (@ 青山ブックセンター 六本木店 – @abcroppongi in 港区, 東京都) t.co/XrpWz9t5kh t.co/QDSrgsmjRM 13:19:50
  • AppleWatch、設計上の最多の使い道は「自慢/ファッション」では。見るものではなく見せるもの。せめてヘルスケアまでは行って欲しいが。/Apple Watch、どう使われている?最多の使い方は「時計」! t.co/254FHp34FP 13:23:38
  • RT @Takatori_0703: 白井先生の書評読んで、まずは1章を読みたいなーって思ってた落合先生の魔法の世紀、アマゾンでベストセラー1位ってなってた。コンピュータアート部門。 t.co/Pkoj9hwcLW 13:27:57
  • RT @koikekazuo: 水木しげる先生が亡くなられた。なんだか、ぽっかりと胸に穴が開いたような気持がする。しかし、作品をはじめ、この世に遺されたものは計り知れないほど多い。ご冥福をお祈りいたします。僕は、水木先生の「幸福の七か条」を読むたび身を引き締める。(小池一夫) 13:33:15
  • 長生きだけじゃないンだが、人生に悩んでしまう前に是非ご一読を/水木しげる『幸せになるための七カ条』が話題! 年の初めに読んでおきたい! t.co/qGq7Ne4NFl 13:34:12
  • これ見ると、近い将来クロネコヤマトが死ぬなあ。航空法と事故以外は庭とかセキュリティとかの問題しか残らん/30分以内の配達を実現するAmazonの配達ドローンが劇的進化、着陸方法など最新版ムービー公開 – GIGAZINE t.co/VrLjo5dKwI 14:30:48
  • 個人的にはこういう時代がやってきたときに「犬にシューズを奪われた子供が何を体験するか」のほうが興味あるな。
    シューズを修理する職人をDroneで連れてくるほうがインパクトあるわけで。
    それは「ヒーローの時代」の発想か。 14:32:34
  • Dark Sand Cascades on Mars via NASA t.co/MEaxlyl1JO t.co/ivVRXlDeqQ 15:02:09
  • 神奈中家事代行「かなスマイル」でもやってる。「掃除ぐらい自分でしろ」って広告だと思う。 t.co/Up8GkfknOY
    /【祭り】京王が家事代行サービスの「時給」と「料金」を並べて掲載して原価バレバレの大失態を犯す t.co/Fd92sigN5P 22:40:41
  • お、結構時間たってるけど読みたい記事だった/往年の人気ゲームキャラが未来研究所で新たな生命を宿した! バンダイナムコ カタログIPオープン化プロジェクトGameJamリポート – ファミ通.com t.co/0qgHwnX1sQ @famitsuさんから 22:47:17
  • 「究極超人あ〜る」光画部無くして今の自分は居ないが、あえて挙げるとすれば、個性的な女性と馬とロボットと「す」の描き方とか。/本当に大切な事ばかりだった!「 #ゆうきまさみで学んだ大切な事 」Togetterまとめ t.co/5RShahDe5q 23:29:51
  • 経済的貧困以外にも学習(中々上がらない成績)や就活(いつまでも内定取れない)時も同じような心理状況になりがち。知っておくべき/なぜ貧困に陥ると間違った決断をしてしまうのか?そこには避けられない心理的要因があった – GIGAZINE t.co/6igpl6Y02Q 23:35:27
  • ARMは古くは任天堂GBA、DSシリーズ、ソニーPocket Station、ルンバなどにも使われているよ。
    t.co/DA4O4edL5f t.co/XVpGr6SpCB 23:41:11
  • あと20分で12月。

    あと20分で
    パケット制限が
    解除されるかと思うと、

    オラ、ワクワクが止まらねえ!! 23:42:35

@o_ob @2015-11-29


  • 現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読んだら、実は大変なことが書いてあった t.co/ayivQhBfTn 00:08:54
  • @o_ob @2015-11-28 t.co/2qa3iIWtC1 00:12:44
  • @ochyai 拝読いたしました/現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読んだら、実は大変なことが書いてあった。
    t.co/OcgZGGdSLM 00:13:28
  • 「装丁」が「想定」の誤字!
    ご指摘ありがとうございます。
    私はレビュー版なので「想定」で書いてますが、初版書籍版とサイン本といつでも読めるKindle版で合計3冊は持つ予定です。
    なお落合氏は「装幀」の字を使っておられますね。 t.co/A0Pjog8SqI 06:57:25
  • 知り合いのフランス人がパリ離れしてる。
    1人は実家近い高級アパルトマンに彼女と猫と暮らし始めたらしい。めっちゃ広くて映画みたいだ。
    もう1人は東京にってくるそうな。
    惣流・アスカ・ラングレーみたいな娘だけど。

    原発事故の時もそうだけどポータビリティ高い人はすぐ動く。悪くない。 08:45:24

  • エヴァンゲリオン20周年で貞本義行の漫画版読み直してる。
    学ぶ事も多い。

    当時のリアルタイム14歳は
    現在34歳。

    この20年間の彼らの
    動的ペルソナを読み返す。

    t.co/61VRvmuNKg 08:55:06

  • @ochyai 見てたよー
    眠そうだった

    UFOの話はよかったよ。
    未知の知性をエイリアンと理解する話を、どうやったら短くできるかだよなあ…。 in reply to ochyai 11:35:29

  • @ochyai 正しい事を解説して欲しいとは期待されてない番組だからねえ。

    厚木のコンビニの話も学生視点で良かったけど、ゲストが非難一辺倒だったら、むしろ魔術で擁護しても良いと思うんだ。

    "バラエティ"の意味するところはその多様性にあるわけだしね。 in reply to ochyai 11:40:18

  • 前よりx2倍づつ強まれば、
    4-5回の事件で達成できる

    5年後を楽しみにしているよ t.co/1iG8w8VANO 11:45:30

  • 静かに過ごす日曜日。
    エヴァンゲリオン全巻読了。

    貞本義行さんの絵が美しくて
    生き生きしていて
    眼福。 13:49:59

  • うあっ
    流血ブログを長々書いてしまい申し訳ない!

    血だらけになりながら読んでくれてありがとうございました!! t.co/NZYYdxWbv1 14:54:11

  • ぼたん鍋と猪鍋の違いを知るために
    今年も行きます t.co/Hoz21R4s39 14:56:10
  • 晩秋を探して緑化センターへ。
    ビオラはエヴァ初号機の色合い。 t.co/WZuKwpTwaL 15:00:18
  • Rosetta and Comet Outbound via NASA t.co/ZJq8Ha4qep t.co/qN201TVMHJ 15:05:09
  • 本人いわく「魂を削って書きました」って話だったんで、活字化された具象よりも、削られる側の魂の方が、本に興味を持つモチベーションになるかもなあと思って回り道で解説しました。

    それに誤解されるキャラってあるじゃん?今日のTV見ても。
    t.co/EsP3yDpe9L 15:56:57

  • RT @quma_3: 先ほど結構な量の鼻血が出た。のだが、この記事を読むのに忙しく片手で止血してたら顔の下半分が血だらけになった。:現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読んだら、実は大変なことが書いてあった。 t.co/dI5ShKDnVa 16:05:27
  • RT @yumu19: "本当のクリエイティブとは「時間を創り出す」こと、と教えている。創造者とはそうあるべきだ。
    費やす時間が無くなれば、どんなスキルを持っていても、ただの「忙しい人」だ。
    時間を創り出せ、そうすれば創れる。" t.co/CSVuKP0fGQ 16:34:44
  • 小学校2年生の息子が
    「すぷらとぅーん買ってくれないと話題についていけない」と言うので
    マイクラSplatoon動画を見せて、気がつけばマイクラから始めさせるコレジャナイ系ライフハックを実施中。
    t.co/JTP3YLm0uo 17:12:32

現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読んだら、実は大変なことが書いてあった。

時間を創り出す

初のメキシコ遠征以来、ソンブレロを頭に装備していたら、自分の中のラテンの血に火がついたのか、いろいろ考えて書いたり描いたりする時間に費やすことにしている。
秋の夜長というのはクリエイティブに過すのに適している。
論文を書いたり、ブログが炎上したり、鉛筆画を描いたり、奥さんとデートとしたりもしている。
もちろん仕事もしておる。今日はこのブログを沼津から書いている。

「忙しい」とは心を亡くすと書く。「師走」はその文字のとおり、先生が走ると書く。
忙しいのは当たり前であり、12月に先生が「時間が無い・時間が無い」と言って挨拶や酒ばかり飲むのも「当たり前」のことである。

本当のクリエイティブとは「時間を創り出す」こと、と教えている。創造者とはそうあるべきだ。
費やす時間が無くなれば、どんなスキルを持っていても、ただの「忙しい人」だ。
時間を創り出せ、そうすれば創れる。

落合陽一氏に書籍「魔法の世紀」の書評を頼まれた

そんなメキシコ遠征直前のある日、Facebookメッセンジャーでこんなメッセージが届いた。

白井先生
<略>
11/27(金)に初めての単著である『魔法の世紀』という本を刊行することになりました。
「映像の世紀」から「魔法の世紀」へというテーマで、今この世界で起こりつつある変化の本質を、テクノロジーとアートから語った1冊です。帯文は、富野由悠季監督、堀江貴文さん、チームラボ猪子寿之さんに寄せていただき、また、装幀は鈴木成一さんにお引き受けいただくことができました。
<略>
この手の固い本(コンピュータ史やデジタルカルチャーなど)が売れることはあまりないのですが,一気にSNS上に本の情報を溢れさせることで、コンピュータ文化やHCIに世間を巻き込んでいきたく考えております!
<略>
落合陽一

www.amazon.co.jp/gp/product/4905325056
魔法の世紀

落合陽一と白井暁彦

この場を借りて、落合氏と私の関係を話しておく。私はいつも”落合君”とお呼びしているが、今は筑波大学の先生であるから”落合先生”とお呼びするべきで、しかも落合くんを”先生”と呼ぶと個人的には侮蔑や嘲笑に値する感じがなぜかするので表記上”落合氏”とする。

2014年9月18日(木)は氏の誕生日だったらしい。日本VR学会大会@名古屋大学にて。このときはたしか、落合氏が米国のマイクロソフトリサーチのインターンシップから帰ってきた日で、名古屋にたどり着いたけど日本円をまるっきり持っていないので、会場のレストランでご飯をご馳走してあげた記憶がある。

初めて落合氏にちゃんと会ったのも、確かそこから4年前の2010年 9月16日(木)あたり。金沢工業大学・日本VR学会 第15回大会だったと記憶している。私が日本科学未来館での非研究者としてのポストから、学壇に戻って初めての日本VR学会で、多重化隠蔽技術に関する初めての学術発表行い、エキサイティングなディスカッションを東北大学の北村先生と交わした。発表も終わった会場で、共著者である東工大・長野光希らと研究に関する反省会を行った後だっただろうか。懇親会に向かおうかという閑散とした会場に、落合陽一はいた。

大学3年生が学会にソロ参加している時点でも面白いな、と思ったのだけれども(長野君も当時3年生だった)、IPA未踏ユースプロジェクトで採択された「電気が見える」デバイスとソフトウェアの開発について、目の前でいろいろ見せてくれた。

「電気が見えるデバイス」は、何が面白いかと言われると、一言で説明するのが難しい。要素がいっぱい詰まっているな、と感じた。直感的に分かりやすいものを作っているけれども、そもそもどうして電気を見えるようにしたいのか?というモチベーションに興味が行った。予算獲得の説明にあるような「理科離れ」とか、単にかっこよく見せたいとか、そういう他のプロジェクトや作り手とは違う、「野生」のようなものがこの人物には感じられた。落合氏の白黒をベースにした独特の風貌のせいだけではないが、一要素ではある。

Horiemon.comより

私も野生の生き物なので、野生の勘を感じつつも、アホみたいに「お父様が国際ジャーナリストの落合信彦なんだってさ~」という紹介で、これまた懇親会場で近くに居た現代美術館の森山朋絵さんに紹介し、スーパードライを飲みながら盛り上がったことを記憶している。

お父様が国際ジャーナリストなのに、名前がプラスとマイナスで陽一とは、なんとカオスなのだろうか。
本人は「電気を見えるようにしたい」といっているし、
こんな白黒ファッションをしつけている、お母様は陰陽術士に違いない。

その後の私と落合陽一氏は「ジョナサン・ノマドワーク仲間」とでも表現できようか。
私が深夜・日中のジョナサンで「白井博士の未来のゲームデザイン」の執筆や、論文やコーディングをしている頃、ちょうど彼も似たようなことをしているから非同期遭遇率が多いのである。ジョナサンはドリンクバーもあるし、シートが柔らかく、机も広いので、執筆向きなのである。
朝の3~4時ごろのTwitter上で出くわすことが多い。

twitter.com/o_ob/status/394382735139028992/

もちろん最近は私は徹夜をしないようにしているし、テレビやメディアでの露出が多くなるとジョナサンで仕事していると一般の人に声を掛けられてしまったりするので、悩ましい。

メディアアーティストとしての落合陽一

私は工学者としての側面からメディアアートを教えることが多い。
メディアアートは「ニューメディアアート」として語られたり、{媒体,コンピュータ,ガジェット,ネットワーク}アート、「科学と芸術の融合」と語られたりする歴史があるが、エンタテイメントシステムを研究する私は、ここ数年「メディアアートは人と人との関係性を創るアート」として説明してきた。

そういえば、私自身も東京工芸大学の学生の頃、アーティストを名乗っていた時代もあった。
しかし、写真であったり、イラストレーションであったり、マンガであったり、コンピュータグラフィックスであったり、映像であったり、ゲームであったり、バーチャルリアリティであったり、論文であったり、ジャーナリストであったり、そして工学者であったり、研究者であったりと、単なる「アーティスト」と自称するのは作品さえあれば問題は無いのかもしれないが、表現する「arts」が多すぎて、受け手の考える「アート」の枠では収まらない。なんとなくファインアートの人々に失礼な気もするし。

落合陽一は、たしかにガジェットを作ってはいるけれども、筑波大学にはいるけれども、明和電機岩田洋夫先生、クワクボリョウタ氏に代表されるようなツクバ系デバイスアーティストとは何かが違う。

私はエンタテイメントをまじめに研究する側なので、明和電機のようなエンタテイメントは大好きだ。しかし、落合陽一は自己表現のためにアートをやっているのは間違いないが、他の自己目的性のアーティスト、つまり「表現したいからやっている」という自己目的性ではなく、何か別の目的があることを感じる。

何が違うのかは、このブログアーティクルの中で、書評とともに、分析していきたい。

落合氏は「現代の魔法使い」、私は「錬金術師」。

落合氏は自分のことを「メディアアーティスト」とは名乗らず「現代の魔法使い」という通り名でセルフプロデュースしている。メディアもそのいでたちと響きをうまく受け止めているようだ。

自分が2010年から研究している多重化隠蔽映像技術も、多くの人が体験したときに「魔法だ!」という反応を示す。

電気的な道具を使わずに、偏光だけで、かつ何の改造も施していないディスプレイが多重化する。見ている映像がフィルタを通してみた場所だけが異なる体験に、人々は「魔法」を感じる。多くの人々は技術的な説明を聞きたがる。私も科学コミュニケーターの端くれなので、説明はするが、アルゴリズムの細かい話をしても納得する人など居ない。そもそもそんな質問をするのは電機メーカーのエンジニアか、研究者ぐらいで、酷いときにはさんざん説明した後に「わかった!これで別の特許が出せそうだ!」なんて失礼なことを言い出す人も居る。優れた技術デモというものは、そうやって多くの人に別のアイディアを与えてしまう事をよく経験する。私は錬金術師なので、普通の金属をレアメタルに変えるような技術の創出方法には興味があるけれど、私自身のアイディアにインスパイヤされて出た特許など興味は無い。ただ、人々の頭の上に浮く「!」については、錬金術の材料として興味があるので展示などはできるだけ前に立っていろんな人に「!」の理由を聞き出したい。人によって、「納得した!」というラインは様々異なる。「技術が知りたいのではなく、納得したい」という人がほとんどであるので、時間が無いときは「魔法です」というと、「ああ!なるほどね!」と納得してしまう人も本当に居る(もちろん技術という魔法として解説するが)。

さて落合氏の話に戻る。落合陽一の名前を知らない人でも、この動画は見たことがあるかもしれない。

これは私がチェアを担当しているフランスのLaval Virtual ReVolutionで展示された、音響浮遊+LEAP Motionによるデモで、これを体験するLavalの子供たちはまさに、魔法使いの体験だった。

Lavalでのこの写真を見ていると、落合陽一が「魔法使い」として具象化している。

実は「現代の魔法使い」との通り名は、ホリエモンこと堀江貴文氏が名づけたとのこと(落合氏の記録による)。ちょうどこの頃、私も堀江氏にインタビューされ、このイベント「ホリエモン春のVR/AR祭り@ロフトプラスワン」(2014/3/31)にも呼ばれて一緒に講演していたので、私は落合氏が「現代の魔法使い」として登場する過程を「ハコスコ」登場とともに、目の当たりに見届けていることになる。

落合氏が「現代の魔法使い」なら、私は「偏光の魔術師」とか「現代の錬金術師」でありたいと思う。私はお金に興味があるわけではないが、こなれた物質であるコンシューマーデバイスであるWiiRemoteなりKinectなり3Dディスプレイといった、当たり前のマテリアを金(キン,Au)に変えるような技術を研究するのが大好きだ。世の中は、「カネに変えたい人」は多いかもしれないが。

現代の錬金術師が、現代の魔法使いの書籍「魔法の世紀」を読む

魔法使いにしても錬金術師にしても、世間からは「ウサンクサイ」と思われるのが常である。私は魔術師でも奇術師でもなく、錬金術師なので、どうやったら普通の金属が価値のあるレアメタルになるのかを理解しているし、説明しろといわれれば納得のいく説明方法を用意できなくもない。落合陽一は「魔法使い」であるから、魔法を使う。魔法を作る方法もおそらく知っている。魔法使いの中には、魔法を使っているが作る技術がない者、魔女のように世間からの迫害を避け、隠遁生活を送る者も多く居るが、氏はそうではなく、自分で作るだけでなく、どんどんと衆目に向かっているようにも見える。

そんな落合氏が書いた「魔法の世紀」。
さて読み解いていこう。

「魔法の世紀」表紙と帯から

「魔法の世紀」落合陽一

表紙はLaval Virtual 2013でも展示された「コロイダルディスプレイ」。帯の解説もしておく。

情報技術がディスプレイの内側ではなくこの現実を変える時代、
「映像の20世紀」は終わりを告げる。そのとき社会と芸術は変化するのか。
その最先端を担う研究者にして、メディアアーティスト――
28歳の<現代の魔法使い>が世界を揺るがす――。

富野由悠季:
現代の魔法使いの杖が古典に内在するアートを掘り起こし、新しい世界への道筋と在り様を語る。若さ故の語り落としもあるのだが、その心意気は憎くも愛したい。落合陽一はニュータイプだろう。

堀江貴文:
コンピューターは僕にとって魔法の箱だった。そして魔法はまだとけないことをこの本で知った。落合陽一の魔法があれば、僕はあと50年は戦える

チームラボ猪子寿之:
未来を生きるすべての人々へ

富野氏の「落合陽一はニュータイプ」という言葉はインパクトがあるし、富野ファンにとって、あまりに汎用的な1行なため、単なる富野節というか、軽く聞こえてしまうかもしれない。しかし、本書を読んでみると富野氏のメッセージの前半のほうがはるかに意味がある。富野氏はなぜ落合氏の「心意気を憎くも愛したい」のか。

堀江氏は私と同世代なので、「コンピュータは魔法の箱」という視点は共感できる。そして「コンピュータの魔法がとけるんじゃないか」という疑念を抱いている。たとえば2015年現在のiPhoneや、今年登場したAppleWatchの存在は、まるでワクワクしない。「魔法がとける」という言葉は「解ける」つまり、種明かしをされてしまう、という意味もあるが、本書を読むと、これは「溶ける」と脳内変換するのが良いと思う(詳しくは本書内の八谷和彦氏の発言を参照)。「あと50年は戦える」という表現は1世紀の半分を意味するが、これは堀江氏の「我が闘争」を読まねば真意は分からないかもしれない。気になるのは「落合陽一の魔法があれば」の11文字で、これは帯を使った公式の投資オファーなのか、落合陽一氏が本書で語る「魔法」についての話なのか、未来の読者のために、解説はしないでおく。

猪子氏はひとこと。「未来を生きるすべての人々へ」。明らかに多読な堀江さんに比べ、猪子さんは本なんて読んでなさそうなキャラクターではあるけれど、この13文字で、かなりのことを語っている。帯は本当に文字数制限が多い。猪子氏はこういうとき、軽く天井のほうを見ながら目を閉じて、彼のスーパーコンピューターにアクセスして、突然ひとことで、こういうことを言う人物。私も、この13文字には同意する(結論で理由を述べる)。

帯と装丁で、ちょっとだけ残念なのは、この書籍がいったい何なのか?
いわゆる 普通の人 には全くわからないことだ。
本を開けば縦書きだし、一般の書店流通を通していないらしいし。

Amazonで買うのが一番手っ取り早いが、装丁が美しいので手に取りたい魔術書ならではの魅力がある。おそらくこの書籍を店頭に平積みしている書店があるとすると、おそらくその書店は魔術書を好んで扱う書店に違いないからTwiterで落合氏に報告すると好まれるだろう。

「魔法の世紀」目次から

私自身の書評は本エントリーの最後のほうにまとめた。約束どおり、Amazonにもポストした。ここから書評が始まるかと思うと、読み手としてはクッソ長いブログですまないが、読みすすめてほしい。

以下、目次より抜粋する。ちなみに1章ごと1冊の本といえるぐらい、内容が濃く、テンポが速く、テイストが違う。

  • まえがき
  • 第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー
    魔術化する世界
    コンピュータを〝メディア化”したアラン・ケイ
    早すぎた魔法使いと世界を変えた4人の弟子
    ユビキタスコンピューティングへの回帰
  • 第2章 心を動かす計算機
    なぜ僕は「文脈のアート」を作るのをやめたのか
    メディアアートの歴史を考える
    アートがテクノロジーと融合する
    コンテンポラリーアートの背景にある「映像の世紀」
    「原理のゲーム」としての芸術
    コラム メディアアートとしてのキャメロン作品
  • 第3章 イシュードリブンの時代
    プラットフォーム共有圧への抵抗
    新しいことをするために
    なぜイシュードリブンの時代なのか
    コラム 人工知能は我々の世界認識を変えるか
  • 第4章 新しい表層/深層
    デザインの重要性
    デザイナーの誕生─バウハウスの産声
    表層と深層を繋ぐもの
    表層と深層の再接続がもたらすもの
  • 第5章 コンピューテーショナル・フィールド
    メディアの歴史
    「魔法の世紀」における「動」の記述
    コンピューテーショナル・フィールド
    コラム 計算機にアップデートされる美的感覚
  • 第6章 デジタルネイチャー
    「人間中心主義」を超えたメディア
    コード化する自然:デジタルネイチャー
    場によって記述されるモノ
    エーテルから生成されるモノ
    魔法の世紀へ
  • 落合陽一 メディアアート作品紹介 2009〜2015
    あとがき
    画像出典一覧/ 引用文献一覧

“まえがき” を解説

まえがき「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ p.12より引用する。

「映像の世紀」のまっただ中の1973 年に、SF 作家アーサー・C・クラークは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という有名な言葉を残しました。
魔法とテクノロジーについて考えたときに皆さんが最初に思い浮かべるのは、この言葉ではないでしょうか。
研究者やエンジニアたちは、世の中に文字通りの「魔法」なんて存在しない、最初からあり得ないものと思い込んでいます。だからこそ、彼らはこの表現に巧妙さを見いだすのでしょう。しかし、僕はこの言葉を、単なるレトリック以上の可能性として捉えています。つまり、ありえないほどの超技術は、文字通りの「魔法」になりうるのではないか、と。
僕は「再魔術化」の果てにあるのは、まさにクラークが遺したこの言葉が実現した世界だろうと考えています。

余りにも有名なアーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」は実は3本法則あるうちの3法則目「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」で、私が好きなのは第1法則「高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている」だったりする。それはともかく、この時点で「魔法」とか「再魔術化」などの言葉が出てくるので、この本の読者であろう研究者はエンジニアたちは面食らうことに違いない。

この書籍を読んで、落合氏の技術やその発想のエッセンスを盗み取ろうと考えた人々は、まずここで降参する必要がある。頭を中学二年生ぐらい設定する必要がある。この本を読むときの心構えとして、私はあえて「この本はSF」として設定することをお勧めする。

なお、アート系の読者のなかでも特に哲学よりではなく能天気な読者は、何も考えずに2章から読み始めたほうがいいかもしれない。

「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」 を解説

この章は、読む人にとっては面白い。
一方で、読む人にとっては、全く面白くない。
その評価は「世代」と「勉強への興味」によって分かれるかもしれない。

面白いであろう世代は1990年生まれ以降のデジタルネイティブ世代。
面白くないであろう世代は1960年代生まれのマイコンとともに育った世代だ。
私は1973年生まれなので半々の世代。

本章を面白くする、もうひとつの軸が「読み手の勉強への興味」、知的探究心だろう。
本章は完全に歴史書だ。ドラマはほんの少ししか含まれていない。
「歴史が好きだ」という人や「歴史を学ぶのが好きだ」という人で、それを知らない人にはワクワクする話だろうが、その歴史をリアルタイムで生きてきた人々、特に紹介される人物のライバルだった世代には面白くない歴史でしかない。富野氏の「語り落とし」はこんなところも見える。

本章は、おそらく「魔法の世紀」を明確にするため、20世紀を「映像の世紀」と定義するため、歴史書として配慮して書かれたものと思われる。
しかし構成上のつくりから面白いところも感じられる。

確実なことは、落合氏がアラン・ケイに特別な敬意を持っていること、だ。
「サザランドの4弟子」であるのに、別次元で扱っている事から読み取れる。

私もアラン・ケイには大きく揺り動かされたので、共感する。

ちなみに1章だけで、1冊のコンピュータ・インタラクションの教科書といえるぐらい、情報量が多く、かつテンポが速い。
落合氏が、学生時代にノートに書いていたことをそのまま再構成したのではないかと思うような知識量と、歴史の再構成がなされている。
クラスの優秀な人物のノートをテスト前にコピーさせていただくような表現で申し訳ないが、
これをそのまま教科書として使いたい。
メディアアートやコンピュータの歴史を教える教員にだけ(こっそり)教えておく。

「第2章 心を動かす計算機」を解説

第2章も歴史が続く。しかしこの章は第1章と比べると、ドラマチックだ。

おそらく第1章は工学系の読者に配慮したもので、歴史上の事実を圧倒的な情報量とその整理をもって圧倒し、最後に「Pixie Dust」に至るまでの道筋を必然とするために必要だったものと考える。

しかしアートを批評するものは主張、能天気なクリエイタは主観と技法で物事を判断する。第2章はそれらすべてをドラマチックに巻き込んでいく。

余談ではあるが、まず嬉しくも複雑なのは、落合氏は、まぎれも無く「メディアアートで育った世代」であるということ。幼少期の写真や体験などはテレビ番組などで特集されているので知ってはいた。たしか電話を破壊している。私の場合は、時計を破壊(主観では「分解して再度組み立てに失敗」している)、母の大事な高級腕時計をより美しくするために食洗機にかけて破壊したこともある(私は母が生きているうちにオメガを弁償せねばならない)。「電話」というデバイスは、私は分解対象にはしなかった。黒電話はたしかに魅力的ではあったけれど、通話は有料なので、子供が自由に触ってはいいものではなくリカちゃん電話や110番といった禁断の遊びに近かった。私はそういう少年時代であったが、落合氏は少年時代にMIT石井裕先生の「タンジブルビット」の展示に出会っている。石井裕は電話会社NTTの研究員だった。メディアアートの美術館である初台icc(インター・コミュニケーション・センター)もNTTの資本で創設された。「Demo or die」のMITメディアラボ、数ある石井裕の作品・技術デモの中でも、「ミュージックボトル」という「タンジブル・メディア」の中でも比較的難解な原理的メディアアートがきっかけになっていることを知れて興味深い。

筑波大学に滑り止めで受かった落合氏は、すでに紹介した日本を代表するメディアアーティスト、クワクボリョウタや八谷和彦といった人々に直接影響を受ける。

個々の出会いのドラマについては本書を楽しみに読んでほしい。
以下は、iPhoneとの出会い。

僕も当時、さっそくiPhone を手に取ったのですが、その便利な機能を使ううちに、はたと考えこんでしまいました。こんな凄いデバイスが普及していったら、人間はコンピュータの下位の存在になってしまうのではないかという疑問が生まれたのです。

なるほど。落合氏でもそう感じることもあるのか。
問題はその後で、きわめて中二的な思想世界が展開される。

コンピュータの総体が、ひとつの意思や特殊なエントロピーのような性質を持っているのではないかと考え始めたのはこの頃です。
人間とコンピュータのどちらが主体なのかを。
生物学の知識がある人は、ミトコンドリアは元来独立した生物だったのに、自身を効率よく複製するために真核生物と共生を始めたという説を知っていると思います。
同様に、人間も自分たちをより確実に生存させるべくコンピュータを使っているうちに、気がつけばコンピュータにとってのミトコンドリアになっていくのではないか
─ふと、そう思ったのです。なかなかにクレイジーな考えかもしれないですが
……。

わかるわあ。
私の青少年のころは逆で、コンピュータがミトコンドリアになって人類に組み込まれる可能性を感じたものです。まだ実現していないけどバイオコンピュータとか。

当時の僕は人間がコンピュータのミトコンドリアになる未来を、世の人々に受け入れさせるべく人間の自己認識を問うような作品を作っていました。この考えは現在では少し変わっている面もあるのですが、その後の研究にまで繋がる大きなテーマになっています。

氏の「文脈のアート」作品の中でも最もインパクトがある作品は「ほたるの価値観」だろうか。

 

氏が「ほたるの価値観」に至るまでに昆虫を殺しまくって以降、「視野闘争のための万華鏡」や「サイクロンディスプレイ」を作っていた頃、この転換が訪れる。

その後、僕は本格的にメディアアートの作品に接近していきます。当時、特に興味を持っていたのが、人の認識の解像度の問題について錯視を用いて迫った作品です。

この問題を考えるキッカケになったのは、またしてもApple 社です。その頃に発表された超高精細のRetinaディスプレイが、人間の網膜では区別がつかないレベルの解像度だと話題になっていました。ところが、ちょうどその時期に、僕は『貴婦人と一角獣』という世界最大級のタペストゥリーを見る機会がありました。その巨大な絵の前に立っているときにふと、これは全て刺繍で作られているのだから、縦糸と横糸をピクセルと解釈すれば、Retinaよりずっと解像度が高い世界最高のピクセル表現と言えるのではないかと考えていました。

そう。
「Retinaは網膜って意味だぜ」「だから網膜の分解能より高いんだぜ」って言ってる連中を、「はあ?何いってんの?」と一蹴してしまうのがただの工学者や理学者の発想と行動だが。

人間の目の分解能と空間の本質的な解像度の対応は正確に言えばディスプレイのピクセルの細かさで判断するのは難しい(例えば星の光は解像度というよりは光子が眼球に飛ぶこむことによる対応関係で考えた方がわかりやすい)のですが、そんな風に解像度という言葉を拡張
していくと、現実世界はある意味では無限に解像度が高いディスプレイであるとも考えられます。そして、この無限に解像度が高い錯覚の信号からイメージを生成できれば、それは現実と変わりがないのではないかと考えたのです、そういった現実性の再定義みたいなものを作品として作っていくことも面白いなと思っていました。

最近私はこれを「Real Virtuality」と呼んでいます。

氏は、続けて文脈のアートからの転換を書いている。

最近の僕はいわゆる文脈的な作品をほとんど作っていません。代わりにメディア装置の研究ばかりしています。
これは大学の研究者とアート活動を往復する中で、あることに気づいたのが理由です。どうやらメディア装置の制作による「表現」という試みと、メディア装置の「研究」はよく似た特徴を持っている─そんなふうに思うようになったのです。
この僕の結論はあまり理解されないかもしれません。なぜ新しいメディア装置の研究がメディアアートの表現になるのか─怒る人もいそうです。

「デバイスアート」が何であるのか?を世間に伝えるために、日本科学未来館で1日3,000人ぐらい来るお客さんに、科学を伝えていた私(科学コミュニケーター)からすると、怒るというより、このような青年が登場してくれたことに安堵を覚えざるを得ない。世の中はいまだに「科学と芸術は相容れない」なんてことを当たり前のように考えている一般の人や、企画者にあふれているのだから。

続く「原理のゲーム」としての現代芸術の解釈、歴史も大変役に立つ。

 

ちょうど昨日、2015年の11月27日に発売されたばかりの書籍なので、書籍の全てを分解してしまうのは誰にとっても嬉しくない。続く章も解説していきたいが、それは読むものの自由を奪う行為になるので、今日はこのへんでやめておく。いつか追記するかもしれない。

2章の中で、ひとつだけ、紹介しておきたい図がある。「うなずきん」だ。

unazukin

落合氏はこの「うなずきん」を相手に涙している。

書評:落合陽一は「現代の魔法使い」ではない、魔法使いを名乗る「未来人」である。

この本を読んでいて、私の中での「ある仮説」が確証付けられていった。
落合陽一は「現代の魔法使い」ではない。
魔法使いを名乗る「未来人」である

理由がいくつかあるが、端的に紹介しておく。

歴史について詳しい上に、整理されすぎている。この本はSFでありFuturology(未来学)の本だ。私も「白井博士の未来のゲームデザイン」で未来学を書いたので、Futurologistの端くれなのかもしれないが、人類が現代まで築き上げてきた知識と経験を、現代の子供が28年間の間に効率よく学んだとしても、ここまで整理をして凝縮して伝えるのは難しい。一方で「魔法の世紀」を生きている未来人が、何らかの事故で「映像の世紀」に産み落とされてしまい、未来人の観点から過去の歴史を整理していると考えれば腑に落ちるし、「魔法の世紀」からみた歴史上の重要でない事項を語り落としたとしてもあってしかるべきだ。父・落合信彦氏も「2039年の真実」を書き、Wikipediaによるとブラックマンデーの直前にはドナルド・トランプに「売り」の指示を出して大統領候補の大富豪トランプの損害を大幅に救ったことがあるそうだから、実は家族そろって未来人一家なのかもしれない。

超時空要塞マクロスに乗って宇宙を地球に向かって漂流している未来人にとって、メディアアートは原理と文脈のゲームでしかない。
フェムト秒の時間で世界を観測している未来人にとって、物質は「窓」でしかない。

未来人であることは、さすがに秘密にしておいたほうがいいので、
魔法使いを名乗って、それで世間をカモフラージュしているのだろう。

「命を削って書きました」

落合氏が未来人であるかどうかの正体はともかくとして、彼は現代に生きている。ご自身がつぶやいておられるように、この書籍は「命を削って」書いている。私も落合氏も同じであると思うが、博士論文も命を削って書いているし、テレビ番組だって命を削って出演している。Twitterにおけるつぶやきだって、そうだ。ただの大学生だった落合君は、博士になり、いまや日本を代表する魔術師になっているが、彼の削命行為は衰えるどころか、ますます輝きを増している。

なぜリスクをとり 命を削るのか

氏は、最近、筑波大学の助教に着任された。大学1年生から研究室に出入りする学生を巻き込み、こんな活動をされている。

<落合陽一×SEKAI NO OWARI>ライブ会場に「魔法」をかける〜Zepp DiverCityを大改造!

安全なところで、時間もかけずに、リスクもとらずに先生面していることだってできるのに、あえてホコリまみれになり、高所に登り、作業をする。しかもこの作業には私の知るところでは大学1年生の教え子たちも参加している。このようなリスクをとり命を削る本当の目的とは何か。それは「育ってほしい」からではないだろうか。いや、正確には育った後に「次の世紀に進んでほしい」に他ならない。馬鹿のふりをする、誰もやらないことをやる、面倒なことに時間をかける。それらはすべて「自分がやりたいからやる」のではあるけれど、そのような馬鹿を単身でやること事態に相対的な価値などない。社会に対して発信する意味があるのは、それを背中で示す必要があるからではないだろうか。

私は落合氏の考える世の中観は当初(書籍を読むより、ずっと前)、非常に荒っぽくナマイキな感じがしたけれども、それは19世紀末の人間が20世紀の人間を見たら、誰でもそう感じるだろう。未来から来た未来人なのだけど、何かの理由で未来と現代を行き来することはできないから、苦悩している。未来にはどんな病気も治す薬などもあるかもしれないが、現代では入手できないから意外な苦労もするだろう。前世代の古代酒をうかつに口にして壊れることもあるだろう。そうやって思わぬところで死線をさまよい何かを悟った後に、「命を削って研究をすることの意味や覚悟」をよく理解していて、私は共感している。それは本書の中では「モチベーション」として表現されている。「コンピュータになくて人間にあるもの」、それは「やる気」であると。

過去には「根性」と呼ばれていた時代もあったが、未来人であってもそれは変わらないようだ。
人工知能がいくら進化しようとも、研究者にとって、研究はライフ(Life: 人生、生活、一生、活力…)であり、「モチベーション」だけが人間の存在価値なのだ。

落合氏はどこに向かうのか

人工知能に関するコラムで、氏は興味深い「最高の未来」を語っている。

p62

「コラム 人工知能は我々の世界認識を変えるか」(p.123):
人工知能の話をすると、こういう方向に話が進みが ちですが(ちなみに、僕は本当に人工知能が全てをやっ てくれる世界が来たら、仏国でワインでも作りながら 暮らすつもりです。人間らしいことだけをして暮らせ ばいいだけの、最高の未来だと思います)

後半のアカデミアとの関わり方は未来人が言うのだから仕方ない。
最近は温暖化の影響でワイン産地もだいぶ北上していて、近い将来にはロワール川北側のLavalでもワインが作れる時代が来るかもしれない。

「魔法の世紀」の普通の人たちの暮らしは、フランスの田舎にある。

おわりに

私の長々とした人物紹介と書評を読んでくれてありがとう。

このすばらしい書籍を現代にプレゼントしてくれた落合陽一氏にまずは拍手と喝采を浴びせなければならない。

御礼のかわりに、Amazonには以下のようなショートレビューを書こうと思う。

「十分に発達した魔法使いは、未来人と見分けがつかない」

本書は工学書であり、美術書であり、メディアと現代美術の歴史書であり、サイエンスフィクションである。

落合陽一は「現代の魔法使い」ではない、魔法使いを名乗る「未来人」である。

2015年、歴史の大車輪において、
「映像の世紀」である20世紀の様々な輪廻が起きている。

「魔法の世紀」に生きている落合氏にとって、
iPhoneは人間の存在価値の喪失と悟りを与えるきっかけとなる装置であり、
バーチャルリアリティやメディアアートは必然であり、
それは世の中に溶け、Kickstarterでの資金集めも、
その輪廻の一部でしかない。
この輪廻を脱し「魔法の世紀」に進むためには、
我々はこの本を年内に読み、未来から過去に向けて、
前世紀の重力圏を脱しなければならない。

このような「魔術書」はなかなかお目にかかることはできない。

 

魔法の世紀

@o_ob @2015-11-28


  • @o_ob @2015-11-27 t.co/g8xkCfMwAm 00:12:56
  • これすごい
    あかつき再挑戦の日,12/7月曜早朝AM4:30から相模原で観望会!
    t.co/zqajUMiw2U
    博物館(@scm_sagapon )も観望会を同時間帯に行うようなのでこちらに事前登録ですね!
    t.co/ZzGPpz8RTl 11:31:26
  • Gravity's Grin via NASA t.co/ttj74vv2AL t.co/TkibnU0tos 14:53:06
  • 「科学と技術のひろば」
    来場者1,200名超え!

    ご来場いただいた沼津のみなさま、
    スタッフのみなさま、本当にありがとうございました! t.co/CRBUS5oXEM 15:42:54

  • RT @lin_lina_: だいぶ前のツイートだけど。納得。特に、男性よりも女性の方が興味対象は成長と環境ともに動いていく傾向が強い気がする。でも、闇雲にコロコロ気変わりしてるのではなくて基盤には今までの経験からの変化。 t.co/MlNvbCqH06 18:31:27

@o_ob @2015-11-27


  • 現代における問題:遊びの自己崩壊
    #白井博士の未来のゲームデザイン t.co/Md6G07f2bg 00:10:19
  • @o_ob @2015-11-26 t.co/PxX76psF29 00:13:01
  • 大幅推敲&改題「バーチャルリアリティはバブルなのか?僕らのVRがもっと 面白くなる には?」/旧題「VB:バーチャル(リアリティ)バブルの空虚さに嫌気が差したので為になる駄文を書いてやる!」 t.co/O9BuGCFaDb in reply to o_ob 01:30:09
  • @iku_arino 奉納しますね。
    お好きなテイストをどうぞ 'm'b t.co/tyL5hXoBv9 01:53:37
  • ありがとう
    モグラさんもペンギンさんも
    応援してますよ!

    こちらもVRのことなら、いくらでも語れますので歓迎ー!

    あと20年ぐらい(^^) t.co/B4m0QhlKtD 02:01:14

  • とかいいつつ突然研究者に戻って

    超VR学会論文誌に向けて執筆してたりする。

    人工太郎さん現実花子さん
    マジごめん
    頑張って書きます t.co/3ugzChtQzJ 02:03:12

  • RT @iku_arino: わーっ!!ラクガキと言いつつ芸術性高しですねΣ(-᷅_-᷄๑)ありがとうございます! t.co/CrMQeOuoqz 02:15:54
  • #ReasonableAccommodation in the classroom for audio disability.
    He cannot know what is important in the talk. t.co/XET14lPMay 04:45:59
  • #合理的配慮 についてイラスト描き起こしてみた。
    彼はディクテーションソフトウェアを使っているが、先生が何を重要だと言っているのかは判らない。 t.co/digDtzaV4t 04:53:07
  • 朝日が美しすぎる。
    蒸発してしまいそうだ。 t.co/ebXYvx9LbO 06:01:22
  • Rising K-1 t.co/SXWaa2xVY1 06:58:15
  • おっす
    元気か!
    寒いけどしっかり勉強しろよー! t.co/1oUSBfltwI 06:59:44
  • @iku_arino おはようございます
    だいぶ描き慣れて来ましたよ
    前髪がうまい感じに開発できました。
    雰囲気出てますでしょうか…?

    ちなみにエンピツ画のウォーミングアップ使わせていただいております。
    お陰様で良い感じに復調 t.co/KAuhDAM6fs 07:06:08

  • RT @tyranusII: @o_ob VRのメディアを立ち上げ、運営する者として激励と思い、心して読ませていただきました。ありがとうございました。もしかしたら今後お話を伺うことなどもあるかもしれません。マネタイズも半ばですが、正しき方向に業界が向かうようメディアとしても精進… 07:20:27
  • 嬉しい感想です t.co/BuKski7SHA 12:44:32
  • 子「サンタクロースはどうやって家に入ってくるの?うちはエントツないよ!」

    親「ああ、サンタクロースなら大丈夫だ。彼は光ファイバーを秒速地球7周半で移動できる。地域によっては半日以内に配送完了だ」 13:16:23

  • ナイス質問感謝。
    「虚構であること」がプレイヤーに判らないと「遊び」にならないのが「ゲーム」、虚構ではなく現実であると認識される、もしくは実質的に機能する事を理想とするのが「VR」です。
    例:正しいゲームプレイヤ≠銃乱射事件起こす人 t.co/ky7Jfaxd2f 14:58:58
  • Planets of the Morning via NASA t.co/ekq4KLhzLK t.co/OK8qwvoBzU 15:03:00
  • とあるVR流行らせたいメディアさんが依頼記事に納品後、続きの記事や校正、原稿料について連絡を貰えなくなった件が発端です。生々しい投資話は10年前も20年前も飛び交っていて、いつの日も、真面目な作り手を惑わせます。まあ問題無いですよ! t.co/yDXojpG4ez 15:03:56
  • ちなみに世界のロボット&VR研究者には「軍事OK、大歓迎」と「非軍事/軍事には使えねえ研究」の二派がいます。

    ポリシー持って「断る!」とかも難しく、実際には技術の素性と本人が乗り気かどうかによるようですが。 t.co/mX19zZIgMN 15:07:28

  • 正当かどうか?という判断では私が決めることでは無いですが、例えば「バーチャルボーイ」という元祖をVRと呼べるでしょうか?あえて線を引くなら「アクティブHMDゲーム」と分類可能ですね。

    …と、元祖/原理的VRの人は考える訳です。 t.co/dOWaL4lh5i 15:16:53

  • そうなんです。みなさんの事ではなく自分の話!
    ちなみに、真剣に筆を執ったおかげもあって、ちゃんと和解しましたよ〜。

    そういや若い頃はたくさんタダ働きさせられましたわー。遠い目。 t.co/ykLQZH6Qtp 15:19:15

  • toICaのヒヨコもカワイイな!
    こん畜生!! t.co/scmI3uB9Ns 15:28:10
  • 予算規模。日本の某老舗軍事VR企業が受注している規模よりも、未来館で某ラボが企画展やったほうが、規模も利益も大きいのが、日本のVRやメディアアート業界の幸せなところだよなあと思います。

    紅白歌合戦の予算は3億円とか。
    最先端のエンタメ技術。
    これは"観ねば損"なのですよ。 15:37:26

  • RT @NaotakaFujii: なんか最近専用アプリでの配信が多いけど、この絶対にペイしない仕組みをどう正当化してるのかな?常に誰かが泣く構造は長続きしないと思うんだけど。 15:40:04
  • 旧題のままRTする人は本文読んで無い疑惑。 in reply to o_ob 15:54:52
  • 厚木のリコー通りも4車線欲しい。 t.co/naKg4IjY40 15:59:19
  • 明日11/28(土)、沼津で僕と全身ボクシングでボスラッシュ! t.co/x8kVJujvwI t.co/KGDxV1JL3w 16:03:58
  • さてついたYo! t.co/jT8swjm7tx 16:10:32
  • お騒がせしました。
    改題「バーチャルリアリティはバブルなのか?僕らのVRがもっと 面白くなる には?」で共有いただければ幸いです。
    t.co/O9BuGCFaDb t.co/KfXwxPTveo 17:08:14
  • 【番組協力情報】Manga Generator
    日本テレビ「メレンゲの気持ち」
    明日11月28日土曜日12時〜13時30分 (全国ネット20局)
    『石塚英彦の通りの達人』内でオンエア予定だそうです。番組編成等でOAされない可能性ありますので予めご了承ください。
    #IVRC 17:46:34
  • 第19回文化庁メディア芸術祭 受賞作品一覧 t.co/Gk3pFMKety 18:11:45

ICU講義「コンピュータゲーム」最終課題まとめ

草原真知子先生のご紹介で国際基督教大学(ICU)での非常勤講師「コンピュータゲーム」を担当し始めたのが、たしか2009年だったと記憶しているので、もう7年目になるだろうか。

ここ数年は春学期に開催し、IVRCへの挑戦なども行っていたのだけれど、プレゼン審査で通ったとしても、その後の展開が難しいし、私自身が審査委員も兼ねていることから、ものすごく忙しくなってしまう上に投稿件数が増えるということ以外にメリットがない。そのため2015年度はもともとの開講期である秋学期の月曜日に変更した。

秋の深まりを毎週感じられるICU三鷹のキャンパスも美しく、また今年度も大変、興味深い、個性的な学生が多く存在した。

例年であれば課題はすべてFacebookやメール上でクローズに共有しているのであるが、今年度は「面白さをシェアする」という目的で希望する学生については積極的にシェアできるよう、ご協力をお願いした。

毎年の講義は内容を変えているので参考になるかどうかは保証がないが、以下、講義の内容や「学生視点でのおすすめ」をまとめてみたので振り返りの機会としたい。

まずは学生Hさんのブログより。

哲学言語学メジャーの上位学年だけあって、なかなかよくかけている。

harutoshimoda2.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html

講義「コンピュータゲーム」で学んだこと

この講義では「エンターテイメントシステム」という概念を様々な角度から考えました。この授業を受講するまで「エンターテインメントシステム」という言葉すら私は知りませんでしたが、授業では豊富な実例を交えながらその内容に迫りました。白井先生によれば「エンターテインメントシステム」とは「人々の娯楽に作用するようにデザインするシステム」だと定義されます。重要な点は、エンターテイメントシステムはシステムであるので、映画やゲームソフトなどコンテンツそのものとは区別されるということです。コンテンツとコンテンツをどのように享受するのかといった環境まで含めてエンターテイメントシステムだということです。例えば、動画そのものはコンテンツだが、ニコ動やyoutubeなどの動画サイトは動画に対するコメントやオススメ動画の表示などユーザーに対してコンテンツを楽しむための環境を提供しています。このようなとりわけ双方向性のあるサービスはエンターテインメントシステムだと言えるのです。
さて、この授業で学んだことは大きく二つに分けることができると思います。第一に、「エンターテインメントとは何か」という人間に関する要素。次に「エンターテインメントを可能にするシステムにはどのようなものがあるか」という技術、設計に関する要素です。我々受講生はこの二つの要素を様々な実習課題を通して考えました。

「エンターテインメントとは何か」

まずは「エンターテインメントとは何か」の部分です。

この授業は「遊び」とは何かという哲学的な問いからこの授業は始まりました。これは「エンターテインメント・システム」の「エンターテインメント」とは何かという問いと深く関連しています。白井先生は「遊び」という概念を6つの要素にわけることで「遊び」とは何かという問いに迫りました。その6つの要素とは、「いつでもやめられる自由な活動」「日常と非連続で隔離された活動」「現実世界に富を生まない非生産的活動」「現実と区別がつく、虚構の活動」「遊びの世界を支配する、規則のある活動」「選択の自由がある未確定の活動」です。ある活動が「遊び」であるとは、以上6つの要素を満たす活動であるのです。我々は課題として、身近な活動が遊びであるかないかを遊びの6要素からみて検討しました。

ピアジェによる遊びの段階説についても学びました。ピアジェによると人間は発達段階に応じて遊びの質も変化するそうです。まず、生後1〜2歳くらいまでに感覚運動遊びを獲得します。これは、外界を操作したり身体を動かしているだけで楽しいと思う状態です。次に、2〜5、6才までに象徴的遊びを獲得します。これは、ごっこ遊びなどや模倣などの記号化能力が必要とされる遊びです。そして、7歳行以降からルールのある遊びを獲得します。これは、思考の具体的操作,個人間の関係理解,世界観・因果と偶然が理解できる.ルールのある遊び,社会的遊びが含まれます。

次に、「ペルソナ」という概念について我々は学びました。「ペルソナ」とはサービスを享受する人が性、年齢、趣向など、どのような人間であるのかということです。エンターテインメントシステムを設計する上で、ユーザーのペルソナを考えて設計することは非常に重要です。ペルソナを考える上で重要な点のは2点あります。第一に「ペルソナ」は「動的」だということです。ペルソナはエンターテインメントシステムとの関わりの中で、変化するということを忘れてはなりません。例えば、子供の頃「テニスの王子様」や「ファイナルファンタジー」に触れて育った男の子がその後経験を重ねてどのようにペルソナが変化し成長したのかを長期的な時間軸で考えることが、システム設計時に想定されるユーザーを考える上で重要なのです。さらに重要なのは、「ペルソナ」は「複合的」だということです。複合的とはつまりあるエンターテインメントシステムのユーザーは異なる複数のペルソナのセットだということです。例えば、子供向けゲームソフトのプレーヤーは子供ですが、お金を出すのは親なので親にも楽しんでもらえたりすような内容やお金を出しやすい価格帯であることがゲームソフト設計にとって重要なのです。

「エンターテインメントを可能にするシステムにはどのようなものがあるか」

次に、「エンターテインメントを可能にするシステムにはどのようなものがあるか」の部分です。この授業では、かなり数多くのエンターテインメントシステムに関わる技術を紹介しました。ここではそのうちいくつか自分の印象に残った技術を紹介します。

最初に我々はUnityという、ゲームソフトウェア開発環境について知り、簡単な操作をしてみました。この開発環境はゲーム業界では世界的に広く使われているので知っているべきだそうです。Unityでは、3D映像のレンダリングも可能です。レンダリングとは、映像や音声などをコンピュータ上で生成することです。

さらに、白井先生が開発している、画面の多重化技術についても知りました。この技術では一つの画面は二つの映像を同時に提供しており、裸眼ではそのうちの一つの映像を、特殊なメガネをかけた視聴者はもう一つの映像を見ることができる技術です。

MITが開発したping pong plusでは、卓球台にコンタクトマイクを仕込み、それにより卓球の球が当たった位置を把握し、それに連動して映像を卓球台に写したり、音声を再生したりといったことが可能となります。

日本科学未来館ではDigital Content Expo 2015というイベントが開催されました。そこでも数多くの技術が紹介紹介されていました。筑波大学による、複数のカメラの映像を組み合わせてユーザーにスタジアムでサッカーの試合などをズームや角度など自由な視点で試合を楽しめる「自由視点スタジアム」や、東大と慶応大による、赤ちゃんがおしゃぶりをする吸い方、強さ、吸う感覚などの情報を取得しその様子を別デバイスで確認することを可能にする「デジタルおしゃぶり」などユニークな技術を数多く知ることができました。

さらには、2048というスマホゲームのゲームクローンを作る課題を、一部の人がやり、発表がありました。そこでは、各々がCやprocessingやHaskellなど異なる言語で 2048を作っていました。ソースコードも発表し、私はその課題は選ばなかったのですが、非常に刺激になりました。

以上挙げた例を他にも、数多くのエンターテインメントシステム関わる技術が世の中にはあるということをこの授業では学びました、これらの技術がどのようにエンターテインメントに応用されているのかを幾つかの課題を通して学びました。

以下では、課題を通して学んだことを紹介したいと思います。

課題を通して学んだこと

印象に残った課題があります。われわれは課題の一つとして、テクノロジーを利用して従来のスポーツを拡張するという「超人スポーツ」のコンセプトに基づいて、新しいエンターテインメントシステムを企画設計する課題に受講生は取り組みました。この課題は、授業で学んだ「ユーザーの複合動的ペルソナ」、「既存の技術のエンターテインメントシステムへの応用」、「人が楽しいと思うとはどういうことか」について考える絶好の機会となりました。またそれと同時に「技術的な実現性によって、対象ユーザーのペルソナが制限されてしまう」というシステム設計の難しさも実感しました。

私は「魔物スカッシュ」というゲームを提案しました。壁に移された魔物をテニスボール(またはスカッシュボール)で倒すゲームです。技術的には、先に挙げたMITのping pong plusの技術を卓球台だけでなく、壁打ちの壁へ応用するという提案です。これは、感覚運動遊びであり、魔物を倒す世界観のなかで戦士になりきる象徴的遊びであり、一定回数制限時間内に球を魔物にあてなければならないというルールのある遊びです。先に挙げた遊びの6要素も満たしているつもりです。講義で学んだ内容を実際にシステムを提案することで、より体感として理解することができました。

一方で技術的実現性と対象ペルソナのギャップとシステム設計の難しさも感じました。魔物スカッシュを提案した時、テニスの壁打ちゲームかスカッシュの壁打ちゲームかで決めかねていました。システムを運用する難易度はテニスボール/ラケットを使うよりもスカッシュボール/ラケットを使う方が実現しやすいです。場所が小さく室内コートが用意できるからです。一方、私はユーザーの動的複合ペルソナは「リゾート地などでテニスを楽しむ20〜40代の男女」かと「都内室内テニスクラブでテニスする習慣がある10〜40代のテニスプレーヤー」と想定しました。わたしは、ある程度の数の人に主にリゾート地でも楽しんでもらえるようなゲームを提案したかったのです。テニス人口の方がスカッシュ人口よりもかなり多いことと、リゾート地でのプレイ人口がテニスの方が多いことからこのペルソナを想定していました。このように、システム運用の難易度を下げれば、ユーザーのペルソナは制限され、ユーザーのペルソナを自由に設定すれば、システムの運用難易度が上がるというジレンマを感じました。このようなジレンマを乗り越えるには、動的複合ペルソナを注意深く考える力と実現するための技術的、社会・経済的な知識と経験の両方が求められるのだと実感しました。

講義「コンピュータゲーム」で得られた気づき・為になったこと

この授業を通してわたしは、以下気づきを得ました
①どんなユーザーがどんな状況でサービスを享受しているのかに注意深くなった
②「遊びで楽しいと思うこと」も人間の普遍的な活動であることを自覚した
③工学的なさまざまな技術と応用例について知識が広がった

①「コンピュータゲーム」という講義名から、最初に授業をとった時はコンピュータゲームの技術的なことのみを扱うのかなと思っていましたが、実際はエンターテインメントシステムというコンピュータゲームも包括する抽象度の高い内容を扱う授業でいい意味で驚きました。授業では狭い意味でのエンターテインメントシステムではない、三鷹市や武蔵野市のホームページや自動販売機のデザインについても触れ、「受け手が存在するサービスのデザインが受け手のペルソナが考慮されたデザインになっているか」が一つの重要なメッセージだったと思います。そのメッセージは、仏教において受け手に合わせて教えを説く「待機説法」の精神にも通ずると思いました。この授業で得られた視点であらゆるサービスを見て今後の人生に生かそうと思います。

②今まで、遊びとは何かについてあまり考えたことがありませんたが、この授業はその機会を提供してくれました。遊びにおいて楽しいという認知的現象は、人間であれば誰しもに起こりうる現象なのではないかと授業を受講した今、思うに至っています。人間が音楽聴いて美しいと感じたり、言葉を話したりするのと何が同じで何が違うのでしょうか。白井先生が、受講生が2048をプレイする様子を観察する時間を授業内で設けたとき、「実験」という言葉を使っていたのが印象的で、遊びという人間の認知的機能を真剣に考えるきっかけになりました。自分は言語学専攻で、人間に内蔵された認知機構を調べ考えることに関心が高いです。遊びの感情も今後考察対象にしていきたいと思います。「楽しい」という感情の種類も「遊び」や「遊びのルール」などの条件の違いによって変わるのか変わらないのかその関係は興味深いテーマだと思います。

③私は情報科学副専攻だとはいえ、工学的な技術の応用例についての知識はかなり少なかったです。しかし、この授業を受講して工学的技術の知識もこれから増やしていこうという気になりました。特にそれを感じたのは、自分で超人スポーツを提案する課題に取り組んだことです。白井先生のMITの技術があることを知らずに課題は提案できませんでした。「魔物スカッシュ」を提案する前私は「人ロボ混合ダブルス」という企画をしていたのですが、技術的に自分のイメージしていたものを実現するのは現時点で困難だということがわかりました。今後、なにか新しいサービスを提案する時もどんな技術が存在するのかについての知識だけでも持っておくことは不可欠だと実感しました。

後輩へのおすすめ

この授業は様々なバックグラウンドの学生が受講しています。情報科学専攻の学生だけでなく、哲学、社会学、国際関係学、言語学、言語教育、心理学など様々です。その多様な背景の学生が許容される授業の設計となっています。ICU生のだれしもが受講することができ、受講する意味がある授業だと思います。

まず、情報科学専攻の学生をはじめとする、現在プログラマーであったり将来プログラマーになりたい学生にとって大変意味のある講義です。その理由は、この授業では高度なゲームプログラミングの技術を学ぶ授業ではありませんが、なぜそのような技術を使うのかといった一番大事な部分を考える機会を提供してくれます。自分がなんのためにプログラミングをしているのか、出来上がったソフトウェアは誰がどのような環境で利用するものなのかを仕様書などの設計段階から深く考える為にもこの授業はとても有用です。

次に、経営学専攻をはじめとする現在、あるいは将来ビジネスとして新しいサービスを作っていきたいと考える学生にも大変有用です。なぜなら、多くのサービスを設計する上でそのサービスのユーザーの動的複合ペルソナを深く考えることは不可欠であり、さらにサービスを展開する上で工学的技術の知識、技術者との協力関係も極めて重要だからです。この授業では、工学的技術の応用例が数多く紹介されており、Digital Content ExpoやSIGGRAPH ASIAといった研究発表の場がどのように行われているかについて情報を得ることができます。情報収集の場としてとても有用です。

さらに、生物学や心理学、社会学専攻などの生物としての人間、あるいは社会的な存在としての人間に興味がある学生にもこの授業は有用です。なぜなら、「遊び」という人間の一般的現象を改めて考え直す体験を通じて、生物としての人間、社会的存在としての人間に新たな着想をえることにつながるからです。生物学者であれば、他の類人猿における遊びと人間における遊びの比較研究ができるかもしれないし、心理学者であれば遊びの「楽しい」という感情をテーマに心理的実験ができるかもしれません。「遊び」を各専門分野から研究対象にする、それだけ「遊び」は興味深い現象なのだということを再認識させてくれる授業なのです。

授業の内容もこのような動的複合ペルソナを対象に設計されている(と思う)ので自分が何を専攻しててもきっと役立つはずです。もっとも、自分の専門でない分野の知見についても垣間見ることができるので、それだけでもICU生としてはトライしてほしい授業です。ぜひ、自分自身で来年の「コンピュータゲーム」の授業を受講して、「エンターテインメントシステム」について考え、人生の糧としてください。


2048を目コピでクローン作成する課題

情報系メジャーの学生も半数ぐらいいる中、かつての本講義で扱ってきたUnityやProcessingといったフリーで利用できるゲーム開発環境については、すでに独自に取り組んでいたり、ほかの講義で扱っていることもあり、今年度はプログラミングをお触りするような表面的な講義はやめて、「ゲームの本質」に迫るため、「未来のゲームデザイン」p.123で扱っている「ゲームのクローン」を開発することにした。今回のテーマにしたゲームは「2048」。実際にゲームを始めてプレイする体験を記録し、それを観察したのち、ゲームルールを各自が希望する言語で実装した。講義の中ではProcessingやCなどでの実装があった。C言語による実装の場合は約500行程度。中でもHaskellで実装した学生がいたので抜粋して紹介する。

2048をHaskellで真似してみた学生

Haskell詳しくなかったのですが、なんと76行。すばらしい。2048特有の動きを最後の8行で表現できているのが面白い。

github.com/29rou/2048Haskell-/blob/master/2048copy.hs


import Prelude hiding (Left, Right)
import System.Random
import Data.List
import Text.Printf
import Data.Char (toLower)
import System.IO
type Table = [[Int]]
data Move = Up | Down | Left | Right
main :: IO()
main = do
hSetBuffering stdout NoBuffering
putStrLn "Start"
table mainLoop table
where initialize :: IO Table
initialize = do table' IO ()
mainLoop table = do printTable table
if filter ( == 2048) (concat table) /= [] then putStrLn "Finish" else gameFunction table
gameFunction :: Table -> IO ()
gameFunction table
| (getEmpty table == [] && canMove table == False) = do putStr "Game Over"
| otherwise = do putStr "Please input [Up, Down, Left, Right]"
new_table if table == new_table
then do putStr "Please chose other one\n"
mainLoop table
else do new Bool
canMove table = sum ( map (length . getEmpty . flip move table) [Up, Down, Left, Right] ) > 0
printTable :: Table -> IO ()
printTable table = do let showRow :: [Int] -> String
showRow = concatMap(printf "%5d")
mapM_(putStrLn . showRow) table
addNumber :: Table -> IO Table
addNumber table = do let choose :: [a] -> IO a
choose xs = do i (Int, Int) -> Int -> Table
setNumber table (row, col) val = fst ++ [mid] ++ post
where fst = take row table
mid = take col (table !! row) ++ [val] ++ drop (col + 1) (table!!row)
post = drop (row + 1) table
target value [(Int, Int)]
getEmpty table = let singleRow n = zip (replicate 4 n) [0 .. 3]
coordinates = concatMap singleRow [0 .. 3]
in filter (\(row, col) -> (table!!row) !! col == 0 ) coordinates
newTable :: Table -> IO Table
newTable table = do let moves :: [([Char], Move)]
moves = zip ["up", "down", "left", "right"][Up, Down, Left, Right]
moveKey :: IO Move
moveKey = do input return x
Nothing -> do putStr "Plese choose [Up, Down, Left, Right]"
moveKey
key Table -> Table
move Left = map compute
move Right = map (reverse . compute . reverse)
move Up = transpose . move Left . transpose
move Down = transpose . move Right . transpose
compute :: [Int] -> [Int]
compute xs = computed ++ space
where combine (x:y:xs) | x == y = x*2 : combine xs
| otherwise = x : combine (y:xs)
combine x = x
computed = combine $ filter(/= 0) xs
space = replicate (length xs - length computed) 0

コーディング中に気づいた難度に関係する設定

i. 数字(タイル)が発生する場所

今回は何も考えずに乱数を元にランダムで場所を指定した。しかし、ここをばれない程度に弄ればもう少し難しく出来そう。たとえば、序盤は空いている場所を中心指定し、ある程度ゲームが進んだ段階で密度が高い場所を指定するなど。

ii. 数字の大きさ

今回は常に半々の確率で2、4が出るように設定した。しかし、ここも確率を弄れば難しくできそう。出す数字の種類を増やしたり、出す数字の確立を弄ったり等。たとえば、終盤にかけて発生する数字を大きくしたり、序盤は小さな数字ばかりが出るようにするなど。


別の学生、Mさんの解説。

icucg2015mashiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html

この講義でどのようなことが学べるのか?

この講義で学ぶことが出来たのは、エンターテインメントがどのようであるべきか、そして実際にそれがどのように社会に存在するかということである。これらは、現在という時間軸における話だけでなく、過去または未来におけるエンターテインメントについての話も十分に説明されており、十分に理解できた。具体的にどのような内容であったかを次の五項目に分けて、この講義の内容を紹介したい。一) 遊びについて 二) エンターテインメントシステムについて 三) エンターテインメントシステムのデザインについて 四) 次世代のゲーム(スポーツ)について 五) インタラクティブな新技術について
第一に、遊びとは何だろうかという根源的な問いからこの講義は始まる。歴史的に見ると遊びの原初はラスコー洞窟の壁画にまでたどることが出来るだろう。なぜならば、ラスコー壁画は、最も原始的な人類が、生存のための必要性とは異なる次元で行った活動の所産だと考えることが出来るからである。学生からは、狩りの成果を称えるために描いたのではないか、または逆に、飢えなどの恐怖に対するまじない的効果があったのではないか、といったような意見が有ったが、結論として、このような絵画を描くことで、彼らクロマニョン人は何らかの効用を得ていたというのは間違い無いだろう。
このような人類と遊びの関係は、非常に長い時間をかけて、多くの学者が、様々な視点から研究を進めてきた。特にヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という人間観は、人間の’本質’と’遊び’を強く関連づけてるという点でこれら議論の核心に最も近づいたといえるだろう。また、彼の研究(特に遊びの成立条件に関して)はフランスの思想家、ロジェ・カイヨワによって引き継がれ、大きく発展した。彼はどのように遊びの要素を示したのだろうか。
ロジェ・カイヨワによると遊びとは六要素に分類すると言うことが可能だという。その六要素とは、自由性、隔離性、未確定性、非生産性、規則性、そして虚構性ということだった。本講義では、実際の遊びがどのようにこれら要素を満たすのかと言うことを、実践を交えながら実感することができる。
さらに、遊びのなかでも特にゲームの分野は第十芸術というような表現をされることがある。これは音楽、絵画や建築などといったものに次ぐ芸術の一形態として認められつつあると言うことである。これは、単にゲーム自体の価値が広く認められていると言うことを示しているというよりは、ゲームという芸術のあり方自体がより体型だった形で洗練されていく必要があるということを強く意味しているのである。
第二に、エンターテインメントシステムとは何か、という疑問に講義は答えた。エンターテインメントシステムとは「人間の娯楽に作用するようにデザインするシステム」(白井博士 55)だと定義される。つまりエンターテインメントシステムとは、単なるコンテンツ単体ではなく、それを楽しむためのすべて環境・設備・機構をさすのである。つまり、ゲームソフトや映画のDVDだけでは、エンターテインメントシステムと呼ぶことは出来ない。それを再生する設備や楽しむための環境全体を含んではじめてエンターテインメントシステムと呼ぶことができる。その点で言えば、スマートフォンやSNS、動画配信サービスはまさにエンターテインメントシステムの定義にぴったりと当てはまるといえる。
また、エンターテインメントシステムがそれ足るために、継続的な魅力を提供出来ることが重要となる。すなわち、ユーザーを再びそのエンターテインメントシステムに誘うような何らかの魅力が必要なのである。そのために、ハードウェア的にユーザーへの適切な配慮を行うことは必至であるし、それ以上にユーザーの特性を考慮したような設計が求められる。しかしながら、遊びの成立の六要素の話に関連するが、エンターテインメントとしてユーザーに楽しさを与えるというコアの部分を満たすことが何よりも必要だと考えられる。他の利益に強く結びつけられていたり、ユーザーの現実を踏みにじる様なエンターテインメントはもはやその目的を果たさない。例えば、非生産性に近い話だが、かつてのNitendo DSや今日のスマートフォンで流行っている何らかの学習効果を狙ったようなゲームやアプリケーションといった目的性、長時間の連続のプレイをユーザーに強要するようなゲームははたして面白いゲームと呼べるのだろうかといった批判がある。エンターテインメントシステムは面白さを追求しながらも、その本質に反さないことが重要だと考えられる。
第三に、講義はエンターテインメントシステムのデザインについて触れた。エンターテイメントシステムを設計するための一つの思想として、ペルソナというものがある。ペルソナとはつまり人格である。個人がどのような性質を持っているのか、何歳くらいなのか、どのような性であるか、などの要素が含まれうる。しかし、その個々のペルソナへの分析だけでは、実際にシステムを設計するにあたって、大きな不都合に直面することになる。すなわち、特殊性をどの程度まで追求するべきかという問題である。特定の深く分析されたペルソナに従ったデザインを行うことによって、特定のユーザーの満足度は上昇するかもしれないが、他のユーザーは排他される可能性は高い。逆に、大きすぎるペルソナは、ターゲットを絞ることが出来ないがために、ユーザーの心をつかむことが出来ない。すなわち、特殊性と一般性の均衡点を発見するために、単体の固定されたペルソナでは不十分であるということである。
このジレンマを解消するために、動的複合ペルソナの概念が提唱された。動的複合ペルソナは、ユーザーが新しい経験や体験によってそのペルソナが変化すること(動的であること)また、ユーザーが多くの場合に単一ではないと想定すること(複合的であること)の二つの特色を有する。
まず、動的ペルソナは、提供出来るサービスの質を保ちながらも、特定のユーザー、例えばアクティブではないユーザーなどを排他しないような非限定的なシステムを構築することに与する。動的なペルソナは、経験を通して絶えず変化することを示しているが、その経験というのは、一般的経験というよりは、エンターテイメントシステムとの関わりの中で生じるような体験を指すものである。ユーザーはシステムの要素との交流のなかで、一種の耐性のようなものを身につけていく。それは、単に刺激に慣れるということに限らず、コツやシステムの概念を理解したりといったことまで包括的に考慮する。このような経験を組み入れたシステム設計を行うことにより、ユーザーとエンターテインメントシステムとの間のハードルを大きく下げてくれるのである。
一方、複合的ペルソナによって、より現実に即した設計が可能になる。私たちは社会的存在であり、他者との関係を切り離して考えることはできない。実際問題、多くの時間を他者と共有している。だからこそ、エンターテインメントシステムはそれに呼応するような設計を構築することによって、その目的をより良く達成できると考えられる。たとえば、女子高生の一団だったり、男兄弟だったり、人々は余暇を親しい他人と過ごしており、そのような集団が、エンターテインメントシステムと関わりを実際に持っていることは、ゲームセンターやテーマパークなどに行けば、体感的に理解できるだろう。
第四に、次世代のゲーム(スポーツ)に関する内容を講義では取り扱った。特に、次世代のスポーツを企画してみるという課題があり、それは上記のエンターテインメントシステムのデザインなどと大きく関連するものであった。そもそも、次世代スポーツというのは、最先端のテクノロジーや、柔軟な発想をスポーツに取り入れることによって、新たなスポーツを生み出そうというプロジェクトであり、その企画書をプレゼンするという内容だった。プレゼンでは、実現可能性や、ペルソナを考慮した価格設定、遊びとして成立するのか、といった観点から様々な議論がされた。特に印象的だったのは、脳外科手術を受けて、仮想世界でダイビングをするという企画に白井先生が「本当にそれをあなたはやりたいですか?私は脳外科手術を受けてまでこれをしたいとは思わない」とコメントしたのが、痛烈ながらも、エンターテインメントに対してどのような価値、考えを持っているかを端的に示しているように感じた。
最後に、様々な新技術に関してである。エンターテインメントシステムに用いられている技術の殆どは、いわゆる”枯れた技術”で構成されているとしながらも、やはり、新技術をシステムに取り入れることは、将来的に必要なことだと思われる。講義の中では、今年、神戸で開催された、SIGGRAPH ASIAでの展示に関して紹介がされた。UT-HEARTといったような学術的な展示から、アート系の展示、また、現実世界で応用ができそうな技術や、Live 2Dといった非常にユニークかつ高いテクノロジーが求められるような展示があった。また、DCEXPO2015でも様々なテクノロジーが紹介されていた。こちらでは、特にデジタルコンテンツに関する展示が多く、特に3D関連技術のものはめざましい進化を感じさせるものが多かった。これら展示された技術を、単なるイロモノで終わらせるのでなく、一般ユーザーが気軽に利用できるように普及させていくことが強く求められる。

この講義はどのような利益をもたらしたのか?

この講義が私にもたらした利益は、遊びやゲームといった行為の本質に迫ることができたこと、最先端の科学とその実際的応用に関する知見を専門的立場からの意見を含めて知ることができたこと、そして私のライフスタイルに影響を与えたことの三つである。
はじめに、この講義は遊びやエンターテインメントシステムといった、普段あまり真面目に考えられることが少ない分野に関して、深く考える機会を提供してくれた。ゲームという言葉は、一種のスティグマ(汚名)を不当に被り続けており、一方的に、考えるに値しない些細なもの、あるいは、人間に害をもたらすものであるかのように語られてきた。しかしながら、前項で示したように、遊びは人間の根源的な活動であり、それは人間存在と切り離すことはできない。そのような前提の元で、深くゲームや遊びについて考えることができたというのは貴重な経験であり、また、それは、エンターテインメントシステムの溢れる現代というコンテクストにおいて特に重要な意味を持つものであると考えられる。
つぎに、コンピューターゲームの講義は、最先端のテクノロジーに関する知見を与えてくれたと思う。それらテクノロジーは、枯れた技術の組み合わせに過ぎないかもしれないが、それでもなお、ありふれた存在とは一線を画すような生きたテクノロジーである。鮮度の高いテクノロジーを開発者やテクノロジーのバックグラウンドとともに理解できるような機会を得ることができたのは非常に幸福な経験だったと思う。たとえば、UT-Heartの例では、開発者の瀬尾氏のバックグラウンドに関する秘蔵のインタビューとともに、その技術の有効性を知ることができた。このような見識に触れることができたことは、なんらIT関連に限ったことでなく、広く応用していくことが可能なのではないかと思った。
最後に、(これはおまけ程度の話だが、)講義で取り扱った内容が私の生活様式に何らかの変化をもたらした。講義の中ほどで紹介されたARゲーム”Ingress”が予想以上に面白かったということであり、そのプレイが私の日常の一部に組み込まれたということである。その存在自体は、この講義以前から認識していたが、ハードルが高そう似見えたのと、その面白さがいまいち理解できていなかったために、それをプレイすることはなかった。しかし、白井先生のデモに影響されて、プレイを始めたところ、その面白さに一種の衝撃を受けた。それ以降、私はこのアプリケーションを一日に少なくとも五回は起動しているだろう。これは利益であるかは、現状では判断できないが、少なくとも短期的な満足感と言ったようなものを得ることはできたのは事実である。

この講義でどのような発見があったか?

自身の考えていたいわゆる”ゲーム”と”遊び”の間の乖離、ユーザー指向のシステム設計の応用可能性、また、それに関連して、ペルソナの学問領域における類似性を発見した。
まず、この講義を通して、自分の考えていた”ゲーム”と”遊び”の間に大きな乖離がある事に気づいた。私の中でのゲームというものの理解は経済学におけるゲーム理論におけるゲームの定義に近いものだったと思う。すなわち、複数のプレイヤーがなんらかの利益を巡って争うような構造一般をゲームだというように理解していた。それに対して、講義で扱ったゲームすなわち、余暇としての、遊びとしてのゲームはそれよりも範囲が狭いものでありながら、一般的にゲームと考えられるものの枠を越えた範囲まで触れるものであったと思う。たとえば、自販機の設計などは好例だろう。このようなエンターテインメントとしてのゲーム定義は非常に斬新であり、自己の理解と大きく異なっていることに驚いた。
つぎに、エンターテインメントシステムのデザインについての説明は広く用いることができるのではないかと思った。ペルソナやユーザーから何が見えるべきで何が見えないべきかといったような話全般は、なんらエンターテインメントシステムのデザインに限った話ではなく、近いところでは、授業で触れていたようなウェブページのデザイン、遠いところでは、建築やインダストリアルデザインについても広く応用可能であるように思われた。これらもまた、エンターテインメントシステムと呼ぶことも可能かもしれないが、いずれにせよ、ゲームの設計理論というものが、特定の分野にしか通用しないような極めて特殊なものではなく、むしろ、他の分野においてその理論の有効性がより一層担保されるのではないかと感じた。
そのようなユーザー指向のデザインに関して、動的複合ペルソナの説明があったが、これは政治哲学におけるペルソナの説明と似ていることを見つけた。ホッブズは著書リバイアサンにおいて、社会契約を遂行するため、人々は仮の人格=ペルソナを形成するという演繹を行った。この人格は個々の詳細な人格ではなく、自己保存という目的達成のために形作られた概念上の人格であるが、このような仮想の人格を用いて思考を進めるという手段は方法論的に、動的複合ペルソナの概括的決定と類推が可能ではないかと思った。すなわち、ある種の実在するかどうか不明なペルソナを想定することによって、逆説的に、実在する人間の要求を満たす設計が可能になるということは、学問領域にかかわらず、広く認められるということを示しているのである。

この講義はどうして後輩におすすめできるのか?

この講義は情報科学メジャーの生徒に限らず、どのような生徒にもおすすめできる講義であると思う。特に社会科学や人文科学を専攻している生徒にも積極的に取って欲しい講義である。なぜそう言えるのかを、どのような講義がICUの生徒にとって望ましいのか、また、どうして情報科学メジャーの学生および他の分野を専攻している学生に勧めることができるかに分けて述べたい。
まず、どのような講義が好ましい、すなわち、勧めるに値するかという話をしたい。ICUは全人的教育をその目標に掲げる大学であり、入学者の多くは、その目標に少なからず共感し、自身の学習においても分野に依らない学習をしたいと思っているだろうと考えられる。その目標を達成するために、講義として行うべきなのは、その分野の基礎的知識の習得、実践知の獲得、そして、他分野との有機的連携のなかで生じる新たな発見の提供に分けられるだろう。特に300番台(メジャー領域)の講義は、基礎的な情報科学の分野の知識や技術を提供するためのものではない。むしろ、得た知識をどのように実践的に用いるか、あるいは、他の分野と対象の分野を結びつけるかを分析するような内容であるべきである。これら後者二つを提供することによって、学生個々人はそれぞれの学習を深めることが可能であるからこそ、逆に、そのような講義は勧めるに値すると言えるのである。
第一になぜ情報科学メジャーの学生に勧めることができるのかを説明したい。この場合、どうして、コンピュータゲームの講義が進めるに値するかは非常に容易に説明することができる。先に述べたように、300番台の講義として求められる要素二つを満たすからである。コンピュータゲームの授業では、他のクラスで身につけたような基礎的な知識や技術を一つのゲームという作品の制作によって、応用する課程を学ぶことができるのである。また、授業の紹介の部分で述べたように、どうしてこの授業はエンターテインメント、遊び、ゲームといったような存在や行為の本質に迫るものであり、それを追求するために、人文的アプローチは必要不可欠であり、実際に、そのような内容は十分に提供されたと考えられる。よって、これら二つの要素を提供出来るということが認められるので、このような情報科学メジャーの学生にとって、この講義は履修する価値は必要十分だと考えることができる。
第二になぜ社会科学、あるいは、人文科学の分野を専攻する学生に勧めることができるのかを考えたい。この論は非常にトリッキーな説明を要する。なぜならば、情報科学メジャーの学生と異なり、彼らは、情報科学の基礎知識を有しないし、そのゴールも幾分か異なるものであるからである。しかし、このような、いわゆる”文系”の学生にも勧めることができるというのは、授業に求められる理想の三番目から逆説的な演繹を行うことが可能だからである。このような学生は、基礎的な知識は欠如しているが、専攻分野などに関しては、ある程度の知識を有しており、エンターテインメントや遊びといったものへの理解を深めることが可能である。そのようなものへの理解は、エンターテインメントシステムを考えるための核心であるからこそ、その理解はそれ全体への理解の意欲を大きく向上させるに足るのである。というのも、遊びなどの概念を深く分析しようとすることによって、そこから派生する枝葉の部分に触れる必要性を強く感じさせるからである。それによって、情報科学の学生が学ぶのとは逆の方向から学習を進めることが可能になるのである。
では、なぜこれらのメカニズムが生徒にとって効用があると言えるのだろうか。もし前パラグラフで説明したような仕組みによって、生徒が逆方向の学習を十分に行ったとする。この場合。自身の研究と他分野の研究を組み合わせるという目標は達成される。たとえ生徒が、基礎的な知識や研究にまでたどり着くことがないとしても、少なくとも、実践的・発展的内容を自身の既に持っている知と組み合わせることで、あらたな知の連携を形成することが可能だからである。これは、全人的な教育という規範を満たすものである。また、ある程度の基礎知識が欠落しているにせよ、どのような技術が実際に応用されてきたのかといったよう内容を学習することは可能である。また、もし、それ以上の発展的な学習を行うとすれば、この授業は基礎知識の習得や、その応用について学習するための力強いインセンティブを学生に与えたということが結論づけられる。これらは、講義として求められる理想の一番目あるいは二番目を満たすものである。よって、これらの生徒にとってもこのコンピュータゲーム授業は勧めるに値するのだと結論づけられる。


学生自身に「講義の面白さ」をシェアさせてみる

今回、リベラルアーツ&アクティブラーニング比率を高めに設定した。確認として、学生自身の理解を反芻させるために「講義の面白さ」を、ほかのICU学生をペルソナとして設定して作文させた。一部、共有許可を得られたものだけ紹介する。

今学期面白い授業があったので、ICUの皆さんにシェアします。

ComputerGameという情報科学の授業なのですが、タイトルだけだとGameを作るのかなと思うかもしてません。「ゲームに興味ないから、いいや。」と思わずに、ぜひ最後まで目を通してください。
この授業を一言で言うなら、現代のエンターテインメントや、ビジネスをゲームという視点から学ぶ授業です。具体的にどんなことを学んだのか書きます。
まず最初の授業は、最も印象的でしたが、ゲームを遊びの1形態と考え、そもそも遊びがなぜ必要なのかを考えるものでした。前提に対して、批判的に思考することからスタートするのはなんともICUらしい授業でした。ゲームの話をするのかと思いきや、遊びという文化について議論し、遊びはなんで人間にとって必要なのかということに思いを巡らしました。
次に授業では、遊びにどんな要素があるのか、その要素を分類していきます。遊びの6要素というものですが、その要素を使って既存のゲームを説明したり、現代の「遊び」の問題にも話はおよんでいきます。他にも、社会科学的な観点から、さまざまな遊びの理論についても学びます。
ここまできてもまったくコンピューターの要素が出てこないですが、講義は徐々に現代のエンターテインメントシステムに話がうつっていきます。そして、ついには自分たちでエンターテインメントシステムを作る課題が課されます。超人スポーツ(http://superhuman-sports.org)というものを参考に自分でゲーム・スポーツを考案するのは、正直骨が折れましたがいい経験になりました。自分で何かを自由に作り上げる機会は、一般的な大学の講義にはあまり多くない、とても貴重なものです。しかも、特別なプログラミングスキルも必要ありません。情報科学の授業と聞くと敷き居が高く思うかもしれませんが、怖じ気づかないでぜひこの授業を履修してみてください。
そして、僕がこの授業で学んだもっと価値のあることは、既存のヒットゲームや、エンターテインメントシステムについて議論したことです。なぜ、今特定のゲームがヒットしてるのか。電車という、インフラに使われているITのどこを改良できるのか。そんなことを議論してきたことが、僕にはとても刺激的でしたし、今後の自分のキャリアにとても関連していたこともあります。なにより、問題解決を試みることは、どんな行為よりも知的好奇心が満たされるものだと思っています。自分で最先端技術をどんな風に応用できるのか考えることもしました。僕はMulti Plexという、多重化した視覚的な情報を一つの画面に映し出す技術を観光業に使えないか考えました。
この授業はいろんな人におすすめできます。情報科学に興味がある人はもちろんですが、経営を学んでいる人には、ヒット作品や最先端のITについての知見が広がりますし、ゲーム大好きな人も今まで自分がただ純粋に楽しんできたものを学問的な見地から考えられる貴重な機会になります。ぜひ来年もこの授業が開講されるならぜひ受講してみてください。

後輩へのすすめ

最後にこの講義のアピールポイントを紹介する。
まず、学生参加の機会が多い。講義の形式は、先生が黒板の前に立ち学生が机に向かうというような通常のものとは異なり、先生と学生が輪になって座り、先生が講義をしている間も自由に意見を言ったり、それに対してまた別の学生が意見を言ったりしていた。とても自由な雰囲気があり、他の学生の意見が聞けるのは大いに刺激になった。講義の内容も、学生の積極的な参加が求められるような内容で面白かった。例えば、身の回りのエンターテインメントシステムにはどんなものがあるかとか、駅の自動販売機に欠けているものは何か、あるいはそれをエンターテインなものにするにはどうしてら良いかなど、学生にその場で考えさせ議論させるような、次世代的でオープンな場が設けられていた。その他にも、人狼をリアルRPG的に即興でやってみたり、ingressや2048などのゲームを授業中にやったり、普通の授業では無いような面白い学び方だと思った。
毎週出される課題についてもオープンな雰囲気があった。各自がやってきた課題はfacebook上でシェアされ、閲覧したりコメントしたりすることができる。また、課題は次回の講義中に発表することになっていて、先生からアドバイスを頂いたり、意見を交換しあったりする。
この講義は情報科学メジャーの学生だけでなく、様々な分野あるいは学年層からの学生が履修できるように、プログラミングスキルを必須としないなどの配慮があり、実際に哲学や言語学などの他分野メジャーの学生が履修していた。このことは、ICUの教育理念であるリベラルアーツに適ったスタイルであり、「遊び」やゲームに関心がある学生はぜひ履修することをオススメする。


以下、学生視点でのおすすめ作文より

「自分が当たり前と思っているものごと当たり前ではないとしれる、情報科学開講の唯一の授業だよ。情報科学開講というホーム側の講義で、非情報系の人間の考えが知れるのはとても有意義だと思う。確か、文系メジャーの講義を取ることでも非情報系の人間の話は聞くことは出来る。しかし、アウェイ側にいるのと、自分がホーム側にいるのとではやはり受け取れるモノが違う。アウェイにいると、つい気張ってしまうし。ホーム側に、非情報系の人間の人間を眺めることが出来る珍しいチャンスだと僕は思う。」

昔気質の教授の一方通行の授業ではなく、もっとインタラクティブな授業なので、気負わずに参加するといいと思う。固定概念を捨てて新しい物に触れる喜びを見つけるとより楽しめる。近い趣味を持った人と議論できる場なのでより白熱するかも。

 

この講義を通して、新しい技術や企画に触れられたこと、人を楽しませるには結構な苦労がいると気が付いたことが大きな収穫でした。企画を考え、まとめる体験もできました。この体験は社会人になって仕事をする際にも企画を考え、プレゼンすることに生きたいと思います。
授業中も会話があったり、実演が多かったりととても良い授業です。先生もとても楽しい方で、生徒との距離が近く、間違いなく面白い授業です。みなさんも是非とってみることをおすすめします。

私はこの授業全体を通して人の楽しませ方について考えることができました。技術力以上にアイディアや創造性の大切さを感じ、今後の教訓にしたいと思いました。当初はコースタイトルから、ゲームに関しての技術的な話が多くなると予想していましたが、そんな枠には収まらないほどの範囲から講義が行われました。情報科学メジャーではなくとも十分に理解できる内容なので、エンターテイメントに興味がある人でしたら取ってみることを強くおすすめします。

私がこの授業で得た物の中一番重要なものはここまで書いてきたようなことではく、講師が私の就職相談に乗ってくださり、今後の指針を示して頂いたことである。講師はコンピューター・ゲームという授業を開講していることからも分かるとおり、ゲームをはじめとしたデジタルエンタテイメントの専門家であり、ゲーム業界へ就職を志望する私が目標の為にべきことは何か、そのためどような点を直さなければいのかといった事を教えてくださった。以上 触れてきたように、この授業は私とって非常有益なものであり、それゆえ後輩の方々にも受講を勧めるものである。受講にあたって勧めておきたいことは、講師出来るだけコミュニケーションを取ることである。この授業ではFacebookグループを使って情報伝達が行われるので、コミュニケーションが容易である。私の就職相談ようなものも、授業課題流れから生じたものである。このような機会を自分以外の方々にコミュニケーションの中で見出して欲しいと思っている。

 

この講義はまずエンタテイメントについての認識の確認から始まり、身近なビデオゲーム等をテーマにした議論があり、そこからまた視野を広げて先端技術を使ったエンタテインメントの可能性についてといったような流れがあったように思える。また講義を進めていくに当たって学生と教授の距離は近く双方向なやり取りが常だったといえる。課題等に関しても情報系でない学生や、日本語を母語としない学生への配慮があるのでデジタルエンタテインメントに少しでも興味があるのであれば300番台だからと臆することなく取ってみるのも悪くないだろう。

受講生には留学生や非日本語圏の学生も存在するので紹介

Computer game class Introduction for English speaker

In this lecture, you will learn about what is being defined as fun, game, and entertainment system. The concept of creating entertaining and meaning game for other people to enjoy and play will also be discussed throughout the lecture. The lecture is not mainly focus on the actual design of the game itself, rather it’s a course that sparks student’s interest in designing fun and creative proposal for possible game ideas and discusses about many interesting technology news in the entertainment industry today.

The professor is a very knowledgeable person with many experiences in designing some break-through technology, and one will learn a lot from just simply listening to the lecture and having interaction with him. The textbook has many useful information and many interesting ideas that are very intriguing but most people would see them as something normal, which gave me quite a few changes in my thinking about the game design process.

For this class, there’s not that much to prepare for it, but definitely enjoy the lecture, join the discussion, and enjoy the time in the class. The homework isn’t time-consuming, if you think about the homework topic everyday, and then spend a day working on it, you will definitely get a very satisfying result. Also reading about the entertainment world news will also help too. If any questions related to the gaming design, or any interesting news about some cool technology, feel free to let the professor know and have a great discussion with him.

I’ve learned a lot in this class, even though it’s all taught in Japanese, I still really enjoyed it. I learned a lot about the newest technology, and some of the issues that can happen or some possible solution for better technology in Japan. Also, for me, I see a lot of different way of thinking in this class. Everyone has different background and a lot of the proposal is really interesting and really out-of-the-box compared to what I was thinking.

For English speaker taking this class, it’s definitely worth it. It’s fun, creative, and a cool class to take a break and not get too frustrated with other classwork. The professor is very nice, such that he will sometimes stop and explain things in English for me and try to get me into the discussion. But I still strongly recommended that taking this class with some level of Japanese, for me it was two years of Japanese, will be a lot more helpful. Listening isn’t very difficult, and it will definitely be a good practice, it’s worth the time spent in the classroom. Also you get to see the real Japanese discussion if you aren’t taking other Japanese lectured class. So don’t be afraid to take this class, and really do enjoy the time you have in this class.

まとめとふりかえり

秋学期で9回程度の講義で、広範な内容を扱うことは難しいが、それでもICUの幅広い学生の興味に対して、そこそこにスピード感をもって知を共有することができたと考えている。毎回の講義後、自主的に質問してくる学生も多く、19時の講義終了後、最大2時間程度のオフィスアワーを設けて、深く相談に乗ることもできた。

個別に紹介したい学生もたくさんいる。
非常勤という立場だからこそ見えてくることもあり、私自身勉強になることが多かった。

彼らの才能が開花し、世の中に良い意味で「おもしろくする」こと、
社会に対して大きな影響を与えてくれることを期待している。

それこそが、この講義の意義であろう。

本当に、ありがとうございました。

みなさんのご活躍をお祈りしております。

@o_ob @2015-11-26


  • @o_ob @2015-11-25 t.co/D4yOutsfT5 00:12:48
  • その後、原稿料については請求書をお送りしたら返事をいただけました。
    ちゃんと反省してもらえたと思う。
    ちゃんとコミュニティのことを考えてもらえるかな?

    目的は達成したのでBlogは消してもいいのだけど
    「来ないべき未来」について、後で振り返るためにも残しておくよ。 in reply to o_ob 01:17:44

  • ちなみにVRで面白いもの作って、本当に世界に挑戦したいなら、Laval Virtual ReVolutionに投稿してくださいね。大晦日締め切りです!
    t.co/KxXyp63y7I 01:19:31
  • Laval Virtual ReVolution 2016、テーマは「REAL VIRTUALITY」です。
    言語・文化・専門・現実/非現実を超えた革新的なVRデモを公募しております。
    t.co/LJVYwBaMaE
    t.co/KxXyp63y7I 01:23:15
  • Dans le cadre d'un partenariat, Laval Virtual Days s'associe à KEOLIS !
    15 Décembre 2015 : Transport & Logistique
    t.co/Yce1Vq0Xsm 01:36:00
  • ICU講義「コンピュータゲーム」最終課題まとめ t.co/QJjeyTSs03 12:41:02
  • Unusual Pits Discovered on Pluto via NASA t.co/Lx2qrbZb2u t.co/032RUZmZk6 14:47:37
  • ゼミ終わった!
    今週末の展示の告知です/11/28(土) 沼津で僕と全身ボクシングでボスラッシュ!
    t.co/MBGu6ZRtX0 21:33:17
  • @shimohar おっと、修正しました! in reply to shimohar 21:36:04
  • なるほどー、そういう分野もありますよね。
    一発芸を全面否定するつもりはないけれど、本人は「やりにげ」、継続性が無く、やり散らかすのはあまり感心できないですね。

    Wiiリモコンも、どうせやるなら書籍書くぐらいまでやってこそ研究かなと t.co/EiO34PJ1GX 21:39:45

  • 頭痛薬に変な成分が入っていたらしくちょっと荒ぶっていて、焦点が狂っているのが残念な作文なのですが、カラアゲにも在野のVRの作家さんたちにも何の恨みも無くむしろ応援したい気持ち。原稿料が無事入金される頃にはマイルドに推敲したい! t.co/EQAvllWrUs 21:42:46
  • 超人スポーツもLaval Virtualも岐阜も、作りたいと思う人、やりたいと思う人、支えたいと思う人、みんな大切です。サステナブルに継続する仕組みを作ることが大事。資本の投入は別の話で、やる気の人がガッカリするやり方は残念。 t.co/nCGQ95XdPb 21:49:58
  • RT @drinami: 最近、舘先生や @_anohito とも話したけど、90年代のVRブームって現状よりももっと大きかったし熱量もあった。今回もまだまだ成長する余地はあると思うな。 21:52:06
  • 12/19(土)ヒカリエDeNAオフィスで開催される「HEAT渋谷」に参加決定!3年生を中心に若武者で乗り込みます/HEAT3rd渋谷 ~ゲーム会社合同セミナー~ t.co/mTzQzuSxFz 22:05:36
  • 反省してラクガキ描いてる。
    #カラアゲもVRも大好きです! t.co/aLRomcMeo7 22:47:51
  • "遊びの成立条件"
    ゲームとVRはここが違う!

    #白井博士の未来のゲームデザイン P.48より t.co/ijufSOy4Gi 23:54:30

改題:バーチャルリアリティはバブルなのか?僕らのVRがもっと 面白くなる には?

今日は風邪を引いているのか、全身がだるい。

メキシコから帰ってきた時差ぼけもそろそろ抜けているはずなのに、全身がだるくて寒気がする。それでも講義もするし学生指導もするし、成績つけたり、コード(Kinect, Swift, JavaScript…)書いたり、原稿も書いたりしている。頭痛薬が効いているうちに、書きたいこと、書かねばならないことを書いておこうと思う。

[まえがき] このBlogエントリーはもともと「VB:バーチャル(リアリティ)バブルの空虚さに嫌気が差したので為になる駄文を書いてやる!」というタイトルで執筆された駄文である。議論に値しない「VRバブル」に関する駄文である。特に現在盛り上がりのある「VRコンテンツ」を楽しければいいとか、みんなの話題になればいい、という人々は読む必要が無い駄文である。初稿は、VRエンタテイメントシステムの研究を20年余、冬の時代も続けてきたゲーム業界出身のいち研究者による「原稿料の支払いになると返事が無くなるVR系Webメディアの担当者への私的なメッセージとその本質的な意味」を、本人にとって罵詈雑言ではなく、かつ本人以外の人々に理解可能な手法で再構成したものであり、それ以上の意味を持たない。かのような駄文であるにもかかわらず、この駄文にあえて興味を持ち、数多くの人々がリツイートを繰り返すので、その都度推敲を入れている動的な駄文である。当初、この駄文に興味を持つ人物として想定していたペルソナを挙げるとすれば、(1)現在のVRコミュニティの盛り上がりに対して、何か言語化しづらいモヤモヤを抱いている人物、(2)生業を棄て、人生を賭してVRコンテンツの製作にどっぷりと両足をつかる決断をしようにも、どこか不安な気持ちになる人物、もしくは(3)VRにこれから資本を投下して、何か一発当てたいというようなことを考えている投資家のような人物で、このVRのブームの中、どこに地雷が埋まっているかを示したつもりだった。しかしながら、熱と頭痛薬のおかげもあっていまいち焦点が定まっていないこの駄文は、この「地雷」を見事にヒットしてしまいそこそこに炎上してしまったものと思う。筆者がゲーム開発の時代(2000年)に感じていたモヤモヤが実際に具現化するまで、約3年の年月を要したように、現在は理解されないことが多いであろうことを明記しておくが、一方で、私自身にモヤモヤした怒りや興味を持っていただけた人、もしくは私自身の考え方に興味を持っていただけたのであれば「白井博士の未来のゲームデザイン」という書籍をおすすめする。2013年11月に刊行したときも、ある程度予言めいたことを書いたのだけれども、その後、そこそこに予言どおりの未来が来ている。なお「自分が好きなものだけ作ればいい」と思っているホビイストとしてのVR作家は、私は止めるつもりも汚すつもりもないし、多分気分が悪くなるから以下の駄文は読まないことをオススメする。私もホビイストの自由を尊重したいし、君らも私の自由は尊重してほしい。

 

ライターさんの立場はめちゃ弱い。

数週間前、忙しい合間を縫って書いた某ブログメディアの編集長からの返事が来ない。

2本頼まれたうちの1本を仕上げたら、もう1本の話も、原稿料の請求書の話もぱたりとこない。
(※その後、請求書をお送りしたら返事は来ました)

せっかく動画まで用意したのに。

(どんな記事になるはずだったのかは動画を見てお察しください)

もともとTwitter上で頼まれたようなお話ではあったのだけど、別にお金がほしいとか、紙の依頼状がなければ動きませんよとか、ちょうちん記事は書きませんよとか、”普通の大学の先生”のようなえらい話をしたいわけじゃあない。自分はこう見えてもTwitterやブログといった下品で野蛮で無制御なネットメディアだけでなく、書籍、応用物理や映像情報メディア学会、日本VR学会のような固めの学会誌、某学習教材の楽しい学び関係の原稿、有名なところではCQ出版社「インタフェース」やいまはなき「週刊アスキー」、「ファミ通」のようなゲーム雑誌も手伝うこともある。名前が出るものも出ないものもある。さまざまなメディアで書くのは文体も読者も異なるのでなかなか大変であるが、筆の肥やしとして書くこと、撮ること、編集すると、発信すること…は高校の新聞部ぐらいからずっと続けていること。

私自身は「ファミ通」は創刊号ぐらいから読んでいたので、おもしろい日本語や出版メディアの面白さは「ファミ通」を源流にしているものが多い。一方で、大人になってからゲーム系メディアのお仕事をさせていただく機会、もしくはそこに関わるライターさんや編集さんと接する機会があるといつも感じることは「ライターさんの立場はめちゃ弱い」という残念な点。企画からレイアウトからガチ攻略まで、夜を徹して面白いゲームをさらに面白くするゲーム系ライターさんなのに、くっだらない政治家のありもしない話でつまらない持論を並べ立てる新聞記者よりも給料が安く、立場が弱い。とても残念な現実であるが、しかしこれはそのゲームメディア自身が作り上げてしまった歴史でもあるので仕方ない。

「週刊VR通信」なるメディアは成立するだろうか?

VRが最近流行だけれども、「週刊VR通信」なるメディアは成立するだろうか?

かつての家庭用ゲーム機市場のように、プレイする側、作る側が大いに盛り上がっている時代であれば、可能かもしれない。今はまだ、開発者と開発者と開発者とファンが盛り上がっているだけで、雑誌メディア(電子書籍やBlogサイトも含む)を立ち上げるようなボリュームまでは達していない。しかしスマホアプリやソーシャルカードゲームの隆盛期においては、中高生やパチンコ雑誌の近辺を、きっちりとつないでいたメディアは存在した。私やうちの学生はそういうところでお仕事をさせていただいたりして、実際のコンテンツの外側で、何がどれぐらい売れて、市場性を持っていて、儲かるのか、儲からないのか、といった商品性の匂いを嗅がせていただいたりしていた。しかしながら、やはりライター業は成立しない。とにもかくにも給料が安すぎる。だいたい見開き1本で5,000円~10,000円程度のギャラである。手伝いだから仕方ない、と割り切るのも良いけれど、まっとうな仕事として、ほかの副業などもせず、これで税金と家賃と社会保障を払おうと思ったら、だいたい月に20~30本はこなさなければならない。1本のゲームで1本程度しか書けない、1日に1件以下の記事しか書けない人間には、無理。継続不可能。

しかもそれは、ライターさんだけの気合や根性やスキルだけでは成立しない。
後ろ工程にはDTPさんもいる。デスクにボツを出されることも、メーカーさんの都合で没になることも多々ある。事故だらけだ。

ゲームに活字メディアが必要な理由。

ゲーム系メディアは広告なのだ。面白い商品をそのまま伝えるならゲームを買えばいい。面白いゲームをもっと面白く伝えなければならない。でもウソはつけない。想像もあぶない。最近は無料体験版だってある。「無料のゲームを試してもらうための工夫」に資本を投下しないと、その先のインカムで回収できない。

ゲーム系メディアは錬金術師だ。ゲームの中での体験は、とても個人的な体験だから、「最高の体験」をしているかどうかはゲームプレイヤー自身はわからない。
もちろん作り手は「最高です!」って言う。
プレイヤーも「最高なのかもしれないな」と感じている。でも言語化できるひとはあまりいない。フォーマット正しく言語化して、恥ずかしげも無く発信できるなら、その人は、すぐにライター候補になれる。書く人、書きたい人が沢山いるというのも単価が下がる原因ではある。

各ライターさんは、本当は味がある。
言いたいことを言わせたほうが面白いけれど、時には炎上する。
ひとにはそれぞれ「面白さのモデル」が異なるから。
表現のメソッドも、理解するモデルも異なるから、慎重さと丁寧さで、メーカーの一時情報を作業的にこなす人か、もともと別の分野でカリスマのような要素を持っている人、以外はなかなか成功しない。

本当は一人ひとりの「伝える人」がもっと丁寧に仕事をしてほしい。
「作る人」が一生懸命なのを「伝える人」がいないと、「楽しむ人」が増えない。
「伝える人」がそっぽを向き始めると、あっというまにしぼんでしまう。

学術の世界の 書き手 はどうなんだろ?

一般的には知られていないかもしれないが、学会の依頼原稿や業界紙であれば社判つきの依頼状、締め切りや執筆・校正の方法などが書かれている。それでいて内容の信憑性はレビューにかけられるし、原稿料なんて良くて図書カードかQUOカードだ。つまりお金が目的で書いているのではない。名誉?そういうのもあるかもしれないが、一般の人が知らないマニアックな学会でたくさん原稿を書いたとしても名誉というより「暇なんだろ」としか思われない(そんな暇があるなら論文書くべきだから)。

私の場合、どちらかといえば学会からの依頼原稿の場合は「そのコミュニティの醸成」のために書いているのだと割り切っている。学会のような先端の研究を進めている人々の集まりにおいても、その情報をどのように扱うべきか?切り口を用意する必要があるときがある。また先端の人々が集まる学会だからこそ、その切り口を丁寧に作文化していくことで後進の役に立つことがある。長年続いている「SIGGRAPH見聞記」シリーズのように共著者である中嶋先生のスタイルに沿いながら、時には例年通り、時には鋭く切り込みを入れなければならない。芸術科学会 学会誌「DiVA」の編集を預かったときは大変ではあったけど、「学会誌にマンガ」を活用することで、新しい読者や興味、新しい切り口を提案できたと考えている。同時に電子書籍へのアプローチも進めた。編集だって研究なのだ。

VRの話に戻す。「VRの冬の時代」に。

ところで自分の印刷メディアとの付き合いとはもう少し短いが、バーチャルリアリティ+エンタテイメントシステムの歴史に1995年から20年余り関わっている。

VRはいまでこそ、人気があり勢いがあるが、この20年のうち18年は「冬の時代」だった。この学術コミュニティは派手好きではあるけれど、「謙虚で良い人」が多いので、VRは知っていても、日本VR学会の20年の貢献は余り知られていないと思う。ここで日本の研究者の貢献をちゃんと発信しておきたい。日本VR学会は1995年の設立総会以来、会員数1,000人を超える世界最大級のVR学術コミュニティのひとつである。ちなみに日本とフランスにしかVR学会は存在しない。英語圏先進国では1990年代、クルマ会社などを中心にVRへの大きな投資が行われた「VRバブル」と呼ばれた時期があった。「やれTやGが何十億のVR環境を整備したぞ」というニュースは飛び交っても、VRにおける経験や失敗を学術コミュニティで共有するという発想は、実は2000年代に入るまでは顕在化しなかった。そもそもVRを研究として看做していなかった国もある中、IEEE VRやACM SIGGRAPHなどの国際学会がその代理をつとめてしまったという経緯もある。

私自身、VR学会の年次大会は、会社員で「籠の鳥」だった時代を除けば、設立以来ほぼ毎年参加している。世界でも最先端のVRの技術デモを見ることができることがあるからだ。そういえば当時大学3年生だった落合陽一氏と初めて出会ったのもVR学会だった。そんな落合氏も「魔法の世紀」なる書籍を刊行するほど大成された。ネットやテレビだけでなく、書籍というメディアに活字と紙を通して発信していくことは大変重要だと思う。

VRの歴史と黒歴史について知っていてほしい

以下のスライドは、3DとVRの歴史上の大車輪について示している。世界のVRのパイオニアである舘先生からいただいたものであり、大変よく表現されている。実際にはこの年表の上に、VRや3Dだけでなく、人工知能やサイバネティクス、マイコンからパソコン、ムーアの法則にゲームの歴史も巻き込んで描くことはできるはずであるが、あくまで23年続く学生VRコンテスト「IVRC」関連のプロモーションで使わせていただいているスライドなので、そこは考慮いただきたい。

3D moves in 30-year cycles, VR moves 10 years after 3D crazes.
Slide from IVRC BoF, originally given Prof. Tachi.

日本の「VR黒歴史」については2015年9月に開催された日本VR学会大会の特別企画が大変に良くまとまっている。幸いなことに、ハフポストとTogetterによるまとめが存在するので参考にされたい。

■ VRブーム再び、歴史は繰り返すか?「VR黒歴史」から展望するこれからのVR(長倉克枝)
www.huffingtonpost.jp/katsue-nagakura/virtual-reality_b_8128690.html

■ 日本のVRの黒歴史【2015版】(Togetterまとめ)
togetter.com/li/872144

「3Dブームの後にVRあり」

3Dのブーム、流行、熱狂はだいたい30年サイクルできている。このサイクルが如何にして冷めていくかについては本気で語ればきりがない。メガネの衛生や視力低下、子供の使用における制限、家族同時に観ていられない(これは2x3Dが解決するが)。

そもそもステレオ立体ディスプレイ(S3D)の「奥行き」と「飛び出し」に驚いてくれる人は一過性のユーザーでしかない。たとえば映像研究家でありライターの大口孝之先生はこのあたりの歴史を大変よく収集されており、このS3Dの大輪廻を指摘している。舘先生の興味深い指摘は「3DブームのあとにVRあり」という現象の発見である。おそらく映像に3Dが求められ(背景としてはアナグリフ、偏光、シャッター、デジタルシネマといった技術基盤の成長はあるにせよ)、その不完全さに不満を感じるユーザやコンテンツホルダーがさらなる「体験」として、VRを求めていく傾向にあるのではないだろうか。聴衆の飽くなき欲望が、システムの機能や品質とコンテンツの質と供給を上回る上に、単価や価値自身は下がっていく。

 

VRは主観的な体験である。コピーできない。

映画メディアはマスのための冒険を体験させてくれるメディアである。今日のシネコンに配備されているHD~4K程度の大スクリーンで映画を見る意味は「みんなで観る。ちょっといい環境で、集中して観る」以外には見出すことが難しい。一方でVRはゲームに似て、「主観的な体験」である。今話題のVRは映像が中心の体験であるが、徐々にインタラクティビティやナラティブ、触覚や同期性・非同期性が、新しい魅力や体験を生み出すための重要な研究要素になっていくだろう。

そのようなエマージングな環境において、「VRコンテンツ」の定義は難しく、それこそ研究者がきっちりと定義するべきであるが、私の定義では「エンタテイメントシステム」を「人の娯楽に作用するためにデザインされたコンピュータシステム」とするのであれば、「VRシステムによって体験できるソフトをコンテンツと呼ぶ」という定義ができる。もうひとつ、エンタテイメントシステムの6要素である「虚構の活動」の部分を拡張しているコンテンツがVRコンテンツなのではないかという考え方がある。「虚構の活動」とは、それが「虚構であることがわかること」である。虚構であることがわからなければ、遊びが崩壊してしまう、という考え方である。

もちろん「崩壊なんかしねーよpgr」という主観的な主張は認めるが、現代の遊びの「自己崩壊」について、この図は理解できるだろうか。

  • いつでもやめられる自由 ⇒ SNSや携帯のおかげでいつでもできるが、やめられない
  • 日常と隔離された活動  ⇒ いつでもできるがいつでも遊んでいる(ようで…実は作業)
  • 現実世界に富を生まない非生産的な活動 ⇒ RMTで換金(したとたんに作業に…)
  • 現実とは区別がつく「虚構の活動」 ⇒ パチンコを「銀行」と呼ぶ人々
  • 遊びの世界を支配する「規則のある活動」  ⇒ チート。MOD。
  • 選択の自由がある「先が読めない」「未確定の活動」 ⇒ 攻略本によるボリューム稼ぎ

これらは「ゲーム」のようではあるが、「遊び」を「作業」に変質させる。
遊びの要素に作業のような没頭する要素はあるかもしれないが、それが生産的な活動や現実的な活動、ただのかさましなどに摩り替えられることで、プレイヤーたちはあっという間に覚め、飽き、他のエンタテイメント体験に移動していく。

「VR」は「仮想」ではない。大事なので もう一度言う。

VRのVirtualは「仮想」ではない。Virtualはもともと「実質の/本質の」という意味である。なぜ「仮想」などという訳になってしまったのかは、IBMのVirtual Memoryを「仮想メモリ」と訳したことに起因するという。Virtual Reality研究が「本質」の研究であることはこのような「そもそも論」にも関係がある。ちなみに英国では「presence(実在感)」の研究だったりする。

「VRコンテンツ」、言葉の意味的には「リアリスティックなコンテンツ」であると解釈できるのだが、コンテンツ自身がナラティブなり意味なりメッセージなりを持っている以上、Virtualを「実質の」と訳すことは物によっては大変難しいし、「現実的な/写実的な」とするのであれば「realistic」でありvirtualである必要はない。そもそも「映像メディアである必要がある」と限定したとしても、(限定する気はないが)HMDのようなヘッドセット縛りの原始VRに限定したとしても、「リアルタイムグラフィックスであること」は外せない要素であるといえる。これは1990年代のVRにおいて確定付けられていた。1960年代のサザランドの「究極のディスプレイ」では、リアルタイムグラフィックスの生成までは完全に固定できていないので、アナログ光学系による実写パノラマ生成など、もしかしたら別の可能性も残っているかもしれない。そんなことを考えるぐらい、このVRと3Dの輪廻転生物語には奥深い要素がある。過去に現れたVR作品を「車輪の発明」と揶揄する人も時々いるが、それは余り面白い話ではなく、私はこのような大きな車輪を回転させる慣性モーメントそのものが興味深い。人はVRを体験したいのである。それはVRが主観的な体験であり、コピーできないことに起因する。

システムとコンテンツの関係をはっきりさせておきたい

私はエンタテイメントシステムを研究しているが、それは「システムという器があってこその、コンテンツがある」というモデルを前提としているからである。例えば、

  • 「ファミコン」というエンタテイメントシステムに対してROMカセットで供給されるコンテンツ
  • 「ドリームキャスト」というエンタテイメントシステムに対して、GD-ROMによるゲームコンテンツ
  • 映画館のエンタテイメントシステム「シアターシステム」に対して映画コンテンツ
  • 「ニコニコ動画」というシステムに対して「ユーザ動画」というコンテンツ
  • Oculus+Unityというシステム「VRプラットフォーム」に対して「VRコンテンツ」がある

という例で説明できるだろうか。コンテンツがプラットフォームやシステムを越えることは(感覚上は可能かもしれないが)設計上不可能である。新しいコンテンツによる感動はコンテンツによって消費されてしまう可能性があるが、システムを新しく作り出すことによって生まれる感覚は、確実に新しい感覚になりえる。だからVRエンタテイメントシステムを開発している。

VRの研究は人間の研究である。

VRの研究は人間の研究である。人間がいかにしてリアリティを感じるのか?この世界を現実として感じているのかを教えてくれる。それが「VRを作る人々」が探究している本質ではないだろうか。

もちろん「たのしければいいよ」という人もいて良いと思う。
そういう人たちは自分が楽しいことについての深い探求が不要な幸せな消費者で、3Dブームのときも熱狂していたのかもしれない。私はそのような人々が不快になるようなことを伝えたいとも思っていない。自分の学生であれば、伝えなければならないこともあるが、あえて明確に立ち居地を示すとすれば、

「それは自由なもの」

であるということである。アートや遊びの本質は「自由であること」であるのだから。

なお、誤解の無いように補足しておくが…

精神的にも思想的にも経済的にも時間的にも自由な人間が、自由な思想を自由な具象としてこの世に産み落とすのは自由である。しかしながら、それを他者にぶつける自由はその正当性をもちえていないかもしれない。本エントリーに対して「ポジショントークだ」とか「象牙の塔だ」とか「糞だ」とか個人的に思うことは全く自由ではあるけれど、私に向かってそれを言うこと(@ツイート等で投げやりに飛ばすこと)は、VRの自由なモノづくりのコミュニティの破壊にほかならない、「天に向かってつばを吐く」ということで、自分に返ってきてしまう。私はそんなに偉くはない。一生懸命なにか作りたいと思って寄稿したら、土足で踏み荒らされたりして傷心したりする。私はそこそこに打たれ弱いが、そこそこに俊敏性があり、ガッツはあるほうなので、生きてはいけるが、愛情や情熱を込めて作ったり書いたり表現したものが、無碍に否定されたり、その約束された対価を忘却されたりすると、悲しい。時と場合によっては「作り出したもの自身に不備があったのではないか」と自己攻撃を始めてしまう。あってはならないことだとは思うが、もしもこのような処遇にあう在野のクリエイタたちVRの面白さを伝えるライターたちがいたとしたら、不憫で不憫でならない。

なお、学術研究の世界はそこまで「自由」ではない。
「ちょっとやってみた」で話題になるところまではいいだろう。
特許はとったか?論文も書かねばならない、書いたら書いたで査読者にフルボッコにされる。
必要性や先進性、新規性、再現性、実験の信頼性、後進のための貢献に参考文献など、
マゾでタフでなければはっきり言ってやってられない。
何故論文を書くのか?それは別の機会に譲る。

VRの成功とは何か?

「18年の冬の時期を一気に忘れたくなるような、2年間」。

このようなセリフを老舗のVR関係企業からよく聞く。それは日本の商社のような企業だけではなく、世界のVR関係の企業からも聞く。長年、VRを生業としてきた商社やSIerの方々と、その顧客でありコラボレーターであった大学等の研究者。この両者が「冬の時代のVRのコア」であることを忘れてはいけない。「儲からなくても、やりたい人がやる」という意味では、VRの先進者はすなわちVRの研究者である必要があることはこれまでの歴史で明らかになっている。それは物を売る側でも同じである。「VRを使って研究をする」、たとえば教育訓練系の研究の一部を除けば、ほとんどのVR学会の研究は、アーティストも含め、すべて「VRを研究する」というスタンスがある。たしかに工学系によりすぎな思想ではある。個人的にはもっと科学や芸術に寄ってほしいが、「VRの成功」にはいつも「商業的な成功」というバーチャルなゴールがチラついている。

そもそもVRは米国のベンチャービジネスが作った言葉である。さらに本質的な意味を考えると「バーチャルリアリティを売っている」といえる企業はほとんど存在しない。多くが「VRのための機器」を売っている。しかも、小規模な成功はあれど、この業界で「成功した機器」というものは存在しなかった。OculusRiftは成功したハードウェアであるが、まだ開発者キットの段階であり、製品として成功した製品はまだ存在しない。Facebookに20億ドルで買収されたというビジネス上の成功はあるが、Facebookでパノラマ映像の再生がサポートされた、というぐらいの実装を「成功」と呼ぶべきだろうか?我々ディープなFacebookユーザであっても未だOculus対応のFacebookブラウザがあるわけではないし、そもそもパノラマ映像だけであればQuickTimeVR(QTVR)が何十年も前から実装しているし、動画パノラマだってWebプレイヤーでも十分に実装可能な時代である。そういう意味では「Theta」シリーズは「成功したVRカメラ」と呼ぶべきかもしれないが、そもそもみんな、「VRにおける成功」というものが定義されていないことに気づくべきだ。

「VRで成功」とは何なのか?
まずはいろんな人がいろんなことを考えて、いろんな成功をする自由が残されている。

かつてのゲームメディアのように、VRコンテンツを毎週おもしろおかしく紹介するメディアがあってしかるべきだと思う。そして、そのライターさんは、VRの理想と現実、原理と革新、技術と文化、萌えと産業をちゃんと理解して、金になるかならないかを気にしないで飛びまわれるようなポジションを用意してあげるべきだと思う。ゲームメディアの黒歴史を繰り返さないでほしい。

偽のVRを極めたい人々が多すぎる

ここで、ライターがついうっかり書いてしまいそうな「映像のリアリティ」についての言及をしておきたいが、議論が拡散するので、これも別の機会に割愛する。

昔からきちんとしたVRシステムやVRコンテンツを作っている人は、前述のように「VRは仮想ではない」と分かっているので、虚偽現実を作ることに対して抵抗がある。原理的VR開発者から見ると「偽のVRクリエイタ」を見分けるフラグがありそうなので以下列挙してみた。

  1. バーチャルは仮想
  2. HMD = VR だと思っている
  3. 面白そうだからやってみた
  4. ゲームとVRの違いがわからない、説明できない
  5. ARとVRの違いを説明できない
  6. ARの貢献者が日本人であることを知らない
  7. 作ったものを海外の人々に向け、説明できない
  8. VRにおける科学を知らない、知ろうともしない
  9. テレイグジスタンスを知らない
  10. 触覚のリアリティを知らない

多くの人が作りたいと思うのはいいことだと思う。それはOculusやUnityのおかげであることは間違いない。しかし、それはホビーとしてなら理解する。IVRC作品としても理解する。経済産業省が支援してゼロ円で一般に体験できるショーケースイベントとしても理解する。しかしそれは、VRの本質を見誤っているかも知れない。本質を見誤ったビューアーコンテンツを作りたいのであれば、それは乱立するエロビデオコンテンツと同じ方向性に向かう。

  1. その体験の本質を理解していない利用者が寄ってくる
  2. 幅広く一般的なプラットフォームである必要がない
  3. それが「とても好きな人」で「理解が弱い人」しか繰り返し消費しない
  4. とても好きな人の嗜好は偏っている
  5. 偏った嗜好を繰り返し満足させるのはコストがかかる
  6. 偏った人たちだけが集まっているので特に気にならない
  7. 社会性を失う
  8. 犠牲を払って「その世界でのいい物」を作ろうとする
  9. 作り手が疲弊して、継続できない

もちろん、「善意の作り手」ではなく一部の「資本を投下したい側」だけは、ある程度の市場形成がされさえすれば、延々と搾取できる。「善意の作り手」は、疲弊し続けてもその生活を支えるだけのサラリーが払えれば、続けてもらえるかもしれない。

今のVRはそういうバブルの予兆が見え隠れしている怪しさがある。
VRの本質はすばらしいものだけど、そのプロパティだけで風船を膨らませて、資本を投下して、そこそこに稼いだら引き上げようと思っている。

それは10年前も20年前もいた。仲良くもしてきたし、裏切りのパターンもよく覚えている。

まあでも、あやしくてもいいと思う。それはエマージングであるということの風貌だから。

お金をかけたVRは必ず失敗する

そんなわけで、20年の歴史において、失敗する人々をたくさん見てきた。

VRの仕事をする上で、一番大事なことは「お金をかけたVRは必ず失敗する」という仕組み。このロジックには3つの理由がある。

(1)機材にお金をかけると、その時点で失敗が確定する。すでに述べたとおり、VR機器はVR研究の具象・権化なので、ものすごい勢いで進化する。「10年で回収できるはずの設備投資」が、たったの2-3年で陳腐化して、誰も触らなくなる。これが多くの根本的な問題。

もうひとつは体験者の問題。(2)体験者はVR体験とともに育つ。この話は「白井博士の未来のゲームデザイン」の「動的ペルソナ」で解説している。人は時代とともに、コンテンツとともに成長することを忘れてはいけない。

twitter.com/o_ob/status/391951791039856640/photo/1

(3)土地代やコンテンツボリュームで、すぐに回収できなくなる。たとえばセガ・ジョイポリスや日本科学未来館からCAVEスタイルのVRが無くなったのは何故だろうか?それは「その土地で興行し続けるにはコストが高すぎるシステム」だったからだ。コンテンツを更新し、展示の魅力を上げ、オペレーションにかかるコストを改善できれば可能性はあったかもしれない。しかし、コンテンツを頻繁に更新しようにもシステムが新しすぎたのも問題ではあった。システムを改善しようにも技術的に煩雑すぎた。セガはアーケード基盤のカスタムチップを並列にして2名同時CAVEを構築していたし、未来館の「みんなのCAVE」は円偏光メガネで体験者側に柵を作り、スクリーンを損傷せずに5-6人は同時に体験できる良心的な設計であったけれども、PC-GWSベースのレンダリングクラスタは台数構成分だけ故障停止率が高く、またコンテンツを更新するための数百万が捻出できなかった(導入時の価格ベースで業務的に見積もるから、そういうことにならざるを得ない)。

※余談だがジョイポリスは『デートコースとしてのVR施設』を「It’s a love story」なるキャッチコピーで完全に具現化しており、あらゆる体験に「二人同時プレイ」が実装されている。今のHMDコンテンツの多くにこういう発想はみられない。セガの技術は世界一だったのだ。だからこそ、継続するのが難しかった。

きょうび流行のVRはOculusとUnityのおかげで、本当にホビーレベルの投資でHMDコンテンツが作れてしまう。それが原動力になっていることは間違いない。つまり従来のVRの最大の問題であった(1)機材にお金を掛けると失敗する、というリスクを大きく回避している。

昔話であるけれど、OculusDK1にはOpenGL等でアプリ開発する環境もちゃんと用意されていた。このようなゲームエンジン抜きで勝負したい人は少数派であるけれど、数年前までIVRCでもDirectXやXNA、OpenGLは多数派であった。開発のどこに力点を置くのか?ということにおいて「見た目の残念さ」を多少は解消できるゲームエンジンの選択は、大変なモチベーション維持になる。しかし、数年前の学生のほうがコーディング能力は高かったようにも思う。

フランスに学ぶことも多い。

ちなみに、同じお金をかけるなら、機材やボリュームよりも人を育てるのにお金をかけたほうがいい。これは2000年代のフランスのVRが成功している。2000年代のフランスは1990年代のVRから乗り遅れて、シリコングラフィックスのGWSやデータグローブなどを買うお金が無かったが、その代わりに、Virtoolsという今のUnityよりも先に産業用VRエンジンを開発し、ゲームグラフィックス出身のアーティストが多く産業用・インタラクティブVRの世界に育ったという経緯がある。

上の条件をよく理解して、それでも自分たちのサイズ、自分たちのプライズでビジネスを継続しているすばらしい会社としては、ソリッドレイ研究所が挙げられる。彼らもまた研究者である。

ちなみに、ソリッドレイ研究所だってこの20年で進化を続けている。社長の神部氏自身が自分自身が極度のオタクであり、それを隠し通すよりは、前向きに発信していったほうがいい、という展開は、氏や社の努力と同時に、社会の変化によるものが大きい。システムとコンテンツの両輪、加えてコミュニティが重要であることを、企業自身が気がついた稀有な例である。

VRはバブルなのか?世界はどうなってるの?

「VRにバブルなんて起きてない」という意見は認める。
まだまだ加熱するだろう。作りたい人もやりたいひとも、投資したい人も出てきた。
世界の高校生・大学生と接していると「VRやりたい、ARやりたい」という学生が沢山いることからも、これを教える産業もこれからは伸びるだろう。EON Realityなんて、世界中23カ国でIDCというアントレプレナー施設を作っている。産業用VRコンテンツを受注・製作するだけでなく、EON SPORTS VRのようなアメフト、野球といったフィールドスポーツストラテジ向けの会社を数ヶ月で立ち上げている。

EONマンチェスターで育った学生は、フットボールやスポーツの経験者だ。彼らのような体も動き、野心もある学生たちが、ビジネスとマネジメントとVRを学んでいる。

LavalにあるEON Franceも、世界で唯一、インタラクティブドームシアターを設置し、世界中の科学館向けのドームシアターコンテンツを開発している。もちろん多人数同時インタラクティブを成立させるためのデバイスなども開発している(詳細はまだ書けない)。

英語、フランス語圏だけではない。メキシコ、中南米といった比較的資金体力が無いラテン系、スペイン語圏、BRICsの学生たちやスタートアップカンパニーも同じような装備を入手することができることに変わりは無い。

世界のVRは戦国時代にある。

日本のVRが目指すべき成功は何だろう?

まずは志を高く。

志が低いのはよくない。
世界はもっとまともなVRのプロダクトを望んでいる。
志が低いのは良くない。
本質を置いてきぼりにして
コミュニティからそっぽを向かれていることに
気がつかないのはそもそもの失敗の始まりである。

前世代VRの世界の真の成功者とは、フランスのような例であろう。お金をかけるなら、人にかける。人を育てる。コミュニティや人材市場を醸成させる。戦術の違いである。

今のVRに重要なのは、VRの面白さ、重要性、可能性を伝えるメディアがしっかりすることだ。
ビジネスをしっかりする。品質やブランドを高める。ライターにちゃんと報酬を払う。
電子出版の時代において、紙に印刷したり綺麗なレイアウトを出すことはすでに本質ではなくなっている。その「メディアに掲載される」というブランドが重要だ。日本経済新聞のように。

そして、ホビイストだけでなく、ちゃんと「産業用VRでおもしろいもの」を評価していく必要がある。日本のVRが家電やゲーム市場と同じく完全に世界から遊離するのは(今に始まったことではないが)、まだまだ金の国であることは間違いない。メディアが海外に向けて「その凄さ・価値」を発信する気持ちさえあればまだまだ間に合う。少なくとも学術論文を国際会議の世界で戦っている研究者たちは、それを最低でも英語で戦わせている。この20年間負けなしで※。
※SIGGRAPH E-Tech採択国比

日本の過去のVR研究投資こそが強み

冒頭で紹介した日本のVRの研究者たちが投じてきた研究費は、数千万、数億では足りない。現在ではゼロが一つも二つも少ない投資で世界のVRを驚愕させるアウトプットを出すことも難しくは無い研究開発がいくつもある。VR学会やIVRCなどのエキサイティングな学術コミュニティを卒業し、現在はゲーム開発企業、特にプラットフォーム各社に潜在している。この研究投資の多くは日本の国民の税金の成れの果てであり、そこに学ばない/人材を活用できないのは残念極まりない愚としか言いようが無い。また目利きの良い企業は、かつてのVR研究の英雄たちにしっかりとコンタクトをとっている。特許の期限、ノウハウ、実験、失敗、展開方法…10年以上の研究投資や知見を回収するときが、いま来ている。

VRや3Dが輪廻転生を繰り返すその理由

VRや3Dが輪廻転生を繰り返すその理由は、
「自分が面白いと思うものを作りたい」とか
「それで話題になればいい」とかいった人々の
一過性の祭りによる集団意識によるものが大きいのではないだろうか。
エンタテイメントシステムとしての面白さ、課金やライフサイクルまでの設計まできちんと行い、世界に向けて発信していってほしいと思う。

それは、残念だけれども、UnityやOculusといった、コンシューマゲーム機といった、プラットフォームに依存しているうちは見えてこないのかもしれない。
すべての人が見える必要は無い。かつてのゲームエンジンのように。

ゼロをイチにする人もいれば、
イチを十にする人もいれば、
十を百に、百を千にするひともいていい。

みんながそっちを向けばよい。

私自身が主題としている研究テーマ、
人々が「何故それを面白いと思うのか?」という研究は、最先端過ぎるのかもしれない。
これは万人向けの研究テーマではないだろう。
私だってそんなことを考えながらいつもゲームをしていたら、楽しめない。
しかし「面白さとは何か?」はこれからの研究なのだ。
誰が何をどう面白いと思ってつくろうとも、私はその面白さを研究し続けることができる。

コンテンツを作りたい人、いっしょにやりましょう。
すっごいシステムを作らせていただきたいと思います。

【あとがき】

解熱剤のテンションにまかせて書いた初稿をほぼ8割、推敲に推敲を重ねて、少しは読める文章になったと思う。Twitterなどで大変熱くなってしまっているのを申し訳なく思いつつ、忙しさに負けず、なんとか筆を執っている。炎上させて何かしたいわけではなかったが、学者として、重要なタイミングで重要なディスカッションをするための投石をしたのではないかと観測している。Twitterでのタイムラインを見ていると、各プレイヤーのポジションがはっきりしたし、VR研究者や先人たちに対する「食わず嫌い」のような感覚も見えてきた。先人に対するリスペクトの配慮が足りない面は、長年、個人制作・プロプライエタリな製作を続けているクリエイタからすれば爆門学問以上にストレスがあるモヤモヤを生んでおり、私自身も考え整理して次に進むいい機会になった。
カラアゲもVRも大好きです!俺だって時間と自由があったら盛り上がりたいわ!!!

いやほんとに。みなさまのご応募お待ちしております。

テーマは「Real Virtuality」です。

www.laval-virtual.org/en/prices-competitions/revolution/introduction-revolution.html

 

@o_ob @2015-11-25


  • @o_ob @2015-11-24 t.co/rxkyMC1qgF 00:12:58
  • 昨日の就活ガイダンスでいろいろ考える学生が出てきて何より。

    ところで補足なのだけど、就職も研究室選びも「本人の意思とスキルさえあればどうにかなる」と思っている学生は多いようだけど、実際にはその人を「育ててみよう」と思う大人がいない限り成立しない。

    この時期、いろいろ会うべき。 10:44:55

  • お金どうこうじゃ無いんですけどね。

    原稿料。

    いつまでも放って置かれると、そのメディアの質と品位を疑いますね。

    お金どうこうじゃ無いんですけどね。

    どうでも良いんだろうな
    もう次はないな
    って感じです。 14:36:34

  • Aurora over Clouds via NASA t.co/D7eQFdlvzb t.co/pBdkJDKznF 14:37:48
  • 根深い疲労を感じる地元ニュース。経営側は「顧客の信頼を大きく裏切る行為で看過できない。再発防止を徹底」としているけど、この仕事を30代に4年もバイトで…。再発防止ねえ/コンビニ店員、客を盗撮して投稿「殺したら5万払う」:朝日新聞 t.co/ZQCYNOnGd5 18:19:34
  • 原稿上げた。
    お腹痛い。
    帰る。
    帰って成績つける。 18:23:07
  • 景気のいい話だねえ/パナソニックの東京五輪関連売上高、1500億円はるかに超える=役員 t.co/bQNzZLrGGy @Reuters_co_jpさんから 18:29:56
  • VB:バーチャル(リアリティ)バブルの空虚さに嫌気が差したので為になる駄文を書いてやる! t.co/O9BuGCFaDb 23:29:38

@o_ob @2015-11-24


  • @o_ob @2015-11-23 t.co/q6oTwAV57B 00:12:45
  • これすごい。"deep learningで顔分類"というより描き分けや登場回数カウントの研究になっている気もするが/ディープラーニングでおそ松さんの六つ子は見分けられるのか 〜実施編〜 – bohemia日記 t.co/eNuB7ixaxi 03:44:31
  • ちなみにこのリッテルラボラトリーさんにも今度ご講演いただく予定ですよ/Googleの公開した人工知能ライブラリTensorFlowを触ってみた – 株式会社ネクスト エンジニアBlog t.co/tQDXoHKBuZ 03:47:48
  • これはいろいろ注目。成功を祈る/「H2Aロケット」29号機、午後打ち上げへ 商業衛星を搭載 t.co/uXbO9HfJVq #FNN 04:56:42
  • 時差ぼけコーディング→仕事へ 09:12:20
  • →バッテリー上がり 09:31:42
  • テロに猫テロで応酬するTwitter民。この手の平和ボケ文化は万国共通なのか…猫が支配する世界なのか/「ブリュッセル封鎖」でネコ画像ツイートが大流行 ベルギー 国際ニュース:AFPBB News t.co/AVasQzSqqZ @afpbbcomさんから 10:25:53
  • A 212 Hour Exposure of Orion via NASA t.co/Ai0cAyrcXD t.co/QxZ0Kw7FaU 14:33:20
  • →コーディングばりばり
    →時差ぼけ眠いです 23:54:01