大学自由な学びの場所であるから、 授業を休むことも本人の意思で行うことができます。 休学することだって、保証人の同意があればすることができます。 言ってしまえば、小学生のような長い夏休みよりもさらに長い休みを、 自分の好きな時に、好きなようにとることができます。すばらしい!   もちろん、学費を捻出してくれている親御さんや、 講義の準備をしている先生、 毎週朝早くから時間に間に合うように来ているほかの受講生や講師のお気持ち、 それから、君自身が本当にやりたかったこと、 そのために学ばなければならないこと…。 夢とか ユメとか   将来とか。   引用:書籍『それでも僕は夢を見る』公式PV (作・水野敬也 画・鉄拳/文響社) https://www.youtube.com/watch?v=xLGBGcIkfkU   それらすべてが許してくれると思うなら、休んだらいいと思います。 もちろん休む前と休んだ後の結果は同じではないだろうし。 大学は止めないよ、むしろ ほとんどの教職員が「それは自由意志ですから」とか、もっとひどい例だと、 「進路が間違っていることが分かったとすれば、それも学びですから」とか言う人もいる。 それがわかるぐらい勉強しているなら、そもそもそんなところで躓かないですよね。 一方で 『もっと引き留めてくれるかと思いました』 とおっしゃる学生さんもけっこういるので、筆を執っているのですけど。 休むことは自由です。 人生には誤った選択をすることも、耐え切れなくなることもあるでしょう。 今の世の中は、そういった人も何十年も生きていかねばならず、 休む選択だけは与えてくれます。 その休みという名の学びで、いかにして自分の人生を軌道修正するか?も自分で学ばなければならないです。   夢とか希望とか将来とか。待っているわけです。   アルバイトが大変? そうね、でも時給で自分の時間をお金に変換している時間はないと思うけれど。 そのお金で、もう一度学びなおしたいというのなら止めないけれど。 18歳から22歳の学びの時間は、今しかないんだよ。 『後で学べばいいや』 ってことは多くあると思います。 というか、大学で教えていることの多くが「きっと後で学べそうなこと」なのかもしれません。 でもそれは、 1~2年生の基礎や基盤なのであり、 専門家になるための常識なのであり、 10年そこらで変わるような話ではないのであり、 その教科を興味深く面白く教えられないのは、たまたまその先生が比べてヘボであり、いままであなたに接してきた教員が比べてナイスだったのであり、 不満があるなら、その先生に「先生の教え方がちっともわからないです」って言ってあげたほうがいいだろうし、 そもそも周りでそういうことを言う人がいない、つまり君自身がその講義なり演習なりについていけないようなら、 やっぱり教育環境の問題というより、本人の素質や才能や熱意や集中力がその教室の平均を下回っているということであり、 今その年齢で「ふつうは学んでおかなければならないこと」であることは間違いないと思います。 『そんなことはないんじゃないか、きっといま頑張らなくても大丈夫、俺には他の才能がある』とおっしゃる学生さんもいるかもしれません。そうかもしれません。 でもなぜ、いま君は大学の授業についていけないのでしょう?ほかにやりたいことがあるから? 音楽を志す人、特にプロの演奏家になりたい人が『どうして僕は3歳から5歳のときにピアノやバイオリンを始めていなかったんだろう!』って嘆くのに似ています。 3歳からバイオリンやピアノを始めていても、プロの演奏家になれない人のほうが多い、って知ってますか?知ってますよね、音楽を志しているのですから当然知ってますよね?? 3歳からバイオリンやピアノを始めていても、音大に行かず、音ゲーの世界ランカーになったり、電子楽器の発明者になったりする人もいますし、 音大の進路先を見れば、演奏家以外にも多種多様な職業があるのだなあ、なんてことは中高生でも調べられることだし、 そもそも幼児教育なんてまるっきり関係なく、自分の意思で野山を駆け回っている人のほうが、大きなことをしでかしたりします。 いつまでも親や他人のせいにしますか? 君が尊敬する音楽家は「自分の親のせいでこうなった」とか言ってますか? 君の見た夢や希望や将来は、君が見たものであり、 いつ叶えるか!何をもって達成したとするか!は君次第。 それに親を巻き込んでいい年齢も、そろそろ終わる。   将来を不安に思うことも大事だと思う。 その回答は親や先生には出せないよ。 残念ながら君とは別の人生で成功してきているのだからね。 中学高校の時に見た夢が、いまの世の中に存在しない、自分の実力ではたどり着けない、 でも、周りにいるご学友はその不安と同じ不安と向き合っているのではないでしょうか? 学校に来て、そいつらとぶつかり合って、騒ぎあって、一緒に将来への不安や、社会や会社といった馬鹿な大人たちを、 見返すような大きなことをやってのける、それが大学生というものではないのかい? そんな自由もあるんだ。大学には。卒業すれば、いろんな進路に進んだ同胞が、また別の人生を歩みながら教えてくれる。 だから講義は休んでも、大学生は大学には来るべきだと思う。 多少やりたいこととズレていても、卒業できる大学は卒業すべきだと思う。 さっさとこいよ、待ってるよ。     P.S. このBlogは演出上、特定の学生に呼びかけていますが、実在する学生ではありません。あと音大に恨みがあるわけではないです、美大芸大とか他の大学・学部・専門でも同じ「一般論」ととらえていただければ幸いです。 それから、読んでほしい人は学生さんというより、大学生の親を持つ親御さんだったりします。なお、大学の事務職員は人間的に尊敬できる人物で専門性があり常に冷静に教育的立場をとれる保証があるかどうかで採用されていないことが多いので想像を裏切るような発言があったとしても真に受けないほうがいいです。一人でも多くの迷える学生さんが、信頼できる大人に出会い、明日の世の中を作っていくことを祈り筆をおきます。