もうずいぶんと前からWikipediaに自分の項目ができているんですが。 時々Googleアラートとかでなんか変更通知が来たりするので、ごくごくまれにウォッチしてみたりします。 これが最近の私に関する世間の評価…らしい↓ — 白井 暁彦(しらい あきひこ、1973年3月13日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本人。専門はメディアアートの研究だが、学者なのか芸術家なのかは判断が分かれる人物である。 — へー。メディアアートの研究者だったんだ。 せめてCGとかインタラクティブとかエンタテイメントテクノロジーの研究者ってことにしておいてほしいなあ。 まあ自分で思っててもそうじゃないのかもしれないけど。 しかし「判断が分かれる」ってのがすごいな。Wikipediaってそんないい加減な表現ゆるされるのか、と軽く突っ込み。 私も時々寄稿しますけど、これは…。 でも書かないですよ。人物関係はすぐ荒れるし。 (てゆかこれでも沈静化したほうだと思う) それにしても「ノート」を読んでいるといつどんな絶好調なときでも、くらーい気分になれます。「そんな学位はない」とか、「SIGGRAPHなんて学会が存在しない」とかよくもまあそんなことを胸張って発言できるなあと、書いた人に哀れみすら感じてしまいます。 あと、とある履歴に、どう考えても同じ職場にいた高島君じゃないと書かなそうなあくどい誹謗ネタがあったりしました。元気そうで何よりです。そんなことを書いて、私に遊んでもらいたいんでしょうかねえ…。 それにしても彼は今どうしているんでしょうか。せっかくゲーム関係企業の就職先を紹介してあげたのに、その後、福島の実家に帰ったって話ですけど…まともな大人になっているといいんですが。 いずれにせよ今度あったら軽く嬲っておきたいと思います(笑)。 まあそんなわけで卒業シーズンなわけですが、恩師の項目がWikipediaになかったら、ぜひ感謝や私怨をこめて執筆してあげるとよいと思います。 関連研究分野の項目充実にもなると思いますし、ちょっとしたアウトリーチ活動ともいえますよね。 荒れないようにメンテするの大変なんですけど。

追記:

Wikipediaの人物項目はいっそのこと、紳士録だけ別のWikiにしてしまったらいいように思うんですけどね。

いわゆる「偉人」みたいな項目って、その人が死んでから他人視点でアーカイブしていくしかないし、生きている人間は、生きているうちに何かすることで評価がゴロゴロ変わってしまいますしね。

たとえばナポレオンは最後、島流しにされたときに口述筆記で自叙伝まとめてるわけですよ。 現代の手法で考えれば、生きているうちに、Web等を使ってまとめる必要はあるにせよ、「他人の平等な視点」だけで人物をまとめるのって不可能だよなあ。

それはそうと、タカシマはどこいっちゃったんだろうね。 なんかウォッチされている気がするんですけど。 若いころはいいセンスとリビドーを持ったプログラマだったんですけどね。 あと彼自身のWikipedia項目っぽいものもあったりして、なんだかWikipediaの人物項目は見れば見るほど凹む。