のだめ観て泣いて悪いか

息子と同じバージョンの風邪をもらったとおもったら、彼の体の中で新しいバージョンのウィルスを開発していたらしい、私の修正セキュリティパッチは難なくすり抜けられて見事に感染してしまった。
喉イタ、微熱、全身だるい状態でうなされる。
プログラミングしなきゃならん、メール書かなきゃならん、年賀状が…年内の仕事が…とうなされつつ、戦闘能力ゼロでひたすら戦闘不能、昏睡状態でクリスマスが過ぎていく。
息子は解熱剤を飲むと元気になる。
まいみくのえりりん☆一家にいただいた名鉄特急ミュースカイ(セントレア)がえらく気に入ったらしく大興奮。
地元・西フランスのPapaNoel(サンタクロース)からは地味なブリキでできたポンポン船をいただいた。空き缶でできていると思われる、tresアーティザナルなやつだ。

★日本の三太サンと違って、ゲームソフトなどをあげたりはしない信条らしい。

さっそくサラダボゥルに水を張って遊んでみる。スポイトでタンクに水を入れて、ろうそくで火をつける。ブリキの端処理はぜんぜんいい加減だし火を使ってる時点でSTマークは到底取得できない代物だけど、見事にポンポンポン・・・と走り出す、結構なスピード。
興味のある人はこの公式サイトも見てみるといいです。
http://www.bateau-pop-pop.com/

モンサンミッシェルに程近い、サンマロ(St.Malo)製みたいです。うちに来たのはブルターニュ旗の船なんだけど、もっと空き缶っぽいのもあってびっくり。
…おもちゃで興奮するのはいいんだが、君は38.7度の風邪引きではなかったかな?息子君よ。
熱でうなされる息子は不謹慎かもしれないが可愛くてたまらない。
突然トイレで「おかーさん、たすけてくださーい!」といって半泣きしたり…。頬赤くして子供らしいことをいっぱいする。
昨夜はずっと添い寝していたんだが、何度も手を握られて、ほんと参ってしまった
(息子の可愛さに)。
たぶん熱のせいだ。
本来、もうすこしばかりクールな親父像を目指しているのに、結構ブザマに風邪引き家族を楽しんでしまっている。いかんいかん。
それはそうと、この戦闘不能の状態を利用して、溜まったビデオを見る。楽しみにしていた「のだめカンタービレ」を一気に1話から。
これは近年まれに見る、本当に良くできたドラマ。

フジテレビも月9も、本気出せばできるじゃん、とか。

「ゴミだめ女が主人公」と言うことでけスポンサー的にはアレなんだろうけど、クラシック界的にも経済効果はありそうだな。

そんな皮算用はともかく、10話までで2−3回は泣ける場所がある。特に、コンサートシーン。いちいち練習のときでもいい加減に引いたり抑揚つけそこなったり芸の細かい音が聞こえるんだけど、学生らしい生々しい爆発力を本当によく表現している。もちろんテレビドラマだしMPEGなので音はたいしたことないし、私自身の耳も素人なんですけど。
千秋やのだめ、それからミルヒやハリセン先生をみていると、まるで自分のことのように聞こえてくることがある。
音楽に没頭して寝食を忘れたり、部屋がゴミだめになってたり、という端的なところだけじゃなくて、完璧を求めるあまり自己中になりすれ違ってしまう千秋やハリセン先生、遊びがないと生きていけないけど中途半端は許せないシュトレーゼマン。
よく風邪を引いてぶっ倒れているのも親近感わく。

物語はもう最終話を迎えるのだけど、おそらくここまでの話のテーマになっている「音楽と向き合う・没頭する・楽しむ」というスタイルは、日本の窮屈な音楽界にほんの少しの波紋を投げかけるんじゃないかな、と思う。ピアノ教室で殴られて音楽嫌いになるなんて、本当に僕らの世代では当たり前だとおもうけど、本末転倒だ。

しかし「譜面どおり引く!練習足らない!勝手に作らない!」これは基本中の基本であって、音楽だけの話じゃないと思う。たとえばプログラミングとか、たとえば論文書きとか。この辺の基本がしっかりしていて、初めて自分の表現が求められる、そういった世界ってたくさんあるし、自分もそういう世界に身をおいているように思う。

物語中盤で『上を目指すって何なんですかぁ…?』『なんで勉強しなくちゃいけないんですかぁ…』と泣くのだめ。

音大生だけじゃない、21歳で将来を、いや中学生や高校生だって将来を、いや正確には自分と向かいあう、自分の才能と向かい合うときには必ず考えなければならないテーマなのだから。逆に、自分と向き合ってこないで、スキルだけ身につけた人生がいかに苦しく悲しいか(そんなことはこんなところで語らなくたって日々みんなが感じているわけで)。
でも日本や音楽の世界は本当に厳しい。日本は経済的には豊かだけれど、社会は自由な表現や楽しむこと、自分自身が生き生きと、道を究めることに対しては非常にネガティブな風土がある、確かにある。また逆に、物語の中で彼らが夢見るその「欧州」に生きている自分は、その自由さと生まれ育った規律の世界との対比に苦しむことがある。

結局のところ、学ぶこと、経験することと、働くこと、住むことは全く別なのだ。世代も、目的も。
話を自分のことに戻せば。どういうわけか、運がいいことに、クラシック音楽と違って、インタラクティブやエンタテイメントシステムの世界の中心はプラハやウィーンじゃない。

「日本で育つ」というのはひとつの大きな利点だと思う。

さらにLavalも捨てたもんじゃない、こんな珍しい街は世界中さがしてもそうそう出会えるもんじゃないし、おそらく、もしかすると、自分はこの街では「ちょっとおかしな巨匠・フランツ・シュトレーゼマン(ミルヒ・ホルスタイン)」なのではないかと思う。

竹中直人演じる、彼の「人を乗せる能力」は一級品だ。もちろんエンタテイナーとしても一級品だけど。タクトを振っていなくても、日本語がおかしくても、さらにいうと竹中直人の指揮シーンはあまりすごくはないけれど、気がつけばあの眼光で、その世界に引き込まれてしまう。それは演技力とか表現力とかそういったものではなくて、彼には「その表現したい世界」が見えているからなのだと思う。

見据えた上で、一演奏、一演奏、いや一音一音を本当に丁寧に、大胆に、進めていく、そういうことが巨匠の一片なのだ。

俺はこの地でシュトレーゼマンとミルヒを演じているのか?ハリセン先生になっているんじゃないか?(ハリセン先生の演技はすごいけど)、ここではタクトを握れば必ず結果を出してはいると思うけど、でも…若い才能を飛躍させているのか?

本当に自分自身が音楽を(仕事を)楽しんでいるのか?
朦朧とした熱病にうなされながらそんなことを考えつつ、千秋やのだめの演奏を聴いて、演技を見て涙が止まらなくなる。
たぶん熱のせいだ。
でも
もっとがんばらなくちゃいけない、とも思うのだ。

日本の裏側で月9見ているどれだけの人がそう思うのかは判らないけど、そういうドラマを見た、自分にとっては。