2つの査読結果

育児に燃える日々とはいえ、
研究者としての仕事はあるわけで。

新規の実験、開発、執筆はお休みしてますが、
査読したり査読されたりはしていたりします。

とりあえず、いい話から。
祝・採択。

CyberGames2007
"WiiMedia: Papier Poupee Painter"; a new usage of game controller for infancy art media
http://www.coetechweek.com/cybergames/content/view/12/31/

まいみく・きょーこさんとR++さんとの共著です。
日本語だと「パステル描画エンジンと人形をかぶせたWiiRemoteをつかった幼児向け描画メディア」、といったところでしょうか。

9月10-11日に英国・マンチェスターで開催です。
まだ渡航予定が立ってませんが、まあユーロスターでも行けるし、何とかなるんじゃないでしょうか…とか。予算的には微妙に不安。上位4ペーパーは"ACM Computers in Entertainment"に載るそうですから、それを餌に…ならないか…。
いずれにせよ、英国人にはどんな英語をを書いても不安が残ります。米国人相手もそうですけどね。

それから、非採択通知。
これはどことは言いませんが、某日本の学会のトランザクション。査読が有料のやつです。

ネタは皆さんにご協力いただいたAugmented Distortionの話です。
ショックだったのは査読コメントですね。
自分も査読者だったのですが「コンテンツ系論文は技術的な展を返戻理由にしない」という申し合わせがあったにもかかわらず、査読者が技術一辺倒のコメント。しかも追求されている技術が古かったりすぎる(10年以上前の論文であれば引用可能だけど、関連の研究者であれば常識…この引用が足りないのが理由でリジェクトされるもの?)。まあともかく2名の査読者のうち、採択と非採択に割れた。採点はほぼ同じ。コメントが非採択側のほうがちょっと辛い。
で、第三査読者がまた、技術一辺倒で否定的。で落ちたと。

簡単に書くと「システムとかハードウェアが新しくない」とかいう理由。えーそれって理由になるの?そもそも論文募集で言っているようなゲームグラフィックスとか論文をまじめに書くと、既存のプラットフォームで実装した論文は論文にならないってことですよね。

そもそも自分が査読するときには、仮に「システムとかハードウェアが新しくない」と思ったって、やっぱり表現手法とかその表現手法の再現性とか、体験の新しさとか、やってみたらわかるだろうけど、そういえば誰もやってないな、とかいう論文はきっちり査読しますよ。建設的なコメントつきで。

「ダメ」というのであれば「どうダメなのか」をきっちり書かなければ、著者に失礼でしょう。仮にリジェクトだったとしても(加えて言えば査読料まで払っているわけで)。

まあ百歩譲って自分の論文構成が甘かったとしても、自分自身もボランティアで査読に参加している立場もあり、査読方針にあまりにばらつきがあったのが腑に落ちなかったので、恥を忍んで、指摘すべき点は指摘しておこう、と事務局に問い合わせたところ「エディタからのコメントがあります」というのでPDFを開いてみたら…白紙。

その後、無事テキストでエディタコメントが送られてきたので、キーボードを粉砕せずにすみましたが…。

—エディタコメント引用—

今回は,コンテンツ論文という枠組みでご投稿いただきました.コンテンツ論文では,作品の新規性,具体的には表現コンセプト・体験としての新規性を明らかにする必要があります.しかし,ご投稿いただいた論文では,提示しているコンテンツの内容,データに関して新たに制作,取得したものであることは分りますが,そのコンテンツだからこそ得られる新規体験や,そのコンテンツでなければならない必然性が必ずしも明らかではありませんでした.

他のコンテンツに差し替えてもなお有効であるという一般性の高い議論は,基礎論文や応用論文の方が適している場合がございます.論文を,技術的な基礎・応用論文として評価することも可能でございますが,カテゴリ変更には大幅な修正を要するという判断から,純粋にコンテンツに焦点を当てた評価がなされました.

複数の論文カテゴリの境界領域に位置するご研究ですので,難しい側面もございますが,今後のさらなる進展に期待いたします

—引用終わり—

うーんさすが。
エディタの先生は判ってるよな…。
まあおっしゃるとおりですよ。

しかしコンテンツに関する制作手法をコンテンツ論文に投稿してこういう返戻結果・コメントになってしまうとは、私のほうがオカシイんでしょうねえ。
「境界領域」とはよく言ったもので、もとから境界があいまいなのに、新しい価値観をもって判断していく、というのではなく、多くの学会が、過去の価値観を持って境界を明確にし他結果、混合分野の成果を「雑種第一代」のようにしてしまう癖がありますね。ハーフは産まれるけれど、その下の世代はさらに雑種になってしまう。

まあ私自身、今年はいい具合に採択を積み重ねてきているので、この論文が一遍リジェクトされたからといってめげてはいられませんが、たくさん採択されるためにはたくさん投稿するし、時には落とされることもあるってことです。

しかし、コンテンツ、科学、芸術、の融合、特に映像制作、エンタテイメント、インタラクティブ、その評価など…この研究分野を望む若者は多いにもかかわらず、まともな査読ができる人がなかなかいない、という状況はこの10年全然変わっていないどころか、ますます酷くなっているような気がします。

特に40代ではなく、30代前半~20代後半の若いクリエイターや研究者の卵が、この10年で大学のポストを得ているにもかかわらず、論文を書いたり査読したり、査読されたりする活動に積極的でないのが気になります。

メディアアートは日本でもずいぶんと市民権を得てきたように思いますが、その方法論や明文化が確立せず、経験則や個人のセンスだけに依存し、体系化、評価が不可能な状態が長く続けば、いくら「アートだ科学だ」といっても、一時の流行に終わってしまうのではないでしょうか。

まあこの辺は国によって、評価や手法の分かれるところでもありますので「日本で認められ、根ざすためには」といった制限つきの話題かもしれませんが…。

以上、微妙な話題をディープに独り言してみました。